8.彼の誓い
カルロは若くそして体を鍛えていたので傷が癒えるのは早かった。だからといって安静は必要だ。すぐにでもベッドから起き出しそうなのを監視して押し戻すのが日課となった。
「まだ、起きては駄目よ!」
「もう、大丈夫です」
「私のせいで怪我をしたのよ。お願いだから安静にしていて」
「ロゼリア様のせいではありません。俺が未熟だったせいです」
「違うの。私のせいなの!」
「いいえ、自己責任です。怪我を負う可能性を含めての護衛であり見合う報酬をもらっていますから。だからご自分を責めないで下さい。それに護衛には過ぎるほどの治療をしてもらっています」
「でも……」
カルロは困り顔だ。カルロは優しい。一回目のことを知らないのだから彼が私のせいではないというのは当然かもしれない。でも私には彼に償う義務がある。
「そんなに気になさるのならお願いがあります。二つほど」
「二つ? もっとあってもいいのに。何かしら? 私に出来ること? 何でも言って!」
「一つは分厚いステーキが食べたいです」
「お肉? いいわ。さっそく今夜から毎日用意してもらうわね! もう一つは?」
「もう一つは……また今度」
「? 分かったわ」
引き下がらない私のために言ってくれたのかもしれない。だから頼みごとが思い浮かばないのだろう。それでも彼が望むことを絶対に叶えようと決めた。
私は毎日カルロから色々な話を聞いた。
彼はまだ十八歳だった。生まれた国を出て海を渡ってこの国に来た。体を鍛え護衛の仕事で生計を立てていた。四年前からモンタニーニ公爵家の荷の護衛を専属でしているらしい。
「今の私くらいの歳から護衛の仕事を?」
自分がぬくぬくと生きている同じ時間に大変な思いをしている人は多い。頭では分かっていたが目の前にすると衝撃を受ける。
「俺にはいい師がいました。母が亡くなった後面倒を見て鍛えてくれた恩人です。恵まれていると思っています」
「カルロもお母様がいないの? お父様は?」
「父には会ったことがありません」
「そう。私もお母様がいないの。会いたいわ。でもお父様がいるのに我儘よね。カルロもお母様に会いたくなる?」
「ええ。ですがたぶん見守ってくれていると思います。ロゼリア様のお母様もきっと見ていてくれていますよ」
「そうかな。そうだといいな」
カルロには不思議と何でも話せてしまう。彼はステファノのように社交的でも話術に優れているわけでもない。でも、一つ一つの言葉に心がこもっていると感じる。信じられる人だと思えた。そう考えるとステファノの言葉はキラキラと着飾った薄っぺらいものだったと痛感する。それに縋り信じた自分の愚かさを思い出すとどこかに埋めて欲しくなるほどだ。
カルロと話をする時間は心地いい。自分を良く見せなくても、心に鎧をまとわなくてもいいから。貴族らしく取り繕わずに済むからかもしれない。
カルロは起き上がれるようになるとすぐにリハビリを始めた。
「まだ早いわ。もっとゆっくり養生して。お父様だってそうおっしゃっているわ。遠慮しなくていいのよ」
「ありがとうございます。でも体が鈍ってしまいますし、それに俺にはしなければならないことがあるので」
「それはなあに?」と聞きたかったが彼の目は真剣であまりに揺るがないので、軽率に聞いてはいけない事のような気がした。
ある日、カルロが意を決したような真剣な表情で問いかけて来た。
「俺の髪とか目の色、気持ち悪くないですか?」
瞳の奥には仄暗さが覗く。きっとこの国に来て今までその言葉を何度も投げつけられたのだ。想像して胸が痛んだ。
「思わないわ! だってすごく綺麗な黒だと思う。特に瞳は吸い込まれそうだわ」
「えっ?!」
「あ、あの、とにかく綺麗ってことよ」
私はあたふたと誤魔化した。カルロが目を丸くしている。吸い込まれそうってなんだろう。自分で言って恥ずかしい。確かにこの国では珍しい黒色で、偏見のある人には忌み色だという人もいる。でも私は全くそう思わない。静寂を感じさせる漆黒が心地よく優しく見える。そう伝えたかったがいい言葉が出てこなかった。それに改めて彼の顔を見たらとても整っていることに気付いてしまったのだ。切れ長の瞳もスッと通った鼻筋も形のいい薄い唇も魅力的だ。
カルロは目を細めて微笑んでいるからきっと私の言いたいことは伝わったはずだ。
