君の未来を守る魔法 その四
元鉱山であるからには、採ってきた鉱物を選鉱・製錬・保管する施設が存在する。それらは村と離れたところにある、というよりは、居住区の一角である村の方が鉱山の中心から外れたところに位置していた。
中心とはもちろん、坑道の出入り口周辺のこと。だからルーサーたちが坑道を出て最初に目にするのは、沈む夕日に焼かれて黒く影を落とす、森を切り拓いて造られた巨大施設群であった。
レストソ鉱山の始まりはおよそ五百年前。閉山したのは百年後。ルーサーとアイデの前に並びたたずむ、巨大な機械がくっついた建物一つひとつは、およそ四百年前に放棄されたもの、という計算になる。
存続するのであれば、時は重ねるだけで価値となるが、鉱山の場合はそうではない。世界中に同じようなものがごまんとあり、同じように残っているから、資料的価値も歴史的価値も皆無なのである。そもそも、鉱床から鉱物が取れなくなったという理由で閉山される鉱山だが、その事業自体は時を超え場所を変え、今も各地で行われている。破棄されているのは施設であって、鉱山事業の文化ではないのだ。
例えば、鉱山が今や失われた事業だと言うのなら、閉山した鉱山にも一定の価値はあっただろう。しかし、今も発展し続ける途中にあった産物は、単なる足跡に過ぎない。次へ生かすために個々のデータが確実に残っており、また確実に通って来た道なのだから、実体の方には調べて得するものなど何も含まれていないのだ。
「ウィスのところに顔を出すか?」
「……、…………疲れた」
故に、鉱山の中でも実務を担った施設の集合、作業区は、その後に人が住み着ける居住区と違って、他に用途もなく破棄される運命にある。
壊す壊さないの判断はまちまち。閉山は通常、事故の危険性がある坑道の出入り口を塞いで終わりだ。それ以上に時間と金をかけて外や中の施設を壊す理由はない。放っておいて害があるわけでもなし、壊して得になるわけでもなし。施設を勝手に使われたところで、掘って足しになる石はないのだし。
悪いやつの根城になったので悪いやつごと解体した、のような特殊な例はままあるようだが、レストソは田舎も田舎である。悪党家業をするにしたって、悪さを働く相手が小さくては採算も取れない。
レストソ鉱山の施設群は、もはや悪いやつらにすら見放され、こうして今日もたたずんでいる、というわけだ。
「寂しいねえ」
廃墟の群れ。
世界中で見られる、ごくありふれた景色だ。
使われることはなく、調べられることもなく、本当に、何の意味も失ってしまった建物たち。夕日に燃える姿には哀愁さえ覚える。真っ暗の坑道よりも、荒れ果てた平野よりも、『大石化』によって丸ごと石と化した大陸よりもきっと、棄てられた鉱山は寂しく見えるはずだ。
「痛くないか?」
アイデは答えない。身体を動かせないから、全体重をルーサーに預けて、人形のようにおんぶされている。そりゃあ、背負って歩く以上は多少の揺れは仕方がないわけで、痛みは一歩ずつ着実にアイデの身に蓄積しているだろう。だが、耐え切れないほどに痛いのなら我慢せず訴えて来るのが、このアイデという人間……いや、『人格』である。さっきまでは散々、おぶってもらっている身で罵倒を並べ立てていたのだ。さすがに疲れたのか、無意味だと悟ったのか、坑道を出る辺りになって来ると口数も減っていたが、別に心を許したわけではないだろう。満身創痍のくせに、ルーサーが背中から感じるのは信頼ではなく、殺気だった。
とりあえずは今のまま、気を張って、できるだけ揺らさぬように歩いて行こう。自分にできるのはそれだけだと、ルーサーは心を決める。
ところで。
ルーサーは実のところ、レストソの元鉱山作業区に見られるような、『寂れた廃墟』というのが嫌いではない。至る所に鉱床があり、至る所に鉱山をこしらえるこの世界、ユエルトーハでは、旅の最中に遺棄された建物群を見るのは珍しい話ではなかった。そうやって幾度も目にし、時には中を探検している内に、ルーサーには鉱山跡に対する愛着のようなものが沸いていた。
ロマンである。
今では決してお目にかかれない鉱山の姿が、そこにはあった。
三百年続いた暗黒の歴史、『反応時代』の置き土産とも言われる魔宝技術の一つ。ダイアモンドの性質である魔宝補助の効力を、無機物による使用に限って大幅に引き上げることに成功した『第二限界理論』が確立したことで、世の魔宝石を使って動かす機械、『魔宝機械』の事情は一変ブレイクスルーした。
