悪女と呼ばれた王妃の言い分
わたくしの名はエリザベート。元はウィルンスト公爵令嬢です。
今は、この国の王妃という立場にあります。
ここに至るまで、紆余曲折がありました。
わたくしは、自分が陰で『稀代の悪女』と呼ばれていると知っています。
確かに、これまでの経過を鑑みると、そう思われても致し方ありません。
別に、そう呼ばれていることなど、わたくし自身はそれほど気にしてはおりません。
けれど、そうですね……。エリザベートという一人の女性の名誉の為に、少しだけわたくしの思いをお話ししようと思います。
なぜ、わたくしが『稀代の悪女』などと呼ばれるようになったのか、なぜそうなってしまったのか、わたくしの言い分を聞いて欲しいのです。
その後で、わたくしのことをやっぱり悪女だと思うのなら、どうぞ、そう呼んでいただいて結構ですわ。
……そうですね。何からお話ししましょうか。
ご存じの通り、わたくしの生家ウィルンスト公爵家は、王家に次ぐ力を持った格式ある貴族家です。祖母は王家出身ですし、兄も国王陛下の従妹を娶っているように、王家とは非常に繋がりの深い家柄なのです。
わたくしは、物心つく前から、自分より二つ年上になる当時の王太子殿下の婚約者と定められていました。
そこに、自分の思いなど差し挟む余地などあるはずもなく、ただそれを当たり前のこととして受け入れていました。
いずれはこの国の国母となり、全ての民を慈しみ護る。その為にありとあらゆる教養を身につけ、王妃として相応しい立ち居振る舞いを身につけました。
年端もいかない子供の頃から、まさに修行と呼ぶに相応しい日々を過ごしてきたのです。
けれど、わたくしはちっとも苦しくなんかありませんでした。
何故なら、わたくしは恋をしていたからです。
いずれ、わたくしの夫となる御方、アレクシス殿下に。
この努力は全て、アレクシス殿下の御為だと思うと、苦しいどころか寧ろ喜びさえ湧き上がってくるほどでした。
三歳の時、初めて殿下にお会いし、その美しさと気高さに心奪われた瞬間から、わたくしの全ては殿下を中心に回り始めたのです。
殿下も、わたくしにとても優しく接してくださいました。
ですから、例え親同士が決めた政略結婚だとしても、わたくしは殿下ととてもいい夫婦になれると思っておりました。
それが、まさかあんなことになるだなんて……。
十六歳で、わたくしは王家に嫁ぎました。
当時はまだ先王陛下がご存命であったので、わたくしは王太子妃となりました。
けれどそれから間もなく、夫、アレクシスは病に伏せがちな父王に代わって政務を取り仕切ることが多くなり、わたくし達は新婚早々すれ違うことが多くなりました。
慣れない王宮での日々。常に求められる王太子妃としての品位ある振る舞い。どこまでもついてくる他者の監視の目。
せめて、愛しいアレクシスには傍にいて欲しい。寂しくて仕方がない。
そんな思いを常に抱えておりました。
けれど、国の為に全力で働く夫に甘える訳にはいきません。わたくしは我儘を言うことなく、自分の本分を守り、王太子妃としての務めを果たしながら生活しておりました。
ところが、一年もしないうちに先王陛下がお亡くなりになると、アレクシスは後宮に数十人にも上る側室を迎え入れたのです。
それは、王としては若過ぎる彼が、貴族の協力を取り付けるために必要な手段なのだと、当時のわたくしは理解を示しました。
でも本当は、内心叫んでいました。どうしてわたくしという者がおりながら、と。裏切られた気持ちでいっぱいでした。
けれど、きっとアレクシスも側近に迫られて仕方なく貴族令嬢達を側室に迎えたのだ、と自分で自分を納得させ、気持ちを落ち着けました。
わたくしは王妃。側室とは違う。王妃として、堂々としていればいいのだと。
ところが。
あろうことか、アレクシスはその後宮で初めての恋をしたというのです。
相手は、ソフィアという名の元男爵令嬢。権力とは全く無縁の、伝手の伝手で側室に滑り込んだ、没落貴族の娘でした。
それを知った時の、わたくしの絶望感と言ったら……!
