18.後悔(ベニート・モンタニーニ公爵)
二人の結婚生活は一見順調そうだった。ステファノの動向はしっかりと監視している。十分な小遣いを与えているが不満を滲ませている。結婚当初はカジノへの出入りを我慢していたようだが数カ月経つとロゼリアに隠れて行き出した。私はこの男はやはりロゼリアに相応しくなかったと後悔し始めていた。
ステファノを監視するためにも例年なら領地に行く期間を王都で過ごしていた。ところが天候不順でマカーリオから薬草の状態が良くない、至急来て欲しいと連絡が来た。私自身が確認しに行く必要がある。
「ロゼリア。一週間ほど領地に行ってくる。少しの間の仕事を頼めるか?」
「はい。大丈夫です」
結婚後のロゼリアはよく笑うになった。私とも話をするようになった。ところが結婚して半年経つ頃になるとまだ幸せの絶頂と言える時期なのに時折ぼんやりとしている。どこか不安そうな顔をする。「何か心配事があるのか?」と聞けば「幸せ過ぎて不安になるのよ」と言う。本人が打ち明けない限りそれ以上のことは問い質せなかった。執事には私の不在中くれぐれもステファノの行動に注意するように言っておいた。
領地に着き薬草の確認をする。天候不順で半分が腐ってしまっていた。幸い残りの半分は無事だったので早めの収穫で最低必要分は確保できた。引き続き管理を指示し、王都に引き返すことにした。ロゼリアが心配だ。休む時間も取らず御者に急ぐように伝える。胸騒ぎがする。考え過ぎならそれでいい。早く娘の顔を見たい。一刻も早く……。夕方になり次の街に入る直前で御者が馬車を止めた。窓の外を見れば道を外れ森の中にいた。やけに馬車が揺れると思っていたがこれは一体……。
「どうした?」
「旦那様。車輪の調子が悪いようです。少し馬車の中でお待ちいただけますか? あと、お茶の用意があるのでどうぞ」
御者の差し出した水筒を受け取る。
「そうか。できれば日が暮れるまでには次の街に行きたいがどうだ?」
「大丈夫だと思いますが念のために確認するだけなので」
私はやや不審に思いながらも水筒に口をつけた。中のお茶を一口含むとすぐに吐き出した。
「これは……」
睡眠薬の味がした。私はもちろん薬草に詳しい。調剤の資格も持っている。実際に薬の味も理解しているので少し口に含めば分かる。睡眠薬は妻を亡くしたときに常用していたので尚更だ。かなりの量が入っている。不審に思い馬車の窓を少し開ければ御者が森の奥へと入っていく。これは何が起こっているのだ?
御者は何十年も仕えてくれている男だ。まさか裏切るはずがない。何を企んでいるのか分からない以上、万が一に備えた方がいい。私は中にあったクッションに自分の上着を被せ横たわっているように見せた。扉を少し開けると身を滑らせ外に出た。
森の中は草が生い茂り大木の影に隠れれば身を隠せた。少しすると御者と一緒に怪しい男が二人こちらに向かってくる。男たちは黒いフードを被っており顔は見えない。私は見つからないように身を屈めると息を殺し耳を澄ませた。
「おい、公爵は眠ったのか?」
「はい。睡眠薬入りのお茶を飲ませたのでしばらく目を覚ましません」
「そうか。じゃあ、約束の金だ。これを持って姿を消せ。逃げるための馬があっちに用意してある」
「ありがとうございます」
御者は金の入った袋を受け取るとへこへこと頭を下げ嬉しそうに笑みを浮かべながら道のある方へと向かった。一人の男が背を向けた御者に剣で切りかかった。
「ぎゃあ!!」
御者は倒れるとピクリとも動かなかった。背中からは大量の血が流れている。私は恐怖に声を出しそうになるがなんとか耐えた。見つかれば間違いなく殺される。御者を切った男は金の入った袋を拾うと懐にしまった。
「おい。馬車を崖まで移動させて落とすぞ。馬車は大破して遺体もバラバラだ。見つかることはないだろう。御者はその辺に置いておけ。どうせ夜になれば獣が片付けてくれるだろう。あとは王都に戻ってステファノ様に残りの報酬をもらうとしようか」
「今回の仕事は楽だったな。これで高額の報酬だ。最高だ」
ステファノが私を殺すように依頼したのか! 私が死ねばロゼリアも命を狙われる! すぐに王都に戻らなければあの子が危ない。
