悪役令嬢の取り巻きな私
「うーん。完全に迷ってしまったわ」
初めて招待された王宮で、初めて見るような植物や建物が珍しくて観察しているうちに、すっかり迷ってしまった。
私はまだ子供だから侵入者扱いはされないだろうけれど、誰もいない初めての場所は怖い。
遠くの方でお茶会のざわめきが聞こえてくるのに、その方向になかなかたどり着けない。
どうやら声が風に流されているようで、さっきと聞こえてくる方向が違っていた。
「すみませーん! 誰かいませんか!? 迷いましたー!」
もう恥ずかしいとか言っていられないので、大きな声で叫んでみる。
きっと王宮の警備の人とか、そういう人が少なくともいるはずだ。
「はーい。君は今日のお茶会に招待されてきた子?」
意外な事に、私の叫びに答えてくれたのは、私と同じくらいの年齢の、まだ7~8歳くらいの小さな男の子だった。
勝ち気な表情で、珍しい黒髪が、なんだか特別な感じで格好よかった。
今日の主役の王子様もちょうどこのくらいの年齢だから、同年代の子どもが集められているのだろう。
かくいう私も、年齢のわりに賢いという理由で、王子の話し相手にと呼ばれて、ここにいる。
「そうなの。私が「リハツ」だから、第一王子の話し相手に良いだろうって。だけどその王子様は、お茶会をサボっていて、まだ会えていないのだけど」
「……へえ、そうなんだ」
「なんでも、次々紹介される子どもに会うのが嫌になっちゃって、逃げ回っているんですって。でも少し気持ちわかるわよね。知らない子と急に会わされて、さあ仲良くしなさいなんていわれても、困るもの。自分の友達くらい、自分が一緒にいて、好きな相手がいいわよ」
「うん。そうなんだ」
「今日は色んな子がいっぱい来ているから、王子様もお茶会にきてみたらいいのに。それで自分が一緒にいたいと思う子を、見つければいいのだわ」
「そうするよ。……君は何ていう名前なの?」
「私はベアトリス。ガルトナー伯爵家の一人娘よ」
「ベアトリスって言うんだね。幸せを運ぶ名前だ」
自分の名前のことをそんな風に素敵に褒めてくれて、私は舞い上がるほど嬉しかった。
その男の子は、手を繋いで、お茶会の会場まで親切に案内してくれた。
だけど途中で見た事がない建物や美術品、動植物を見るたびに立ち止まって、あれは何、これは何という私に付きあって、全部説明してくれながらだったので、会場に着くころにはもう既に、お茶会は終わりかけだったけれど。
それが私の、小さい頃の忘れられない思い出。
*****
そして私、ベアトリス・ガルトナー伯爵令嬢がエディット・アーノン侯爵令嬢と親友になったのは、9歳の時、一緒に王宮に招かれて行儀作法や勉強を教わるようになったことが始まりだった。
「なぜ私が王宮に通わなければならないのですか? お父様」
「ああ。エディット・アーノン侯爵令嬢のことは知っているな?ベアトリス」
「はい、もちろんです」
「彼女がユリウス王子の婚約者になるだろうと言われているのだけどね。とても優秀な方だけれど、少し気弱なところもあるそうだ。そこで年齢の割にしっかりしていて成績優秀な君が、エディット嬢と一緒に王宮に招かれて、婚約者……将来の王妃として必要な教養を、一緒に学べることになったんだ。君は我がガルトナー伯爵家の誇りだよベアトリス。父親として、これほど嬉しいことはない。エディット嬢をしっかりと補佐するんだよ」
「ありがとうございます! お父様」
つまり私は、王宮に通って王妃教育を受けるエディット・アーノン侯爵令嬢と一緒に勉強をして、フォローして補佐する役割を仰せつかったということだろう。
将来の王妃の学友となれば、出世と栄誉は約束されているも同然だ。
そして私の出身家であるガルトナー伯爵家も、ユリウス王子の代までは安泰ということだ。
「光栄です。そのお役目、見事果たしてご覧にいれます」
「うん。期待しているよ、ベアトリス」
そうして9歳の私は、王宮に招かれ、エディット嬢と引き合わされた。
何度かお茶会でお見掛けしたことはあるけれど、今まで雲の上の存在のお姫様だと思っていたので、ゆっくりお話をしたのはその時が初めてだった。
噂に聞いていた通り、エディットは正義感が強くて優秀で、少しお話しただけで、私たちはすぐに仲良くなった。
王宮に通いながら、マナーや教養を身に着ける日々。
学ばなければならないことの量は膨大だったけれど、エディットと一緒なら楽しくて、辛い事など一つもなかった。
私たちは毎日一緒に過ごして、王宮以外でも、いつも一緒にいるようになった。
月に1、2回はユリウス王子やそのご友人達と交流機会もあったし、年に2、3回は王様や王妃様に拝謁することもあった。
私はエディットのオマケだったけど、王宮に通う生活は得難い経験がいっぱいだった。