アレクシスは、わたくしを愛してはいなかった。ただ、王位を継ぐ者の義務としてわたくしを娶ったに過ぎなかったのです。
その事実だけでも、わたくしの心を粉々に砕くだけの威力がありました。
しかも、ソフィアという女はただ美しいだけの世間知らずな女でした。そんなレベルの低い女の方が、わたくしよりもアレクシスの目には愛しく映っただなんて、何という屈辱でしょうか。
わたくしは、自分がこれまで積み重ねてきた努力が、足元から崩れ落ちていくかのような喪失感に襲われました。
王妃としての慣れない務めも相まって、わたくしは体調を崩して臥せるようになってしまったのです。
そんなわたくしを、アレクシスは気遣うどころか、静養と称して離宮へ移そうとしました。
誰もが知っています。その離宮は実質、王宮内の権力闘争に敗れた王族が閉じ込められる幽閉施設だということを。
心も体も悲しみと絶望で疲弊していたわたくしは、いっそこのまま死んでしまいたいとまで思いました。
けれど、アレクシスのそんな行動を良しとしない者達も、王宮には数多くいたのです。
当然です。アレクシスはソフィアに現を抜かして、王としての政務を滞らせることさえあったのですから。
やがて、アレクシスがわたくしと離婚してソフィアを王妃にすると言い始めました。
冗談ではありません。それでは、わたくしのこれまでの努力は一体何だったというのでしょうか。
努力は、それ自体はさほど辛いものではありません。本当に辛いのは、その努力が報われないことなのです。
わたくしは、王妃となるべく幼い頃から涙ぐましい努力を重ねてきました。それなのに、何も出来ないこんな女に取って代わられるなんて絶対に許せることではありません。
その時はさすがにわたくしの堪忍袋の緒も切れました。
彼女では王妃としての務めは果たせません。それに、ウィルンスト公爵家をはじめ、多くの貴族が納得しないでしょう。それでもその困難を乗り越えていかれる覚悟がおありなら、ご随意になされませ。
そんなことはできっこないことを承知の上で、わたくしはアレクシスにそう言い放ちました。
それに対して、アレクシスは憎しみの籠った目でわたくしを睨みました。
その時、分かったのです。もう、夫にとってわたくしは、自分の願望の妨げとなる邪魔な女でしかなくなってしまったのだ、と。
自分の為にこれまで人生を捧げてきたエリザベート、などと憐れに思ってくれているなんて、わたくしの願望でしかなかったのだと思い知らされたのです。
ソフィアは王妃として相応しくない、王妃としての務めを果たすだけの器量を持っているのは、やはりエリザベートだけ。
そんな廷臣達の説得を繰り返し受け、アレクシスもようやく我儘を押し通すことは止めました。
けれど、そんなことがあった後、アレクシスにとってわたくしは、消え去って欲しい憎い女でしかなくなりました。
国王夫妻として臨む国家行事や他国の国賓を迎える場以外で、わたくしがアレクシスと会えることはほとんどなくなりました。そして、並んでにこやかに国王夫妻としての政務をこなす間も、わたくし達の間に会話は無く、お互いに目を合わせることもありませんでした。
口さがない者達の噂話は嫌でも耳に入ってきます。
見た目だけの女に王を盗られた憐れな王妃。嫉妬に狂って、寵姫を後宮からいびり出そうとしている。いやいや、そんな甘いものではない。何とかして亡き者にしようと画策しているとか……。
冗談ではありません。命を狙われていたのはこちらなのです。
わたくしの侍女が、三名も相次いで命を落としました。三人とも、わたくしの食事の毒見係りをしていた者達でした。
その頃には、わたくしは、もうアレクシスの愛情など望んでいませんでした。愛してなんて言わないから、せめて結婚する前の優しい彼に戻ってほしいと、ただそれだけを願っていました。
それなのに、アレクシスはわたくしの身を案じるどころか、わたくしがソフィアを害そうとしているという噂を信じ、再び離宮へ閉じ込めようと画策し始めたのです。
国王アレクシスに対する貴族達の支持率は下落の一途、周辺諸国の動きもきな臭い、そんな状況の中で、彼は惚れた女に盲目的な愛を捧げ、正妻を排除しようと躍起になっている。このままではこの国は滅茶苦茶になってしまう。
わたくしも、このまま国が衰退するくらいなら、自分が身を引いたほうがいいのではないかと考えなかった訳ではありません。
けれど、このままわたくしが身を引いたところで、あの女が王妃では誰も納得はしません。また、あの女では王妃としての務めを果たすことはできません。
ですから、アレクシスの願いを叶えるには、あの女に王妃に相応しい女性になってもらう必要がありました。
その辺りのことを、一度、アレクシスが地方に視察に出ている間に、あの女の部屋へ乗り込んで話をしたのです。
ところが、あの女は、わたくしの言葉を全て悪い方向へ捉えました。
愛があればそんな事必要ない、アレクシスは私に何も求めない、ただ傍にいてくれるだけでいいと言った、そんな無理難題を押し付けて私を後宮から追い出そうとしている、あなたは酷い人だ、……。
