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「短編」

「悪意」

作者: 晒す者

 『悪意』が俺を見張っている。






 辛かった。自分の精神状態が不安定なのを感じた。だから俺は明日、会社を休むことを上司に伝えた。

 繁忙期では無かったのと、俺の精神状態を理解してくれている上司のおかげで休暇を取ること自体は問題無かった。

 だが、だがそれでも、そんな俺の行動を『奴』は見逃さない。


『その程度で休んじゃうの?』


 その言葉は俺の鼓膜に響いたわけではない。周りに人がいるわけでもない。そして俺自身が声を出したわけでもない。

 だが確かに、その言葉は確実に俺の精神を蝕む。


『先月も一回休んだよね? あれ? その前の月もだっけ? そんなに休んじゃうの? 体調が悪い訳でもないのに?』


 言葉は俺の頭の中にどんどん浮かんでくる。決して誰かの声として現実にあるわけではない。だが、確かに俺の頭の中には存在する。

 そしてその言葉の共通点は、必ず俺の痛いところをついてくるということだった。


『良かったねえ、皆が許してくれて。いや、そうなのかな? もしかしたら皆も『あいつは休み過ぎじゃないか』って思ってるかもねえ』


 ……そんなはずはない。俺は精一杯やっている。これは必要な休みだ。


『精一杯やっている? そんなの社会じゃ通用しないよ?』


 ……っ!


 思わずその場に蹲る。駅構内を歩いている通行人が怪訝な顔をして俺を見ている。

 苦しい、苦しい、だけどその理由が説明できない。伝えることが出来ない。

 俺は確かに苦しいのだ。辛いのだ。だが今の俺がどう辛いのか、なぜ辛いのかがわからない。






 俺の頭の中には、常に俺に語りかけてくる存在がいる。

 いや、「存在」しているわけではないとは思う。だが、俺は既にそう思ってしまっている。

 

 俺はその存在を、『悪意』と呼んでいる。

 なぜそう呼んでいるか? それは常に俺を攻撃しているからだ。

 

 その攻撃は決して有意義なものではない。俺にとっても、『悪意』にとっても。

 いくら俺に攻撃したとしても、『悪意』にとってのメリットはない。そもそも『悪意』は人間どころか生物でもないので、メリットも何もない。

 だが俺は苦しむ。『悪意』による攻撃で俺は常に苦しんでいる。


 一方にメリットはなく、一方は苦しむ攻撃。

 誰も得をしない、誰も幸せにならない行為。


 だから無意味。全くの無意味。

 だとしても、『悪意』による攻撃は尚も俺を苦しめる。



『蹲っちゃってさあ、誰かに声を掛けてもらうのを待っているの? 心配されたいの? 別に体に不調があるわけでもないのに情けないと思わないの?』


 

 『悪意』の言葉は、俺の行動の矛盾を指摘するものが多い。

 今回の場合は、『別に体調不良でもないのにその場に蹲る』という行為の矛盾だ。俺の行動、俺の言動、俺の思想、その全てにおけるどんな小さな矛盾も決して見逃さない。


『ほら早く立たないと。本当に声を掛けられちゃうよ? 通行人に余計な心配を掛けちゃうよ? 社会人としてそれはどうかなあ?』


「ううっ……」


 フラフラする体を無理やり起こして、俺は再び改札へと歩きだす。


『どうしたの? なに辛そうなフリしてるの? お前にそんなことをする資格あると思うの? 元気なんだから普通に歩こうよ。ほら早く、さあ、さあ、さあ』


 そうなのだ。

 普通に歩こうと思えば普通に歩ける。俺はただ、被害者ぶっているだけなんだ。苦しんでいる自分に酔っているだけなんだ。

 でも、それでも辛い。苦しい。助けてほしい。


『辛い? 苦しい? この程度で? 皆だって辛いんだよ? お前より皆の方が辛いんだよ? なのに自分だけ休もうとしているの? 悪いと思わないの?』


 『悪意』の言葉はいつだって正論だ。

 俺の行動の矛盾、間違い、ミス、それらを徹底的に指摘して、俺を追い詰める。俺は反撃などできない。だって正論なのだから。

 ホームに到着し、帰るための電車が来るのを待つ。利用客が多い路線のため、電車はすぐに来た。


 

 この鉄塊が俺をバラバラにすれば、俺の苦しみも頭の中の『悪意』もバラバラになってくれるのではないか。

 そう考えた回数は、一回や二回ではない。




 

「殺してやる……」


 道を歩いていて、思わず聞こえない程度につぶやいた言葉。

 口癖になっていた。だが決してその対象が誰なのかはわからない。俺は誰を殺したいのか、消し去りたいのか。

 