ブレイクスルー、というやつだ。
簡単に言うと、小型化と効率化が急激に進んだのである。ダイアモンドの性質である魔宝補助は、その名の通り『運用される魔宝の制御を簡単にする』役割を持つ。それ単体では機能しない代わりに、適切な量を装備しておけば、いかなる魔宝を運用しても効果を発揮する、という特殊ながら汎用性の高い機能である。
量を積めば積むほど魔宝補助の力は強くなり、従って魔宝の制御は簡単になっていくわけだが、なれば積みまくってしまえば自身で制御する必要さえなくなるのではというと、実は積み過ぎれば良いというものでもない。
世の中はそう甘くないのだ。それがダイアモンドの『積み過ぎ』と、積み過ぎによって起こる魔宝の『暴走』である。
ダイアモンドの適正重量は二十カラットとされている。単体で二十カラットを探すとなると大変だが、十カラットのダイアモンドを二つであれば子どものお小遣いでも揃えられるぐらい、ありふれた重量だ。魔宝を使うならとにかく、自分に適性のある属性の魔宝石と、二十カラットのダイアモンドを身に着けることが最初の一歩だと良く言われるのは、こうした事情からである。
しかし、この二十カラットに十カラットを足し、三十カラットのダイアモンドとすると、ダイアモンドは求められる機能を発揮しなくなってしまう。
魔宝は心の具象である。どうしたって、魔宝は使い手の心の影響を受ける。個人の得手不得手から、その時の精神状態に至るまで、あらゆる要素が複雑に絡み合って、魔宝はどうしても完璧な状態では運用されないようにできている。気持ちのムラが、そのまま魔宝のムラになるのである。そしてこの拭えない魔宝の不安定さは、決して自力で解消することができない。
心には形がない。形のないものをいかに御せると言うのか。
例えるなら、目算でお菓子を作っているような状態である。砂糖を十グラム入れる手順があるとして、秤を使っていなければ、投入する砂糖の量はどうしてもまちまちになってしまう。とはいえ、慣れているなら前後一グラムの差も出ないだろうし、そんな誤差で出来上がりに大きな影響が出るわけではない。結果として、目的のお菓子は、細かい事情を抜きにすれば完成することになる。
ダイアモンドによる魔宝補助とは本来、その“足りなかったり多かったりする砂糖を自動で適切な量に調節してくれる”機能なのである。砂糖とは、魔宝で言うところの魔力。要は魔力のちょい足し、ちょい引きだ。発信元である魔宝使いと、結果である魔宝に合わせて、両者を繋ぐ『過程』段階の魔力量の補助をするのが、ダイアモンドの担う役割、というわけだ。何とも奥ゆかしい能力である。
しかし、適切よりも多くのダイアモンドを積むと、先述の通りダイアモンドは求められた機能を発揮しなくなる。美徳である奥ゆかしさを失ってしまう。お菓子作りに話を戻すなら、ともかく目いっぱい砂糖をぶち込んでやるぜ、というイケイケ状態になってしまうのである。
砂糖を目いっぱいぶち込まれたお菓子は、悪くて砂糖の塊で済むだろう。
だが、魔力を目いっぱいぶち込まれた魔宝はと言うと、暴走を起こしてしまう。悪ければ使用者の命を奪い、もっと悪ければ周囲を巻き込む惨事の引き金となるのだ。
しかも、魔宝の暴走は死をありきたりな形で表現しない。元々この世界にあった魔法との決定的な差異である、魔宝による死の有り方。それは……。
「……と、お話はここまで。アイデ、おまえはここでちょっと待っててくれ」
ついにうんともすんとも言わなくなった。ただ、猜疑をありありと浮かべてルーサーを見るアイデを、ルーサーは慎重に背中から下ろし、大樹の陰に座らせた。
「っ……」
「おっと、悪い。痛かったよな」
どんなに慎重を期したところで、アイデの身体が受ける痛みを排することは不可能である。少し強い風が吹いたって痛がるだろうし、葉が落ちて来て当たったって痛がるだろう。最善を尽くしても意味はないと理解していて、それでもルーサーは謝った。
事情がどうあれ、痛がらせたのは事実である。
