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君の石化を解く魔宝  作者: 空の宝石
1/8

君の未来を守る魔宝 その一

「未来を知らぬ君が名の下に……」

 間に合え!

 心で叫んで、彼は結界魔宝を掲げた左手を思いきり振り抜いた。

 うっそうとした森の最中に、薄紫色をした半透明の円盤が投げ入れられる。地面から少しだけ浮いて、並行から垂直に自ら姿勢を正しながら、転がるように飛んでいく。

 さくさくさくさく、荒れた芝生を蹴って走る彼の足は止まらない。手から放した結界の強度などたかが知れていて、十割の性能は望めない。時間稼ぎが関の山だ。しかしそれで良い。次の結界を右手に用意して、いつでも投擲できるよう準備しつつ、前方の様子に目を凝らす。

 銀髪の子どもが一人、相対するのは化け物だ。二メートル、いや三メートルはあろうかという巨大な背丈の、犬めいたシルエット。身体は無色の光を纏ってなお黒く、炎が形を取っているかのようにゆらめいて定まらない。化け物がぐんと大きく口を開けると、体内の光が外に漏れだして子どもを照らした。

人類共通の仇たる化け物、“石魔”。

かのモノに喰われる哀れな人間が最後に見るのは、自らを喰らわんとする魔宝の魔的な輝きなのだと言う。石魔の口は、一見すれば犬に見える姿をまるで無視し、顎や顔の概念を遥かに超えて開かれていく。裂けて広がっていく。白宝の煌めきが子どもを飲み込んで消し去る寸前に、ぱ、とそれは消失した。

 先に投げられた円盤が石魔の鼻先をかすめながら、ぴたりと立ち止まった。両者の間に割り込んだのだ。間に合った。立ち尽くしていた子どもと、食事を邪魔された石魔とが揃って乱入者の方を見る。まだ距離がある、時間がかかると踏んだのか、水を差した仕切りの結界を石魔が砕こうとするのと、次の結界を彼が投げ飛ばしたのはほとんど同時だった。

〔うおおおおおオオオオオオオオおおおおおおおん!!!〕

 体裁は犬の遠吠え。しかしながら獣の猛る声、鳥の鳴く声、石を砕く音、金を掻く音、種類も大きさも様々に混ざり合った不協和音でもある。石魔の咆哮は恐ろしい。咆哮、などと既存の表現ではとても的確とは思えないほどにおぞましい。ただそれでけで心が委縮し、乱され、喪われていくようだ。理由もなく、ただはっきりと“嫌悪”が湧き上がって来て、じりじりと身を焦がす。専門家集団の騎士団に言わせるのなら、それはきっと、自らが全人類の仇敵であると高らかに宣告する、鐘声なのだという。何度聞いても、騎士団の言葉は全く正しいとしか言えなかった。石魔は総じて、例外なく、こうやって啼くからだ。

 怒号を切り裂いて進む結界は、石魔が先の結界を一撃の下に粉砕してから、その肥大した横顔に突き刺さった。

「……いや! 防ぎやがったか!?」

 彼と石魔の位置関係では、直線状の間にある円盤結界が石魔にどう接触したのか、彼からでは伺い知れない。しかし接地面でばちばちと、稲光のような筋になって放出される魔宝の光を見れば、結界が直接石魔に触れていないことは明白だった。傷をつけたのなら、ああも攻撃的に光は溢れない。何の指向性もなく、例えるなら、岩間の隙から漏れ出す一縷であるべきなのだ。今、石魔と結界の間に煌めく魔宝には、だから明確な意志が宿っていた。

 防ぎ、抑えた、という鋭利な敵意だ。

「っち、厄介だな」

 予想していた通り、想定以上だ。だてに大きく成長しているわけでないらしい。

 とは言え、前へ進もうとする結界の威力も完全に殺がれたわけではない。今も高速で回転し、石魔の防護をがりがりと削り取っている。目の前の結界に気を取られ、片手間に次の攻撃を防いでしまった、それは石魔の選択ミスと言えた。魔宝は意識の具象だ。意識配分の大小は、そのまま魔宝の威力に直結する。そうやって手こずる間に、彼はとうとう石魔を手の届く距離に捉えた。