一緒に学んでいる普段のエディットは、勉強もマナーも詩も音楽も、全て完璧だったけれど、王様に挨拶をしたり、ピアノを大勢の前で披露する時など、彼女は緊張して震えてしまって、実力を発揮できないようだった。
落ち込むエディットを抱きしめて励ますのは、いつも親友である私の役目だ。
「またやってしまったわ、ベアトリス。私はいつも肝心なところで失敗してしまうの」
「落ち込まないで、エディット。誰だって王様の前では緊張するわ」
「でもベアトリスは緊張しないじゃない」
「私は生まれてから一度も緊張したことがない、特異体質ですから。一緒にしてはいけないわ」
「まあ、羨ましい」
ある日のちょっとしたお茶会で、大人たちがエディットにピアノを弾いてみせろと言ってきた。
エディットのアーノン侯爵家とは派閥の違う貴族たちで、彼らはエディットが失敗することを期待して、いきなり無茶な要望をすることがあるのだ。
ちなみに私も無茶ぶりされて演奏したことはあるけれど、そういう時は逆に燃えてしまう性質なので、今までで最高の出来という演奏をして、大好評を博してしまった。
それ以来、ほとんどお声はかからなくなった。
また新しい曲を習得したので、是非お茶会で皆様に披露したいのに。
「ねえ、エディット。ではもし次に、誰かにいきなりピアノを演奏するように言われた時のために、二人で弾けるように日ごろから連弾の練習をしておかない? 二人でなら、きっと楽しく弾くことができると思うの」
「まあ、いいの? 私、ベアトリスと一緒なら、きっと緊張しないで弾けると思うわ」
「では決まりね!」
それから数か月後、また王様やお妃さまが参加なされる大きなお茶会で、エディットの運命が変わる事件が起きてしまった。
また緊張してしまったエディットを落ち着かせるため、少し人気のない建物の裏に回り込んだのがいけなかった。
同年代の子ども達が、一人の少年を取り囲んで、なにやら揉めていたのだ。
「おいお前! なんでお前なんかがこのお茶会に参加しているんだ。目障りだ」
「そうだそうだ! 男のくせにそんなヒョロヒョロで恥ずかしくないのか? そんな腕じゃ、剣も持てないだろう」
取り囲んでいるいじめっ子たちは、ある意味見慣れた顔だった。
いつもエディットに絡んでくる、アーノン侯爵家と反対派閥の貴族の子ども達だ。
中には侯爵令息もいるので、大人もおいそれと注意できない。
それをいいことに、彼らはやりたい放題だ。
たまにしか会わないけれど、私も彼らが苦手だった。
ちなみに我がガルトナー伯爵家は、中立派なので、直接絡まれることはほとんどない。
エディットといつも一緒にいるので少しは絡まれたけれど、何度か撃退しているうちにそれもなくなった。
その日彼らに取り囲まれていたのは、私が見た事のない少年だった。
その少年は、可憐という言葉がぴったりの、まるで妖精のような見た目の子だった。
肌の色が白くて、これまた色素の薄い髪はサラサラで、肩の下まで伸ばしたものを、横に垂らして結んでいるのが可愛らしい。
顔が小さいのに、目が大きいので、まるでキラキラと輝いているように見える。
男の子の服装をしていなければ、深窓のご令嬢と間違えたことだろう。
「恥ずかしくないよ。僕は剣を振り回すよりも、絵を描く方が好きなんだ。剣なんて振り回したら、腕が痛んで、その日筆が持てなくなる」
「なんだと! たかが子爵家の分際で、俺に逆らうのか!」
「そうだそうだ! 生意気だぞ!」
子ども達は、徐々に興奮していっているようで、妖精のような少年に対して、体を押したり、小突いたりしている。
――どうしよう。あの子達、どんどんエスカレートしていっている。今から大人を呼びに行く? 間に合うかしら。
意地悪な子ども達は、私よりも皆爵位が上の子達だ。
私には彼らを止める力はない。そんなことをしては、ガルトナー家が潰れてしまう。
エディットの侯爵家なら負けないだろうけど、か弱いエディットが彼らに勝てるはずもない。
「エディット。大人を呼んできましょう」
一瞬でそう考えて、エディットに呼びかけるも、エディットは予想外の行動にでた。
なんとズンズンと、子ども達の方へ向かって歩き出したのだ。
「あ、あなたたち! 大勢で一人を取り囲んで、そんな言い方はないと思うわ! 卑怯です」
「うわ、この女怖えぇー。物語に出てくるイジワルな女みたい」
「俺知ってる。こういう女のこと、悪役令嬢っていうんだぜ」
「本当ね。髪型とかそっくり。悪役令嬢だー」
「わー、悪役令嬢―」
確かにキラキラと輝く派手な髪のエディットは、見た目は怖そうに見えることもあるけれど、彼らはエディットが気弱で、言い返さないことを分かっていて、そんなことをはやし立てているのだ。
エディットが細かく震えていることが、近くにいる私には分かった。
