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祐一の通っている大学は都内にある大学の中で特段に最先端技術を研究・取り扱っている大学である。大学内の広い敷地には、OBがどこからか仕入れてきたのかあらゆる分野の機器が置いてあり、構内の一角は一種の博物館と化しているところもあるとか。
今、祐一の目の前で繰り広げられているスクリーンだらけの空間もそうだ。まさに最新技術の塊である「WWS」を活用したものである。
「諸君らは、世界が一瞬で変わる瞬間というものを知っているだろうか。私は知っている。五年前、ワールドワイドシステム、通称WWSが世に出た瞬間だ。」
一枚の写真と新聞記事が大見出しで掲載されている新聞記事が表示される。
「WWSは、AR技術とVR技術の良いところが合わさったそれはもう夢のようなネットワークシステムだ。基本としてはAR技術(拡張現実)を発展させたものだが、VR技術も組み込まれており、仮想世界と現実世界を同じテクスチャに張り付けているといえよう。」
WWSを使用した様々な場面がスクリーンに映し出される。皆々が今では当たり前となった光景が、世紀の発見をしたかのように各ニュースで連日報道された当時の情景がありありと浮かんでくる。
あらゆる情報が目に見えるデータと化していた。データは重さを持たず、距離をものともしない。しかし、そこに確かに存在していた。他人の動かす物体・アバターを現実世界上で視認でき、意思疎通までしているニュース映像は水族館の魚と触れ合っているかのようにも見える。
「WWSを搭載した1台の標準的な装置があるだけで、関連する周囲百メートル以内の機器は、そのWWSの管理下に置かれる。その中では、あらゆる情報が目に見えるデータとなる。データは重さを持たず、距離をものともしない。端から端まで一瞬で大質量を送れる。まさに夢のようなマシン。」
「それを統括するのはたった一台の巨大な演算装置。今の全世界の技術力を足しても、果たして同じものが作れるかどうか。そんな装置によってWWSの全ては管理されている。」
学生たちの前に巨大な演算装置が地面から生えてくる。それはホログラムだったが、実物よりもスケールダウンしているそれでも威容さは衰えていない。
「通常、何の予告もPRもない製品が世に出たところで、多くが半年と立たず社会の荒波に消えていくだけだ。しかしこのWWSは違った。いったいいつ整備されたのだろうな。WWSが世に出ると同時に、日本全国がWWSを使える環境に最適化されたのだ。それなしでは生きていけないかのように。」
教授がスクリーンの一枚に映った日本地図を広げる。そこにはWWSが最初に使われたときの時点を示すものだった。
全国各地、点が存在しない地域を探すほうが難しい。
「各市町村・各分野のトップ企業・軍隊。何れもが同時にWWSを使い始め、一月足らずで日本は、WWSに支配された。日本全国がWWSを使える環境にいつのまにか最適化されていた。それはどうやってだと思う。今日初めて講義に来た、そこの男。」
教授が一人の人間を指さす。当てられるとは思ってなかった学生はしどろもどろしながら答える。
「ええっと、WWSは持ち運びできる機器だから、あらかじめ設置しておいて、お披露目と同時にバーンですかね。」
「全部同時に運んでいたらバレバレだろうが。だれかが気づくはずだ。次。」
教授は次々と指名していくが、誰も正解が出ない。いよいよ差された人間が何も答えられなくなり、講義がすすまなくなるのでは?ってところで、一人の人間に目を合わせた。目線の先は自分だ。
「はあ、どいつもこいつも理解が足りないな。伊予島、お前が答えろ。」
「む、なぜ僕です? ほかの人は答えられないのに。」
「この大学でお前以上にWWSについて知ってる奴はいないだろう・・・言ってみろ。」
「それも、そうですか。・・・答えは、WWSはすでに一度使われていたからです。」
「正解だ。成績に+1しておいてやる。」
「どうも。」
さきほど当てられた生徒が横から憤慨してきた。
