共用トイレより愛をこめて・・・
2●世紀、・・・どこかの施設の共有トイレにて・・・。
一人の男が縮こまって個室のトイレの扉をじっと見つめていた。
俺にとっての母国は「灰色な世界」と言い表せるだろう。
そもそも俺が子供の頃住んでいた地域には国立公園のような大きな施設があった。
そしてその施設の前には、大勢の老若男女が毎日かわるがわる列をなして鉄線越しにこちらをみつめていたのを覚えている。
そして時折、その施設からは細長く灰色の煙が出ていたものだ。
いったいあの煙は何なんだろう?ごみ処理施設場でもできたのだろうか?
あそこに並んでいた人たちはそこで働く従業員だったのだろうか?
長蛇の列の中に見かけた同年代ぐらいの子供たちも、あそこで働くことがあるのだろうか?
当時の俺は好奇心旺盛でなんでも知りたがった。
だが、父さんも、母さんも、じいさんも、ばあさんも、叔父さんも、いとこのお兄ちゃんに聞いても、
誰もその施設が何なのかを決して教えてくれはしなかった。
しかし政権が変わり、周辺国によって母国が解体され、初めてそのごみ処理場だと思っていた施設が我が国にとってのちに「負の歴史」の一つと呼ばれる非人道的な残虐な行為を繰り返していたのだと知ったのだ。
・・・そして今、俺はある重要拠点の共用トイレにて、またその負の連鎖の鎖の一部となり果てようとしている自分がいる。
(一体どうして自分がここにいるのか。)
・・・と答えが出るわけもなく自問自答していたのだった。
「おい、あんた大丈夫か?」
扉の向こう側からノックと共に心配する声が聞こえる。
「あ・・・は、はい!もう出ます、大丈夫です!!」
そう言って慌てて水を流し、胸元のネクタイを真っすぐに調節して帽子を目深くかぶりなおす。そして、両手に抱えていた革のビジネスバッグをしっかり握りしめてトイレから急いで出た。
「・・・あんた本当に大丈夫かい?顔が真っ青だぞ??」
ノックしたと思われる並んでいた中年の男性が顔をのぞき込んでくる。しかし、顔を極力見られまいと帽子のつばをさらに引き下ろし、申し訳ない思いで男性トイレから脱出した。
「はああ・・・。しょっぱなからこんなんじゃ本当に命が何個あっても足りないぞ・・・。
気合入れろ~ディミトリ~・・・、頑張れえ~ディミトリ~・・・!!」
自身を奮い立たせようと男は小声で念を送るそぶりを見せる。
そこへ近づいてくるジャケットにタイトスカートを合わせた一人の女性が複数の部下を従え、彼の前で立ち止まった。
「ボイルさん??」
しかし、男は振り返らない。
「ラドルフ=ボイルさんでよろしい??」
そこでやっと自分が呼ばれていることに気が付き、男は慌てて振り返った。
「は、はい!!!ボイル・・・。自分、ボイルであってます・・・。」
女性はじとっと男性を足先から頭まで見る。
青白い顔。
身長はあるくせに猫背で細い手足は遠目で見ると骸骨が歩いているように見えなくもなかった。
そして彼のネイビーのスーツの裾は、ところどころ皺が目立ち、革靴も手入れがされておらず曇っている。
少々男性に対し、冷ややかな視線を見せた女性は気が済んだのか何も言わずに踵を返す。
「・・・ようこそ魔術師協会本部へ。
中途採用のあなたには人一倍活躍していただきますから、そのつもりで。」
カツカツとヒールの音と群衆が離れていくのを見て、慌ててラドルフもビジネスバッグを胸に抱えてそのあとを追いかけた。
女性に連れられてたどり着いたのは、地下にある部署だった。
天井から吊り下げられた看板には〈労務室〉とある。
「挨拶が遅れましたね。
私は労務を含めた複数の部署をまとめるマネージャーをしております、サラ=クラリネスです。
ここがボイルさんの新しい職場になります。上司はこちらのマリア。歴20年を超えるベテランですので何でも聞いてください。それから、こちらがここで働く際に必要な社員キーです。使用できるのは労務室・休憩室の出入り。事前申請されていない部屋には入ることができないのと、当日中の申請は受理しかねます。」
てきぱきと隙のない説明にとにかくうなずき続けるラドルフ。
だが、引き渡された社員キーは、魔術師協会本部の一部署で使うにはあまりにアナログチックな鍵に見えた。
「ここ魔術師協会本部では、いかなる魔術の不正を未然に防ぐために一部システムをあえてアナログ式との複合魔術としています。その構造は複雑かつ精巧で一部技術者にしか仕組みを共有しておりません。普段この部署に居れば技術者と関わることは少ないと思われますが、詮索はしないように。」
「はい。よくわかりました・・・。」
一時間近くサラは本部の注意事項等々を空で読み上げ、ボイルは何のこっちゃわからん、という顔を見せないように耳を傾けているふりを続ける。
やっとサラが説明を終えて労務室から出ていくと、横で聞いていたであろう新しい上司のマリアがにっこり笑いかけてきた。見た目で言うと50歳前後だろうか、服装や化粧は控えめで、しかし〈労務室〉の番人らしい安定感を感じられた。
「改めましてどうも、マリアです。サラちゃん相変わらずねえ~。まあ、分からないことがあったら何でも聞いてちょうだい。あれじゃあ、一回説明されても誰も理解できないわよ。」
「は、はあ・・・。」
「そしたら~・・・ラドルフって呼んじゃうけどよろしい?・・・ありがとう!!