それからも私は彼の側にいた。リハビリから鍛錬になっても見学しながら休憩時には他愛もない話をして過ごした。
「私は海を見たことがないの。綺麗だった? 青い?」
「穏やかな海は青く美しいです。でもひとたび荒れると恐ろしいですよ。ああ、生で食べる魚が美味いですよ」
「お魚を生で食べるの? お腹を壊さないの?」
「新鮮な魚なので大丈夫ですよ」
それでも心配だわ。でも我が家には腹痛によく効くお薬があるから大丈夫! 今度カルロにも常備薬としてあげよう。
「一度、海を見てみたいな」
私は彼の看護を優先したがもちろんお父様とのお食事は欠かさない。
「ロゼリアはカルロが気になるのか?」
お父様を見つめ首を傾げた。
「我が家の荷運びで怪我を負ったのだもの。気になって当然でしょう?」
お父様は苦笑いを浮かべるとなるほどと頷く。
「そうか。それでも人見知りをするロゼリアにしては珍しいと思ったのだよ。彼はいい青年だな。護衛のままでは勿体ないと思い別の仕事を紹介しようかと話をしたが、彼は王立騎士団に入りたいそうだ。腕が立つから護衛を続けるより騎士になった方が将来が明るいだろう。功績を上げて騎士爵を手に入れたいと言っていた。私は騎士団入団試験を受けられるように紹介状を出すことにしたよ。トマスもカルロの人柄や剣の実力をかなり誉めていたが、その通りだな」
お父様もカルロを気にかけている。いつのまに騎士団へ行く話をしていたのだろう。何だか仲間外れにされた気分だ。
「騎士団……。でも危険だわ。心配よ」
彼は平民だ。それなりの身分やお金を手に入れるのなら騎士団が手っ取り早い。一代限りとはいえ爵位を手に入れることが出来る。それは理解できるが再び大怪我を負う可能性だってある。現在この国は隣国と睨み合っている。隣接する辺境では戦いになっている。騎士団に入れば派遣されることもある。その時カルロがまたあんな風に倒れたらと想像するだけで身が竦む。だけどどれだけ仲良くなっても私に引き留める権利はない……。
「そうだね。でも応援してあげようじゃないか」
「……はい。お父様」
カルロは全快すると屋敷を出て正式に王国騎士団に入団することになった。いつのまにか試験は合格していたらしい。
出発の朝、玄関まで見送りに出る。カルロとは三か月一緒に過ごしたけれど、お父様やスザナたち使用人以外で初めて心を許し打ち解けることが出来た人だ。もう、会えなくなってしまうと思うと寂しい。
「カルロ。無理しないでね。もし怪我をしたりお腹を壊したりしたらここに来てね。お薬あげるから」
さっき数種類の役に立ちそうなお薬を餞別に渡した。騎士団に入るならあって困るものではない。足りなければいつでも来て欲しい。
「お腹……、ふっ、はい。分かりました。……ロゼリア様。聞いてもいいですか?」
(笑ったわね。お腹が痛いって本当に辛いのよ? 大変なことなんだから。我が家直営の薬屋でもすごく売れているのよ)
「なあに?」
カルロは一瞬躊躇ったが意を決して口を開いた。
「……俺の髪と目の黒い色を汚いと思いませんか? 怖いと思いませんか?」
私は口をぽかんと開けて目をパチパチと瞬いた。
「カルロ、それは前も聞いたわね? 忘れちゃった? ふふふ。私、そんなこと思わないわ。すごく綺麗な黒だと思う。そうだ。オニキスと同じ色よ。オニキスってパワーストーンっていって守ってくれる石なの。だから黒色って素敵だわ」
きっと黒い色のせいで彼は苦しい思いをしてきたのだろう。でも意地悪を言う人もいるかもしれないけど、黒を綺麗だと思う人間がいることを忘れないで欲しい。するとカルロはまっすぐに私を見た。
「ロゼリア様。覚えていますか? 俺の願いを聞いてくれるって言っていたことを」
「もちろん覚えているわ。決まったの?」
「はい。俺、強い騎士になります。そしたらロゼリア様をお側で守らせてください」
カルロの言葉を想像したらすごく素敵なことに思えた。カルロが私の騎士様になって側にいて色々なお話が出来たら……。私は深く考えずに無邪気に喜んだ。
「カルロは私の騎士様になってくれるの? 嬉しい! 待っているわね」
「その時が来たら必ずあなたを守ると誓います」
私たちはしんみりすることなく笑顔で別れることが出来た。彼が本当に私の騎士になると信じているわけではないけれど、約束のある別れは希望があり笑顔になれる。でも、少しだけ、ほんの少しだけ目が潤んでしまったのは内緒だ。