永遠を閉じ込める魔法を、あなたと
※自死を選ぶ描写があります。バッドエンドです。ご注意ください。
今夜も王城の広間はどうでもいい噂話と悪口だらけの喧噪に溢れていた。王女である私に話しかけてくるのは、野心とその裏に隠された下心を隠しもしない卑しい視線の男性たち。女性たちからは媚びと嫉妬の混ざった視線を送られるだけ。様々な香水と甘ったるいお酒の匂いに辟易しながら必死に作り笑いを浮かべていた私は、窮屈さから逃れようと外に目を向けた。
バルコニーに繋がる大きな窓からは夜空に昇った月が見える。そして月の下に一人佇む、夜空と同じ色の服を纏った青年の姿も……。
「アコード、あなたはいつもつまらなさそうね」
「……これはクラリティーナ殿下」
「今日も所長に引きずり出されたの?」
「ええ。閉じこもっているとカビが生えてしまうから外の風を浴びろ、と」
「ふふっ。叔父様が言いそうなことだわ」
彼の言葉に私は隻眼の叔父の姿を思い浮かべる。そして大胆に胸元が開いた薄桃色のドレスをひらめかせながら私は青年に近づいた。
青い瞳を私に向けた青年の名はアコード。優れた魔力を持つ者が集まる国立魔法研究所で研究員をしている人物だ。庶民出身に関わらず研究員となった彼の魔法技術への評価は高い。研究所の所長をしている私の叔父、つまり王弟が特に目をかけている若手でもある。
当初は自らの養子に、娘の婚約者に……と申し出た貴族もいたが、彼の人となりを知ると手を引く者がほとんどだった。アコードは研究しか考えておらず、無愛想で人付き合いが悪い。他の貴族たちのように噂に興味を持たず、話しかけても一言二言で会話が終わるせいですぐに人が離れていく。今日のように夜会に引きずり出された日は、人を避けるように過ごしている。
王女である私が声をかけたにも関わらずアコードからは挨拶も、「今夜もお美しいですね」という女性へ決まり文句の一つもない。しかし私は相手によって態度を変えないアコードが気楽であり、彼の好ましい部分でもあると思っていた。
バルコニーの手すりに寄り掛かるようにして立つアコードの横に立つと、彼の肩と私の耳が並んだ。数年前までは同じくらいの背丈だったのに、今はすっかりアコードの方が背が高い。二人の間をすり抜ける夜風が白銀色の私の髪を撫でると、風にのってアコードの声が聞こえて来た。
「……殿下こそ、いつもにも増してつまらなさそうですね」
「私が? どうして?」
疑問で返したものの、アコードの言う通りだった。
私はもう疲れ切っていた。煌びやかな夜会にも、向けられる卑下た視線にも、腹の探り合いばかりのやりとりにも……。けれどアコードは私の問いに、薄く笑うだけだった。
「なんとなくです」
「なによ、それ……」
当たり障りないアコードの返答に私は頬を膨らませた。
それからしばらく私たちは何も話さず、静かにバルコニーに並んだまま過ごした。
私がつまらないのは、あなたがそばにいてくれないからよ――と、何度言いかけただろう。
けれど、伝えたとて何が変わるだろう。私は一国の王女で、アコードは一人の研究者。今この瞬間だけでも人生が交わったことが奇跡だと、私は運命に感謝しなければならないのだ。
◇
アコードと出会ったのは十三の頃、今から四年前だ。私と同い年の面白い研究者を見つけたからと、叔父が半ば強引に私に紹介したのだ。
案内された先、研究室にぽつんと置かれた机に向かっていたのは黒髪の少年だった。彼は私をちらりと見ると軽く頭を下げ、また机の上に視線を戻した。まさか王女である私がそんな態度を取られると思わず、驚いて叔父を見上げると苦笑いが返ってきただけだった。自分の立場に絶対の自信があった当時の私は、その失礼な態度を改めさせるべくむきになって話しかけに行った。
しかし声をかける直前、目に飛び込んできた光景に私は声を失った。アコードは机の上でガラス瓶に手をかざしていた。ガラス瓶の中に入っているのは白い小鳥だった。手をかざした部分から美しい虹色の光がガラス瓶の中に満たされて行く。よく見ると小鳥は全く揺らがず、かといって死んでいるわけではなさそうだ。羽ばたく瞬間にぴたりと時を止めてしまったように、ただそこにいた。
「それ、なに?」
文句の一つでも言ってやろうと思っていた私は、その光景に思わず声をかけていた。だが返って来たのは素っ気ない一言。
「鳥です」
「――ち、違うわよ! 私が聞きたいのは何の研究しているの、ってこと」
「聞いてもつまらないですよ」
「つまらないはずないじゃない。あなたがこんなに楽しそうにしているのに!」
私の言葉にアコードはそこで初めて私に目を合わせた。私はその驚いた青い瞳がきれいだなと思ったのだ。そして王女としてではなく純粋に私という存在を見てくれる彼に、特別な気持ちを抱くようになるのはあっという間だった。
結局アコードは何の研究をしているのかを教えてくれることはなかった。叔父も「本人に聞いてくれ」としか言わず、私は何とか聞き出してやろうと暇があればアコードの元に通っていた。ようやく彼が研究内容を教えてくれたのは、初めての出会いから二年後。私の婚約者が決まった日の事だった。
父である王の命令は絶対。私は十七になる年に隣国へと嫁ぐこととなった。
泣きはらした顔で研究室を訪れ、ただ俯くだけだった私に唐突にアコードは告げた。
「これは永遠を閉じ込める魔法です」
「え……?」
