7.護衛のおにいさん
後悔している――。
だって私は記憶を持って過去に戻り再び生きている。それなら不幸な運命を変えられることだって出来るはずなのに、自分のことばかり考えて今回のことの対策を立てていなかった。もっと早く、もっと上手く行動を取れなかったのかと繰り返し自問する。これは一度目の人生で実際に起こっている。そしてそれを知っているのは私だけなのに防げないなんて自分を許せない。とんだ役立たずだ。それでも、どれだけ考えても、もう時間は戻らない。
連絡を待っている時間がとても長く感じる。比例するように不安が膨らんでいく。一人では心細かったので、お父様の執務室のソファーで許可をもらい本を読んで騎士の連絡を待っていた。本を広げているが目が文字を滑っていくだけで内容は頭に入ってこない。
モンタニーニの領地から王都や他領に薬を運ぶときは賊に狙われる可能性が高く多くの護衛をつけている。腕利きの護衛を依頼するが、運悪く襲われ負傷した人は屋敷で手厚く手当てをする。それは当然のことだ。
王都のモンタニーニ公爵邸の別邸は仕事で領地を往復する領民が滞在するための施設のようになっている。ロゼリアは何かあったときには率先して手伝っていたが、今まで重症者が出たことはなかった。
どうか間に合って欲しい。そして一人の怪我人もなくみなが王都にたどり着いて欲しい。時計を見てはそわそわと落ち着かない。ノックの音と同時に執事が慌てて入室してきた。
「旦那様。今、早馬が来ました。荷が王都に入る手前で襲われたそうです。先ほど送った騎士が襲撃された直後に合流し加勢して賊を捕縛したようです」
「そうか。全員無事なのか?」
「それが、護衛が一人怪我をしたようです。それ以外はかすり傷程度だそうですが」
「そんな! 怪我は酷いの?」
私は青ざめ執事に詰め寄った。間に合わなかった!!
「どうやら重傷らしいです」
私の責任だ。でも今はそれどころではない。反省はいつでもできる。怪我人を迎え入れる準備をしなくては!
「お父様。お医者様を呼んで待機してもらいましょう」
「ああ、そうだな。怪我人が来る前に準備したほうがいいな」
執事は医者を手配しに行った。
私は自分の不甲斐なさに泣きたくなる。一回目の時は護衛のおにいさんの背中に応急処置で巻かれた包帯には真っ赤な血が滲んでいた。出血が止まっていなかったのだ。青い顔で意識がもうろうとしていた。同じおにいさんが怪我をしたのだろうか。私のせいだ。
「お父様。怪我をした人は本邸で治療してもいいですよね?」
いつもは軽症者ばかりなので別邸で休憩してもらっているが今回は本邸での療養を提案する。その方が私にもできることがあるはず。
「ああ、そうしよう」
医者はすぐに到着した。手当てをする部屋の準備を整える。お湯を沸かし清潔な布をたくさん用意した。治療のための器具も洗浄を済ませ準備万端だ。受け入れ態勢が整った頃、玄関の方がざわざわしだした。私は急いで向かった。すると騎士に抱えられて若い男性が運ばれてきた。包帯が巻かれた背中が赤く染まり青い顔をしている。ああ、前回とまったく同じだ。怪我をしたのも同じおにいさんだった。
「早く部屋に運んで手当を!」
すぐにおにいさんの手当てがされる。前回は医者が来るのが遅かったが今回はすでに待機させている。我が家にはあらゆる薬が揃っている。だから大丈夫だと自分に言い聞かせた。おにいさんの治療中は他の人たちの傷の手当てをしたがほとんどがかすり傷か転んだ打ち身くらいだった。おにいさんの治療が長引いていてそわそわと落ち着かない私にお父様が安心させるように言った。
「医者に任せておけば大丈夫だ。我が家の荷を守ってくれたのだから責任をもって完治するまではここで療養させよう。ロゼリアも彼の療養を手伝ってくれるかい?」
「もちろんよ。お父様」
医者が部屋から出て来て怪我の様子を報告する。荷の運搬責任者トマスさんも一緒だ。
「背中は二十針ほど縫いました。出血が多く貧血がありますが命に別状はありません。安静にすれば回復するでしょう」
「そうか。それですんだのは不幸中の幸いだったな」
お父様の言葉に何も返せない。だって前回と同じ酷さの怪我だ。今回は亡くなった人がいないけど、私がもっと早く騎士を出してもらえばおにいさんだって無事だったのに……。
トマスさんが沈痛の面持ちでお父様に頭を下げた。
「モンタニーニ公爵様。カルロをよろしくお願いします。彼は私を庇ってあんな大怪我を負ったのです。仕事も真面目でいい奴なんです。異国人ですがどうか――」
「トマス、大丈夫だ。私が責任を持って面倒を見る。たとえ異国人であっても差別することはない。彼は我々の恩人だ。そうだろう?」
「はい。お願いします」
「トマスさん。私も看病するので安心して下さい」
「ありがとうございます。お嬢様」
トマスさんが彼のことを気にかけている。何故ならおにいさんはこの国では見られない黒い髪と黒い瞳を持っている。一目見れば異国人だと分かってしまう。閉鎖的とまではいわないが異国人を偏見で軽んじ冷たい対応する人もいるのは事実だ。だから我が家で蔑ろにされないか懸念したのだ。
