26.復讐※暴力表現があります
屋敷の中で公爵様がステファノに詰め寄っていた。そして部屋には棺が置かれ黒い布が床に落ちていた。何故こんなものがある?! 誰かが亡くなった?
「嘘をつくな! これは毒を飲んで苦しんだ後の状態だ。お前はロゼリアに毒を盛ったのだ」
「ち、違う。そうだ。ロゼリアは義父上が亡くなったと絶望して自ら毒を飲んだのです。私じゃない。私は殺していない!」
「お前を殺してやる! 許さない! よくも私の娘を、私の愛する娘を……」
ロゼリア様が死んだ……。何があったんだ。どうしてロゼリア様が棺の中にいる? 早く出して差し上げなければ。嘘だ、こんなこと。どうしてこんな姿に。最後に見たときは幸せそうに笑っていたじゃないか。
混乱していると公爵様が机の上にあった果物ナイフを握り振り上げる姿が視界に入り我に返った。咄嗟にその腕を掴み止める。この人に人殺しをさせるわけにはいかない。
「放せ。止めるな! この男を殺したあとならどんな罰でも受ける。だから――」
「この男に相応しい罰を私が与えると約束します。ですから――――」
公爵様を止めながらもどうしてもこれが現実のこととは思えない。本当にステファノが殺したのか? 二人は愛し合っていたのではないのか? 混乱しながらも俺はもし本当にこの男がロゼリア様を殺したのならこの手で八つ裂きにしてしまいたいと思った。
俺は衝動的にこの男を殺さないよう必死に感情を抑えた。限りなくステファノが疑わしくてもまだ何が真実か分からない。いつでも殺すことは出来る。だから……耐えろ。棺に視線を向ければ目を逸らしたくなるほどの苦悶の表情のロゼリア様がいた。
「公爵様はロゼリア様の側に……」
公爵様はよろよろと棺に近づき縋り付く。
「ああ、ロゼリア。お父様だ、聞こえるか? 一人にして悪かった。これからは側にいる。だから目を覚ましておくれ……。頼む、ロゼリア。もう一度お父様と呼んでくれ……」
公爵様の慟哭が屋敷の中に響いた。その声を呆然とどこか遠くに聞きながら悪い夢を見ていると感じた。だから早く目を覚まさねば――。
その後、ステファノを取り調べた。この男は自分のしたことを悪いと思っていない。自分は高位貴族だから許される、父親が何とかしてくれるとふてぶてしい態度で黙秘を続ける。果てには待遇が悪いと怒り出す。人殺しの分際でと思ったがマッフェオ公爵様からはまだ我慢するように言われている。マッフェオ公爵様に限ってありえないとは思うが、もしも権力でステファノを逃がすというのなら俺がこの手で殺してやる。今は殴るだけに留めた。しばらくすると責任者を出せと騒ぐステファノにマッフェオ公爵様が会うと言った。
「マッフェオ公爵様。ここから私を出して下さい。冤罪で捕らえられているのです。父からも連絡が来ているはずです。あとこの男に処罰を」
ステファノはマッフェオ公爵様に猫なで声で自分の無実を訴える。公爵様は愚かな男を嗤笑した。
「ふっ。モンタニーニ公爵邸のお前の部屋を捜索した。ピガット侯爵とお前がモンタニーニ公爵殺害の計画を企てた手紙を押収してある。また、侯爵が毒を入手した経路も明らかになった。証拠はそろっているのに冤罪だと? 呑気なものだ。ピガット侯爵はすでに独房にいるぞ」
マッフェオ公爵はピガット侯爵家を徹底的に潰すために動いていた。モンタニーニ公爵様の殺害未遂にロゼリア様の殺害、それだけでも間違いなく極刑だ。
「それにこの件はジョフレ隊長を責任者に指名してある。私に何かを期待するな」
マッフェオ公爵様は俺の心中を察してか好きに取り調べていいと許可を下さった。俺は容赦なくステファノに暴行を繰り返した。だが命は損なわないように、痛みを長引かせるものを。建前では自白を目的としたものだが、もうどうでもいい。これはロゼリア様の苦しみをこいつに思い知らせるためのものだ。
「ジェンナという女はお前に唆されて手伝ったそうだぞ。お前が毒入りの砂糖を紅茶に入れロゼリア様に飲ませている所も見たと証言している。あの女は自白すれば罪が軽くなると言うとベラベラ喋ったぞ」
ステファノは動揺したがそれでもまだ家の誰かが助けに来てくれると思って口を割らない。俺は急がなかった。それなら長く苦痛を思い知らせるだけだ。それでも毎日与えられる暴力にとうとうステファノは折れた。
「そうだ。私がロゼリアに毒を飲ませた」
暴力から解放されると信じて安心した顔が滑稽だ。どのみちお前の行く先は地獄だ。
「そうか。お前がロゼリア様を殺したのか」
その日は敢えて何もせずに牢に戻した。でもこれで終わりじゃない。次の日も取調室に連れて来ては甚振った。行き場のない怒りをぶつけ続けた。
