コックリさん
放課後、教室が騒がしくなった。何かと思ってよく話を聞いてみると、緑川さんという女生徒の大切にしていた指輪がなくなったのだとか。それは彼女が彼氏からプレゼントされたもので、もし失くしたりしたら、彼氏の機嫌も悪くなってしまうと、そんな事を言っている。
「絶対に、おかしい。ちゃんと、バックの中に入れておいたのに!」
緑川さんはそう言って、少し涙ぐんですらいた。明確に言った訳ではないが、そこには誰かが盗んだのじゃないか、というニュアンスが含まれてあるような気がした。
……被害者妄想、とそれを切って捨てる訳にはいかないように思う。何故なら、緑川さんの彼氏は、背が高くて、カッコ良くて、多少は乱暴な性格をしていたが、それも男らしいと言われるような評判のイケメンで、緑川さんはよく他の女生徒達から妬まれているからだ。実際、今だって軽くパニックに陥っているようにすら見える彼女を、数人が陰でこっそりと笑っている。
その騒ぎは少しも収拾しそうになく、教師を呼ぼうか警察を呼ぼうかという話にまでなった。そして、そんなところで、それまで黙って本を読んでいた鈴谷さんが突然に立ち上がったのだった。
「コックリさんをやりましょうか?」
そして、そう提案する。
皆はその提案に明らかに戸惑った表情を浮かべた。何を言い出すのだろう?といった感じ。
鈴谷さんは民俗学関連好きで有名な、ちょっと変わった女生徒だが、理知的な性格をしているので、皆から一目置かれている。だからこそ、余計に皆は戸惑ったのだろう。彼女がコックリさんなんて信じているとは思えない。
「そんなんで、見つかるの?」
そんな声が当然のように上がる。それに鈴谷さんは首を傾げた。
「さぁ? ただ、やってみる価値はあるのじゃない? どうせ駄目で元々でしょう。見つかったらそれで問題解決だし、見つからなくても大きな問題はない」
その鈴谷さんの説明に、女生徒の一人が不安そうな声を上げた。
「でも、コックリさんって邪霊でしょう? そんなものに頼って良いの?」
「邪霊?」
鈴谷さんは首を横に振る。
「コックリさんは狐の霊だとされている。これは別に邪霊じゃない。恐らくは、稲荷信仰で信じられている狐と同種のものね。つまりは神使、或いは神様」
「でも、祟るのでしょう?」
「そうね。祟る場合もある。ただ、そうとばかりも言えない。稲荷信仰はとても複雑な信仰で、倉稲魂命を祭神とする神道系、荼枳尼天を本尊とする仏教系、その他、流行神としての稲荷や、屋敷神としての稲荷や、土地神としての稲荷なんかがあって混在している上に、相互に関係し合っている可能性が大きい。
そして、祟りを考慮する場合、最も注目しなくてはならないのは、土地神としての稲荷。この場合、狐は神使ではなく、信仰対象そのものの自然霊…… つまり、神様として捉えるべきだと私は思うのだけど、この土地神としての狐の霊は、託宣を行うわ」
「託宣って?」
「巫女に憑依して、土地の人々にアドバイスをしたりするのよ。そして、この場合は、きちんと神様として祀られているのだから、祟りを為したりはしない。祟りを為すのは、それを疎かにした場合だけね。
つまり、コックリさんに頼って、託宣を受けたとしても、確りと神様として扱えば、祟りを為したりはしないのよ」
その言葉に、女生徒達は顔を見合わせた。誰かがこう言う。
「でも、どうやって神様として扱えばいいのか分からないわ」
「それは大丈夫。私が指導するから」
「コックリさんを呼び出すのも、鈴谷さんがやってくれるの?」
鈴谷さんは首を横に振る。
「いいえ、私には無理。巫女の素養がないもの。この中でできそうなのは、田野川さんくらいじゃないかしら?」
その鈴谷さんの言葉で、皆は田野川さんに注目をする。田野川さんは驚いた表情になった。鈴谷さんはその時、じっと彼女の目を見ていたような気がする。
「分かった。やる…」
と、少しの間の後で、それに彼女は返す。これだけの皆の視線を受ければ、断れはしないだろう。コックリさんをやるには二人必要だが、もう一人の相手は、指輪をなくした当人の緑川さんに決まった。
それからコックリさんの準備が整えられる。例の鳥居や文字などを書いた紙に、綺麗に洗った十円玉。そしてお供えとしてお結び。鈴谷さんによれば、お結びには信仰上の意味があるのだそうだ。そうして鈴谷さんが皆を指導する事で、コックリさんには似つかわしくない厳かな雰囲気が出来上がった。そんな中、鈴谷さんの「いいわ」という声を合図に、緑川さんと田野川さんはコックリさんをし始める。
二人が指を添える十円玉が動き始め、そして“きょうしつのろうかがわのすみ”と文字をなぞる。
教室の廊下側の隅。
何もあるようには思えなかったが、そこには掃除用具入れ用のロッカーもある。開けてみると、そのバケツの下から、なんと緑川さんの指輪が出て来た。もちろん、緑川さんは大喜びした。
