猛毒王子とファーストキス
1 猛毒王子とファーストキス
「ぐぁぁああああっ!!!」
男の悲鳴に目を覚ます。
しかし辺りは真っ暗で何も見えない。
ポケットのかさばりでスマホの存在に気付き、足元を照らす。
血痕――
さっきの出来事を思い出す。
(私、死んだの……?)
体中を照らして確かめるもかすり傷一つなければ、痛みもない。
(生きてる……?)
正直、生きている実感も湧かない。かといって死んでるという実感もないのだけれど。
それはきっと私の目の前で血まみれで横たわっている男がいるからだと思う。
彼の年齢は見た感じ、私より少し上。20代前半くらいに見える。
薄暗くハッキリとは見えないけど、ルックスも顔もいいと思う。
足元の血痕は彼へと続いていた。
物音を立てずにそっと近付き人差し指で彼の肩を軽くつつく。温もりを確かに感じる。
「ね、大丈夫?」
意識を取り戻すなり彼は私の首を掴み爪を突き付けてきた。
「ちょ、いきなり何するん――」
「殺してやる!」
一気に掴まれた手に力がこもる。
(苦しい……)
彼に触れた感触と、感覚……夢じゃないと悟る。
再び意識が遠のこうとした時、苦しさから解放された。
「って、ォイ……誰だ?」
「どこ見て話してんの」
「誰だって聞いてんだよ」
「あんたさ、私を殺しかけといて罪悪感ないわけ?」
話しかけながら少しずつ男から距離を取る。
「ねぇな、そんなもん。さぁ、質問に答えろ」
「来ないで! あんた、ここで誰かを殺し――」
「何だお前、血慣れしてねーのか。どうりで殺気を感じねぇわけだ」
匂いを嗅ぎわけながら近付いてくる男の顔に思わず目をつむる。
耳元で聞こえる鼻を鳴らす音。
(そういえば、彼は一度も目を……開けていない?)
思い切って目を開ける。
目の前には男の顔。瞼には傷があり、見ただけでも相当の痛みを感じさせた。
(きっと、目が見えないんだ)
傷付いた瞼に触れようとした、その時。
手を弾かれ、顎を掴まれた。鼓動が一気に高鳴り、波打つ。
海斗といて一度も味わうことのなかった感覚……
腰に回される左手……それは次第に背中、肩、うなじへと何かを探るかのように上っていく。
首へ辿り着くと再び手に力がこもる。
「答えてあげる! 藍、わたし――」
柔らかいものが唇に触れ、言葉を奪われる。
キス――
それも初めての……ファースト・キスだった。
ドキドキが鳴り止まない。逸らせない視線はただ真っ直ぐに彼を見つめることしか出来ない。
「もっと力抜けよ」
耳元で囁く男の声に背筋がゾクッとし、足の力が抜ける。恐怖とは違う感覚……
読んだことのある少女マンガでの次の展開は確か――
(ダメダメ、こんな危ないやつ!)
湧き上がってくる妄想を振り払う。
「わ、わた、私……いや俺は男だ!」
混乱する中、必死に取り繕った“男”。彼は疑わない。何故なら今は少なくとも視界を奪われている。
「どうでもいい」
そう言うと、男に二度目のキスをされた。
頭の中が白くなりかけた時に何か(・・)が喉を通り抜けていった。
「……わた、じゃない……俺、男だって言ってんだろ!」
「なに勘違いしてやがんだよ。お前が裏切らないよう毒を飲ませただけだ」
「裏切り? えっ、毒!?」
「心配いらねぇぜ、ははっ。毎日、翌日分をこうやって解毒してやっからさ」
そう言うと男はもう一度、私にキスをした。今度はさっきとは比べものにならないくらいに長いキス。
「冗談じゃない! 今すぐ解毒剤を出しなさいよ」
「ねぇよ、そんなん」
「つまり毒も嘘だね」
「そりゃ事実。オレら殺し屋は体内で毒の生産・解毒も可能ってこった」
「殺し屋!?」
咄嗟に男と距離を取る。だが彼は私の腕を掴んで逃がさない。
「まさか、殺し屋集団・フォーカスタはおろか、このジェクトを知らねぇのかよ。生き恥じだな」
「……わた、俺も殺すの……か?」
「今は活かしておいてやる。オレの目として」
「それって、どういう意味?」
「オレをルータニアのアジトまで連れて行け。これは命令だ」
“命令”という言葉に体中の血液が波を打つ。
彼と私の体内の毒が共鳴しているのかもしれない。
「わた、俺を信用していいのか? 毒の事だって」
「お前は裏切らねぇよ」
「なんでそんなことが言えるんだよ」
「キスしたろ?」
「なっ……」
キスを思い出して体中が一気に熱くなる。お構いなしで彼は話を続ける。
「口といや、言葉も話せば呼吸もする。疑いようねぇだろ」
言ってることは無茶苦茶だけど、殺し屋とは思えない言葉に少しほっとした。
彼はきっと、そんなに悪いヤツじゃないのかもしれない。
「そういえば、わた……俺、アンタの名前知らないんだけど」
「ボスって呼べばいい」
「名前、教えたのに」
「ねぇーんだよ……」
寂しそうな声に理由は聞けなかった。
名前がない、なんて経験は当たり前だけど今までに一度もない。
生まれてからなんて呼ばれてきたんだろう?
