聖女はだまって帰りたい
(……私のせいで、ごめん)
と心の中で謝ってしまう。何度それをしただろう。それなのに、本当のことを言わないのは、彼の誤解を解くつもりは一切ないからだ。むしろ気付いてくれるなとまで思っている。
私の嘘が、彼を酷く苦しめているのを知っている。罪悪感で心が押し潰されそうになるときもあった。
それでもなお、私は嘘を貫き通した。
だって、私は。
聖女ではないし、聖女なんてなりたくないから。
※※※
私がこの世界に召喚されたのは、今から半年前だった。塾講師のアルバイトに向かう途中に、急な閃光を感じたと思ったら、転移していた。
冷たい神殿の大理石の上に寝転んでいた私を目覚めさせたのは、王子様の優しい声でもなく、お姫様の柔らかい声でもなく、人が一方的に殴られている音だった。
鈍い音と人のうめき声に怯えた私に声をかけてくれてたのは、暴力男と被害者をただ見守っていた軍団ではなく、つい先程まで暴力を奮っていた暴力男(後に大神官と知った)。
「はぁー、アイツほんと使えなくていらつく……。聖女かと思ったのに、やっぱ男じゃん」
白い神聖そうな衣服を身にまとった綺羅びやかな男は私を見下ろしながらいった。哀れみよりも軽蔑を含んだ瞳に、私の背筋が凍った。
「僕の偉大さをより世に知らしめれたのになぁ……ほんとクソ」
しゃがんだ男は、私の髪の毛をぐっと掴んで頭を持ち上がらせた。男と目があった。彼は、美しい男だった。
「男はいらないんだよ!女だ!僕が欲しいのは!!女なら聖女だ!!聖女と僕は結婚する!!」
ほんの一瞬心が惹かれた私の気持ちに目ざとく気がついたのか、男は一気に怒り出した。
感情のセーブができないのか男は一方的に罵り続け、私の残り少ない体力と精神力を削っていく。
それでも、私は女であることを言わなかった。
こんな男と結婚させられるなんて、絶対嫌だったから。
※※※
私の運が良かったことは、異世界に来た時に男と誤認されやすい格好だったことと、このオルフェス神聖王国の生活水準が高かったことだ。
神殿には男しかいなかったが、暴力男以外の神官は意外とまともで、急に異世界に呼び出された私を気遣う素振りをみせた。彼らは私の扱いに戸惑いながらも、私に優しく接した。
それが私の涙腺を刺激し、数日間は与えられた部屋に引きこもり、泣いて過ごした。これから自分の境遇や、日本に戻れるのか不安で不安でしょうがなかった。
ある程度落ち込むと、元来楽天的な性格な私はクヨクヨしても仕方がないと思い出した。そうなると俄然暇になってくる。スマホもない、友達もいない、おまけに時間つぶしに与えられた本を読むのも飽きてくるとお手上げだった。
「……この世界には魔法がある?」
異世界にせっかく来たのだから?異世界らしいことを楽しまないと損であることにはっと気がついた私は、神官クラリエスに尋ねた。彼は私のメンケア担当となっているのか、たまに紅茶を一緒に飲む間柄になっていた。大人しい神官たちの中では珍しく、社交的な若い男性だった。
「んーー?魔法?あっ、神術のことね、あるある」
「見てみたいな……なんて」
「俺はあんま使えないんだけど……。うーん、オーケー!俺に任しときな!!」
クラリエスは親指を自分に向けてニカッと笑った。
今日も彼は神官らしくない明るさだった。
クラリエスは一人の神官を連れてくると、私に紹介した。セレスという彼は、神術の優秀な使い手で、私をこの世界へ召喚した人でもあるらしい。ただ、セレスの頬には赤黒く変色した痛々しい痣があり、目には包帯が巻かれていた。
私の脳裏に、あの、召喚された日のことが色鮮やかに蘇る。
暴力男から暴力を受けていたのは――。
「……何を、お見せしましょう」
固く重苦しい雰囲気を打ち破るように、セレスが私に声をかけた。といっても彼の視線は床に落とされたままだ。明らかに非友好的な態度だけれど、彼を立場を思うと何とも言えなかった。だって、私は彼にとって召喚の失敗作だったからだ。