悔しさに、こぶしを握りしめる。自分に何もできないことが、歯がゆかった。
「エディット。いきましょう」
とにかく誰か信頼できる大人のところへ。そう考えていた時だった。
「悪役令嬢……」
エディットが、静かにそうつぶやいた。
何かショックを受けているようで、その表情は半ば呆然としているようだった。
急に悪役令嬢などと呼ばれては、そうなってしまうのも無理もないと思った。
悪役令嬢というのは、今貴族の間で大流行の恋愛小説に出てくる悪役の女の子、エリザベスの呼び名だ。
挿絵でみるその女の子は、エディットと同じ煌びやかな髪を持ち、美人で華やかで、堂々としていて、悪役なのに憧れている子も多かった。
私たちも何度も読んで、その小説の感想を言い合っていた。
その悪役令嬢のエリザベスは、髪が似ているだけでなく、なんとエディットと同じ侯爵令嬢だ。
いつも主人公と張り合ってきて、つらく当たるライバル。
だけど曲がったことは大嫌いで、いつも真正面からぶつかってくる。
そしていじめなどを見過ごせない一面もある。
複数の子ども達が、1人の子を取り囲んでいるのを見かけた悪役令嬢が、彼らを追っ払った時のセリフなどは爽快だった。
「お黙りなさい! 私を誰だと思っているの! 侯爵令嬢よ!」
「…………え。ちょっと……エディット」
一瞬聞き間違いかと思った。小説のことを考えすぎたせいで、そのセリフは私の妄想の声が実際に聞こえたように勘違いしたと思ったのだ。
だけど本当に声が聞こえたような気がして隣を見たら、そこには震えが止まって、堂々と背筋を伸ばした迫力あるエディットがいて、また口を開くところだった。
「私の目の前で、弱い者いじめなどしないでちょうだい。目障りなの。お父様に言いつけるわよ」
「はあ? なに言って……」
「い、いじめなんか……」
「おい、もう行こうぜ。なんかこえーし」
エディットの豹変ぶりに、いじめっ子たちは驚いたようで、たじたじになって逃げて行った。
小説に出てくる、いじめっ子たちそのものだ。
「……エディット?」
「…………」
「おーい」
「……ああああ! どうしましょうベアトリス。やってしまったわ。私のこと、嫌いにならない?」
「え、ええ。すごいじゃない、エディット。嫌いになんて、なるわけがないわ」
少し驚いたけれど、それほど酷い言葉を言ったわけでもないし、堂々としていて、格好良くて爽快だった。
なによりエディットは少年を助けるために頑張ったのだ。
嫌いになど、なるはずがない。
「今までよりも、あなたのこと好きになったくらいよ」
「ありがとう。悪役令嬢エリザベスのセリフを思い出して、こんな感じだったかなと思って真似したら、スラスラと言いたいことが言えたの。……ちょっと、言い過ぎたかしら」
「あのくらい、あいつらのいつも言っていたことに比べたら大したことないわ」
「そうね。でも怖かったー。見て、今更手が震えてきた」
「まあ、本当」
「あの、ありがとうございました」
エディットと2人で興奮して話していると、誰かが不意に話し掛けてきた。
――あ、妖精のように可憐な少年。いたのを忘れかけていたわ。
「どういたしまして。大したことはできませんでしたが」
「いいえ、とんでもないです。あなたのような素敵な女性に庇われるなんて、僕は自分が情けないです。でも彼らを追い払った時のあなたは、とても美しかった。お名前をうかがってもよろしいでしょうか」
妖精のように儚いと思っていた少年は、見た目とは違ってハキハキと受け答えをして、とても意志が強そうだった。
そういえば、いじめっ子たちにも、自分でなにか言い返していたようだし。
少年は、エディットのことを熱心に見つめている。
まるで他のなにも目に入っていないかのように。
「えっと……あの……私はエディット。エディット・アーノンと申します」
少年に見つめられたエディットは、その頬を真っ赤に染めていた。
無理もない。妖精のように美しい少年から、これほど熱心に見つめられたら、誰だってこうなるだろう。
「エディット・アーノン嬢ですね。僕はシャルル・メニッヒと申します。メニッヒ子爵家の次男です。絵を描くのが得意で、それをユリウス王子に気に入っていただけて、本日お茶会に招いていただきました。これから王宮で、ユリウス王子と一緒に勉強をさせていただくことになっております。エディット様……また、お会いできますか?」
「え、ええ。ユリウス王子のご友人方とは、月に何度かお会いする機会がありますので」
「これから僕は、あなたにお会いできるのを楽しみに生きていきます」
「そ、そんな……」
真っ赤になって俯くエディット。
――え、ちょっと待って。これ……いいの!? エディットって、ユリウス王子の婚約者候補なんじゃないの!?
