君の未来を守る魔宝 その三
村長の言葉をそのまま、自らで繰り返して、ルーサーは少しだけ身震いした。
それは、怪談が今になってなお続いているという証拠だった。しかも帰って来ないバージョン、悪い方の怪談だ。
急に強力な石魔まで現れている今は、村長が苦言を呈したように、確かに“時期が悪い”。何もこんな時を選び、わざわざ危険を冒してレストソの鉱山に入る理由があるだろうか。望んでレストソに来たルーサーだからと言って、“レストソ以外にアテがないわけではない”。迷信や噂話の類であるにせよ、懸念があるのなら払拭してからでも遅くはない。そうだ。
ルーサーには幸い、旅の目的を遂げるに当たってのタイムリミットだって、ないようなものなのである。
けれども、ルーサーはあらゆる危険を承知で坑道へと踏み入った。逸った、というのはやはり嘘ではない。タイムリミットがないことと、解決に時間をかけても良いということには何の関連性もない。早ければ早い方が良いに決まっている。
……森で出会った少年の命を間一髪で救ったように。
今、この坑道に入ったあの少年が、事故か何かで取り返しのつかない事態になる前に。
「ここがダイアモンドの坑道で良かった。魔宝だけなら数日通して使っても切れはしない。俺の身体が持てば、だけど」
同じような景色が続く、坑道という名の迷路。道中ダイアモンドの生える場所はいちいち違うが、ランダムなので覚えるわけにもいかず、何かの標になるわけでもない。たった一時間ほど潜っただけで、もう時間と距離の感覚が薄れて来ている。
こうまで変化の乏しい場所を歩いていると、歩くことの意義を自らに問い出したくなる。先へ進んでいる実感がない。確かに前へと歩を進めているのだと、理性では分かっていても、感情が納得しないのだ。
ああ、喉が渇いたと思って、水筒に口をつける。できればエフィタのジュースを飲みたいが、叶わぬ贅沢か。それはルーサーの好物だったが、長期保存には適さなかった。ジュースにする前の木の実の状態であれば長持ちするが、あんなに重く大きなものは旅のお供には適さない。
修業時代には毎日のように飲んでいた。
旅を始めれば不自由も出てくるに決まっているとは言え、ままならないものだ。
そんなエフィタのジュースに、少しずつ水を注いでいくと、少しずつジュースは薄まっていく。味気が失われ、香りが失われ、やがては何のジュースだったかも分からなくなる。
坑道を独り進む心境とは、つまり、そういう感じなのだ。
「こりゃ、途中で道を違えたかな。壊れた魔宝石もあれから一個も見つからない。そもそも、坑道の中で一人の人間を探すなんて、無茶も良いところか」
それは、一握りの魔宝石を探すにしたって同じことだ。故にルーサーには、坑道にいるはずのソシエの探索を無謀だ無茶だと批判する権利がなかった。もしソシエの探索を諦める理由があるとすれば、それはそもそも、命を助けただけの間柄に過ぎないのだ、ということ。親しくもない、ろくに話もできなかった、いわば見ず知らずの人間だ。そういう見ず知らずの人間を見捨ててなお、夜にぐっすりと眠れるほど、ルーサーは気の強い人間ではなかった。
小心者だ。
眠れない夜は好きではない。感傷的な意味ではなく、次の日を無駄にするから。
「……と」
何て感傷的になっていると、ルーサーはふいに、変わり映えのしない景色に変化が訪れたことに気づいた。
四方からダイアモンドの反射が消えてしまった……のではない。
それまでは人が二人、横に並んで歩くのが精いっぱいだった狭苦しい通路から、突然開けたところへと出たのだ。
全貌はようと知れなかった。狭苦しい通路用の小さな明かりとは言え、その明かりが届かないほどに空間は広いと見える。つまりは暗闇に沈んで、端にまで視界が及んでいない。
見えていないことが、良く見える。
その真っ暗闇の中に、動く光があった。
すわソシエ少年かと思ったルーサーも、すぐに考えを改める。それの反射は明らかに人の発するものではなかった。
ルーサーの魔宝は魔宝石にしか反応しない。ということは、魔宝石の煌めきなのだ。
自然によってのみ生み出される輝きが、暗闇の向こうでかすかに動いている。