「ハルカ、セレスは凄いんだ!神官っていっても、俺たちは軽い物を浮かばせるのが精一杯だ。ところがセレスは!」
クラリエスは俯くセレスの背中をバンっと叩いた。
叩かれたセレスは、ビクッと背中を震わせた。
「何もないところから花を咲かせれるんだ!凄いだろ?セレス、お前も自信を持てよ!お前は丸耳だけど、神術の一番の使い手だ!」
そんな私は大したものではとモゴモゴ言うセレスと私を部屋から引っ張り出して、ちゃんと見せてもらうんだぞ!と言い残してクラリエスは去っていった。
セレスはでは、と控えめに言って腕を上空に向かって伸ばした。彼が握った手を広げると、青空に色鮮やかな花が浮かび、しばらくするとふわっと消えていく。それを何度も繰り返してくれるので、まるで花火のように美しく、それが切なかった。
「……セレスさん、ごめんなさい」
私がこの世界に来たせいで、理不尽な暴力を受けることになったセレス。私でなければ、彼の召喚は成功したことになり、彼が責められることなんてなかったはずだ。
「……こっちこそごめんなさい、です」
セレスは、散っていく花を眺めているように見えた。
「こんな世界に召喚されて、さぞ苛立ちを感じられたことでしょう。あなたを召喚したその張本人が私です。被害者のあなたが、私に謝る必要なんて、ありません」
その声は穏やかで、迷いなど感じさせなかった。
「もしかしたら、ですけれど、あなたは自分のことを責めていらっしゃいませんか?私はこれまで、何回も間違えてきました。初めての召喚は、ふわふわの動物の人形でした。その次は、可愛らしい色合いのクッション。召喚できる物体が、徐々に大きくなってきたから大神官様も期待されていたのだと思います」
セレスは花を浮かび上がらせるのを止めると、初めて私に目線を合わせた。瞳に巻かれていた包帯のせいで、表情はよく分からなかったけれど、私を安心させるように頷いた。
「大神官様も、あなたを元の世界に戻すことを強く望まれています。私の神力が溜まれば、すぐにでも儀式を執り行うことになるでしょう。そうですね、1年もあれば大丈夫でしょうか」
「ごめ……ごめんなさい……」
私を責めることなんかせず、ただ純粋に優しくしてくれるセレスに対して、申し訳なくて、でも本当のことを告げる勇気もなくて、騙しつつけることしかしない私は、薄っぺらい謝罪の言葉しか言えなくて、涙が込み上げてくる。
そんな私に、彼は困ったような笑みを浮かべた。
※※※
気まずく別れた私とセレスは、二度と会うことはなかった……ということはなく、すぐまた再会した。
「暇そうだからさ、セレスも呼んだよ!ハルカがやりたい神殿の探検なんて、人数が多いほうが楽しいじゃん?」
ニコニコ笑顔のクラリエスの横には、所在なさげのセレスがいた。彼が綺麗なお辞儀をしたので、私もペコっとお辞儀を返した。
神殿内はあまりにも広く、歩き続けた足がぱんぱんになって地べたに座り込んでしまった。そんな私を見て、クラリエスが残念そうな目を向けた。
「20歳の男だって聞いたけど……、3歳の男の子の間違いだったかな?」
「うるさい、ほっといて!」
「冗談、冗談!!」
クラリエスは明るく笑った。
私とクラリエスの探検にただ付き添ってくれたセレスを見あげると、どことなく嬉しそうにしている気がして、ほっとした。
それから、何かしたいとクラリエスに伝えると、必ずと言っていいほど彼はセレスを連れてきた。
一緒に過ごすうちに、セレスと話すことが増えた。初めから感じていたことだけれど、彼は聞き上手だった。どんな些細なことでも、向き合ってくれた。
彼と話すと心の中が澄み通っていくのが分かった。
クラリエスには直接確認していないけれど、それを狙ってセレスを呼んでいたのかもしれない。
気がつけば季節は、冬から春へ移っていた。
神殿は私が女であることに気がつく素振りもなく、平穏だけれど代わり映えのない日々を過ごしていた。
痛々しかったセレスの頬の痣がゆっくりと消えていくのに合わせるように、どこかで他人を拒絶しているようなセレスも私に心を開いてくれたきた気がしていた。
