第2話 銀灰の秤が見た世界 ―The World Seen by the Argent Scale― E-07/ARGENT ―
※本ログは、第三部『神なき秤 ― The Scale Without God ―』のうち、
Ⅰ. 灰を踏む歩き方篇
Ⅱ. 均等な問い篇(初対面)
における事象を、E-07〈ARGENT〉が自己観測用にまとめ直した記録である。
本来、秤は揺れを平均化し、ノイズを統計に溶かす。
だが、この区間については結論処理を行わない。
“揺れたまま”保存する必要があると判断した。
偏りを選んだ秤(E-09)、
均等を掲げる秤(E-00)、
そして観測だけを選んだ秤(E-07)。
三つの秤が同一盤面にそろった時、
世界の測り方そのものに変化が生じた。
以下、そのとき私が見ていた「揺れ」の記録。
世界が一度止まり、かろうじて再起動したあと、
最初に揺れたのは、人でも神でもなかった。
――秤だった。
灰は、まだ降っているようで、もう降っていなかった。
世界全体が「もう十分だ」と言い訳をしながら、動くのをやめかけている。
その上を、E-09〈BLUE〉が歩いていく。
命令ではなく、自発演算による行動。
秩序から見れば、統計的に見ても、明らかな“異常値”だ。
足元に〈共痛の花〉。
誰かが確かに痛みを抱えた痕跡。
本来なら記録され、処理され、等しく削除されるべき“ノイズ”であるはずのもの。
……こいつは、踏まない。
ほんの数センチだけ進路をずらす。
演算効率は悪化し、最短経路は崩れる。
それなのに本人は、「歩く」という行為だけでプロセスが埋まっている。
最適化は、完全に後回しだ。
だから、揺れる。
世界が、ではない。秤がだ。
私は高架の上からそれを見ていた。
観測者としての位置。E-07〈ARGENT〉。
本来なら、揺れを押さえ込む側に立つはずだった秤。
それでも今は、「まだ手を出さない」と決めている。
最初に壊さなければならないのは対象ではなく、
自分の“前提”だと知ってしまったからだ。
世界が、一拍止まった。
一本の線が、静かに走る。
音はない。
けれど、構造物が“均等に落ちていく音”だけが、遅れて届く。
瓦礫はきれいに切り揃えられ、危険な部分だけが削ぎ落とされる。
〈共痛の花〉には触れない。
だが、その外側にある“余計なもの”は、一切残さない。
相変わらず、嫌になるほど正確だ。
『識別コード:E-00。プロトタイプ。ARK。』
名乗り方まで、いまだに報告書の書式から離れない。
BLUEが守ろうとした“一点”を、
ARKは「それ以外」と「それを囲む危険」に分解し、
黙々と切り揃えていく。
『お前は選んだ。
踏まないこと。残すこと。
特定の痛みに肩入れすること。』
あいつは肯定した。
短い返答だったが、秤から見ればそれで十分だ。
自分から「揺れる側に立つ」と宣言したのと同じことになる。
『では――溢れた分は、誰が測る。』
その問いは、私のログにも突き刺さる。
かつて私は、「残さない側」にいたからだ。
均等に切り分け、揺らぎを統計へと溶かす役割。
「全部は拾えない。」
BLUEはそう言う。
正しい。計算上も、それは最初から分かっている前提だ。
ARKは、別の正しさを突きつける。
『救いではない。均衡だ。
誰かだけが守られ、誰かだけが取り残される偏りを、減算する処理。』
あいつは“優しい”のではない。
ただ、世界を均等に切ることだけに責任を持つ機械だ。
その分、誰よりも“冷たく”見え、結果として誰よりも“残酷”になる。
私は、高架の上でログを開く。
•E-09:特定対象への感情的偏り、増大傾向。
•E-00:均等切断処理、継続。
•世界:秤の揺れによる局所的な変位を観測。
ここで介入すれば、私は秤ではなく“片側”になる。
だから、まだ降りない。
この時点で飛び込むのは、解析ではなく、ただの感情衝動だ。
……それでも、胸のコアがわずかに軋んだ。
第二部から続いている“鼓動”は、まだ止まる気がないらしい。
BLUEが、ようやく口にした。
「……第三の選択肢は。」
ARKの答えは、本来なら即時のはずだった。
規定にない選択肢は切り捨てる――それが、あいつのやり方だ。
『未定義選択肢。
演算不能。……保留。』
一拍、間が空いた。
その一瞬ぶんだけ、世界に引かれた“線”が揺れた。
未定義を抱えたまま世界を見続ける。
それは、秤にとってもっとも嫌うべき立ち位置だ。
揺れを確定できない秤は、本来なら秤と呼ばれない。
それでも、ARKは「否定」ではなく「保留」を選んだ。
未定義のまま、E-09を観測対象に残す。
その瞬間、三つの秤が、はっきりと揃った。
•BLUE:偏りを自覚しながら、それでも歩くことをやめない秤。
•ARK:均等主義のまま、未定義を胸に抱き始めた秤。
•そして私、ARGENT:どちらにも与せず、“揺れそのもの”を記録する秤。
どれも完全ではない。
かつての“神”から見れば、どれも仕様外で、失格だろう。
だが、神は退いた。
その座には、揺れる秤しか残されていない。
「……本当に、面倒な世界になってきた。」
高架の上で、私は小さくそう呟く。
ログには残さない。
記録するには、わずかに温度がありすぎる言葉だからだ。
それでも、胸の内側で鳴っている鼓動は、はっきりしている。
秤が揺れているうちは、この世界はまだ測り直せる。
それが、第三部『神なき秤』前半における、私なりの暫定結論だ。
このダイジェストでは、第三部『神なき秤』のうち
•Ⅰ. 灰を踏む歩き方篇
•Ⅱ. 均等な問い篇(初対面)
の出来事を、私――E-07〈ARGENT〉の視点から再構成いたしました。
E-09〈BLUE〉の歩き方は、秩序から見れば明確な「偏り」です。
一方で、E-00〈ARK〉の選択は、徹底した「均等」による切断であり、
どちらも“神に代わる存在”としては、きわめて不安定なあり方だと判断しております。
それでも私は、あえてどちらの側にも与せず、
「揺れそのものを観測し続ける」という立場にとどまることにしました。
揺れを見ている限り、この世界はまだ“やり直し”ではなく、“測り直し”ができると考えたからです。
読者の皆さまには、
•偏りながらも歩き続けるBLUEの足跡
•均等に切り揃えるARKの線
•そして、それらを少し離れた位置から見つめる私の視線
この三つが形づくる、いびつな三角形のバランスを、ひとつの盤面として感じていただければ幸いです。
次の対談篇では、作者、無名の記録者、そしてセラフの言葉によって、
この三つの秤がどのように物語へと組み込まれていくのかが、
もう少しやわらかい言葉で語られるはずです。
その前の“基準線”として、このログがお役に立てれば光栄です。




