立花山の古井戸にて
義雪が一騎掛けの初陣をすませてから、早2ヶ月の時が流れていた。
彼は帰ってからの数日、件の命令違反と単独行動の罪により、五日間牢で過ごした後、人手不足と称して釈放され、現在は侍大将から一兵卒に格下げされて、守備兵として城の警備に当たっている。
その日は一日中、空を雲が被い、今にも雨の振り出しそうな天候であった。
太陽の沈んだ今現在に至っては、雲により月光もなく、手に持っている松明が無かったら、真っ暗で何も見えない状況だ。
「ここも異常無し、と。孫爺、そっちはどんな感じだ」
義雪は辺りに異常が無いことを入念に確認し、見回りの相方である老兵に話しかける。
「ふむ、こちらも大丈夫じゃ」
「心得た。では、次の持ち場に行こう」
(やれやれ、相も変わらず志郎は入念に仕事するのう)
「少しは老体を労ってほしいもんじゃ。ここらで休まんか」
義雪と共に見回りに出ている老人の侍、原田孫作は若く体力がある義雪について行くのが大変だと愚痴をこぼし、休みを取ろうと提案する。
「大変だとは思うが、もう直ぐ交代だから頑張ってくれ。手を抜くわけにはいかないんじゃ」
「やれやれ、仕方ないのう」
その全身で不満を表した後、孫作は溜め息をつきながら、とぼとぼ歩き出した。
しかし孫作は、口や外見では真面目な義雪にうんざりしている様にしているが、内心ではこの真面目な彼の人柄をとても高く買っていた。
孫作と義雪が知り合ったのは、少し前の事だ。
それは義雪が、孫作の所属する部隊に配属されてから間もない時の事。
日頃孫作は「最近の若い者はなっとらん」と、若い者には小言を、同年輩の者には愚痴を良くこぼす厄介者として、部隊内で避けられていた。
そんな中、新たに配属されてきたのが「若者」である義雪だった。
最初、孫作は義雪も自分をすぐに避けるようになるだろうと考えていた。
そして孫作はどうせ避けられるのならばと、最初に義雪と共に見回りに行く時に
「わしはこの性格じゃ。腑抜けや、なっとらん若者には身分に関係なく我慢せず文句を言う。故に、お主もわしの小言を五月蝿く思ったのならばいつでも避けるがよい。わしは気にしたりはせぬでな」
と、早速毒づいた。
しかしそれに対して義雪は、言われた瞬間こそ突然の事に呆気に取られた顔をしたものの、すぐに笑顔になり孫作にこう告げた。
「それは、それは。某、まだまだ若輩者ゆえ、色々と粗相を致したり、至らぬ点が多々ございます。それゆえ人生経験豊かな孫作殿のような方に教えを頂ける事は有り難き事。ご指導の程宜しくお願いいたします」
深々と、孫作に頭を下げる義雪。
(なんじゃ、こやつは。調子がくうるのう)
この時、孫作の義雪に対する印象は「おかしな奴」というものだった。
そしてその後も、義雪は孫作の小言をものともせず、寧ろ避けるどころか積極的に孫作に話しかけてきた。
最初は気を使ってるのかと、思った孫作だが、普段の義雪の行動を見ていると、あまり世辞を言う性格ではない。
寧ろそう言った類はあまり得意とはしない用に見える。
(ならば何故)
そして孫作は接するうちに理解したのだ。
立身獣志郎義雪とはこういう男なのだと。
人の言葉を素直に受け取り、そして吸収する。
恐ろしく真面目で素直な男なのだと。
孫作はすっかりこの素直で真面目な若者を気に入っていた。
因みに今ではお互いを「志郎」「孫爺」と呼び合い、共に飲みに行くぐらいに、仲が良い。
二人は次の持ち場である本丸の古井戸の近くに着いた。
「さて、喉がからからじゃ。水でも汲んで飲むかのう」
孫作は喉の渇きを潤す為に、古井戸に向かい桶に水を汲もうとした。
その時だった。
突然義雪が孫作を突き飛ばしたのだ。
いきなりかつ、孫作よりも力の強い義雪に突き飛ばされ、勢いよく倒れ伏す孫作。
「痛い。獣志郎、いきなりなにをする」
孫作は何がなんだかわからず、とりあえず突き飛ばした事に抗議する。
あまりの事態に受け身も取れなかったため、その体は傷だらけの泥だらけだ。
「さっき孫爺が立っていた場所を見てみい」
「まったく、一体何なんじゃ。んなっ、これは」
義雪が指差したそこにあったのは忍びが良く暗殺に使う道具「苦無」だった。
義雪はこれから孫作を守るために突き飛ばしたのだ。
(あの位置、もし獣志郎が気付かなかったら当たっとったのう)
もし突き飛ばされなかったら。
孫作はそれを想像して、嫌な汗をかく。
「であえ、賊が入り込んでおるぞ」
大声で救援を呼ぶ義雪。
(とりあえずこれで誰か気づくか、少なくとも忍が焦ってはくれるだろう)
(しかし、よく忍がいることに気づいたのう)
(何、昔から隠れる奴を探すのが得意だっただけじゃ。とりあえず忍はわしが相手をするから折を見て、孫爺は皆を呼びに走ってくれ。もしかしたら気付いとらんかもしれん)
(わかった。死ぬでないぞ)