石が独りで動くものか。答えはイエス。
「石魔が、いるのか」
未来を知らぬ君が名の下に。
光源を動く魔宝石の方へ投げ、ルーサーは自分の見立てが当たっていたことを知った。石魔がいる。魔宝石のように輝くのは、かの魔物の瞳である。ダイアモンドと同じ無色透明の反射光、文字通りの眼光はちらりとルーサーの方を見て、すぐに視線を外した。石魔の側に横たわっていたのは、銀髪の少年だった。
見覚えがある。その少年にも。このシチュエーションにも。けれどルーサーは森での戦闘よりもずっと落ち着いた心持ちで、右手に浮かべた結界魔宝を投擲した。体高は一メートルもないだろう、標準的な犬型の石魔の胴体に突き刺さった結界は、がりがりと石魔の核を削り、破壊した。
大きさと強さはほとんどの場合、比例する。近くに寄れば魔力の強さで判断もつく。ルーサーの対石魔センサーは、この開けた空間の中央にいた石魔の脅威をかなり低く見積もった。結果は大当たり。例えば、ソシエ探しの坑道探索を誰かに話す時、あるいは文字にして後世に残す時、坑道では戦闘があったということを省いても良いぐらいに、それはあっけなく終了した。
きっと、生まれて数日の命だったろう。生まれた瞬間から人を食う石魔に、同情の余地など少しもないが。
ルーサーはソシエの側に屈みこんで、脈拍や外傷を調べた。倒れているのは気を失っているからで、死んでいるわけではない。目立った怪我と言えば、右手を覆う黒焦げの火傷の痕だ。まるで、火の中に手を突っ込みでもしたかのようだが、焼き切れているわけでもなく、きちんと診てもらえば治るだろう。
応急処置として、念のために持参していた少し特別な包帯を患部に巻く。こんなこともあろうかと、というやつだ。地は白いガーゼで、水色のきらきらが細かなスパンコールのように埋め込まれている綺麗な包帯。もちろんこれらの輝きはおしゃれではなく、火属性の魔宝による怪我の治りを早くするための、水属性の魔宝石『アクアマリン』を砕いて編み込んだ、簡易な治癒魔宝のようなものだ。
ないよりまし。こういう場面にはいつも、ルーサーは治癒の魔宝も学んでおくべきだったなあと、少し後悔する。その場合はおそらく、治癒の魔宝を修める代わりに結界の魔宝を捨てていたのかも知れないが。
申し訳程度の手当てを終え、ひょいとソシエの身体を背負う。
子ども一人を背負って戻るのは、なかなかに堪えそうだ。救いなのは、ソシエの体重が見た目の線の細さを裏切らず軽いこと、ぐらいなものだった。
・
「ん、……?」
「よお、起きたか」
ソシエが目を覚ましたのは、それから二十分後のことだった。正確に時間が分かるのは、ルーサーの体内時計が復活したからではない。単に魔宝石で動く懐中時計を持っていたからである。潜っているだけで感覚を狂わされる坑道探索において、自分がどれだけの時間中にいるのかを把握し、いつ戻れば良いのかを決めるための時計の存在は欠かしてはならない。
「……ここは?」
「鉱山の中だよ」
「こう、ざん? どうして、ぼく……」
「覚えてないのか。おまえ、村で大暴れして鉱山に逃げ込んだんだぜ」
返答はなく、ルーサーも気にせず帰路を辿った。思い出そうとしているのか、思い出して反省しているのか、ただ押し黙ったソシエの気持ちははかりようがない。しばらくは大人しくおぶられていたソシエだったが、急に。
「下ろして」
と、口を尖らせた。寝起きよりわずかに声音が高い。
「もう歩けるわ。わたしは平気だから」
「わたし?」
「何? 文句でもあるの? いいから下ろしなさい」
「……平気なもんかよ。意識だってはっきりしてないだろう」
「何でそんなことが分かるのよ?」
「簡単だ。村であれだけの魔宝を使って、休みもせず坑道を歩いた。身体、というよりは心に限界が来て、おまえは倒れたんだよ。全く、一度ならず二度までも石魔に食われかけるなんざ」
「……そうか。あんた、わたしを森で助けたお人好しね?」
「ああ、そうだよ。感謝して欲しいもんだ」
「ってことは、今回も殺されかけたのよね、わたしは」
「ああ」
「余計なことをしてくれたわ。一度ならず二度までも。ともかく下ろして」
「いやだ」