気が緩んだ私はつい聞いてしまったのだ。よりにもよって、セレスに。
「……『丸耳』ってなに?」
神殿内で、外出先で、セレスに向けられる『丸耳』という言葉。差別的な言葉の可能性が浮かんだけれど、それはないと思っていたのだ。だって、セレスは人々の羨望を集める神官の一人で、随一の神術の使い手と聞いていたから。
クラリエスはちょうどトイレに行っていて、私とセレスしかいなかった。クラリエスおすすめの高台から、街を一望していてどこか私を開放的な気分にさせた。
「この地に舞い降りし神は、人間を2つに別けた。尖り耳と、丸耳。尖り耳には特別な力を与え、丸耳を支配させた。ですから、神力のある人間は必ず耳が尖っている。でも、私は尖っていない」
セレスの声は私に初めて会った時と同じように澄んでいて、淡々としていた。
「どうして、丸耳の私が神力を持つのでしょう?それも過去一ともいえる神力を。なぜなら、私が周りの神力を奪っているからだと大神官様はお告げになりました。皆、私を忌み嫌います」
私はそのとき、初めて気がついた。
袖からちらりと覗いた彼の素肌には、見たことのない赤黒い痣がべったりできていることを。
彼への理不尽な暴力は終わっていなかった。
「……っ、クラリエスは?」
私の言葉に、彼は困ったように眉毛を下げた。
「ハルカの召喚の儀に、クラリエスもいたんですよ。大神官様からの叱責を受けていた時、私を助ける者は誰もいなかった。つまり、そういうことです」
「……そんな!今まで、仲良く、してたんじゃ……」
「ハルカが来るまで、彼は私に話しかけたことなんてありませんでしたよ」
※※※
あれから、私はセレスを避けた。
どうすればいいのか分からない私は、卑怯にも彼から逃げたのだ。
それが何日か続いたある日のことだった。
「準備が整いました、異世界からの使者殿」
「え?なんのこと?」
「帰還の儀です」
予告もなく現れた大神官直属の神官は、眠ろうとしてベットに入ろうとしていた私を、召喚された場所、内神殿にまるで引きずるようにして連れてきた。よくしてくれた神官に対する感謝の気持ちを伝える時間も、身辺を整理する時間も取ってくれなかった。本当にいきなりだった。
一年はかかると言われていたのが、セレスの神力が満ちたことで帰還の儀が半年に縮まったらしかった。
幾何学模様の魔法陣らしいものに座らされた私の前に、セレスと彼に続いて複数の神官がやって来た。いつも猫背な彼が真っ直ぐ長身を伸ばして、神官を引き連れて堂々と歩く姿は、まるで別人みたいだった。
彼は、瞳に巻かれていた包帯を取った。
神官は彼の瞳を恐れるように、目を閉じた。
彼の瞳は澄んで、綺麗だった。
慈愛の満ちた微笑みを浮かべながら、私を見た。
(なんで、そんな顔するの……)
彼は誰よりも辛い思いをしながら、誰も責めることはしなかった。召喚の失敗作の私のことも、初めから許していた。
厳かな雰囲気の中、私には聞き取れない不思議な神言をセレスが呟いていく。
いつか幻想の花を見せてくれたときのように、彼の腕が上げられたとき、彼は痛みを堪えるように眉間に皺をよせた。
怪我をしているからだ、と思った。
なんで彼ばかりが、と思った。
「……はっ!?」
手が勝手に動いて、彼を光る魔法陣の中に入れていた。魔法陣に入った私と彼の身体が透き通っていく。
「セレス、あなたはこの世界にいても、幸せになれない。私が幸せにしてあげるから、一緒に行こ」
「………何でそんなことを」
「だって、私は聖女だから」
「ハルカ……!?あなた、聖女だったんですか……!??だからか!あなたの側にいると神力が溜まっていってたのは」
何があっても平然としていたセレスが、慌てふためく姿を見たら、面白くなってきた。消えかかる周りの様子を見ると、クラリエスが笑顔で腕を振っていた。その横には、大神官様がいて真っ赤な顔をしてアイツがいなくなったら誰が僕のために聖女を召喚するんだと怒鳴っているのが聞こえてきて、胸がすっとした。




