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車は大学の敷地内を出て、都心の外れへと向かう。窓の外のかすかに見えるビル群は途切れることがないことから、どこかとんでもない郊外へと向かうわけではないようだ。
助手席に座っている男が誰かに電話をかけているが、それを仕切り一枚隔てて後席にいる祐一が聞き取ることはできない。何十分も無言のまま車に揺られるのはさすが耐えられない。今自分がおかれている状況を何も知らないというのも癪なので隣に座る男にダメもとで話しかける。
「今日は暑いですね。6月にしてもう夏の感覚ですよ。」
「・・・」
「あっ、外の看板広告、WWSが使われていますね。飛び出しているように見える広告から実際に飛び出す広告になるなんてWWS様々ですね。」
「・・・」
「ただ、最近WWS絡みの悪事が増えてきましたよね。警察にも頑張ってほしいです。」
「・・・」
「外をしきりに見たりして随分と警戒していますね。ただの一国民の両隣に護衛つけるなんて。」
「っ!?」
「先ほど言いましたけど、政府が自分に用があるなんてWWS絡みくらいです。ただそれは機密になっているはずです。彼女以外知らないはずなので。」
「彼女が働かなくなって人質としてでなければ、あまり信じられないですが、WWS絡みで問題が起きて、彼女だけではどうにもならなくなったから僕のところに来た。そう考えました。」
「それはっ・・・」
「失礼。あまり誘導尋問しないでいただきたい。我々とて好き好んでこんな手段はとりたくないのですよ。」
前の方から答えが返ってきた。電話よりもこちらを優先してくれるようだ。仕切りが開かれる。
「先ほども言いましたが、今は緊急事態なのです。我々がなりふり構って割れないくらいに。あなたがおとなしくついてきてくれて本当に助かりました。」
「そうですか。・・・藁にもすがる思いなんですかね。いまさら僕を呼ぼうとするなんて。」
「あなたがWWSとどれだけ関係しているか我々には正確に知らされていません。ただ、今回の事態に対して絶対に連れてきてほしいと命令されています。何をするか詳しいことは着いてから説明があります。そこにはあなたを知っている人がいます。質問があるのであればそこでもう一度お願いします。」
自分を知っている人間は少ないはず。直接知っているのは彼女だけ。彼女からあるいは、あの家にあった私物を漁った政府の人間くらい。
政府の人間であれば・・・あまり信用しにくいだろう。でも。
「・・・分かりました。その言葉を信じます。」
これ以上引き出せる情報がない今は頷くしかないだろう。
窓の外の景色は、ある区画に入っていた。柵で周囲を囲われた先に、いったい何に使われているのか想像もできないほどの巨大なアンテナに発電機、建物同士を繋ぐ張り巡らされるケーブル群は幾度となく写真で見た光景。国内の最先端を行く研究施設。
「国立科学研究所。」
「わかりますか。あなたには今からあそこで行われる会議に参加してほしいのです。」
区画に入ってからも柵は続く。数分ものあいだ柵と柵の間の道を走り、複数人が駐在する厳重な検問を何度も通り、ようやく、車はある研究棟の裏手に止められ、護衛の人たち共に降り立つ。
国立科学研究所。その始まりは数十年前まで遡る。当時の国が諸外国に後れを取っていた科学技術を最先端まで引き上げるべく作られた区画とその中心に位置する建物の総称である。
日本中の優秀な科学者が集められ、様々な実験・研究が行われていた。政府の予算も特別に組まれるぐらいお金が注ぎ込まれてもいた。その甲斐もあってか我が国は先進国の仲間入りをしたと言われている。
そして今はWWSを動かし制御するためだけの場所になっている。五年前からここはあらゆるものがWWSを最高率で動かすために改築・改築が行われていた。昔はここまで送電線で張り巡らされておらず実験棟が乱立していて研究都市の模様だったが、今ではほとんどが殺風景な景色しか見られない。
「(科学史の講義で知ったところ、実際に来てみると全然違う。あらゆるものが異なっていっている。)」
外部の受け入れを制限して数年、閉ざされた地が今再び開かれていた。ほんの数刻前まで想像だにしなかった場所に足をつけて、わずかながら感傷に浸る。
「ここが彼女のいる場所。」
「・・・。 さあ、行きましょう。既にほかの方々も来ているはずです。」
「あっと、すみません。今行きます。」
研究施設の中に入ってすぐにその異質さに気づく。壁に天井に床に線が走っているのだ。内から外に伸びるようにあるそれはまるでWWSの中に居るように錯覚する。祐一が昔感じていた感覚だった。
護衛に連れられていくつもの通路を曲がり扉をくぐり奥へと歩いていく。両隣には常に世の科学者たちが羨む設備ばかりがならんでいる。祐一は場違い感を覚えながらも護衛に促されながら歩き続ける。
「今回の件、僕以外も呼んでいるという話でしたが、WWSの専門家だけなんですか?」
「なぜそれを聞く必要があるのでしょうか?」
「個人的には、興味から。僕にとってWWSの開発者はただ一人ですが、それを使っている人たち、研究している人たちに会うのは刺激をもらえそうかなと。そういった人たちには会う機会はまずなかったので。」
「ええ、たくさん呼んでいますよ。ただ、あなたの知的好奇心を満たせる余裕はないと思います。」
「彼女がいれば最終的に問題解決できるんじゃないんですか?」
「・・・そうですね。」
「・・・その反応。いえ、話を聞いてからですよね・・・」
「着きました。ここで皆さん待機しています。」
