20.末路(ステファノ)※暴力表現があります
ジェンナが満面の笑みを向け私にしな垂れかかる。
「上手くいったわね。これからの生活が楽しみだわ。宝石もドレスも全部私のものになったわ! もう、誰にもへつらう必要もないのよ」
馬鹿な女だ。はしゃぐジェンナを心の中で嗤笑した。気分が落ち着きロゼリアを見てハッとする。そうだ。毒で心臓発作に見せかけるはずだったのに、この状態の死体ではどう見ても無理がある。毒が強すぎたのだ。
私はジェンナに血だらけの床の掃除を命じロゼリアを寝室に運ぶ。着ていたワンピースを脱がせ別の服を着せる。首の傷や変色した爪を隠すためにショールをかける。戻って来たジェンナにロゼリアに化粧をさせた。血まみれの服は暖炉で燃やした。すぐに父に連絡をしてピガット侯爵家専属の医師を呼ぶ。心臓発作の死亡診断書が必要だ。事情を知る医師は呆れた顔をした。
「これは酷い。心臓発作だと信じる者はまずいないでしょうね」
「参列者は招かずに葬儀を行いすぐに埋葬してしまえば分からないだろう」
父の準備のおかげで棺がすぐに届いた。
騎士団から戻って来た執事にロゼリアが心臓発作で死んだと伝えると酷く取り乱した。別の医者を呼ぶと言い出したが、すでにピガット侯爵家の医者が診ている、診断書もあるのに逆らうのかと恫喝して黙らせた。悔しそうに不審な目を私に向けている。葬儀が終わり次第クビにしよう。
その夜、私はジェンナと二人、ロゼリアの棺の前でシャンパンを掲げて乾杯した。
「私の輝かしい未来に!」
「私の幸せな未来に!」
公爵秘蔵のシャンパンは最高の味だ。どれも全部私のものだ。ああ、でも浮かれてばかりでは駄目だ。明日からは妻と義父を失った失意の夫を演じなければならない。最高の演技で同情を集める。しばらくは派手に動けないが半年もしたらいいだろう。それまでにジェンナを始末すればお楽しみが待っている。カジノに行き放題だ。あとは私に相応しい高貴で洗練された女性を後妻に迎えよう。そういえば王家には美しい同年代の王女殿下がいたな。上手く接触すれば……。私の前途は明るい。
翌日、父と相談し埋葬を早めることにした。とりあえず王都の墓地でいいだろう。明日の埋葬に供え休むことにした。
二階で眠っていると深夜にもかかわらず大きな声が聞こえ目を覚ます。一体誰が? 騒がしい。処罰してやらねばとガウンを羽織り階段を下りる。
「ロゼリア! どこだ。ロゼリア!」
そこには必死の形相で叫ぶモンタニーニ公爵の姿があった。
「ち、義父上。何で生きて?」
愕然とした。何故ここにモンタニーニ公爵がいる? どういうことだ。殺し屋は間違いなく公爵ごと馬車を崖から落としたと報告してきた。私は幽霊でも見ているのか? 呆然としている間に執事が公爵をロゼリアの棺の置いてある部屋へと連れて行ってしまった。まずい。遺体を見られてしまうと言い訳が難しい。
「ロゼリアが死んだ?! 嘘だ。ああ、そんな!!」
公爵は棺に縋りついている。そしてゆっくりと顔を上げると私を強く睨みつけた。それは激しい憎悪のこもったものであまりの恐怖に全身に鳥肌が立った。公爵は地を這うような低い声で鋭く言葉を放つ。
「お前が殺したのか?」
「これは……義父上が馬車の事故にあったと聞いて心臓発作を起こしたのです。医者を呼んだのですが間に合わなくて、それで――」
咄嗟に用意しておいた言い訳を口にしたが……。
「嘘をつくな! これは毒を飲んで苦しんだ後の状態だ。お前はロゼリアに毒を盛ったのだ」
「ち、違う。そうだ。ロゼリアは義父上が亡くなったと絶望して自ら毒を飲んだのです。私じゃない。私は殺していない!」
認めるわけにはいかない。今はこの場を誤魔化さなくてはならない。そして今度こそ公爵を――。
「お前を殺してやる! 許さない! よくも私の娘を、私の愛する娘を……」
激高した公爵は机の上にあった果物ナイフを手に取ると私に向かって振り上げる。よけなければと思うのに体が動かない。その時いつの間にか後ろにいた騎士団のジョフレ隊長が公爵の腕を掴みナイフを取り上げた。何故この男がここにいるのか分からないが、助かった。そうだ。騎士団は一般市民を守るのが務めだからな。
「放せ。止めるな! この男を殺したあとならどんな罰でも受ける。だから――」
「この男に相応しい罰を私が与えると約束します。ですから――」