「殺してやる……あいつ……殺してやる……」


 「あいつ」とは言っているが、それが誰かとか具体的なものは何もない。



『殺す? そんなことできやしないのに?』



 『悪意』は俺の行動パターンを全て理解している。俺が出来ること、俺が出来ないこと。それを全て理解している。

 その上で、「出来ないこと」に分類されているものを俺に強いてくる。だがそれは決して不当なものではない。なぜなら、他の人間は「出来ること」だからだ。

 だからこの場合、「殺す」ことは強制しない。それはほとんどの人間がしないことだからだ。


 俺は真面目に仕事をしているつもりだ。


『真面目に? それだったらもっと仕事に集中しているはずだよね?』


 精一杯やっているつもりだ。


『精一杯? それならもっと早く職場に来て準備しなよ。そんなこともしないで、精一杯とか言っているの?』


 辞めさせられるなんてことはないはずだ。


『どうかなあ? 皆はもっと仕事が出来ると思うよ?』


 俺の『精一杯』は、悉く『悪意』に否定された。




「□□はちょっと気にし過ぎだよ」


 以前、友人の××に弱音を吐いたことがあった。

 もしかして自分の頑張りが足りないのではないか。職場の人は俺を嫌っているのではないかという不安があると言った。

 それに対し、××は俺を励ます言葉を掛けてくれた。


「皆が□□を攻撃してくるわけじゃないし、僕はお前が今まで頑張っていたのを知っている。だからさ、周りや僕を信じてくれないかな?」


 嬉しかった。

 ××は俺の頑張りを認めてくれた。俺の味方になってくれた。

 そのことは確かに俺の心を癒したのだ。


 だがそれも、長くは続かなかった。


『××くんは優しいねえ、お前よりもっと頑張って辛い思いをしているのに、優しい言葉をかけてくれたんだ。あれ、それなのにお前は何やってんの?』


 ××と別れた直後、『悪意』はすぐさま言葉を浮かべた。

 『悪意』は決して俺から離れない。俺の行動を全て見ている。

 だから見逃さない。俺の怠惰を見逃さない。


『結局はさあ、甘えなんだよ。甘え甘え。精神的に辛かったらもっとお前はやつれているはずだよ? でもお前は健康そのものでしょ?』


 俺は別に食欲が無かったり、何か障害を抱えているわけでもない。五体満足の健康体だ。

 だから『悪意』は俺の苦しみを認めない。それは苦しみに値しない。


『苦しいなら、そこから脱するためにもっと努力するはずだよね? でもお前は何もしていないよね? 仕事中だって辛いのを言い訳にして休憩したりしたよね? 皆は必死に仕事をしているのに』


 『悪意』が持ち出すのは、俺と『皆』との差異。

 俺という人間が、『皆』よりいかに劣っているかという素晴らしいプレゼン。視聴者は俺。

 『悪意』は実に一方的だ。俺からの攻撃を心配する必要がないのだから。



 だが俺は決して、この『悪意』から離れることは出来ない。

 なぜなら、俺もまた『悪意』を見張っているからだ。


 この『悪意』が、どれだけ俺を苦しめているか。

 この『悪意』が、どれだけ非道な存在なのか。

 この『悪意』に攻撃されている俺は、どれだけ可哀そうな存在なのか。


 俺は誰かを憎みたかった。だが、誰が原因でもなかった。俺の精神が不安定なのは、誰が原因でもなかった。

 だが俺は原因を欲していた。俺にとっての理想的な『悪意』が欲しかった。


 全ての罪を、そいつになすりつけるために。


 だから常に俺を攻撃する『悪意』が生み出された。俺が憎むべき、俺だけを攻撃する『敵』が生み出された。

 俺はその『悪意』をより強固にするために、常に『悪意』のことを考えていた。


 俺にとって最も嫌な人物だったら、俺に何と言葉をかけるか。それを常に考えていた。


 そして強固になった『悪意』は、俺に言葉を投げかけ続けた。ご主人の望みを叶えるために。

 俺は『悪意』が憎い。だが、常に攻撃されている間は被害者でいられる。


 俺は人に『悪意』を向けるのが怖かった。加害者になるのが、間違った存在になるのが怖かった。

 だから『悪意』は俺自身に向かった。俺を被害者にするために。


 俺は『悪意』から逃げられない。『悪意』も俺から逃げられない。

 そしてこの物語にハッピーエンドは無い。



 バッドエンドしか考え付かない男が、どうしてハッピーエンドを迎えられるのだろうか。



 そんなことを考えている今、この瞬間も。



 『悪意』が俺を見張っている。





 

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