私の心の声をよそに、初々しい10歳の2人は、真っ赤になってお互いを見つめ合い続けていたのだった。
*****
それから5年後。
エディットと私は、相変わらず王宮へ通って一緒に勉強をしていた。
シャルルと出会ったあの日以来、彼が言った通り、ユリウス王子やそのご友人との交流会で、よく顔を合わすようになった。
シャルルは絵がとても上手で、花や、木や、空や、建物、動物そして人物と何でも描けて、天才と呼ばれていた。
貴族達から正式に依頼されて描くこともあるほどだという。
ユリウス王子やご友人達を描くこともあったし、私も何度か描いてもらったけれど、シャルルが実は一番多く描いているのがエディットであることは、私だけが知っていた。
5年経って成長しても、シャルルは相変わらず妖精のように美しかった。
誰もがシャルルを見かけたら振り返り、ため息をつくほどだ。
そんな彼から、献身的に絵や花を贈られ続けたエディットが、恋に落ちずにいられるだろうか。
態度に出さないように頑張っているようだけれど、ふとした瞬間、熱心にシャルルを見つめてしまうのは、止めようがないようだった。
変わったことが一つ。
エディットは緊張して何かを失敗することがほとんどなくなった。
あれ以来、エディットは何か勇気がいる時や、大事なことがある度に、悪役令嬢エリザベスの真似をするようになった。
そうするとピアノの演奏や、王様お妃さまへの挨拶など、惚れ惚れするぐらい凛として、堂々とできるのだそうだ。
それはいいのだけど……その方法では、少し悪役っぽい言葉遣いになってしまうところが難点だった。
反対派閥の貴族たちは、裏でエディットのことを「悪役令嬢」だなどと触れ回っていた。
やってもいないイジワルをやったことにされたりすることもあった。
そしてエディットの言動を見て、「本当に悪役令嬢みたい」と信じてしまう人もいるようだった。
ちなみに私は「取り巻き」なのだそうだ。
一度だけ、悪役令嬢の真似は止めたほうがいいのではないかと言ってみたことがあったけど、エディットは意外に気にしていない様子だった。
「裏でなんて言われても良い。どうせ私が言い返さなくても、以前から悪い噂は流されていたわ。それよりも、ちょっと言葉はきついけれど、私が言いたいことをハッキリと言えるようになったのだもの。私、気に入っているのよ、悪役令嬢である自分のことを」
「……そうね。実は私も、そんなエディットのことが結構好き。私も取り巻きで結構よ!」
「ありがとう、ベアトリス」
今日もユリウス王子とのお茶会で、シャルルはエディットに熱心に話しかけていた。
できるだけ人前でシャルルと話さないように気を付けているエディットだったけど、今日は根負けして、一緒にいることにしたようだ。
椅子に座るエディットを、シャルルが木炭でスケッチしている。
エディットは、真剣に絵を描くシャルルのことを、眩しそうに見つめていた。
お互いを見つめ合って、微笑む2人。
今では何事も失敗することなく、頼もしくなってきたエディットが、悪役令嬢の演技などしないで、ただ一人の少女として、愛おしい人を見つめている。
そしてシャルルもエディットのことを。
そんな2人の姿は、とっても……。
「可愛いなー」
――私、声に出して言いましたっけ?