トマスさんは瞳を潤ませ再び深く頭を下げた。長年、モンタニーニ公爵領から王都への運搬の責任者をしているトマスさんは融通が利かないくらい真面目で慎重な人だ。護衛は給金がいいが危険な仕事だ。それでも希望者は多い。トマスさんの護衛を雇うときの調査や審査は厳しい。なぜなら過去には賊と繋がっている者もいたからだ。調査の段階で発覚して未然に防げたが、それ以降護衛は慎重に選んでいる。少しでも怪しいと思えばどれほど有能でも雇わない。そのトマスさんがおにいさんのことをとても信頼している。お父様はトマスさんや騎士たちと捕まえた賊を騎士団に引き渡すことと荷の保管の話をするために執務室へ向かう。
「お父様。護衛のおにいさんの様子を見てきてもいい? 顔を見るだけだから」
一目無事な顔を見たい。
「ああ、でも安静が必要なのだから長居をしては駄目だよ」
「はい」
おにいさんは背中に大きな怪我を負っているのでうつ伏せで寝ている。さっきは蒼白な顔色だったが熱が出てきたようで赤く火照っていて汗もかいている。すでに薬は飲ませたと言っていたので出来ることは少ない。私は氷と水を用意してもらいタオルを絞り頬にそっと当てた。荒い息をしていたおにいさんが少しだけ穏やかな顔になる。でも苦しそうだ。
「防げなくてごめんなさい。おにいさん」
私は付きっ切りでおにいさんの看病をすることにした。贖罪でもあり懺悔でもある。薬が効いたのか二日後には熱は下がった。きっとすぐに目を覚ますと思っていたのに五日経っても目を覚まさない。私は不安で食事もままならない。一回目の時は二日後には目を覚ましていたのに……。心配でずっとおにいさんの側にいた。そんな私にスザナが眉を下げた。
「お嬢様。護衛さんが目を覚ましたら私が教えますからお部屋で休んでいて下さい。それと看病を続けたいのならきちんとお食事を摂って下さい」
「でも……」
「それでお嬢様が倒れたらこの人の看病が出来なくなりますよ?」
それはよく分かっているが食欲がないのだ。でも私がみんなに心配をかけては駄目だ。
「分かったわ……」
スザナが食堂に軽食を用意してくれた。味を感じないまま何とか食べ終える。夜、ベッドで目を閉じてもなかなか寝付けない。寝返りを打って夜が明けるのを待つばかり。
六日目の朝になり今日こそはと祈りながらおにいさんの部屋に行く。カーテンを開け日差しが差し込む。天気がいい。
「おにいさん、早く目を覚まして。お願い」
小さく声をかけると唸り声が聞こえ、おにいさんの瞼がピクリと動いた。そしてゆっくりと目を開ける。
「おにいさん。目が覚めたの?」
おにいさんはぼんやりして返事はない。何か後遺症があるのかと不安になりもう一度呼びかける。
「おにいさん、おにいさん、大丈夫?」
私の声に反応し首だけをこちらに向けるとおにいさんは目を丸くした。よかった。しっかりとした反応にようやく安堵する。
「……えっ?」
「おにいさん、五日間も眠っていたのよ。そうだ! お腹が空いているはずよ。今お食事を用意してもらうわね!」
私は嬉しくなってスザナにスープを用意するように頼む。冷静になれば彼はすぐに起きるには辛いだろうに、私はきっとお腹が空いているとそればかりを考えてしまった。メイドが運んできたスープを一旦サイドテーブルに置き、おにいさんを起こそうと側に寄る。
「スープを用意したのよ。食べて。あっ、一人で起きられる?」
「……ロゼリア様?」
おにいさんは目を何度も瞬く。そして私の腕を掴んだ。私は手を貸して欲しいのだと思いおにいさんを引っ張ってみたが自分より大きな男性を起こすことは出来なかった。強く引っ張ったせいでおにいさんの傷が痛んだようで呻き声を上げた。
「うっ」
「おにいさん、ごめんなさい。痛かったわよね。ゆっくり起きないと。背中の怪我は縫ったのよ」
私は柔らかいクッションを背中側に積んで傷に触れない空間を作りそっともたれさせた。おにいさんの目が潤んでいる。傷がとっても痛いんだ!
「大変! まだ背中がすごく痛いのね。お医者さまを呼んでくるわ。お薬を出してもらわなきゃ」
おにいさんは大きく息を吐くと少しだけ口角を上げた。
「ロゼリア様。大丈夫です。少しすれば治まるでしょう」
痛いはずなのに遠慮している。逆に気を使わせてしまっている。
「でも……」
「大丈夫ですから」
おにいさんが繰り返すので医者を呼ぶのは諦めてスープの準備をした。まずはお水を含み落ち着いてからスープを飲みだした。
「美味しい?」
「はい。美味しいです」
「よかった。早く元気になってね。何かして欲しいことがあったら言ってね」
「あ、それなら俺のことは名前で呼んでもらっていいですか? カルロと言います」
名前で? 私は意外な頼みごとに目をぱちくりと瞬いた。一回目の時は言われなかったし私も聞かなかった。彼は元気になったら領地へ戻ってしまう。もう会うことのない人と親しくなるのが悲しくてわざと名前を聞かなかったのだ。あの頃は、心がかなり引き籠りになっていた気がする。
「カルロおにいさん?」
「ただのカルロでお願いします」
「カルロさん」
「さんもいりませんよ」
おにいさん、もといカルロが力強く言う。年上の人を呼び捨てにしていいのか迷ったが、きっと身分を気にしているのだろう。
「カルロ?」
「はい」
とても嬉しそうに返事をされてしまった。スープも飲み終わったし寝かせてあげた方がいいだろう。
「私は邪魔になっちゃうからもう行くわ。カルロはゆっくり眠ってね」
「ありがとうございます」
私は少しだけ血色の良くなったカルロの顔を見て安心すると、お父様にカルロが目を覚ましたことを報告するために執務室に向かった。