3.夫だった人
私はロゼリア。モンタニーニ公爵家の一人娘だ。
モンタニーニ公爵家では多種にわたる薬草を育てている。それを調剤し販売するまでのすべてを一手に担う。公爵家直営の薬屋が国内に何店舗もあるが王都が一番大きい。領地には薬師専門の教育機関もある。
もともとはそこまで大規模な販売は行っていなかったが、お母様が亡くなったことが契機となりお父様は規模を拡大した。お母様は流行り病で呆気なく亡くなってしまった。お母様を深く愛していたお父様はそれ以降仕事に没頭した。薬を扱っているのにお母様を助けられる薬が用意出来なかったことを悔やんでいたからだ。
そのことから多くの人を助けられるようにと公爵家直営の薬屋では、平民でも手に入れることが出来る価格設定で薬を販売している。とはいってもさすがに希少で高価なものは店頭には出していない。置いてあるのは一般的な流感などの薬だ。品質は貴族向けに販売している物と同等だ。誰でも助かる権利があるとの考えからだ。それでもお金がない人には物を対価にして売っている。たとえば幼い子供が母親の風邪薬を欲しいと言えば道で摘んだ花と交換で渡すこともある。それでも赤字にならないのは大量生産できている上に、裕福な貴族のお抱え医師には薬の在庫を常時確保する代わりに契約料と薬の値段が上乗せされている。取れるところから取る。貧しい者からは取らない。戦場に行く騎士団には優先して薬を回した。それがお父様のやり方だ。
一回目の人生で私が十九歳のときにステファノと出会い婚約し、二十歳で結婚した。そして結婚からたった半年後、彼の手で毒殺されたのだ。
初めてステファノに会ったのは王都のモンタニーニ公爵家直営の薬屋へ納品のために馬車で向かい、その帰りだった。
馬車が脱輪してしまい代わりの馬車の手配をしたがしばらく時間がかかると御者に言われたので、近くのカフェでお茶を飲んで時間を潰した。そろそろかと店を出たところでそれは起こった。
突然背後から腕を掴まれ引っ張られた。そして口をふさがれ狭い路地へと引きずられる。あっという間の出来事で抵抗は出来なかった。何が起こったのかすぐに理解できず気付いた時には行き止まりの路地へ突き飛ばされていた。
「さすが貴族のお嬢さんはお綺麗だな」
薄汚い格好をした破落戸のようだ。男が三人、薄ら笑いで私を見ている。恐ろしくてガタガタと震えるばかりで悲鳴も上げられない。
(怖い)
でも、お金さえ渡せば解放されるかもしれない。御者だって探しに来るはずだ。
「あ、あなたたちは誰? 何が目的なの? お金?」
震える声で逃れたい一心で問いかけた。
「物分かりがいいな。もちろん金だ。だけどそれだけじゃあ、つまらねえな」
「そ、そんな……」
どうしよう。どうすれば逃げられるのか。足が震えて力が入らず立ち上がれないのだから走って逃げることは不可能だ。
その時――。
「おい! 何をしている」
「チッ。見つかったか。ずらかるぞ!!」
誰かが気付いてくれた。男たちは逃げていく。ああ、助かったんだ。
「大丈夫ですか?」
足早にこちらに来たのは男性だった。彼はしゃがむと私の顔を覗き込む。
「モンタニーニ公爵令嬢でしたか? もう大丈夫ですよ」
私を知っている人? その人の顔を見てはっと息を呑んだ。手を差し出してくれたのはピガット侯爵子息。私より三歳年上で青い瞳にアイスブルーの髪をもった社交界で美貌の貴公子と名を馳せている人、それがステファノだった。
私は震える手で彼の手を掴んだが立ち上がることが出来ない。彼は「失礼するよ」と声をかけ抱き上げて運んでくれた。私は恥ずかしくて俯いた。きっと真っ赤になっていただろう。
「近くに我が家の馬車があります。送っていきましょう」
「あ、ありがとうございます」
馬車に乗るなり気が緩み無様にも泣いてしまった。ステファノは優しく「もう大丈夫だ」と繰り返し慰めてくれた。
「今日は本当にありがとうございました。本当に助かりました。何かお礼をさせて下さい」
「通りがかったのは偶然ですし、お礼が欲しくて助けたわけじゃないので気にしないで下さい」
美しく親切でその上謙虚な人だ。
「ですが、それでは私の気が済みません」
「それならば今度王都に出来たパーラーに一緒に行ってくれませんか。男のくせに甘いものが好きなんですが、一人で入る勇気がなくて」
彼は気まずそうにしながらもはにかんだ。
「そんなことでいいのですか?」
紳士的な態度に好感を抱いていたのに、はにかむ笑顔に胸がときめいてしまった。きっと私はあの時彼に恋をしたのだ。
翌日手紙を出し予定を決めた。約束の日はステファノが屋敷まで迎えに来てくれた。スマートに手を差し出されエスコートをされる。お父様以外の男性にエスコートをされたことがないので恥ずかしい。けれど嬉しくてドキドキしながら手を重ねた。お礼のために出かけるのにまるでデートだ。緊張してしまう。
男性との会話に慣れない私にステファノは色々な話題で楽しませてくれた。彼は話し上手だ。楽しい時間はあっという間に過ぎる。名残惜しいと思いながら屋敷まで送ってもらう。もう一度会いたい。でも自分なんかが誘っては迷惑に違いない。声をかける勇気はない。ところが別れ際にステファノが切り出した。
「またロゼリア嬢を誘ってもいいですか?」
彼も一緒に過ごした時間を楽しいと感じてくれたのかもしれない。天にも昇る気持ちだった。
「はい。ぜひ……嬉しいです」
何回かデートを重ね二か月後には婚約を申し込まれた。私は顔を真っ赤にしてコクンと頷いた。
ステファノは社交界ですごく人気だ。彼とダンスを踊りたい令嬢はたくさんいる。婚約を望む女性だっているはずだ。その彼が私を選んでくれた。こんな素敵な人に地味な私が求婚されるなんて本来ならありえない。私は有頂天になっていた。