「ユ、ユリウス様。あの、可愛いって、何が」
「ああ。あの2人だよ。可愛いよね」
「そうでしょうか」
この国の第一王子であるユリウス様。
私たちと同じ年齢で、今15歳。
サラリとした黒髪が素敵な、文武両道の国民自慢の王子様。
精悍な表情の、その目には知性の煌めきが宿っている。
……一体どんな態度を取ればいいのか、分からない。
親友としてはエディットの恋を応援したいけれど、ユリウス王子のことを考えると、胸が痛む。
5年以上も前から婚約者候補として王宮に出入りしている相手が、他の男性に恋をしているなんて。
私だったらその立場になった時、一体どんな気持ちなのだろう。
――でも……やっぱりユリウス様、エディットのことが好きなのね。
優しい瞳でエディットを見つめるユリウス王子。
『可愛いよね』
その言葉を思い出して、気分が落ち込んでしまう。
確かにエディットは最近、本当に眩しいほどにキラキラと輝いている。
恋する少女は無敵なのだ。
では私はといえば――私はずっとユリウス王子が好きだった。
好きだなんて、おこがましい。
憧れ。そう、これは憧れ。ユリウス王子に憧れている女の子なんて、この国に掃いて捨てるほどいる。ただその一人というだけ。
だから私はユリウス王子が傷つくところを、見たくなかった。
実は私は、エディットの補佐として王宮に呼ばれる前から、ユリウス王子に憧れていた。
ユリウス王子の同年代の子どもだったし、よく喋るからとか、しっかりしているからとかそういう理由で招待していただいたお茶会で、初めて会った、まだ7歳か8歳か、そんな年の頃から。
初めての場所で、勝手が分からなくて。
だからその辺にいた子を捕まえて、色んな事を質問した。
私に捕まった子は、私が何を聞いても面倒くさがらずに、一生懸命になんでも答えてくれた。
手を繋いで、優しく色んな場所を案内してくれた。
「ベアトリスって言うんだね。幸せを運ぶ名前だ」
そういってくれた笑顔が忘れられなくて。
まさかそれが、王子様だったなんて。さすがに誰相手でも緊張したことがなかった私でも、後日知った時は、それは驚いたものだった。
「お二人で何をお話しているの?」
シャルルのスケッチが終わったらしいエディットが、私たちのところへとやってきた。
「特になにも。のんびりしていただけよ」
そんなたわいもない、何の変哲もない会話を交わしていた時だった。
ユリウス王子から、信じられない発言が飛び出したのは。
「あ、そうだ。エディット、君を婚約者候補から外すことにするよ。今まで長い間ご苦労様。ありがとう」
「もったいないお言葉です」
「え! 突然なにを言っているのですか、ユリウス王子! 一体どうして」
突然の話題転換に、一体何が起こっているのか、ついていけない。
この二人は、今何を話しているのだろう。
いきなりの重大発言にも関わらず、エディットは焦ることもなく、落ち着いて返事をしていた。
「なぜですかユリウス王子。なぜエディットが……そんな。なにか悪いところでもありましたか」
「まさか。エディットに悪いところなんてあるわけがない。これまでとてもお世話になったと感謝している。……他に俺の婚約者になって欲しい女性がいるんだ。だからエディットをこれ以上、婚約者候補として縛り付けておくことはできない」
「ありがとうございます」
まるで打ち合わせしていたかのようにユリウス王子とエディットのやり取りはスムーズで、私は口を挟むことすらできなかった。
*****
「悪役令嬢の奴、ついにユリウス王子の婚約者候補を外されたんだってな」
「無理もない。あんなに評判の悪い女、ユリウス王子に相応しくないからな。必死に周囲の女をイジメてユリウス王子の婚約者候補にしがみついていたっていうのに、無様だな」
「言えてる」
エディットがユリウス王子の婚約者候補から外れたことは、誰が発表したわけでもないのに、あっという間に社交界中に広まっていた。
先日の話を、誰かに聞かれていたのか。
それともエディットが王宮に行かなくなったことは、王宮勤めの者なら誰でも知る事ができたから、その理由が広まるのも早かったのか。
私はといえば、補佐する相手がいなくなったにも関わらず、まだ無意味に王宮に通う日々を送っているのだけど。
……多分、次の婚約者候補の女性が決まったら、またその女性を補佐する役割を賜るのだろう。
――エディット以外の女性がユリウス王子の婚約者になることを、応援できる気はしない。
また今日も、同年代の者達が集まっての交流会的なお茶会が開催されていた。
貴族にとって、社交はとても大事なことなのだ。
婚約者候補から外れたけれど、エディットも招待されている。