(やっぱり、ボス……なんだろな。なんか、辛いな)
「そうだ、ジェクト!」
「はぁ?」
「あんたの名前、今からジェクトだ」
この“ジェクト”。実は昔好きだったマンガキャラの名前だったりする。
「ボスで十分だっての」
「じゃあ勝手に呼ぶから」
「おい、殺され――」
「そしたらジェクトが困るだろ?」
どうやら図星だったらしく、ジェクトは急におとなしくなった。
(やった、弱みひとつ! でも毒のことがあるんだった……)
「どうでもいいけどよ、お前武器は?」
「お前じゃなくて、藍」
「武器は?」
「藍」
「ァ……ォィ……武器は持ってんのかよ」
「持ってるわけないじゃん」
微かに聞こえる声だったけど、名前を呼んでくれたことがすごく嬉しくてまたドキドキした。
誰かに名前を呼ばれたのも久しぶりだった。
海斗も陽菜も私を苗字で呼び、両親からはいつしか“お前”だとか“おい”だとか呼ばれるようになっていたから。
「ったく、使えねぇな」
「そういうジェクトは?」
「お前、脳みそねぇのかよ。武器持ってたらヤツらなんざ仕留めて、こんなとこにゃいねーんだよ」
「……ヤツら?」
空気が急に冷たく覆われていく――
「あぁ。100人まではいなかったと思うが、まあそれなりにいたな」
「ウソ……」
「気ィ付けろ。気配を感じる」
「武器、ないんでしょ?」
「いや、一つだけある」
胸を撫で下ろしたと同時にジェクトは信じられないことを言う。
「脚だ」
ジェクトが力任せに壁を殴ると、大穴があき道が出来た。
だが、敵と思われる鎧をまとった者達にすぐさま取り囲まれる。
「逃げるぞ……!」
「逃げるって」
「いいから走れ! こいつらはオレ以上に容赦ねぇぜ」
「それって」
「キスどこじゃねぇかもな」
私が喋るよりも早くジェクトに手を引かれ走り出す。我武者羅に走るジェクトは周りを見ていない。
いや、目が見えてないんだけど……
「オイ、その目で誘導しろ! 先ずは出口だ!」
「するから一度、止まってよ!」
「ふざけてんのか? 敵はすぐ後ろだ」
ジェクトは今、視力を失っているぶん聴力が冴えている。
「じゃあ、どうすれば――……きゃっ!」
慣れないゴツゴツした山道に足を滑らし転んでしまう。
「使えないヤツ……」
言葉とは裏腹、ジェクトはすぐさま私をお姫様だっこした。
「ちょ、やめろよ! わた、俺は――」
「男なんだろ。もう聞き飽きてる。それより、口で誘導しろよ」
「わ、分かった! 右!……左――」
意識を研ぎ澄ましてジェクトの呼吸に集中する。
そして、出口に辿り着いた。
「助かった……」
「まだだ。殺気を感じ――」
「ぐぎゃぁぁああああ!」
悲鳴と共に目の前に追手と思われる人物が降ってきた。
「いっ――」
「死んでる」
私の悲鳴はジェクトの言葉に打ち消された。
「それって……」
「ああ……いるんだろゼロ!」
「な~んだ、バレてたんだっ」
声と共に追手が落ちてきた場所から一人の女が現れる。小柄で背中まであるロングストレートの髪。体型に良く合うロリータファッション。
同じ女とはとてもじゃないけど思えない。
「ジェクトの彼女?」
「はぁ? まさか……おい、セロ! お前まさか女装してんじゃねーだろな?」
「え? 女装?ゼロってオカマ?」
“オカマ”の言葉にゼロはムッとして私を睨んだ。
「健全な乙女――」
「ゼロは男だ。そしてオレが最も信頼してるヤツ」
ジェクトのゼロを見つめる眼差しはとても優しい。
二人の間には私なんかが入れる隙がないとひしひしと感じる。
「それより……ボス、目を?」
「ああ。呪い掛けられたんじゃねーか?」
「そんな……人ごとじゃないでしょ」
そして絵になる。
私の目にはゼロは女にしか見えない。
「見えなくとも、目はあるからな」
そう言って、ジェクトは私を見た。
「冗談でしょ。こんなどこの誰かも分からないヤツ――」
「藍。オレの目となって助けてくれたんだ」
思いもよらないジェクトの言葉にドキッとした。
(それに、助けられたのは私の方なのに……)
「私は信用できない。コイツがアジトを……イチ達を――」
「言うな。イチだって必ず生きてる」
「絶望しかないよ。ここに来るまでにたくさんの仲間の死骸があったんだ」
「そうか……」
「何の話をしてるの?」
「お前には関係ないことだよっ」
「アジトを根こそぎやられたんだ」
ゼロの言葉を押しのけてジェクトが話す。
「1つの宝のせいで、な」
「宝?」
「ボス!」
「オレはコイツも信用してる」
ジェクトの言葉に一瞬、驚くもゼロは事を理解したようだった。
「じゃあ、裏切れないね」
「それって……」
「私は毒は飲んでない。必要ないもの」
ジェクトはゼロにキスをしていない?
ホッとするものの、複雑な気持ちだった。
(ファーストキスだったのに……)
ゼロの言葉が耳からすり抜けていく。
「そのくらいにしとけ。とりあえずは、ルータニアだ」
「もう何もないってば、ボス」
「ある。一つだけ、な」
「分かった。付き合うよ、ボス」
私は二人の後についていくだけ。陽菜の時と私は何も変わってないままだ――
.