目の前には扉が開かれている。中は百人は余裕で入れそうなくらい広い。
「すべてはこのあと説明があります。すみませんが入室をお願いします。」
「・・・っ、分かりました。」
最後の質問に対する回答はなく、ただ促されるまま部屋に入る。
部屋に入ってすぐ、とてつもなく広い会議室であることが見て取れた。既に集められた人々だけでも数十人いるが、各々の知り合いとバラバラに集まり談笑していても余裕がある。孤高を貫いている人はそこから外れて自分の手元のPCあるいはパッドに目線を落としているのが見て取れた。
「(すごい、テレビやネットで見たことある方たちばかりだ。)」
祐一は部屋の中にいる錚々たる面々をみて気後れする。彼らの視線は新しい入室者を一瞥してきたが、すぐに戻した。
各々がまだ事態の説明はなく手持ち無沙汰になっていたところらしい。祐一はこれほど豪華な場にでた経験はないため、他の人の目線を気にしつつ適当な席に腰がける。
若い学生らしき人は、見たところ自分一人。手近な人に話しかけに行きたいが、疎外感を感じる上、どこまで自分のことを話してよいのかわからず。没収されなかった手元のスマホに目を移して途方に暮れる。
「(スマホ没収されなくてよかったな。セキュリティ的にあれだがさすがに連絡手段がなくなるのはまずいと判断されたのか。)」
「ねえ君、ちょっと隣良いかしら?」
祐一の境遇を見かけたのか声をかけられた。顔をあげると一人の女性が話しかけてきた。
輝くような髪色に研究者に似つかわしくないラフな恰好はこの会場では目立っていた。見た目は若く二十代、祐一と同じくこの場ではよそ者のようにみえる。
「ええ。大丈夫です。」
「ありがとうー。私は金ヶ崎未来。アメリカの研究所で働いているの。君は?」
「僕は伊予島祐一です。東都文理大学の修士課程四年生です。」
「なるほどー。そこは確か民間の中でも特にWWSに力を入れているからね。呼ばれても不思議ではないか。・・・教授でもないのに?」
「僕のことよりあなたの方が気になります。あなたも、その結構若いですよね。同じ学生ではないんですか?」
「あー、その言葉嬉しいけど、残念ながらもう大学は飛び級で博士卒業してるのよね。」
彼女は金ヶ崎未来というそうだ。海外へ長いこと留学していたことがあり、海外のWWS熱を肌で感じ、そのまま現地で日本に追いつき追い越せを日々繰り返していたそうだ。
最近日本に戻ってきた矢先に今回の件らしい。
「私とか明らかに海外のスパイとか思われてもおかしくないじゃない。それでも呼んだということは、なりふり構ってられなくなったことだよね。」
確かに、国立科学研究所がただでさえ日本人でも受け入れていないのに、海外に籍を置いている人間まで招待するというのは異常事態だ。それは自分にも言えた。
「この場に学生は本当に君一人。そしてWWSは世界中の天才たちが解明しようと躍起になって、でもまだ全容が見えないシステム。教授とかの大人ならともかく、君は本当に何者なのかね?」
「・・・それはこの後説明されると思います。」
「ふふっ、期待しているわ。さて、へんな探り合いはここまでにして、普通にお話しましょ。WWSの話題をするぐらいなら問題ないでしょ?」
「まあ、それぐらいなら。では、謝罪も込めて僕から。最近発表されたWWSを使ってのAI制御について、持論を。」
「めっちゃタイムリーだね。うちの国、ああアメリカのことね。技術力の向上でAIが台頭してきたのだけど制御が難しいという話だったけど、それがWWSで補えちゃうやつ。」
「はい。それなんですが・・・」
双方がWWSに対する知識が豊富なこともあって、話題が尽きることはなかった。時間を忘れてしまったがおおよそ三十分ほど話し込んでしまっていたはずだ。その間、背後の扉からは何人もの大人が入ってきていた。皆が研究者・学者といったような人たちばかりで政府の人間が来ることはなかった。警察官が入ってきたときは、会場にいた人たちの何人かは体を震わせていたが。
未来さんとの会話の中で今回集められた面々を見回す。どの人をとってもWWS関連の研究・事業のトップにいる人たち。WWSに関わっていないくとも、日本の産業界に貢献してきた科学者たちばかりだった。
WWSに関する重大な事態。一日たりとも時間が惜しいこと。そして、いまだ姿を見せないWWSの開発者。
「どうしたの、伊予島君。」
「自分たちはこれから何を説明されるのだろうかって、ちょっと気になってきました。」
「まあ、確かに気になるわよね。これじゃあまるで、一昔前にあった第二のWWSを作ろう計画みたいだわ。」
「それって。」
「うちのところで実際にあったのよ、アメリカ中の科学者・技術者を集めて作ろうとしたのが。結果はご存じの通り。作ることはできたが、本物に及ばないから誰も使わない。それで凍結されちゃってた。」
「私には今回の件はそれに見えるのよね。でも、日本なら彼女がいるじゃない。だから問題ないんじゃないかなって思っているわ。」
「・・・僕たちはいりますか?」
「うっ、痛いところつくわね。確かに彼女だけでなんとかできそうだけど。人手が足りないとかもあるじゃない。WWSの最大の問題は、彼女以外が理解できない点なのだから。」
改めて、集められた面々を見回す。それから、自分の手を見つめる。祐一の中で不安は大きくなってきていた。彼女の身に何かがあったのではないかと。彼女が動けないから、自分たちが何とかしなければいけなくなったのではないかと。
もう会えないと思っていたところに、千載一遇の機会をもらえた。それなのに、二度と会えないのはもう御免だった。
祐一は席を立ち、彼女を探し行こうとした時、会議室の前側の扉が開かれた。