二人は今、作業区を抜け、居住区へと入っていた。明確な区切りはなく、ただ目に入る建物の種類が変わっただけだ。機械をまとった巨大な建造物から、かつて人が住んでいた一戸建てへ。ぱっと見、二、三十棟はあるか。作業区のものと比べて小さくなる代わりに、建物のデザインが凝り始める。一つひとつが被る個性は、建築に使われた石材の違いであり、住んでいた誰かの好みが外見にまで溢れた結果である。
レストソの村は、この居住区の一角を切り取って『村』としている。鉱山からは最も離れた位置、つまりは鉱山外の世界に最も近い位置に陣取っているため、作業区側から歩いてきたルーサーたちは今、居住区の中でも村とは正反対の地点にいた。
村から見れば、居住区の奥、といったところか。
そんな辺鄙な場所でアイデを背中から下ろしたのは、背負って村まで歩くのがしんどくなったから、ではない。宿を村の中に取らず、村の外にある住居のどれかを宿にすると決めたからだった。
「もう一度聞くけど、ウィスのところには戻るか? 何でも良いからイエスなら動け。ノーなら動かなくて良い」
アイデは動かなかった。
見届けて、ルーサーは一番近くの一軒家の戸を開ける。
もう誰も住んでいないから遠慮はしなくて良い。しかし、誰も住まなくなってもう四百年も経つのだ。戸を開けると、夕日に煌めく白くて細かい何かが、ふわあ、とルーサーを出迎えた。
「ごほ、っごほ、ぐは。うえ」
四百年分の埃である。あまりの量に呼吸が困難になって、ルーサーは追い返されるようにその場を離れた。覚悟はしていたが、相当だ。しかし覚悟はしていたから、次にするべきことも決まっている。
「さあ、掃除を始めようか」
水の魔宝石『アクアマリン』と風の魔宝石『エメラルド』。青と緑の魔宝石を冠した指輪を懐から出して、右の中指、薬指にはめる。ルーサーの専門は地属性である。故に、別の属性の魔宝を使うためにはこうして準備をしなくてはならないのだ、というわけでは特になかった。
指輪の状態で懐に忍ばせておいても、十分に魔宝は使用できる。しかし、改めて指にはめると気合が入るのだ。魔宝は心の具象である。掃除なんてしたくないなあ、面倒くさいなあ、もうこのまま住んでしまおうかなあ、などという最初から折れた気持ちで掃除のために魔宝を使ったところで、効率が下がって余計に精神を使うだけだ。気乗りしなくてもやる、というのも心の強さの一つではあるが、そうできるのであれば気乗りしてやる、方が魔宝も気持ち良く効果を発揮してくれる。
まずは風で埃を飛ばしてから、家全体を水拭き。歩くだけで埃が舞うような環境では、一晩だって穏やかに過ごせはしない。ましてや、こちらは大怪我人を連れているのである。咳の一つもしようものなら、きっと全身を激痛に襲われることだろう。配慮し過ぎて困ることはない。
それにしても、これもそれも。
アイデがウィスをぶっ飛ばしてなければ、こんな苦労はせずに済んだのだ。家出したアイデとそれを拾ってきたルーサー共々、ウィスの家か、あるいは村のどこかに宿を借りることもできただろう。最も、それでは前提から話がおかしくなってしまうから、最初から望むべくもない。アイデがウィスをぶっ飛ばしたから、こんなことになっているのだ。目を背けてもどうしようもない。
ウィス。
フルネームを、ウィス・ディア・ホープ。
アイデが殴り飛ばして大怪我を負わせた、居候先の主人であり故人であるディア・ホープ夫妻の、一人娘である。
ルーサーは二度、ウィスの下に戻って顔を出すかとアイデに問うた。それはアイデが願うなら付き合う腹積もりでいたからだ。しかしながらできれば、今すぐには戻りたくない、アイデにはノーと言って欲しい、というのが彼の本音でもあった。ルーサー自身にやましい部分がなくとも、アイデにはやましい事情しかない。居候先の同年代の子どもを殺しかけた、というのも既に子どもの喧嘩では済まなくなっているが、この事件にはもっと重大な事情がついて回っていた。大人の事情、いや、レストソの村の事情、だ。
ルーサーは村長から聞いている。アイデは当事者だから知らないはずがない。なぜなら、アイデが村を飛び出して坑道へと逃げ込んだ理由も、十中八九それであるからだ。
例えば、アイデが同程度の怪我を負わせるとして、そこらの親父を殴り飛ばしていたなら話は違っていた。親父じゃなくて子どもでも良い。ともかくウィスでなければ、事件はそう深刻化しなかったはずなのだ。
正確には、“ディア・ホープを相手にした”のが悪かった。