男たちは馬車の中を確認せずに移動していった。いい加減なやつらで助かった。完全に男たちがいなくなるのを待って私は森の中を移動した。ここがどこか分からないが、時間的に道からそれほど離れていないはずだ。道にさえ出れば通りがかった人に助けを求められる。日が暮れ切ってしまう前に行かないと夜盗に出くわすかもしれない。男たちの話通りなら獣も出る。今の私は武器になるようなものを持っていない。そうだ金も持っていないのだ。
王都まで急がねばならないのにと焦るが草が茂る中を歩くのは負担が大きく思うように進まない。それでも息を切らし必死に道へ出た。だが人も馬車もいない。とにかく王都へ向かうしかない。何度も往復して来た道なので方向と位置の見当はついている。
一時間も歩けば空が暗くなってくる。どこかで野宿しなければならなさそうだ。何よりも足が棒のようだ。水も食べ物もない。喉がカラカラだ。民家がある場所まではどのくらいなのか。私は空を見上げ絶望しかけた。すると何かの音が聞こえる。馬の蹄の音だ! 顔を上げて目を凝らせば前から馬が近づいてくるのが見える。誰かが騎乗している。賊ではないことを祈り馬が来るのを道の真ん中で待った。
「危ない!!」
馬上の人はそう叫ぶと馬を止めた。馬は興奮し嘶いている。私は縋るように声をかけた。
「頼む。助けてくれ」
「まさか? モンタニーニ公爵様ですか?」
「君は、私を知っているのか?」
馬上から私を見下ろす男は王国騎士団の隊服を来ていた。賊でないことに安堵する。
「はい。騎士団の第二部隊隊長をしているカルロ・ジョフレです。公爵様が事故に遭ったと聞いてここに来ました。ご無事でよかった」
私は運がいい。きっと間に合う。神様、アレッシア、ロゼリアを守ってくれ。
「私は大丈夫だ、それよりも娘が大変なんだ。ロゼリアを助けないと。頼む。私を馬に乗せて王都まで連れて行ってくれ!」
「ロゼリア様が? 急ぎます。飛ばしますので舌を噛まないように気を付けてください」
彼は私の必死の形相に話を聞くよりも王都に行くことを優先してくれた。カルロから水をもらい馬に乗せてもらう。彼は一昼夜馬を飛ばした。馬の疲労が心配だったがこの馬は辺境での戦いを共に乗り切った愛馬だから多少の無理は利くと言っていた。それでも最低限の休みだけで王都に着いた。普通ならこんな短時間で王都へ到着するのは無理だ。カルロに感謝しつつもロゼリアの安否が気になって仕方がない。
なんとか屋敷に着いた時には深夜を過ぎあと数刻で夜が明ける。屋敷の前で降ろしてもらうと疲労で動かない足を叱咤した。
「ロゼリア! どこだ。ロゼリア!」
私の声にステファノがガウン姿で寝室から出て来た。ロゼリアは眠っているのか? 無事を確認するために寝室に向かおうとしたそのとき。
「義父上。何で生きて?」
ステファノの言葉に恐ろしい予感がよぎる。
「ロゼリアはどこだ? どこにいる?」
執事が慌てて出て来た。目が赤く顔色が悪く土色だ。嫌な予感に全身が震える。違う、大丈夫だ。間に合ったはずなんだ。
「も、申し訳ありません! 旦那様……とにかく、こちらに」
沈痛な面持ちで執事が案内した部屋には棺が置かれ真っ黒な布がかけられていた。私は息が止まった。嫌だ。見たくない。心臓がドクドクと激しく打つ。嘘だ。ここにいるのはロゼリアじゃない。誰かそう言ってくれ! 震える足で一歩ずつ近づく。信じたくない。だが確かめなければならない。私は震える手で布を取り去り祈るような気持ちで棺を開ける。
――そこにはロゼリアが横たわっていた。
「ロゼリア!! 嘘だ。ああ、そんな!!」
棺の中のロゼリアに恐る恐る手を伸ばす。頬に触れれば氷のように冷たい。顔色は真っ青で息を……していなかった。間に合わなかった。私のせいだ。ステファノとの結婚を許しさえしなければこんなことにならなかった。たとえロゼリアに嫌われても憎まれても許すべきじゃなかった。
「ロゼリア……」
顔は苦悶に歪んでいる。首には掻きむしった後がある。爪は変色していた。これは毒を飲んで苦しんだ跡だ。間違いない。よくも私の娘を!! 私は立ち上がるとステファノに詰め寄った。
「お前が殺したのか?」
「これは……義父上が馬車の事故に遭ったと聞いて心臓発作を起こしたのです。医者を呼んだのですが間に合わなくて、それで――」