「未来を知らぬ君が名の下に! 三枚、目だああああああ!」

 肉薄の直前で彼が跳び上がる。手の平に貼り付けるようにして結界を張り、落下の勢いのまま振り被って叩き付ける。石魔に、ではない。石魔の防護に噛み付いた二枚目の結界に、だ。

 例えるなら、釘を刺してから、更にハンマーで打ち付ける要領。釘役の結界はいとも簡単に石魔の防護を食い破り、頭部を切断して地面に突き刺さった。

〔ぐうううううウウあああああああああああアアアアアアアアアアアあああ!!!〕

 肉のない空洞の断面、胎内から一際に強い白光が漏れる。その中央には、心臓ではなく、光を濃縮したような透明の液体が渦巻いていた。もはや口も喉も失って、しかし関係なくとどろいた悲鳴は、一層悲痛で、身の毛がよだつ。間近に聞くと意識が吹き飛びそうになる。腹に力を込めて何とかこらえると、よろける石魔と未だ立ち尽くす子ども……中性的だが、おそらく男性であろう少年の間に入り、彼は即座に結界を張った。肩の高さに手をかかげ、少年に向ける形で手の平を空間に押し当てる。地面と、地上三メートルほどの高さ……石魔の体高と同じほどの高度に、彼と少年とを区切るようにして、さあ、と光の筋が走った。少し遅れて、彼の手の平から紫色の光が波紋のように、上下二対の線に区切られた内側の空間に広がっていく。すると、線は縁となって中身を光で満たし、瞬く間に巨大な結界ができあがった。これまでのものとは全く大きさの違う、横幅何十メートルにもなる結界で、それはもう板というより、立派な壁だった。

 まるで紫色のガラスが、即座に現れたかのようである。

「逃げろ、ここはいいから」

 結界越しに彼が笑っても、少年は応じなかった。どころか、ひい、と小さな悲鳴を漏らして後ずさりするのだった。助けた相手に怯えられるという事態に、彼はそれを失礼だと思うよりも先に、なぜ少年が怯えたのかについての疑問に突き当たって、眉をひそめた。

 ただ気が動転しているだけ、だろうか。石魔の首が落ちるところを初めて見て、ショックを受けているとか。細かいところに目をつむれば、見た目は巨大な犬であるのだし。

 何にせよ追及は後回しだろう。彼が自らと少年を結界の同じ側に置かなかったのは、頭を吹き飛ばしてなお石魔は死なない、死んでいないと知っていたからである。不意打ちや小手先で殺せるほどやわな相手じゃない。予想通りに想定以上だった石魔を殺そうとするなら、かなりちゃんとした戦闘を覚悟しなくてはならない。だから彼は、首から上をすっぱり落とされ隙をさらけ出した石魔への追撃よりも、少年を守るための結界を優先させたのだった。追撃で勝負を決められなければ、戦闘に入ってしまい、少年を守る余裕がなくなってしまうからだ。

 そうこうしていれば、着々と石魔の傷は癒えていく。胎内の液体部分が見えなくなり、元の犬のシルエットへと戻っていく。横目に、彼は右手の中指にはめていた、紫色の宝石を一つ冠する“指輪(ソリティアリング)”を結界の側に置いて、少年に背を向けた。