「私もさっき各地で実験で使われたと言ったじゃないですか!!」
「鶏が先か卵が先か、だ。その時点で小型化されたものはないし、WWSそのものの正式な起動試験はおこなわれてなかった。」
「だが、伊予島の言った通り、WWSは発表前に一度起動して全世界と繋がったことがある。日本だけではないぞ。世間一般には、一瞬の電波障害としか処理されていないから、知らないだろうがな。」
教授はスクリーン群の端から一枚の記事を引っ張ってきた。そこには全世界で同時に電波障害が起きたときの記事だ。
「お偉いさんたちは、日本の中のどこかで全世界のシステムに影響を及ぼす何かが起こったことを重く見ていたはずだ。世界中の国家も大慌てで日本にスパイを送り込んでいたとかの噂もあったな。」
記事の日付は6月の末、裕一にとって忘れられない日だった。あの日は確かに電波障害が起きていた。そして、もう一つの事件も。
「WWSが影響を及ぼさない電子機器を探した方が早いだろうな。WWSはとんでもない原理でうごいている感じなのだから、一度電子機器がWWSと繋がりを持ったのならもう一度起動した時すぐに使えるようにもなるのも道理だろう。」
「そして、政府の連中はそのWWSの雛形をひそかに回収して、日本国内だけしか影響がないようにした。当然、これには海外の政府機関がお怒りだ。とんでもない超技術を日本一国で独占というのが気に食わないのだったろう。日本政府側は想定通りだったのか、以後の交渉を有利に進めてったがな。あれは最初から開発者が計画そのものに噛んでいなければ実現できないだろう」
「先生、話それてません? 政治とか陰謀論は興味ないんですが。」
「馬鹿野郎。科学技術はいつの世も関係してんだよ。金がなきゃ何もできん。事実として、WWSなんてものは登場するまでどこにもヒントなんてなかったが出てきたのはとんでもない代物だった。開発初期の段階から政府は有用性に目をつけて全面的に支援して隠していたんだ。」
「ぶっちゃけすぎ。。。」
「まだこれは始まりにすぎないぞ。WWSがあっという間に世界に普及して1年で既存の製品でWWSに置き換えられるものは何でも置き換え終わったぐらいだろう。各国の連中は気づいたのだ。自分たちでも作れないかと。」
スクリーンに映し出されていたWWSの登場初期のニュース・記事・映像が移り変わる。映し出されたものは統計グラフとか開発計画として作られたであろう設計図がたくさん出てきた。
「そこからさらに一年ほど、各国。特に東側の国たちは試行錯誤していったが結局WWSと同等なものは作れず、著しく劣化したものしか残らなかった。では、われらが日本はどうだろう。世界にリードを執っている我が国は群雄割拠の時代になっただろうか。否。今日に至るまでWWSの一強は変わっていない。」
「なぜだかわかるだろう、伊予島。」
「・・・WWSそのものが理解不能なプログラム・機構構造で固められていたからです。一人の天才にしか理解できないプログラム。どんな原理で動いているかわからない装置。日本の科学者たちはそのおこぼれを享受してなんとか形にしていただけにすぎないからです。」
「なかなかいうな。だが事実だ。私は歴史という観点からこのプログラム部分を見てみた。たしかにベースは既存のプログラム言語体系だがあらゆるものがオリジナルなうえ独自の解釈をしていて、別の言語体系を新たに構築していると言っても良い。それをあの天才はこちらに教える気はさらさらないようだ。」
あるインタビュー記事に掲載された研究者たちの集いの中から一人の女性がアップで移される。まだ幼い面影を残しているその女性こそ、WWSの開発者だった。
「それからの三年は日本も世界もひたすら解析の連続。今やあらゆる科学の賞はいかにWWSを解析しそれを実用できたかしか評価されてない。」
「ではここで問題だ。WWSが表にでてから今日まで様々な分野で応用されている。その革新的な技術は類を見ないだろう。どこだって使いたくなるだろう。だがそれだけで政府が、軍が、企業が、こぞって導入したくなるか? 革新的なその内容以外の理由を分かる奴はいるか?」
