2.二回目の人生
私は勢いよく飛び起きると荒い呼吸を繰り返した。心臓の音が全身に響くようにこだまする。体は汗びっしょりで夜着がべったりと張り付いている。
毒を飲まされて意識を失い……でも生きている? 誰かが助けてくれたの? でもあの毒で生きていられるはずがない。ロゼリアは薬や毒の知識を少なからず持っている。解毒できるようなものではなかった。
ドッドッドッと激しく暴れる心臓はなかなか静まらない。はっとして両手を広げる。手の平は赤く染まって……いない。よかった。その手で顔を覆う。
「夢……? ……生きてる? 私、死んでいない?」
夢だった? そうよね。あんな恐ろしいことが起こるはずがない。安堵するもしばらくベッドの上で呆然としていた。それにしても夢にしてはリアルすぎた。毒を飲んだ苦しみも、口に広がる血の味も、ステファノに裏切られた驚きや悲しみも、まるでさっきあった出来事のように生々しい。
私は信じたくないのだ。夫に裏切られたあげくに信頼していた侍女が彼の子を宿していて公爵家を乗っ取ろうとしたということを。これは夢――部屋を出たらいつものようにステファノが笑顔でおはようとおでこにキスをしてくれる。夢の話をすればそんなことは悪夢で起こらないと言ってくれる。そう思い込もうとした。
ようやく落ち着いてきて部屋を見回す余裕が出てきた。
「?」
この部屋は……私の部屋だ。だけど結婚前の部屋。結婚後は夫婦の寝室を挟んでお互いの部屋がありそこに移った。そのときに家具を新調している。もともと使っていた家具はお気に入りだったし、捨てるには思い出があり過ぎてとりあえず物置に仕舞い新しい部屋の家具は替えた。私は新しくする必要はないと思ったがお父様がせっかく新婚なのだからと勧めたのだ。更にステファノは輸入家具が好きで一新したいと張り切ってしまい、それならばと彼に任せた。その新しい家具がひとつもない。窓を見ればまだ夜が明けきっていないようで外はうす暗い。
「あっ! お父様は?」
混乱のあまりに大切なことを忘れていた。あれが夢ならばお父様も無事なはず。その姿を見て安心したい。私はベッドから下りるとそのまま部屋を飛び出した。お父様はいつも夜が明けきる前から早く起きて仕事をしている。だから今頃は朝食を摂るために食堂にいるはずだ。急いで階段を下り食堂の扉を乱暴に開く。
そこにお父様は……いた。ああ、生きている! お父様は私の慌てる姿に目を丸くしながらも立ち上がる。
「こんなに朝早く、どうしたんだ? ロゼリア」
返事をするよりも勢いよくお父様の体に抱きついた。お父様はそれを受け止めると優しく背中をよしよしと撫でてくれる。その手の温かさに安心しこれこそが現実だと実感する。
「怖い夢を見たの」
お父様の胸元にまるで幼子のように甘えるようにもたれかかる。温かい。ちゃんとここにいる。
「そうか。でも大丈夫だ。お父様が悪夢からもロゼリアを守るよ」
「えっ?」
きょとんとお父様を見上げる。私を大事だと思ってくれているような言葉にびっくりする。
「何だ? 私はおかしなことを言ったか?」
「でもお父様はお仕事が一番大切で、だから私のことは……」
興味がないのでしょうとは悲し過ぎて口には出せなかった。お父様は顔を歪ませると悲しそうな表情を浮かべる。
「違う。私にとって一番大切なのはロゼリアだ。だが、私が仕事を優先してお前にそう思わせてしまったんだな。寂しい思いをさせて悪かった。それにしても、久しぶりに甘えてくれたな」
反省の言葉と裏腹に声は嬉しそうだ。確かに私は甘えないようにしていた。仕事の邪魔をして煩わしいと思われたくなかったから。
「別にいいの……。お父様は国や領民のために一生懸命働いてくれているのよ。我儘を言って邪魔をしたくなかったの」
「ロゼリアを邪魔に思うことなど絶対にない。私は……領民も守りたいし、仕事にも誇りを持っている。でもこの世にロゼリア以上に大切なものはない」
「……知らなかった」
お父様は抱きしめる腕に力を込め小さく呻いた。
「私は父親失格だな。すまない。そうだ。今日は無理だが明日は一緒に外出しよう。仕事ばかりでロゼリアとの時間が取れていなかったな。急だが、いいかい?」
「お仕事、本当にいいの?」
同じ屋敷にいても食事の時間も合わずに寂しかった。お出掛けできるなんて嬉しい。仕事の邪魔をしてしまうことが申し訳なくもあるけれど……。
「もちろんだ。仕事は今日中に片付けておく」
私は頷いた。いつもなら遠慮してしまうが、悪夢のせいで一緒にいたいと思った。突然会えなくなる日が来ると想像するだけで恐怖を思い出す。それならば許される限り一緒に過ごしたい。
「嬉しい」
「それに来週はロゼリアの十四歳の誕生日だ。一緒にプレゼントを買いに行こう。いつもは私が勝手に選んでいたがロゼリアが欲しいものを教えてくれ」
「えっ? 十四歳の誕生日?」
どういうことなの。私は二十歳だったはずなのに。確かに自分の体が少し小さく感じる。もしかして若返っている? そういえばステファノがいない。十四歳なら私はまだ結婚していない……。
「そうだよ。自分の誕生日を忘れていたのかい? ロゼリアの生まれた日は私にとって宝物を授かった日だ。お祝いをしないと」
「……ありがとう」
「まだ早い時間だからもう少しお休み」
「そうね。そうするわ」
お父様は明日の外出のために仕事を片付けると張り切っている。私は混乱しながらも部屋に戻った。お父様は私が誕生日を忘れていたと解釈してくれたが、驚いたのは年齢だ。部屋のカレンダーを確認すれば確かに六年前のものだ。
頭の中は混乱を極め、もう一度眠るなんて出来そうもない。ワンピースに着替えると現状を整理するためにソファーに座る。
ああ、でもお父様は私の誕生日をちゃんと覚えていてくれた。いつもプレゼントは貰っていたが忙しいのできっと忘れている、だから執事が気を遣って手を回してくれたのだと思っていた。でもお父様が選んでくれていたようだ。可愛い縫いぐるみの時もあったし、渋い形のフクロウの置物もあって「なぜ?」と困惑したことを思い出す。
私たち親子はさっきみたいに話をする仲ではなかった。お母様が亡くなってからは仕事ばかりで。でも、私のことを一番大切だとそう言ってくれた。胸の真ん中がほんわか温かくなる。
それにしても鮮明すぎる記憶が夢だとはどうしても思えない。毒の苦しみもステファノに裏切られた絶望も生々しく思い出せる。首を掻きむしり助けを求めた手を拒まれたのだ。あれは間違いなく実際にあった現実だ。ぶるりと体を震わせた。
――私は夫に殺された。
理由は分からないが時間が遡ったのだ。私はもう一度生きるチャンスをもらった。
きっと今度は幸せになるための人生を――――。