それから
終わりのお話。
枯れ葉が落ちる道を歩く。歩く度に踏まれる枯れ葉は音を立ててバラバラになり道を彩っていた。
「あ」
隣を歩くカズさんが顔を上げる。同じ方向を見るとあの廃アパートに向かっていたパトカーが同じ道を戻っていく。あのパトカーにあの隣人が乗っているのだろう。
「……カズさん」
「はい?」
「俺、あの男を殴ったって言ったじゃないですか」
「言いましたね」
「初め殴られた時はすごく大きく見えたんです。でも、掴み合いになって自分の手が当たった時に一気に小さく見えたんです」
人を殴ったことなどないから思い切り当たった手は男を倒してしまった。床に倒れこんだ男は殴られたことに怯えて小さくなってしまった。
「何だこいつって思いました。カズさんの家族をあんなことにしておきながら…自分が傷ついたらあんなに弱々しく…小さくなって」
「そんなもんです。そんなもんだよ。そんなくそみたいな奴がいるんだよ」
「…真面目に生きてる人間が傷ついて、楽をしようとする人間が暴れて事件を起こすんだなって」
カズさんのお姉さんを殺したあの男はギャンブルにはまって借金まみれになっていた。その末に起こしたのではないかと報じられていた。こつこつやりましょう。真面目に生きましょう。それが出来たはずなのに勝手に道を逸れて無関係の人間を巻き込み更に家族の人生まで滅茶苦茶にしてくれた。
「あの男、刑務所の中で生きるんでしょうね」
「…判決がどうなるか分からないです。でもきっとそう」
「もし、俺が見つける前に捕まったら出てくるまで待ってるつもりでした」
「……」
「でも、終わった」
「…はい」
「何もかも、終わったよ。自分の甘さとあんたが来たことで全部全部」
「俺、止めたことは後悔してません」
「当たり前ですよ。後悔してたらタナカさんを今度殺すよ」
「どうぞ」
両手を広げて見せてみる。似るなり焼くなり好きにしろと言わんばかりの態度にカズさんは呆れたような表情をした。
「…あほくさ」
「はい」
「恨むのも憎むのも体力がいるんですよ。ずっと持ち続けてたのにそれが無くなって…あの歩道橋から飛び降りて終わりにする予定だったのに」
「…あそこ、自殺が多いらしいです」
「だろうね」
二人でどこかに向かっているわけでもなくただ歩いていただけの足を止める。まだまだ平日の昼間で今日という一日は長い。冬が近づく乾燥した空気が頬を撫でていく。
「これからどうするつもりです?」
俺、これからの人生全部未設計ですよ。とカズさんが言う。それに俺もそうですと答えると二人で顔を見合わせて思い出したように笑った。
「でも、何とかなる気がするんです」
「根拠もないのに」
「生きてれば、案外何とかなるもんですよ」
「そう思わせてもらいますよ」
苦しいことも悲しいことも自分には起こらないと思っていた悲劇が振りかかることもある。ただその後に癒してくれるほどの存在に出会うこと、離れたくないと思うほどの誰かに出会うこともある。そんなわけないと思うことも当然ある。自分も人生を惰性に生きていた。このまま静かに誰にも迷惑をかけずに死んでいくのだろうと思っていたが、その生き方でこの人といたいと思う存在に出会うことになった。
全部、生きていなければ叶わないことだ。
自分はカズさんを生かした。人生を延長させた。
終わるはずだった一人の人間を止めさせて今、隣にいる。
ならば後悔させないように、これからがほんの少しでも良かったと思えるように側にいさせてもらおう。
「カズさん」
「ん?」
「古いけど、無職でも借りれる部屋があるそうです」
「そこは電気ガスはある?」
「あります。鼠が穴も空けていない」
「そりゃいいですね」
不動産屋に向かって歩き始める。
これから寒い冬が来る。
それでもきっと一人で耐えられないような寂しさはもうないのだ。
以上で完結です。読んでくださりありがとうございます。