ステファノは慌てて馬鹿な言い訳を始めた。心臓発作でこんな状態になるわけがない。
「嘘をつくな! これは毒を飲んで苦しんだ後の状態だ。お前がロゼリアに毒を飲ませたのか?」
「ち、違う。そうだ。ロゼリアは義父上が亡くなったと絶望して自ら毒を飲んだのです。私じゃない。私は殺していない!」
言っていることが支離滅裂だ。
「お前を殺してやる! 許さない! よくも私の娘を……」
私は机の上にあった果物ナイフを手に取るとステファノに向かって振り上げた。するといつの間にか屋敷の中にいたカルロが私の腕を掴み止めた。
「放せ。止めるな! この男を殺したあとならどんな罰でも受ける。だから――」
「公爵様が手を汚す価値のない男です。この男は私が捕らえます。それにロゼリア様の前であなたに人殺しをして欲しくない。あなたは薬で数多の人を救って来た。だから」
それが何だというのか。確かに多くの人を助けたかもしれない。だが私は最愛の娘を死なせてしまった愚か者だ。仇を討つためなら手を汚しても構わない。
「放せ。ロゼリアの仇を討たなければ合わせる顔がない……」
「この男には相応しい罰を私が与えると約束します。ですから」
カルロの声は地を這うように低い。怒りで目が血走っている。私と同じように怒りを抱えそれを抑えているのが分かった。それでもこの手で復讐をしなければ許されないと思った。私は必死で彼の腕を振りほどこうとしたがビクともせずナイフを取り上げられてしまった。そして悲哀を滲ませた目で私を見ると背をそっと押す。
「公爵様はロゼリア様のお側に……」
その言葉に私はふらふらと棺の前に膝を突いた。そしてロゼリアに声をかける。どうか返事をしてくれ。
「ああ、ロゼリア。お父様だ、聞こえるか? 一人にして悪かった。これからは側にいる。だから目を覚ましておくれ……。頼む、ロゼリア。もう一度お父様と呼んでくれ……」
泣きながら声をかけ続けたがロゼリアが目を覚ますことはなかった。亡骸は領地まで運んで妻の隣に埋葬することにした。王都を出発する前にカルロが弔問に来てくれた。ロゼリアの顔を切なげに見つめ口を引き結んでいる。肩が僅かに揺れている。その姿は涙をこらえているように見えた。カルロはそっと花を手向けてくれた。
「君はロゼリアと面識があったのか?」
「昔、モンタニーニ公爵領で荷運びの護衛の仕事をしていました。そのとき怪我をしてここで療養させて頂いた時にロゼリア嬢に看病をして頂きました。公爵様が不在の時でした」
「そうか。そんなことが……」
「ピガット侯爵子息のことですが」
「いや、聞きたくない。すまない。彼がどんな罰を受けても、たとえ極刑になっても私は納得できないだろう。ロゼリアが生き返らない限り。だから言わなくていい」
「分かりました」
カルロと会ったのはそれが最後だ。
領地にロゼリアを埋葬したあと一度王都に戻った。ロゼリアの死を悼んでくれる多くのひとがいることに驚いた。公爵家の近くの土地にロゼリアの墓を建てた。亡骸は領地にあるが王都の知人がお参りしたいと言ってくれたからだ。領地に戻る前に花を持って墓に行くと墓石を隠してしまうほどの花が供えられていた。
「そうか、これほど多くの人がロゼリアの死を悲しんでくれるのか……」
ロゼリアは王都の我が家直営の薬屋を積極的に手伝っていた。店先に出て接客をしていたと店長が言っていた。私はそれすらも知らなかった。お金のない平民に声をかけ薬を渡し、数日後には心配をして家まで様子を見に行っていたらしい。きっとその行動を感謝してくれる人がいるのだ。
「ロゼリアは私にはもったいない自慢の娘だ……」
私は縁戚の子息に公爵位を譲り領地に戻った。そして薬草の管理と二人の墓を守ることに専念した。毎日墓を訪れ語りかける。二人が生きている時にするべきだったことを今になって毎日繰り返す。すべては遅すぎた。私は大切なものを守れなかった。
いずれ命が尽きたとき、妻は私を怒るだろう。ロゼリアは口を利いてくれないかもしれない。
「ああ、それでもいい。もう一度会えるのなら……」
私は後悔してばかりだ。もし時間が戻せるのなら今度こそロゼリアを守る。そして愛している、おまえは私の大切な自慢の娘だと伝えよう――。