「やったぁ! ありがとう、田野川さん! 鈴谷さん!」
なんてお礼を言っている。鈴谷さんは軽く微笑みながら、「ちゃんとコックリさんにもお礼を言ってね」とそう言った。
「うん」
と返して、緑川さんは「コックリさん。ありがとうございました」と言ってから、手を合わせてお辞儀をする。皆もそれに合わせて、お辞儀をした。
そうして目出度く事件は解決した訳だけど、わたしは色々と気になってしまっていた。なんか、おかしくはないだろうか。
帰り道。わたしは鈴谷さんを捕まえた。声をかけて呼び止めて、「一緒に帰らない?」とそう誘ったのだ。鈴谷さんは拒絶はしなかったが、口は開かなかった。仕方なくわたしの方から彼女に話しかけた。
「鈴谷さんって凄いわね。コックリさんの正しい作法まで知っているなんて」
それに淡々と彼女は返す。
「私、コックリさんの正しい作法なんて、知らないわよ」
「だって、さっき……」
「あれは、ただ単にそれっぽく演出しただけよ。ああいうのって、要は気分の問題だから、それだけで良いの。皆が霊が怒っていないと思ってくれれば」
「うわ…… 身も蓋もないなぁ」
それに鈴谷さんはこう返す。
「でも、あなたはどうせそんな事だろうと思っていたのじゃないの?」
わたしはその彼女の言葉に、頭を掻く。
「勘が良いなぁ、鈴谷さんは。
ま、その通りよ。わたしはコックリさんなんて信じちゃいなかった。でも、だとすれば、どうして指輪が見つかったのか、気になっちゃって」
彼女はそれに軽くため息を漏らす。
「答え合わせがしたかったのね?」
「まぁ、そうね…… ちょっと悪趣味かしら? でも、好奇心を抑えられなくて」
「なら、もう良いでしょう? 私がそう言った時点で、自分の正解を確信したはず」
「いやいや、それだと味気がなさ過ぎだってばさ、鈴谷さん。ちゃんと教えてよ。つまり、指輪を隠した犯人は田野川さんだったって事よね?」
「そうなのでしょうね」
その彼女の言い方は気になったが、わたしは無視して続けた。
「その田野川さんの事を、鈴谷さんはああして助けてあげたんだ。コックリさんで見つけた事にして指輪を元に戻した。多分、田野川さんは緑川さんの彼氏が好きなのね。それで魔が差して、つい嫌がらせで指輪を隠してしまったんだわ。ところが、思った以上の大騒ぎになって、困っていた。警察まで出て来たら、どうなっていたか……
でも、疑問なのは、どうして鈴谷さんがそれを知っていたのかって点。田野川さんが指輪を隠したのを見ていたのなら、その時点で注意をすれば良かったはず……」
「知らないわよ」
「え?」
「だから、田野川さんが犯人だなんて私は知らないわよ」
それにわたしは顔を引きつらせる。
「いや、だって、なら話がおかしいじゃない。それなら、どうしてあそこで鈴谷さんは田野川さんを巫女役に指名したの?」
「彼女の顔色が悪かったから、これは何かあるなって思ったのよ。つまり、勘ね」
勘? 勘って……
「そんな…… もし違っていたら、どうするつもりだったの?」
ところがそれに何でもないような顔で、鈴谷さんはこう返すのだった。
「もし違っていたら、どうなるの?」
「え?」
「もし違っていたら、やっぱりコックリさんじゃ見つかりませんでしたってなって、それでお仕舞いでしょう? 何も問題ないわ」
わたしはその言葉に絶句する。
「そんな乱暴な。皆を騙すような真似をして」
それに鈴谷さんは淡々とこう返した。
「騙すも何も、私は初めに断ったじゃない。
“見つかったらそれで問題解決だし、見つからなくても大きな問題はない”って。言葉通りよ」
わたしはその鈴谷さんの説明に、大きくため息を漏らした。
「なんだかなぁ…… 敵わないな、こりゃ。でも、田野川さんをこのまま許してしまって良いの? 彼女は罪を犯しているわ」
すると、少し笑って鈴谷さんは悪戯っぽくこう言う。
「田野川さんが犯人だとは限らないじゃない。彼女には本当に巫女の素養があって、狐の霊の託宣によって、指輪を見つけたのかもしれないわ」
「いやいや、鈴谷さん……」
この期に及んで、そんな事を言わないで欲しい。
「それに、彼女が犯人だとしても、充分に懲りていると思うわよ。近代刑罰の基本は、更生。なら、もう充分でしょう。それに、ま、罰を受けていないとも限らないしね」
「どういう事?」
「気にしないで。分からないなら分からないで、別に大した事でもないから」
……その時は、わたしに彼女の言う意味が分からなかったのだが、次の日になってちょっと分かった気になった。
「ねぇ、田野川さん。コックリさんに付き合ってよ。ちょっと占いたいことがあるの」
他の女生徒から、田野川さんはそうお願いされていたのだ。
仮に彼女が犯人だとするのなら、かなり気まずい思いをしているのじゃないだろうか。もしかしたら、これが鈴谷さんの言う彼女への罰なのかもしれない。
犯人捜しよりも、鈴谷さんの手口の方が本当の謎のつもりで書きました。