先ほどから、わざわざ聞こえるように、耳を塞ぎたくなるほど心無い言葉が聞こえてくる。
中でも特に酷いのは、パスカル・ギレム侯爵令息だ。
前王の弟の孫にあたる。
ギレム侯爵家はアーノン侯爵家の反対派閥の筆頭だ。
その嫡男であるパスカルには妹がいて、ギレム家ではその妹をユリウス王子と結婚させようと、躍起になっているのだ。
パスカルは昔からエディットに対して当たりが強かったけれど、シャルルに対してもよく絡んでいる。
エディットが悪役令嬢と呼ばれるきっかけとなった事件で、シャルルのことを取り囲んでいたいじめっ子の中にも、彼はいた。
シャルルが子爵家なのにもかかわらず、絵の才能を認められてユリウス王子と仲が良い事をひがんでいるのだ。
「ユリウス王子が優しいからって調子に乗ってさ。俺の妹なんて、どれだけあの女にイジメられたことか」
「パスカル! いくらなんでも酷すぎます! 大体エディットが悪役令嬢と言われているのだって、あなたが言い始めたことでしょう!?」
「うるせーな! 取り巻きは黙ってろ」
その時だった。
「お前に決闘を申し込む」
後ろから聞こえた声に驚いて振り向く。
そこには息をのむほど鋭い目をした、シャルルがいた。
綺麗な顔をしているだけに、睨むとその目は氷のように冷たく、思わず背筋に寒気が走る。
「はあ!? お前、シャルル? 今時決闘ってなんだよ。大体決闘って、何するんだ。お前、剣なんて持ったこともないだろう」
「剣でいい」
シャルルの発言に、私を含めた、周囲の全員が驚いている。
妖精のようにか弱い印象で、いつも筆以上に重い物などもったことないようなシャルルの決闘宣言。
周囲の人たちはまだ冗談だと思っているようだった。
――だけどシャルルは、そんな冗談を言うような人ではないわ。
もう5年間も、近くでエディットとシャルルのことを見ていたから分かる。
シャルルは見た目のか弱さとは裏腹に、とても意志が強くて、自分の発言に責任を持つ人だ。
普段絵筆しか持ったことがないように見えるのは、それが好きだから。
他の何をする時間よりも、絵を描くことが好きだから、描いている。ただそれだけ。
決して本当に弱い人なわけではない。
「いいだろうシャルル。決闘を許可する。ただし、昔行われていたような生死を賭けた決闘は禁止だ。まだ子供だしね。刃を潰した剣を使用して、胸当てを付けること。急所への攻撃はナシ。胸当てに攻撃を当てるか、相手が剣を取り落とすか、降参をした場合に勝ちとする」
「ユリウス様!?」
驚いたことにいつの間にか、すぐ近くにユリウス様がいた。
きっと騒ぎに気が付いて、様子を見にきたのだろう。
ユリウス様は笑っていなかった。
他の人たちのように、冗談だとか、無謀だとか、そんなことは全く考えていないようだ。
――ユリウス王子の考えていることが分からない。
シャルルはユリウス王子のお気に入りの友人ではないのか。
いつも絵ばかり描いているシャルルが、パスカルに剣で勝てるわけがない。
なのになぜ、シャルルは決闘なんて申し込むのか。ユリウス様は止めないのか、目的が分からなかった。
「はっ。何考えてんのか分かんないけど、こんなヒョロヒョロの女男に負けるわけないだろう。決闘を受けてやるよ。その代わり、俺が勝ったらお前は俺の子分だ。うちで小姓として働いてもらう!」
「いいだろう。ただし僕が勝ったら、お前にはエディット嬢に、正式に謝罪をしてもらう」
小姓とは、よくオジサン貴族とかが、見た目が良い若者を着飾って連れて回っているやつだ。
昔からパスカルって、妙にシャルルにつっかかっていると思っていたけれど、まさかあの態度で、シャルルの事を気に入っていたとでもいうのだろうか?
そこのところは、あまり掘り下げて考えない方が良い気がする。
「お、お控えなさいシャルル。ワタクシは守られるほど弱くなくてよ。あのような発言、相手にするまでもな……」
「エディット。大丈夫だから」
シャルルがパスカルの小姓になるかもしれないと聞いて、不安になったのだろう。
エディットが悪役令嬢モードで決闘を止めようとしたのを、シャルルが止めた。
そのままシャルルはエディットの手を取って、その目を見つめた。
「エディット。あなたに初めて会った日のことは忘れない。あなたは自分が震えながらも、気高く、美しく、僕を助けてくれた。……今度は僕に、あなたを守らせて欲しい」
どうやらシャルルは、5年前、エディットが悪役令嬢になった日、泣きそうになって震えていたことを気が付いていたらしい。
それなのに必死になって守ってくれた正義感が強い少女。
あの日から、シャルルがエディットのことしか見ていないのも、当然のことだったのだ。
*****
シャキーン!!