ジョフレ隊長が私を睨む。その視線だけで人が殺せそうなほど昏く鋭い。体がビリビリと痺れる。獲物を逃さないとそう言っているように聞こえた。
「公爵様はロゼリア様のお側に……」
その後、私は騎士団の薄暗い取調室に連れていかれた。
「父上を呼んでくれ。あと弁護士もだ。それまでは何も話さない」
余計なことを言わなければいい。文官をしていた時に横領が発覚した時も家門を守るために父上は握り潰してくれた。今回だってそうしてくれるはず。大丈夫だ。殺し屋はすでに国外に出たと聞いている。御者は始末した。ジェンナだって私を愛している以上黙秘するはずだ。
「そうか」
ジョフレ隊長は音もなく腕を振り上げ私の顔を殴りつけた。強い力で体は椅子から転げ落ちる。顎が痛い。打ち付けた体も痛くてたまらない。私は一度も本気の暴力を受けたことがなかった。口の中には鉄の味が広がる。口内が切れたのだ。怒りが湧き上がる。この男、元平民のくせに侯爵子息である私を殴ったのか?! 正気か? 身の程知らずめ。
「おい! 責任者を呼べ。騎士団長のマッフェオ公爵様を!」
公爵様なら私への非道な扱いを許さないはずだ。こいつにも厳しい処分を下すだろう。ジョフレ隊長は蔑視すると部下に何かを伝える。しばらくするとマッフェオ公爵が来た。
「マッフェオ公爵様。ここから私を出して下さい。冤罪で捕らえられているのです。父からも連絡が来ているはずです。あとこの男に処罰を」
マッフェオ公爵は冷ややかな視線を向ける。何故だ。彼は私の味方ではないのか?
「ふっ。モンタニーニ公爵邸のお前の部屋を捜索した。ピガット侯爵とお前がモンタニーニ公爵の殺害の計画を企てた手紙を押収してある。また、侯爵が毒を入手した経路も明らかになった。証拠はそろっているのに冤罪だと? 呑気なものだ。ピガット侯爵はすでに独房にいるぞ」
そんな、まさか? 父上が捕縛されている? それならば兄上に……。ここにきて自分がまずい状況にいることをようやく知る。
「いずれ、ピガット侯爵家の取り潰しは免れないな」
「家が潰れる? ありえない」
私に自白させるために大袈裟に言って脅しているだけだ。仮にも侯爵家、そう簡単に潰れるわけがない。マッフェオ公爵まで馬鹿なことを言うのか。私は騙されない。
「それにこの件はジョフレ隊長を責任者に指名してある。私に何かを期待するな」
「そ、そんな。平民上がりを優先して侯爵家の人間を見捨てるのですか?」
私は絶望的な気持ちでマッフェオ公爵の顔を縋るように見上げたが、同情の欠片も示さず部屋を出て行った。
そして地獄が始まった。ジョフレ隊長と数人の騎士が交代で取り調べる。眠ることも許されず、加減なしで殴られる。顔は腫れあがった。
「ジェンナという女はお前に唆されて手伝ったそうだぞ。お前が毒入りの砂糖を紅茶に入れロゼリア様に飲ませている所も見たと証言している。あの女は自白すれば罪が軽くなるとベラベラ喋ったぞ」
ジェンナが私を裏切った。その事に苛立つ。だから女は信用ならないのだ。それでも私は黙秘を続け弁護士と兄を待っていたが、誰も来ることはなかった。その後、父がどうなったのかも分からない。不安や暴力の痛みと恐怖にとうとう耐えられなくなり真実を話した。精神も肉体も限界だった。はやくこの日々を終わらせたかった。それに私は貴族だ。たとえ罪に問われてもそれほど重い罰を受けるはずがないと信じていた。
「そうだ。私がロゼリアに毒を飲ませた。公爵に暗殺者を差し向けたのもそうだ」
あれは私が全てを手に入れ幸せになるために必要なことだ。今でも後悔していない。もっと上手くやれればと失敗が悔やまれる。
「そうか。お前がロゼリア様を殺したのか」
ジョフレ隊長は黒い瞳を細め口角をあげた。呟いた声は低く響く。その表情に、声に背筋が凍る。だが自白したのだから私はこの地獄からは解放される。貴族用の牢へ移動し手当てを受けて裁判を待つ。ホッと安堵の息を漏らす。だが私の期待を裏切りそのあとも日の差さない汚いいつもの牢へと入れられた。
「おい、手当をしろ。私はいつここから出られるのだ?」
翌朝、牢の見張りの騎士に問いかけた。騎士は嘲笑うように俺を見た。
「こちらが聞きたい。なぜ出られると思っているのか。騎士団の誰一人、お前を許す人間はいない」
「えっ?」