拒否すると、ソシエは物理的な反抗に出た。下ろしてー! と喚きながら、暴れ出したのである。魔宝を使っての攻撃ではないにせよ、普通にぶたれれば普通に痛い。ルーサーは少し考えて、ソシエの言う通りにした。たかだ子どもの蹴る殴るの暴行など、身体中に結界を張れば何の問題もなくやり過ごせるだろう。無視しておんぶし続けることもできたが、それでも彼はソシエを下ろした。
「ふん。弱っち――い?」
地に足をついた瞬間、ふらりと膝が崩れ、ソシエの身体は前に倒れた。最初から足に力など入っていないかのようだった……ようだった、ではなく、入っていなかったに違いないのだ。そうなるだろうと分かっていたルーサーは、少し前に出てソシエを受け止める。意識が飛んでいたのか、少しもたれたままでいたソシエは、すぐに自分を支えるルーサーの胸を押して、突き飛ばした。
どん。ばたん。
地面に倒れる音。倒れたのは突き飛ばされたルーサーではなく。
当のソシエだった。
受け身も取れず、顔面から倒れ込む。
この辺りには地面からダイアモンドが生えていないから、転げまわったところで身体を傷つけることはない。が、弱った身体を踏み固められた坑道の地面に叩きつけるのは、それだけでも相当な激痛のはずだった。ソシエの全身の神経は今、ソシエ自身のせいで刺激に対して過敏になっている。苦痛に顔をゆがめるだけで、悲鳴が声にならなかったのは、痛すぎる故か、その力も残っていない故か。
「は、あ。……くそ、ったれえ……!」
伏した身体を起こそうとしても、自らの体重を支えるだけの力さえ左腕には入らないようだった。いや、ようだったではなく、入らないのだ。何度か挑戦して、その全てで五センチも顔を上げられなかったソシエは、ついにぐったりとして頬に土をつけた。
「何、見てるのよ。笑いたければ笑えば良いわ」
確かに、みっともないには違いない。他人の助けを突き返しておいて、酷い有り様である。ルーサーは笑う代わりに、大きくため息を吐いて、坑道の壁に背中を預ける格好で腰を下ろした。
「おまえ、もうソシエ・ジュビリーズじゃないのか」
「知らないわ」
あんなやつ。
ルーサーにぶつけるものとは比較にならないほど、その言葉には憎しみが込められていた。大まかな事情は村長から既に聞いている。“二人の仲が険悪であること”も情報の通りだ。それにしたって大層な嫌われようである。まさしく、吐き捨てるという表現をするに相応しい、“知らないわ、あんなやつ”発言だった。
嫌われているのは、ルーサーも同じだったが。
「男のソシエと女のアイデ。今のおまえはアイデ・ジュビリーズか」
「訳知り顔じゃない。ウィスにでも吹き込まれたの?」
「おまえがぶっ飛ばした娘のことか。あの娘は部屋に引きこもってるよ」
「いい気味ね。けれど死ぬほどの怪我じゃなかったでしょう。わたしは殺す気だったけど」
「そう、外傷は大したことない。骨折、火傷、打撲。どれも治せるってよ。魔宝さまさまだ」
事故……いや、事件か。
事件直後は凄惨だったと、今ウィスの面倒を見ているはずの治癒術師は言っていた。結界を素手で打ち破る魔宝の使い手が、その後二つの施設を瓦礫の山に変えた魔宝の使い手が、生身の少女を思いきり殴り飛ばしたのである。運が良かったのか、武芸の心得があったのか、ウィスはソシエ、ではなくアイデの一発を右腕で受け止められたので、大事には至らなかった。
「ヒットと同時に魔宝を爆発させる。俺の時は本気じゃなかったんだな。火傷してないし」
「本気を出すまでもないわ、あんな薄っぺらな結界」
「傷つくなあ」
ウィスは結果として、右腕を一本犠牲にするだけで、それ以上の怪我を免れたことになる。顔面に食らえば首から上の機能がいくらか吹き飛んでいたかも知れない。胸に食らえば衝撃は内臓に達してもっと深刻になっていたかも知れない。最悪、命を落とすこともあっただろう。だから右腕一本で済んだのは不幸中の幸い、だった。受け止めた側面には、広範にわたって火傷の痕が残るだろうが、命には代えられない。
「運が良いわよね。わたしの側にして死なないなんて」
逆に言えば、右腕をめちゃくちゃにしたアイデの攻撃は、それだけ本気だっだ、というわけだ。
「何をしたら、相手を殺そうなんて思うんだ?」