突然の言葉に、私は理解するまで少し時間がかかった。改めて彼の机の上を見ると、瓶の中ではあの日と同じ姿のままで小鳥が羽ばたこうとしていた。そしてそれまで気づかなかったが、瓶は一つだけではなかった。数多くの瓶が並んだ机の上では火のついたろうそくや美しい蝶、そして水も入っていない瓶の中で魚が生きているかのような姿で時を止めていた。
「ずっとそのままの姿で、永遠の中に存在できるようになります」
淡々と語るアコードに私は少しだけ恐ろしさを感じた。けれど同時に胸の中に一筋の光が差したことをはっきりと覚えている。私はアコードに尋ねた。
「……それは人も?」
「人ですか? ……理論上はできるようになるはずですよ」
少し考えた後、アコードは珍しく眉を寄せて答えてくれた。そして私の瞳に差した光に気づいたのか、諭すように付け加えたのだった。
「――けどおすすめはしませんね。永遠の先には未来はありませんから」
◇
私は未来なんかいらなかった。私が欲しかったのは、あの他愛もない二人だけの時間。
「……聞いてもつまらないとあなたは言ったけれど、私はあなたといられるだけで何もかもが楽しい事に変わったのよ」
「姫様?」
純白の婚礼衣装に身を包んだ私の手を引く侍女が首を傾げた。しかしそれ以上私が何も言わなかったからか、彼女は再び進行方向へ向き直った。重い足取りの私が向かうのは、あの夜アコードと並んで過ごした城のバルコニー。嫁ぎ先の隣国へと旅立つ私を一目見ようと多くの国民が城に集まっている。
一応は私も決まった未来を変えるべく抵抗したのだ。けれどどうしても私を嫁がせなければならない事情があったらしい。私が部屋に閉じ込められていた間に私の味方をした研究所所長の叔父は更迭、のち蟄居となった。アコードは研究所を追放され、今はどこにいるのかわからない。
「ごめんなさい。私がもっと強ければ」
「……」
再び聞こえた私の声に、侍女はもう反応しないことにしたらしい。一束の黒髪を差し出されアコードの処分を聞かされた時、私が慟哭と絶叫を繰り返す姿に気が触れてしまったと思った使用人は多いようだ。もちろん父である国王もその一人だった。私が比較的まともなうちに嫁がせてしまおうと、婚姻の日取りを早めたのだからよほど危うい状態に見えたのかもしれない。
バルコニーに近づくたびに集まった人々の歓声が大きくなる。全て私の婚姻を喜ぶ声だ。バルコニーに繋がる大きな窓からは青い空と、手すりの側に立つ国王の姿が見える。緊張した面持ちの父は私に震える手を差し出した。
「ク、クラリティーナ。きれいだぞ」
「……ふふ、ありがとうございます。お父様」
笑顔を貼り付け、自ら手を取ると父はあからさまにホッとして見えた。どうやら私が正気かどうか心配していたらしい。すぐにいつもの国王としての顔に変わり、私の手を引きバルコニーへ足を進める。
「クラリティーナ、聞こえるか。お前の未来を祝う国民の声だ」
「ええ、聞こえますわ」
「ははは。お前の楽しそうな顔を久しぶりに見たな。お前が嫁げばこの国はもっと豊かになるぞ。お前のおかげだ」
眼下には笑顔の人々が私に祝福の声を上げている。隣に立つ父も誇らしそうだ。皆、私が未来に踏み出したことを喜んでいるのだ。私に訪れる未来ではなく、自分たちの幸せな未来のために。
「そんなの勝手に決めないで――」
「っ!」
私は勢いよく父の手を振り払い、手すりに足をかけた。白いドレスが青い空にひらめく。
「私は――私には未来なんかいらなかったの。あの時間だけでよかったの」
歓声がどよめきに変わる。背後から誰かが駆け寄る気配が伝わってくる。
「あなたと二人だけの今が欲しかった――」
私は宙に身を躍らせた。
その瞬間、胸をよぎったのはわずかな後悔だ。どうしてもっと早く素直にならなかったのだろう。アコードの研究室で見た小鳥のように、永遠の中に閉じ込めてもらえばよかった。
あっという間に地面が近づいてくる。私は目を閉じ、最期の言葉を呟いた。
「あなたの永遠になりたかった――」
◇
鈍い破裂音。広場には悲鳴すらあがらなかった。誰しもが言葉を無くし、沈黙に支配される中、一人だけ王女だったものに近づく者がいた。
「……あなたが永遠を望んでいるのは気づいていました。けれど俺があなたの未来を望んでしまったのが間違いでした」
広がる鉄錆の臭いの中、しゃがみ込んだ黒髪の青年は地面に散らばった白銀の髪をすくい上げると、愛おしそうに頬を寄せた。同時に彼の手からは虹色の光があふれ出した。
「あなただけが永遠になられても困るんですよ。あなたがそばにいないとつまらないのは、俺も同じなんですから」
その後、人々が声を取り戻した時には黒髪の青年の姿も、地面にたたきつけられたはずの王女の姿も、はじけ飛んだ血の一滴さえも見当たらなかった。国王は大量の兵を投入し二人の行方を追わせたものの、ただの徒労に終わる結果となった。そのことがきっかけとなり、兵士が蜂起。多額の借入金返済の代わりに王女を嫁がせる取り決めをしていた隣国の援護もあり、国は隣国の支配下に置かれた。
◇
「ああ、やっと手に入った。なんて美しい永遠なんだ……」
男が恍惚として見つめるのは虹色の光が溢れる瓶だった。大人の両手を合わせたほどのその瓶の中には、白銀色の小鳥と漆黒の小鳥が寄り添っていた。かといって小鳥は作り物でも死んでいるわけでもなく、ただ時間だけが止まっただけの本物だった。
男は自らの隻眼を近づけたり離したりしながら、うっとりと二匹の小鳥を見つめ続けていた。