王宮の使っていない中庭に、関係者だけで移動して始まった決闘の決着は、すぐについた。
ほんの数回打ち合っただけで、剣が弾かれて飛んでいったのだ。
誰もいない無人の地面に、剣が転がる。
パスカルの剣が。
「はあ!? なんだよこれ! ズルだろ、無効だ。なんか剣に細工がしてあるのか!? そうじゃなきゃおかしいだろ! こんなこと。普段から絵しか描いていないヤツがなんで……」
起きた現実が信じられないのか、パスカルが、決闘の無効を申し立てている。
「いいよ、無効でも。剣を取り換えてまたやろう。なんなら僕の剣は、お前が選んでも良い」
シャルルはあっさりと、再試合を認めた。
「なっ」
「ほら、早く拾えよ。次の試合をやろう」
「ふ、ふざけんな! こんなズルする奴と、また試合なんてできるわけがないだろう!」
「待てパスカル。ここで去るなら、負けを認めているということになる。いいのか」
「ふん! 別に負けでもいいさ! こんなくだらない勝負やってられないからな!!」
パスカルは、絵に描いたような捨て台詞を吐いて、去って行った。
「そんなわけで、パスカルは負けを認めたようだ。後で正式にエディットに謝罪をするように、ギレム家に言っておく」
見届けていてくれたユリウス様が、そう言った。
ユリウス様は、シャルルが勝ったことに驚いていないようだった。
「え……あの、ユリウス様。今何が起きたのですか? シャルルはどうやって、パスカルに勝ったんでしょう。パスカルはなぜ再試合をしなかったんですか」
「どうやってもなにも、シャルルはただ単純に、剣の実力で勝っただけだよ。パスカルはそのことが分かったから、再試合を避けて、卑怯だ卑怯だと叫びながら帰っていったんだ。……いやー、見下げた奴だな。あいつの将来が心配だ」
「えっ、剣の実力で勝った? でもシャルルは、剣を持たない主義でしたよね。そんな事をしては、腕を痛めて、筆を持てなくなるからって……」
「鍛錬をしていたんだよ。5年間毎日ね。シャルルは5年前、何よりも好きな絵を描く事よりも、もっと大切な物ができたんだ。それを守るために、毎日練習してきた。……俺もちょっと協力して、俺の教育係の騎士に、一緒に教えてもらうように頼んだんだけどね」
「そんなことがあったんですね……」
あれほど絵を描くことが好きで、自分がどれだけ絡まれようが、気にもせずに絵を描くことを優先していたシャルルが、エディットの名誉のために、5年間毎日剣の稽古をしていたなんて。
「ほら、見てごらん。勝負に勝った騎士を、勝利の女神が労わってくれる」
ユリウス王子が指し示す方向を見てみると、必死になってシャルルが勝つように応援していたエディットの方へと、シャルルが歩いていくところだった。
そして片膝をついて、エディットを見上げる。
「エディット・アーノン様。ずっと貴女の事が好きでした。私と結婚していただけませんか」
それは一枚の絵のような光景だった。
エディットの見事な黄金の髪に、陽の光が反射して、キラキラと輝いている。
そしてそのエディットを見上げる、白銀の騎士。
エディットは大粒の綺麗な涙を流しながら「喜んで」と言った。
なんてステキな光景。
ユリウス王子も、2人が想いあっているのを、ずっと分かっていたんだ。
だから、エディットを婚約者候補から外したのだ。エディットのために。
本当に、感動的で、美しい友情と、愛情……。
――だけどあなたはこれからどうされるのですか?
ずっと好きだった婚約者候補の女の子が、ご友人のことを好きになって。
それを5年間、ずっと応援していたなんて。
そんなの悲しすぎる。
思わず目に涙が浮かぶ。
目いっぱいに水の膜が張っているので、落ちないように少しだけ上を向いたけれど、こらえきれずに一粒流れ出てしまった。
一粒流れたら、その跡を伝って次々と涙が溢れていってしまうので、今度は泣いていることがバレないように、下を向く。
「……ベアトリス。泣いているの?」
「……すみません」
エディットのことを、初めて少しズルいと思った。
出会ってからずっと、大好きで大切な親友だけれど。
こんなにもユリウス王子に想われて、優しくされているのに、迷いもなくシャルルの手を取って、全力で喜べる彼女のことが妬ましい。
親友の恋が実って嬉しい気持ちと、ユリウス王子の悲しみを考えて、胸の中がグチャグチャだった。
――羨ましい。私だったらいいのに。ユリウス王子の婚約者になるのが、私だったらよかったのに!