「わたしは“された”のよ。あいつ、自分の両親が死んだのはわたしのせいだと言い切った。忌み子を引き取った呪いだって」
「呪い?」
「あいつの両親は、どっちも腕の立つ魔宝使いなのよ。だからそこらの石魔に殺されるわけがない。じゃあどうして死んだのか。答えは一つでしょ」
運が悪かった。
そして、その運の悪さの責任を、呪いとやらに求めた。
「呪い、ねえ」
ウィスはソシエ・アイデと同じ年齢だという。なればおそらく十二、三歳。その年の子どもが突然、両親を失ったのだ。しかも全く予期していなかった原因によって。
子にとって親が自慢であったのなら、そうであればあるほど、きっと平常ではいられなかったはずだ。自慢は信頼であり、依存である。ウィスは瞬きをする間に、自らの拠り所を失ってしまった。取り乱して心ない暴言を吐くぐらいは、あっても何らおかしくはない。
が、当たる相手が悪かった。当てた言葉が悪かったのか。
「……両親を亡くした友人の気持ちぐらい、汲んではやれないのか?」
「友人じゃないわ。ただの同居人よ。それに、両親を亡くした子どもなら、何を言っても良いわけ?」
侵しちゃいけない場所が、それでもあるのよ。
ウィスは的確に、その“侵しちゃいけない場所”をついてしまった、というわけだ。この土壇場で最も踏んではいけない箇所を踏み抜いてしまったウィスには同情する他ない。いや、もしかしたら、あらかじめ知っていたその地雷を、混乱と怒りとに我を忘れて故意につついたのかも知れなかった。真意は本人に聞くしかないが。
「ソシエ……じゃないな、アイデ。おまえはそれで、呪いなんてものを信じてるのか?」
「信じてるわ。わたしは忌み子だから」
「そうかい。そいつは残念だ。今回のことは呪いでも何でもないよ」
嘘ね。何の躊躇もなく、アイデはルーサーの言葉を否定した。本当に、自らが呪われていると信じているのか。
「ウィスの両親が死んだのは本当に、ただの事故さ。大体、呪いで誰かを殺せるなんて、そっちの方がよっぽど己惚れてるよ。そうだな、悪いやつを一人仕立て上げるとすれば、無用な騒ぎを起こすまいと気を配った村長ぐらいかね」
腰を上げ、アイデを担ぐ。やめろ離せ触るなヘンタイばかクズ、と散々に口汚く罵るアイデだったが、抵抗らしい抵抗は何一つ見せなかった。世に言うツンデレ、であればどんなに平和だったろう。アイデが顔を歪ませていたのは、決してルーサーに担がれる嫌悪からだけではなかった。
もう一ミリだって動かないほどに疲労した手足を、アイデは無理にでも動かそうとしていたのだ。そんなことをして返って来るのは、限界に悲鳴を上げて軋む精神の、刺すような痛みだけである。魔宝の過剰な使用は肉体よりもむしろ、精神に大きな負担をかける。耐え切れず心が止まってしまえば、その状態に関わらず肉体もまた止まるのだ。そして、これ以上の負担を避けるために、心は自らに対するあらゆる命令に対して鋭い痛みを返す。
もう一ミリだって動かせない、と。
「身体が動かない」
「無理をするからだ」
「右手が燃えてる」
「無理をするからだ」
「揺らすな。痛い」
「無理をするからだ」
「結局は運が悪かっただけじゃない」
けれど、単に運が悪かっただけのことをいちいち呪いのせいにしてしまっては、世界中が呪いで溢れ返ってしまう。
人がそれでも、不利益を呪いだと言い切ってしまう瞬間があるとすれば、それは。
「理不尽で理解不能な運の悪さに襲われた時、さ。今回の事故には理由がある。多分、放って置けばもっと大きな事件に繋がる、理由がな」
アイデは黙って背負われている。両手足には力が入っておらず、背負うルーサーに捕まることもできないから、良く良く気を付けて彼はバランスを取った。歩いているだけの振動で痛むのも、アイデ自身のせいだと言えばそうだったが、ルーサーはできるだけ揺れないように細心の注意を払った。
後は石魔と遭遇しないことを祈るだけだ。森で出会った強い石魔でも、さっき倒した弱い石魔でも同様だ。前者も後者も面倒くさい。特に後者のような“生まれたての石魔”がまた現れるようなら、いよいよ問題は深刻になって来る。
そう。
石魔はこんなところで生まれはしないのだから。