「それじゃあ、やりますか」

 彼が振り向く頃には、石魔もすっかり元通りだった。宝石が埋め込まれたような瞳、深く煌めく無色の瞳が、ぎろりと彼を睨んだ。

「未来を知らぬ君が名の下に」

 肩の高さで真横に掲げた手の平に、結界が生まれる。光の筋によって円く縁どられ、内側が薄い紫光に満たされる。

 準備万端。

 彼が構えると、石魔が啼いた。

 その決着はあっさりとついたのだった。

 先制した石魔の攻撃は、左前脚での叩きつけ。彼は円盤型の結界を備えた左手を合わせてぶつけ、自分の倍はあろうかという石魔の一撃を軽々と跳ね返した。

 結界にはひびが入った程度。比べて、石魔は左前脚を大きく打ち上げられて、腹が見えるほど身を反らした。

 後は懐に入って距離を詰め、結界を投げつけるだけ。高速で回転する円盤型の結界は、薄い分だけ一点突破の効果に優れている。先ほどのように、防がれたことでいくらかの勢いを殺されてなお、その胴体を切断するには余りある威力を残しておけるのが、彼の結界魔宝による攻撃である。

 今回、石魔には防御の魔宝を使う余裕さえなかった。魔宝は意識の具現である。反撃を食らって体勢を崩されながら、死角への追撃に気を配って防ぐだなんて器用な真似は、人間でもそうそうできたものではない。

 見えていない攻撃に対処のしようがないのは、武術だろうと魔宝だろうと同じこと、なのだ。

 例外を求めるのならば、よほどの勘が働いたか、そうでなければ“事前に知っていたか”。しかし未来の視える石魔など、彼は見たことも聞いたこともなかった。

 だから当然の結果として、円盤は果物でも切るみたいに、さっくりと石魔の腹部を割って内に到達した。

〔きいいいいいいいいいイイイイイイイイヤアアああああああああああああああ!!!!??!!!!???〕

 切断して通り抜けるのではなく、薄紫の円盤は胎内の何かにつっかえているように先へ進まず、代わりに回転を続け、ぎりぎりぎりと中身を抉り続けた。割れた腹から光と共に液体が漏れ出てくる。ダメ押しにもう一枚、彼は結界を投げ込んだ。

 二枚目が突き刺さったと同時に、ばしゃん、とトドメをさした音。石魔の身体がまばゆい光となって霧散し、後には無色の液体が飛び散った。それは、石魔が死を迎えた瞬間である。気体のようであった石魔は、消し飛びながら内に抱えた液状の核……人間で言うところの心臓をまき散らして、死ぬのだ。

 森の湿った地面に、石魔の液状の心臓が散乱する。あんな化け物の内に渦巻いていとは思えない程に、それはそれは美しい代物だ。密集する木々の葉に遮られほとんど日の光が降りて来ない中でも、内側で光を乱反射させるそれは、宝石がそのまま液体になったみたいにきらきらと輝いている。液体故に、瞬間で屈折の角度が変わってしまうため、その表情は非常に豊かで、気まぐれで、何時間だって見ていられる。けれど、それが液体のまま外にいる時間はわずかに数秒でしかないのだ。“煌化現象(アスティメイション)”によって魔力は例外なく“固化”させられる。文字通り、それは魔力を閉じ込めた宝石、“魔宝石”へと生まれ変わる。

 いくつかの魔宝石が、そうやって地面に転がった。戦利品の一つを、彼は手に取って陽光に透かす。

 ……無色透明の宝石、ダイアモンド。最もポピュラーな魔宝石だ。

 今の石魔から採集されたこのダイアモンドは、普段お目にかかることのできるレベルよりは少し、上の品質であるようだった。

「こりゃ、幸先が良い」

 予期せぬ戦闘(トラブル)に遭遇したかいがあった、というところか。彼にとっては、ちょっと珍しいダイアモンドを拾った以上の意味があった。

 もし先程の石魔が人を襲っていなければ、戦闘を回避していたかも知れない。そういう意味では、襲われていてくれたことに感謝したいぐらいで、彼は揚々と少年の方に向き直った。

 少年は変わらず、結界の向こうに立っていた。

 変わらずに、おびえ、すくみ、おののいて、彼を見据えていた。

 違和感を覚えなかったわけではないが、石魔が死んでなお拭えないほど、きっと怖かったのだろうと解釈して、彼は結界を解いた。

 解こうとして、薄紫の透明な壁に掌を押し当てたところで、彼は自らの間違いに気づいたのだった。

「いや、……やめて、やめてええええええええええ!!!!!」

 少年が叫ぶ。頭を抱え、身をよじらせる。石魔を前にしても、彼はそんなに取り乱していなかった。まるで、石魔なんかとは比べものにならない恐ろしいモノが、少年の目に映ったようではないか。彼が呆気に取られたのも束の間。

 ば、りいいいいいいいいん!!