早速なんだけど、ラドルフ。本部の各階を軽く案内するから私についてきて。長くなるわよお~。」
そういいながらもどこかウキウキした様子でマリアは労務室の扉近くへ向かう。
ボイルは荷物をマリアの隣にあった空の机に置き、社員キーを首から下げ彼女の元ヘ急いだ。
労務室を出るとすぐ大きなエレベーターに向かう2人。
20人はかるく収容できる大きさのそのエレベーターに乗り込むとマリアは上のボタンを押す。
すぐにエレベーターが動くと体が軽く感じはじめた。・・・しかし、そこでボイルは思いがけない光景を目にする。
エレベーターがジェットコースター以上に早かったのだ。しかし、自分たちの体はまったく宙に浮くことなく足元もしっかり床と張り付いている。
「ああ、無重力状態をかき消す魔術式だね。あんた見るのは初めてかい??使用する場面が少ないからねえ~。珍しく見えるのもしょうがない。」
「いやあ~・・・面白い魔術式ですね。かなり複雑な術式構造をしていそうだ。」
緊張していたボイルも少し楽しくなってきたのか、表情に笑顔が戻ってきていた。
「おや、あんたもしかして巷で流行ってる術式オタクかい?汎用性あんまり高くない変わった魔術に興味が高い若い子が増えているって新聞で読んだことがあるよ。」
「オタクどころか・・・。いえ、確かに学生時代は昼夜問わず魔術書を読みふけってましたね。」
マリアはやっぱりねえ、といった表情で前に向き直った。
チーン
到着が早すぎてエレベーターが止まった階を見逃しそうになったが、
恐ろしい量のボタンの中から〈197階〉が点滅しているのに気が付いた。
扉が開きマリアの後をついてエレベーターを降りる。
「ここは大会議室。この建物の最上階に当たるんだよ。役員らはここで基本的に毎日会議をしてるってわけね。対して一番最下層フロアは中央裁判所。一般魔術師も行き来ができるようになってるわ。」
「なるほど。一つの建物の中に色んな職種の魔術師が集まっているんですね。」
「そういうこと~。」
そして、また別の階に移動したエレベーターは途中の階で止まりゆっくりと扉が開いた。
・・・子供だ。
6~7歳ほどの外見をした赤髪の女の子がそこに立っていた。
その女の子の目は吊り上がっておりボイルとサラを一瞥すると何も言わずに乗り込んでくる。
少々変わった服を着ていた。
たっぷりのフリルに、リボンがちりばめられたスカート。
頭には女児がおままごとなどで遊んでいる人形が被ってそうなボンネットをしている。
(なんでこんなところに子供が・・・??)
一瞬困惑するボイルをよそに、女の子は明らかに年上のマリアに対し命令口調で言い放つ。
「ボタンを押して。」
ぶっきらぼうな言い方に腹を立てるでもなく、マリアはいつも通りといった表情で一つの階層ボタンを押した。
(なるほど。よくよく考えてみればこの子供の身長では行先のボタンが届かないのか。)
だがそう思うのと同時に、女の子がこちらをぎろりとにらみつけてくるじゃないか。
「・・・。」
無言。しかし、何か言い返してやろうという威圧感だけがひしひしとこちらに伝わってくる。
チーン
エレベーターが女の子が指定した階に止まる。
扉があくとさっさと彼女は降りて行ってしまうが、ちらりと見えたその階層は灯りらしいものが何もなく真っ暗な廊下が伸びていたことに不気味な雰囲気をボイルは感じ取った。
「・・・あ、あのう。今の子供は何だったんでしょうか??」
さっきまですぐに質問に答えてくれていたマリアが少々間を開けてから返事をする。
「・・・まあ、名もなき観測者さ。」
曖昧な表現をするとはなにか公にできないものがあるのだろうか。
〈観測者〉とは、一体どういう意味なんだろうか。
ボイルは?が頭にぐるぐるとめぐり首をかしげる。
そして、小さな〈名もなき観測者〉の背中をゆっくりと扉が再び閉まるまでただ見つめていた。