「はい。」
今まであてられていなかった学生が手を挙げてくれたので、教授はそちらを指名する。
「おまえは最初からでてくれている学生だな。答えはなんだ?」
「お金です。WWSはそのシステムに注目されがちですが、WWSを動かすための膨大な電力消費を支えているのは未知のエネルギーとそのエネルギーを発電する施設のおかげです。」
「誰だって、無限とも思えるエネルギーがあって、それが価格高騰とか環境汚染を気にせず使えるものがあるなら使いたくなるに決まっています。」
「良く学んできたな。正解だ。」
教授は生徒たち全員を見回してからスクリーンを操作しWWSの本体がある研究施設の場所と、WWSを使うために必要な電力量と日本の電力使用量をざっとグラフで表示した。
「左がWWSの研究が行われている施設と思われているところだ。本体もここにあるはずだ。まあ、各国が狙っているものを公式で出しているのは怪しいうえ、WWS本体の正しい写真は出回っていない。さきほどのものは、過去に政府が公表した試作機だ。それだけ厳戒ということだ。」
「で、右がWWSの予想電力使用量と日本の電力使用量の年別ごとのグラフだ。WWSが登場したタイミングでその分だけぐっと下がっている。つまり、WWSが使用している電気は自前で賄っている、なおかつ各分野がWWSを使うようになればその分だけ、日本の電力使用量は下がるって寸法だ。」
スクリーンが切り替わり、各分野でWWSを取り入れた新製品が羅列される映像になった。そこには、工場にてWWSによる管理のもと効率良く作られる機械部品だったり、空中に浮かぶスクリーンを活用した飲食店のオ一ダ一システム、どこかの会社のセキュリティシステム、仮想空間を老若男女問わずの遊び場に変えるゲーム製品。
「改めて言うがWWSは現実の仮想空間上に構築されたネットワークだ。利用料金はかかるが、それを遥かに上回るWWSを使うようになった分のサ一バ一代と電力代を他に回せる。日本の電力問題、環境問題を解決できる。一石二鳥とはこのことだ。これは、日本以外にも当てはまる。」
スクリーンは続いて、世界の電力事情のグラフに切り替わる。WWSが登場したタイミングでわずかながら下がっている。
「わずか数%と侮っていないだろうな。日本のたった1施設だけで世界全体に影響を与えていることの重大さを。先ほどWWSの電力使用量を予想としたのもこれがあってだ。これほど革新的なエネルギー発電量の源はなにか。私は気になってここ数年はまったく眠れていないよ。」
再びスクリーンは一人の天才へと切り替わる。
「天才の頭の中をすべて理解したいとは言わないが、それでもそのすべてを科学の発展のために公開してほしいとは常々思っているのだが、政府はなかなか頑固でね。いまだにブラックボックスのままだ。」
「・・・。」
祐一はスクリーンに映し出された一人の少女を見つめていた。
教授の熱弁に対しては、近いようで遠いような感覚で聞いていた。画期的なシステム。革新的なエネルギー。それは誰もが納得するものだった。だれもが憧れる夢のような話だった。一個人がどうこうできるレベルではない、国家をあげて実現できるかどうかのレベルのものをたった一人の人間が創り上げてしまった。
だからこそ、祐一は自身の経験と教授の講義の内容の乖離に違和感を感じてしまった。
「・・・理解できないことはないさ。。。」
隣にいる友人にすら聞こえないつぶやきは、後悔か未練か。祐一自身すらわからない。
「科学史における功績はまだまだある。他だとWWSを受けて理系の・・・っと。」
教授の説明が区切りよく変わったところで、終了のチャイムが鳴り響く。
五年分の歴史の概要をざっと説明するだけで90分という時間はあっという間に過ぎていった。
「ちっ、時間か。まだまだ説明し足りないが、今日はここで終わりだ。残念だな。次回は、期末テストに向けての復習だ。忘れずにこい。以上、解散だ。」
本日の講義は終わった。いつもより大勢の学生をかき分けながら講義室を出る。胸の中にある違和感はすぐには消えなかった。