 次の瞬間には結界が割れていた。

 五歩の距離を一足に踏み込んできた少年の拳が、彼の頭部をかすめる。石魔の一撃にさえ“ひび割れ”で耐えた結界が、たったの一突きで粉々に砕かれ、貫通を許した。

「いやああああああああああああ!!!!!!」

 絶叫と共に、間髪入れず拳打が放たれる。一見性別の判断がつかない整った顔立ちに、儚げな印象を添える猫っ毛の銀髪。身体つきも小柄であり、石魔よりも強力な一撃を放っておいて、その腕は武道をやっているとは思えないほどに細い。それでも彼が少年を“少女ではない(しょうねん)”と見定めたのは、……実を言えば勘でしかなかった。

「っく!」

 石魔との戦闘や少年を守るために張ったものよりもサイズダウンし、相手の拳に合わせた大きさの結界で迎え撃つ。拳が結界を殴りつけると、割れこそしなかったものの、突き抜けた衝撃が波となって彼の身を打った。

 そういう魔宝使い、というわけだ。彼が結界を得意とするように、少年は“近接戦闘”を得意としている。肉体強化、あるいはインパクトの瞬間に爆裂する魔宝。タネはともかく、実力は本物だ。

 魔宝は意識の具象である。

 健全な精神は健全な肉体に宿る。間違いではないが、強靭な精神が肉体の優劣を覆し、凌駕することもまた、魔宝の真実の一つなのだ。

 今こうして、およそ戦いの中に身を置いてきたとは思えない十二歳ほどの少年が、旅人としてそれなりの戦いをこなしてきた十六歳の彼を圧倒しているように。

「やめて! やめて! やめてやめて! それを見せないでよおおおおおおおおおお!!!!!」

 がつんがつんと、少年の連打は止まらない。彼が結界を割られる度、新たに結界を張っても、横殴りの雨のように殴打は止まない。“それ”? “それ”とは何のことだ? 抵抗を止めろというのなら、それこそ無理な話だ。サイズダウンの代わりに硬度を増している結界を、なお二度、三度で割って来る拳に生身を晒すなど、正気の沙汰ではない。

 幸い、威力はあるし回転も速いし、相当に質の良い正拳の応酬であっても、見切れずに突破されるほどではなかった。殺気はあるが、工夫がない。高度であるが、練度がない。防がれるのを嫌がらない、結界を避けようとしない拳には、そういう意味では“殺す気が感じられない”。

 ……結界を、避けない?

「違う、これは」

 結界に当てに来ている、のか?

 彼が攻撃をさばいているのではなく、少年の方から防御に突っ込んで来ているのだ。それでいて気迫は本物だから、害するつもりがあってやっている。だが少年が狙っているのは守りを展開する彼ではない。展開されている守りそのもの、だ。そうでなければ、こうも執拗に結界を狙うわけの説明がつかない。そうであるなら、少年の言う“それ”が何なのかの説明がつけられる。

 二十枚目の結界を割られ、彼は右手に展開した二十一枚目を自らの眼前にかざした。がら空きの胴体を無視し、一直線に拳を振り抜いてきた少年に、彼は自らの予測が正しかったことを知る。

 インパクトの瞬間、彼は“それ”を解き、右手を避けた。

「っ――!!!!」

 向かい来る殴打に道を開け、おめおめとその一撃をもらい、吹き飛ばされる。悲鳴も出なかった。あれだけ大きな石魔の攻撃にも耐えるよう設えた結界を、たったの一振りで粉々にする正拳である。水の入ったふたのついていないコップを振り回したみたいに、インパクトの瞬間まであった意識がふっと抜けていくのを、彼は何やら他人事のように確認して気絶した。

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