「これは違法だ! やめろ! 清廉な騎士がやることじゃない」
人を殺した男が法に縋るのか? 俺は清廉な騎士になった覚えはない。戦争では卑怯なことをして人を殺していた。今更高潔な人間ぶる気はない。
ああ、俺はこの男がロゼリア様を幸せにしてくれるなどと思って身を引いてしまった。こんなことになるのなら攫って逃げてしまえばよかった。
「あいにく私は清廉な騎士になった覚えはないし、違法であることは分かっている。私刑を行っていることは理解しているが、止めるつもりもない。いずれその責任はお前が断頭台に立ったあとに取るさ」
「だ、断頭台?」
絶望の表情を浮かべたステファノに俺は口角を上げた。恐怖に怯える姿が滑稽だ。
騎士団、とくに低位貴族や平民上がりはモンタニーニ公爵家に感謝していた。病が流行したときに金がなくても薬を受け取っていた。それ以外にもロゼリア様は街に出て孤児院などでも救済活動をしていた。慕われていたのだ。そして今、ロゼリア様を失い悲しみに暮れるモンタニーニ公爵様に誰もが同情している。その分、ピガット侯爵家とステファノに向けられる憎しみは大きかった。
俺はステファノがロゼリア様に使った毒を極秘で取り寄せ水に入れ少しずつ飲ませた。そして解毒をして再び飲ませる。もっともっと苦しめるために。ロゼリア様の絶望を思い知らせるために。俺はお前を絶対に許さない。
「お前の処刑が決まった。明日早朝だ」
「あす? ……父上はどうなった?」
お前の頭の中はスカスカなのか? 家が無事だと本気で思っていたのか。憐れなほどだ。
「すでに処刑されている。ピガット侯爵家は取り潰しで全財産没収、一族は平民となり散り散りとなった。お前を助けるものなどこの世に存在しない」
「……」
ステファノは項垂れ、もう一言も発さなかった。だが処刑寸前断頭台の前で抵抗した。騎士はそれを押さえつけ執行した。
ステファノの首が落ちた瞬間、刑場に集まった民は大きな歓声を上げそれが空に響き渡った。
この男が死んでも、ロゼリア様はもう、戻らない――。
虚しくて何も手につかない。夜に眠ろうとすると夢の中で彼女の助けを呼ぶ声が聞こえてくる。うなされ目を覚ましては、ただ仕事をするだけの日々。これからどうやって生きていけばいいのか分からない。
モンタニーニ公爵様は爵位を遠縁に譲ると領地に戻って行った。そこには奥様とロゼリア様が眠っている。数か月後、公爵様が病に倒れ呆気なく亡くなったと聞いた。
なぜロゼリア様は死なねばならなかった。
俺は何をしていたんだ。彼女を守ると騎士になりながら結局は役立たずのまま彼女を死なせてしまった。守れなかった。
俺は辺境行きを撤回し騎士団を辞めた。そしてモンタニーニ公爵領に向かった。
俺は白薔薇の花束をロゼリア様のお墓に手向けた。もっと早く渡したかった。こんな形ではなく生きているロゼリア様にこの手で渡したかったんだ。
「ロゼリア様。あなたを守れなくて申し訳ありませんでした。私は約束を果たせなかった」
時間が過ぎるのも忘れて佇む。悔恨と自戒の思いで心も体も鉛のように重い。
そのとき突然脇腹に痛みが走る。横を見れば男が血まみれの短剣を握り俺を睨んでいる。不思議に思い腹に手をやればべったりと血が付いた。
「お前がいけない……クラリッサ様を悲しませたりするから……」
血走った目で男はそう言うとじりじりと後退りをした。そして短剣をそこに捨てると身を翻し走って行った。あの男は確か……クラリッサ様に求婚したいと言っていた、伯爵家の次男だったか……。油断したとはいえ気配に全く気付かなかった。俺は自嘲を浮かべると脇腹を押さえながら膝を地面に突いた。脇腹を押さえる手の間からドクドクと血が溢れ出していく。
「ははは……。これは報いか……ロゼリア様を守れなかった……俺に相応しい死にざまか……」
そのまま地面に倒れ込んだ。身じろぎをして仰向けになり空を見上げる。いつの間にか夜だった。星も見えない。月は雲に隠れている。闇の中、ここで一人で死んで逝くのか……。このまま死ねばロゼリア様の黄泉路の旅へとお供をさせてもらえるだろうか。そうできるならそれもいい。ふと母と旅をしていた時のことを思い出した。そうだ、ペンダント……。母の形見のペンダントを首元から取り出し握り締める。
母さんごめん。一生懸命俺を生かそうとこの国に導いてくれたのにこんな結果になって。
ずっと助けてくれていたドマニにも申し訳ないな。謝らないと……。そういえばずっと連絡をしていなかった。
体が寒い。凍えてしまいそうだ。俺は震える手でロゼリア様の墓石に手を伸ばした。
「今度は……あなた、の……お側に…………」
視界が闇に覆われる。そのまま意識を手放し己に訪れる死に身を委ねた。