「ベアトリス。どうして泣いているの」
「言えません。考えていることがあまりに醜くて。言ったらユリウス様に嫌われてしまうから」
「俺がベアトリスのことを嫌うなんて、あり得ないと思うけどな。……だから話してみてよ。話したら楽になるかもよ?」
そう言われて、もうイイやと投げ槍な気持ちになってきた。
どうせ何をしたって、この想いは叶わないのだから。
「エディットが婚約者候補から外れて、ユリウス王子は……あなたはこれからどうなさるのですか」
「どうするって……好きな子を口説くことにするよ」
そんな優しい――エディットへの、優しいウソは、もう聞きたくなかった。
「今からですか? そのお相手の方は、今から王妃教育を、一から受けるとでも?」
「今から一からではないよ。王宮に通ってお妃教育を受けていたのは、エディット一人ではないからね」
一瞬、秘密裏に王妃教育を受けているご令嬢がいたのかと思いかけたけれど、王宮に通っているとなれば、噂にならないはずがない。
「そんな人いません」
「いるよ」
「どこにですか」
「ここに」
ここにと言いながら、ユリウス王子が私のことを指さす。
後ろに誰かいるのかと、振り向くけれど、そこには誰もいなかった。
「誰もいませんけれど」
「えー、ちょっと待って。……どういうことなんだこれ。ベアトリス、誰に何と言われて今まで王宮に通っていたの?」
「お父様に。確か『エディット嬢がユリウス王子の婚約者になるだろうと言われているけど、少し気弱なところもあるから、年齢の割にしっかりしているお前が、しっかりと補佐するんだよ』というようなことを、言われたと思います」
「……あー……うーん……そういうことか」
いつも聡明なユリウス様が、珍しく歯切れが悪い。
「まさか候補にすら入っていないと思われていたとは……」
その時私の頭に、突然ある一つの可能性が思い浮かんだ。
――待って。王宮に通って王妃教育を受けていたって……一応私も当てはまる? でもまさか。
しかし瞬時にその考えを打ち消す。突然わいた希望があまりに魅力的過ぎて、勘違いだったらと思うと怖くて。
「ベアトリス。君に婚約者候補として王宮に通って欲しいと希望したのは、俺だ。もしも候補が君だけだと、反対派に潰されてしまうかもしれないからと、エディットのアーノン家に頼んで、一緒に王宮に通ってもらうことにしたんだ。つまり、オマケはエディットの方なんだよ」
ユリウス様が、エディットに「感謝している」と言っていたのは、そういうことなのか。
でもまさか、本当に? 今目の前で起ころうとしていることが、現実だとは思えない。
「ねえ、ベアトリス。僕は生まれた時から王子だったから、あまり普通に話しかけてくれる子はいなかったんだ。ある日王宮に初めて会った女の子が、普通に接してくれて、あれは何、これは何って聞いてくれて、答えたらとっても嬉しそうに笑ってくれて、俺はすっかり舞い上がってしまったんだ。君は俺が王子だと知ってからも、普通に意見をして、話をしてくれる。最初から、俺が生涯共に歩みたいと思っていたのは君だけだ。正式に、俺と婚約していただけませんか」
夢を見ているのだろうか。
ずっと近くにいて、だからこそ叶わないと思い知らされてきた恋。
「私も。ずっとずっと、ユリウス様が好きでした」
*****
それからは、忙しくて目の回るような日々が始まった。
ユリウス王子と私の婚約は、社交界の半分だけを騒がせた。なぜ半分なのかというと、アーノン侯爵様や王妃様のご実家の派閥は、ずっと前から私がユリウス王子の婚約者になることを了承していたらしいから。
私よりも先に、社交界の半分が婚約を了承していたというのも不思議な話だけど。
「いつかあなたが王妃様になったら、誰かに自慢しようかしら。「王妃様は、私の取り巻きだったのよ」って」
「まあ、いいわね!」
今日は1週間ぶりにエディットと会えた。
以前は毎日のように顔を合わせていたので、1週間も会わないと、話すことがたまってしまって大変だ。
「エディット。実は私、あなたに謝らなければならないことがあるの。私あなたに嫉妬していた。ユリウス様があなたのことを好きなのに、あなたはシャルルのことが好きなんだと勘違いしていたから」
「……ベアトリスったら、本当に気が付いていなかったのね」
エディットはあの日以来、悪役令嬢を封印していた。
もう真似をしようとしても、なんのセリフも思い浮かばないのだそうだ。
だけどエリザベスは、エディットの中にいる。
あの強さと優しさは、元からエディットにあったものだから。
だから私は、エディットが演じる「悪役令嬢エリザベス」が大好きだった。
「それと今まで、本当にありがとう、エディット。私はあなたの「取り巻き」ができて、幸せだったわ」
「ふふ、なにそれ」
こうして私たちは、いつまでも尽きない話で盛り上がったのだった。