ヒステリックに泣き叫ぶ彼女に辟易し、以来、わたくしはあの女に王妃としての教育を、という考えは捨てました。
勿論、その後、視察から戻ったアレクシスが、あの女に泣きつかれてわたくしのところに怒鳴り込んできたのは言うまでもありません。そして、聞くに堪えない酷い暴言を浴びせられました。
怒りが突き抜け過ぎて、心の奥底に冷たい感情が広がっていくのを感じました。
この人は、こんな人だったのか、と。
恋は人を狂わせると言いますが、本当にアレクシスは狂ってしまったのではないかと思えるほどでした。
この調子なら、仮にあの女を王妃にするという望みを果たしたところで、アレクシスが政務に力を注ぐとは到底思えません。公式行事の間も周囲の目も気にせずイチャつく二人の姿が目に浮かぶようです。
……わたくしは、一体どうしたらいいの。
苦悩するわたくしに答えをくれたのは、アレクシスによく似た目を持つ、わたくしと同い年の青年でした。
王弟クラウス。軍属の彼は、アレクシスとよく似た美男子でありながら、軍人らしい引き締まった体格をした好青年でした。
彼は早くから兄王の所業を嘆き、諌めてくれていました。
わたくしはアレクシスの婚約者だったことから、クラウスとも幼馴染で仲も良く、嫁いでからも精神的な支えとなってくれた頼もしい存在でした。
侍女の犠牲が三人目を数えたその日の夜、心配して訪ねてきてくれたクラウスは、わたくしに言いました。
このまま兄王が心を改めないなら、自分はこの国を護るために実力行使に出る。その時は、あなたに傍にいて欲しい、と。
そんなことを王妃であるわたくしに言うなんて、本来ならとんでもないことです。
もしわたくしがアレクシスにその企みを伝えれば、クラウスは反逆罪で死罪になってしまいます。
なのに、敢えてそれをわたくしに言ったということは、それだけクラウスはわたくしを信頼しているということです。
そして、彼は気付いていたのかも知れません。
わたくしの中で、アレクシスへの焦がれるような愛が、その愛の大きさ故に、とっくに強い憎しみへと変化してしまっていることに。
勿論、迷わなかったわけではありません。実力行使、つまり武力を行使するということは、犠牲がつきものだからです。
けれど、ついにわたくしは決心いたしました。
あの女が、とうとうわたくしに代わって、国家行事に王と並んで出席することになったと耳にして。
こうやって切り崩され、既成事実を積み上げられ、なし崩し的に王妃の座を乗っ取られていくのか。
今のわたくしにとって、王妃の座はわたくしがわたくしでいられる最後の砦。それをあんな女に奪われて、惨めな生涯を終えるくらいなら、いっそ……。
決心を伝えると、クラウスは零れるような笑みを浮かべて、わたくしの肩をそっと抱いてくれました。
クーデターはあっさりと成功し、アレクシスはソフィアと共に離宮に閉じ込められました。
クーデター決行日の二日前に、わたくしはアレクシスとの離婚を成立させ、実家である公爵家に戻っておりました。勿論、それまでに、クラウスの為に後宮内の反ソフィア勢力を取りまとめて実家の貴族家に協力させるという役割は、きっちりと済ませておきました。
王宮内の常識ある者達にとって、わたくしはアレクシスの王位を支える重要な駒の一つだという認識でした。その駒をなんの躊躇いもなく喜んで手放したアレクシスに、彼らが愛想をつかしたのも致し方ないことでした。
兄に代わって王位に就いたクラウスは、後宮を閉鎖しました。大勢の側室を抱えなくても、彼には軍人としての実績と、人を惹きつけるカリスマ性がありましたから。
クーデターに協力してくれた貴族家出身の側室は、後宮を出る際、クラウスによって降嫁先を世話され、今は幸せに暮らしているとのこと。
そうして、わたくしのいる公爵家に王家から使いが来たのが半年前のことでした。
「王妃としての務めを果たせるのは、あなたしかいない」
クラウスは、わたくしの価値を誰よりも評価してくれました。そして、
「ずっとあなたを愛していました。生涯、わたしの傍にいてください」
何よりも聞きたかった愛の言葉をくれたクラウスに、わたくしはどんな批判を受けることも覚悟して、再び王宮へ戻る決心を固めたのです。
人は、わたくしを『王の寵愛を受けられず、寵姫に嫉妬し、王弟と共に王を陥れて王座を奪ったばかりか、今度は王弟に取り入って王妃になった魔性の女』と噂します。
それは事実でもあるので、わたくしは敢えて何も言わずに放置しています。
ですが、ほんの少しだけ、わたくしの言い分を聞いてもらいたいのです。
あの後、アレクシスとあの女が幽閉された離宮で、相次いで亡くなりました。流行病だということでしたが、そんなこと本当か嘘かなんて確かめなくても分かりますわよね。
わたくしは、自分の選択によって傷つき失われていったものを、目を逸らせることなく、全て背負って生きていきます。
そして、この国の為に、そして何よりわたくしを愛しいと言ってくれたクラウスの為に、わたくしは持てる全てを捧げて、残りの人生を過ごしていきます。
こんなわたくしですが、今は幸せですのよ。
何故なら、愛しい人との間に出来た、この国の王家を繋いでいく命を、大切に育んでいるのですから。