そして再び取り調べ室に引きずられる。嫌だ。あそこには行きたくない。
「これは違法だ! やめろ! 清廉な騎士がやることじゃない」
「あいにく私は清廉な騎士になった覚えはないし、違法であることは分かっている。だが止めるつもりもない。いずれその責任はお前が断頭台に立ったあとに取るさ」
「だ、断頭台?」
嘘だ。あれくらいで極刑になるなんておかしいだろう? もっと悪いことをしている人間はいくらでもいる。何で私だけが……。
それからも取調室から解放されることはなかった。ジョフレ隊長は意識を失わないギリギリで加減をする。苦痛を長引かせようとしている。彼がいない日があったので別の騎士の時に訴えた。自白後に私に暴力を振るうのはジョフレ隊長だけだった。
「もう、やめてくれ。私は全部話しただろう?」
懇願するとその騎士は無表情のまま吐き捨てる。
「俺たちはロゼリア様の仇を許さない。本当は俺だってお前を殴りたい。でも隊長が全ての責任を自分が負う、だから手を出すなというから我慢しているだけだ。騎士団でお前に情けをかけるやつなど一人もいない」
「なんであんな女のためにそんなに怒るんだ?」
私は本気で分からなかった。絶世の美女でもないのに……。
「ふん。そんなことも理解できないのか? 騎士団は常に命の危険と隣り合わせだ。モンタニーニ公爵様は騎士団に薬を優先し医者も手配してくれていた。殉職した団員の家族にまで手を差し伸べて下さっている。ロゼリア様だって貴族令嬢なのに率先して手を貸してくれた。平民にも分け隔てなく薬を恵んで下さった。みんな本当に感謝していた。それなのにそのロゼリア様を無慈悲に苦しめ殺したお前を許すはずがないだろう?」
その騎士は目を吊り上げるとナイフを取り出し私の掌に突き立てすぐに引き抜いた。激しい痛みに血が溢れ出す。そして太腿にも同じようにした。
「うわあああああ――!!」
痛みにのた打ち回ると脇腹を激しく蹴られる。胃液を吐き出した。制止する者はこの部屋にはいない。
次の日はジョフレ隊長が来た。怯えて身を縮こませたが何もされなかった。彼は黙って水の入ったコップを差し出した。私はそれをすぐに飲み干した。いつも一日一杯の水しか与えられない。いつだって喉が渇いていた。口の中は切れていて滲みるが喉を潤すことの出来る喜びの方が勝る。飲み終わると急に喉が焼け付くような熱さを感じた。
「グッホッ……」
吐き気が込み上げ吐き出した。吐瀉物は真っ赤に染まっていた。恐怖に動揺する。
「血? あ……あ……」
ジョフレ隊長がうっすらと笑みを浮かべる。
「水は旨いか? ロゼリア様が飲まされた毒よりはるかに弱いものだ」
毒入りの水? 鳩尾に激しい痛みが走る。腹を押さえ何度か吐血した。その夜高熱を出し苦しんだ。翌朝解毒剤を飲まされる。そして回復すると再び毒を飲まされた。終わらない地獄……。もう、どれだけの時間が経ったのか分からない。誰かこの地獄を終わらせてくれ。
その日の朝、ジョフレ隊長が言った。
「お前の処刑が決まった。明日早朝だ」
「あす? ……父上はどうなった?」
「すでに処刑されている。ピガット侯爵家は取り潰しで全財産没収、一族は平民となり散り散りとなった。お前を助けるものなどこの世に存在しない」
「……」
私の罪はそんなに重いものだったのか? ただ金と権力を手に入れようとしただけじゃないか。ロゼリアは私と結婚することが出来ただけで幸せだったはずだ。その見返りを要求しただけだ。ああ、疲れた。もう、いい。どんな形でもこの苦しみが終わるなら、それでいい。何も考えたくなかった。
翌朝、刑場に引きずられると目の前には断頭台が見える。集まった民衆は私に石を投げ罵詈雑言を浴びせる。民衆もモンタニーニ公爵やロゼリアを慕っていたのだ。
いざ、死を目の前にすると足が竦んで動けない。あそこに首を乗せるのか? 上を見れば鋭い刃が太陽に反射している。途端に足がすくんだ。逃げたいのに萎えた体では騎士の拘束は外せない。それでも抵抗すると騎士は舌打ちし私の首を台の上に固定する。
「こわいこわい。いやだ……たすけてくれ。あ、ああ……」
民衆のざわめきが遠くに聞こえる。嫌だ。死にたくない。助けてくれ。誰か、誰でもいい。たすけ……。
私の首を体から離すための刃が勢いよく落ちた。
最期の瞬間、大きな歓喜の声が聞こえた――――。