(ふふ、忍如きに遅れはとらんさ)
小声での会話を終わらし、義雪は辺りを探り、気配のする方へ目を凝らす。
どうやら件の忍は古井戸の向こう側にいるみたいだ。
(忍相手に戦うのは初めてだが。さて、いかが致そうか)
忍から見て古井戸の影になるように隠れる義雪。
とりあえず苦無などの飛道具を警戒しての行動だ。
(さっきの感じからして、一本なら警戒していればまだ避けれるが)
さっき孫作の方に飛んできた苦無を見た後、自分の居た場所にも目を向ける。
そこにも苦無が刺さっていた。
(どうやら同時に複数投げれるようだな。しかも狙いもなかなか正確と来たものだ)
「厄介だな」
義雪はあまり芳しくない状況に眉を顰める。
「なんとかなりそうか?」
「ふむ、難しいな。少なくとも不利である事は確かじゃ」
とりあえず相手の出方を見る事にする義雪だった。
一方義雪と対峙する忍は焦っていた。
彼は本来何もせず義雪達をやり過ごす予定だったのだ。
彼の忍としての実力はなかなかのものである。
名もない足軽二人をやり過ごすぐらい造作もないのだ。
しかし彼にとっての誤算は「名もない足軽」と「無能な足軽」は同意味では無いという事だ。
片方の老兵はともかくもう一人の若い足軽に早々にその存在を感づかれてしまった。
故に彼は仲間を呼ばれる前に速やかに始末しようと行動に出た。
それが件の苦無での投擲による攻撃だった。
しかしながらこれまた彼に誤算がおきる。
「有能な足軽」と「強い足軽」は同意味だったと言う事だ。
驚く事にその若い足軽は自分に飛んできた苦無を避けつつ、相方も守ったのだ。
結局忍は仲間を呼ばれてしまった。
(相当の実力、油断は出来ない)
忍は相手が油断出来ない相手と理解し、それを破る為にどうするかを考えた。
(見たところ相手は飛道具を持っていない、ならばその点を生かすべきか。しかしこちらも苦無には限りがある。そして何よりも、)
忍には時間が無かった。
ここは敵地、しかも潜入している側である。
時間をかければかける程敵は増え状況は不利になる。
(この際任務達成は無理でも何とか脱出したい)
そう考えてはいるもののそれも容易にできる状況ではない。
恐らく背を向け逃げたら背中から切られてしまうだろ。
正に八方塞がりだ。
忍は時間はないとわかりつつ、とりあえず様子を見るしかできなかった。
このお互いに様子を見る状態は約半刻の時の間続いた。
そして最初に動いたのは、時間に余裕のない忍の方ではなく、義雪達の方だった。
突然井戸の影から飛び出し忍の下へ駆け出す義雪。
(若いが故に功を焦ったか。こちらとしては好都合)
忍は好機とばかりに、手に持っていた苦無を、頭と体、そして避けても動きが止まるように義雪の左右にも投げる。
忍からしてみれば動きさえ止まり、逃げる時間さえ稼げれば上々だった為の配置だ。
だが、当の義雪は左右に避ける事もせず、頭だけを刀で守り胴体に放った苦無を正面から堂々と受けた。
(気でも狂ったか)
相手の正気を疑う忍。
しかし次の瞬間忍は、自分の正気を疑う。
義雪がそのままこちらに走ってくるのだ。
確かに胴体の急所を狙って放った筈だ。
ちゃんと刺さっている。
(ならば奴は何故悠然と走ってこっちに向かってくるのだ)
忍は、わけの解らないまま義雪の接近を許してしまう。
そして気づいた時にはその刃にて倒されていた。
(萌鳥、魅鳥、ごめん)
意識の朦朧とする中、大切な者達を思いながら。
「殺したのか」
「いや、峰打ちだ。色々聞くこともあると思うてな」
義雪は刀を静かにしまい忍を調べ始める。
「しかし、さっき突っ込んだ時は冷や汗をかいたわい」
「まあ、桶の板をひっぺがして胴当てにしておったからな。頭さえ守っていればとりあえず死にはせんし、それにこういった輩に、時間を与えると何をしでかすかわからんでな」
「だからと言って、普通正面から突っ込むか。お主の無鉄砲さには呆れるわ」
「注意しよう、とりあえず孫作は仲間を連れてきてくれ」
「わかった」
(殿にもよく言われたのう。できるだけ気をつけるとするか)
とりあえず義雪は我ながら無鉄砲だと苦笑いしつつもそそくさと忍の身体を隅々まで探る。
小太刀に苦無、巻き菱に荒縄。
何処にどうこんなに閉まっていたのか不思議なぐらい、道具を持っていた。
しかし義雪はそれ以上に驚いた事があった。
(こやつ、女子か。しかもわしより少し若いではないか)
流石の義雪もまさかあれだけの戦闘技術を持つ者が、自分より年下の女子だとは夢にも思っていなかったのだ。
とりあえず義雪は武器らしい物を全て回収し、縄で忍を縛った後、孫作が他の仲間を呼んでくるまで彼女を見張るのだった。
尚、後から仲間を連れてきた孫作が、忍の正体を知った時は腰を抜かして驚いたという。
やはりアクションシーンは難しいですね。
上手く書けたのか正直不安です。