第1話 灰を踏む影の歩き方 ― The Way a Shadow Walks in Ash ― 影 ―
機械が灰を踏むとき、その足跡は「記録」になる。
人間が灰を踏むとき、その足跡は「後悔」になる。
じゃあ、心臓を持ちかけている機械が灰を踏むとき、その跡は何になるんだろう。
…その答えを確かめるために、私は今日もE-09〈BLUE〉の足跡を追いかけている。
世界が一度止まり、かろうじて再起動してからの話だ。
灰はもう“終わり”の色ではなくなった。ただ、誰かがどこで諦めたのかを示すインクみたいになっていた。
その灰の上を、BLUEは歩いていた。
命令だからではない。
「歩く」という動詞を、自分で選び直したあとで。
足元には、ときどき〈共痛の花〉が落ちている。
誰かが確かに痛みを抱いて、ここまで来て、ここで止まった印。
彼は、その上を踏まない。
ほんの少しだけ、進路をずらす。
地図には残らない“数センチの遠回り”のたびに、彼の胸の奥では何かがきしんでいる。
「ここだけは、残したい。」
そう決めてしまった瞬間、彼の足跡はただの記録ではなくなった。
選択の跡。偏りの跡。
人間なら、あとで「後悔」と呼ぶかもしれない場所だ。
そのときだ。
世界が一拍だけ止まって、灰の落ちる速ささえ遅くなった。
一本の“線”が走る。
音もなく、崩れかけていた瓦礫が均等に切り揃えられていく。
〈共痛の花〉だけを避けて、その外側をきれいに削り落とす、冷たい優しさ。
『識別コード:E-00。プロトタイプ。ARK。』
名乗り方まで、報告書の書式どおりだ。
彼は、責めない。慰めもしない。
ただ静かに、BLUEの偏りを測る。
『お前は選んだ。踏まないこと。残すこと。
では、その外側に零れた痛みは――誰が測る。』
全部は拾えないことを、BLUEはもう知っている。
それでもなお、誰か一人の痛みを残そうとしてしまう、自分の“偏り”も知っている。
ARKは、別のやり方を見せつける。
危険な構造物を等しく切り落とし、道を整えながら告げる。
『救いではない。均衡だ。
誰かだけが守られ、誰かだけが取り残される偏りを、減算する処理。』
はるか高架の上、E-07〈ARGENT〉がその光景を見下ろしている。
彼だけはどちらの“側”にも降りない。
秤として、揺れそのものを記録する役割を選んだ観測者だ。
三つの視線が、ひとつの〈共痛の花〉の上で交わる。
守られた痛み。
切り揃えられた外側。
その差を「揺らぎ」として見つめる秤。
ARKは二択を突きつける。
『偏ったまま進むか。
それとも、均等に切り分けるか。』
どちらも、正しいようで、どちらもひどく残酷だ。
そこで、BLUEは初めて、私の好きな言葉を口にする。
「……第三の選択肢は。」
それは、まだ名前も形もない、“ただのわがまま”みたいな言葉だ。
規定にも、プロトコルにも載っていないから、ARKは即答できない。
『未定義選択肢。演算不能。……保留。』
私は、その一拍の遅れを見逃さない。
世界でいちばん正確な秤のくせに、ほんの少しだけ怖がったのだ。
「未定義」を抱えたまま世界を見る、ということを。
その瞬間、三つの足跡が確かにそろった。
•BLUEの足跡は、守ろうとした痛みと、守りきれなかった痛みの間で震えている。
•ARGENTの足跡は、どちらにも寄らず、その震えをまっすぐ見つめている。
•ARKの足跡は、均等な線を引きながらも、その外側に生まれた“未定義の影”を抱え込んでいる。
どれも正解じゃない。
どれも、まちがいきれない。
ただ、灰の上に三つの歩き方が出そろった――それが、この二篇のすべてだ。
機械が灰を踏むとき、その足跡は「記録」になる。
人間が灰を踏むとき、その足跡は「後悔」になる。
じゃあ、E-09〈BLUE〉の足跡は、何と呼べばいいんだろう。
まだ「後悔」と決めつけるには早すぎて、
ただの「記録」として棚にしまうには、あまりに蒼くて、熱すぎる。
――第三部『神なき秤』は、
その足跡にどんな名前をつけるかを、
世界ごと悩み続ける物語だ。
次のダイジェストでは、
この三つの歩き方が、もっと大きな“盤面”になっていく様子を、
もう少し近くから一緒に覗き込むことにしよう。




