17.父親失格(ベニート・モンタニーニ公爵)
モンタニーニ公爵家当主ベニートは領地で薬草の栽培と管理をしている。一年の四分の三は領地で過ごしている。そろそろ王都の屋敷に戻らなくてはいけない。有能な執事に業務を任せているが私自身が決済しなければならないものもある。王都に行く前に妻の墓にお参りをする。自らの手で掃除をし花を供え終わるとゆっくりと語りかける。
「アレッシア。今年も薬草は順調に育っている。君を救えなかった分、国中の多くの人を救えている。見ていてくれているかい?」
翌日の出発を従弟のマカーリオに伝えた。彼は研究が専門だが領地経営の補佐もしてくれている。私が不在中の仕事を一任した。
「ロゼリアも年頃だな。そろそろ婚約者を決めるのか?」
マカーリオは薬草の研究に生涯を捧げ結婚はしないと独身でいる。そのせいかロゼリアのことは娘のように可愛がってくれていた。
「ロゼリアの……婚約者? そうか。あの子ももう十九になるのか」
私は己の迂闊さに心の中で舌打ちをした。ロゼリアはモンタニーニ公爵家の一人娘だ。家を継ぐにあたって相応しい婿を探さなければならなかった。それなのに自分は妻を亡くしてから仕事に打ち込んで娘にほとんど構ってやらなかった。娘を愛している。それなのに蔑ろにしていた。
妻を亡くしたときもあの子は、聞き分けがよく手を煩わせることもなかった。安堵していたがまだ当時八歳の子供だ。それは不自然なことだ。泣くことも甘えることもさせずに我慢させていたことに気付かなかった。
もし、アレッシアが見ていたら怒り狂うだろう。妻は最後に「ロゼリアをお願い」と案じていた。自分は一番に大切にしなければならない娘を放って置いたのだ。頭を掻きむしりたくなる。翌日、早朝に領地を出発した。御者に急ぐように伝える。今更早く帰ったからといって何が出来るというのか。それでもロゼリアの顔を見たかった。
「ただいま。ロゼリア」
「お帰りなさい。お父様」
それなのにいざ王都の屋敷に戻りロゼリアを見ても何も言えなかった。「愛している」「今まですまなかった」自分勝手なその言葉は声にはならなかった。せめて幸せな結婚をさせてやりたい。贖罪のような気持ちを隠し問いかける。
「そろそろロゼリアの婚約者を探そうと思うのだが、誰か好いた人はいるのか?」
「いいえ。お父様にお任せします」
「そうか。分かった」
どこか投げやりで興味のなさそうな表情にどうすればいいのか分からない。ロゼリアはこんなに感情のない表情をする子だったか? とにかくつながりのある貴族に声をかけ釣書を集めた。
私は王都に戻ってから一度もロゼリアの笑顔を見ていない。どうしたら笑ってもらえるのかも分からない。二人の心は遠く隔たっていた。
しばらくするとロゼリアが僅かだか笑みを見せるようになる。執事に問えば「お友達が出来たようです」と言う。ロゼリアの友人の話を聞いたことがなかったことに気付いた。今日は久しぶりに一緒に夕食を摂り友人とやらの話を聞いてみようか。ロゼリアはどこか緊張した表情でカトラリーを動かす。私は気まずい空気の中どう切り出そうか思案するが何も思いつかない。だからストレートに聞いた。
「ロゼリア。最近友人が出来たのか? 今度屋敷に招待してはどうだ?」
ロゼリアは頬を染めた。
「あの、お父様。私、婚約したい人がいるのです。彼からプロポーズをされました。会って頂けますか?」
私はてっきり女性の友人が出来たと思っていたので、恋人の存在は想像もしていなかった。面食らいつつも悪いことではない。一抹の寂しさは心の中に隠した。
「もちろん、いいとも。どこの子息なんだ?」
「ピガット侯爵家のステファノ様です」
はにかんで告げた名に私は固まった。ピガット侯爵子息だと。あそこの次男は散財癖が酷くギャンブルを好むと聞く。ピガット侯爵が上手く隠しているようだがカジノ通いは有名だ。親のコネで文官になったものの続かなかったと聞く。私は普段領地にいるが、執事に情報収集はさせている。よりによって放蕩息子に惚れたのか。幸せになれるはずがない。
「駄目だ。私がもっとお前に相応しい男を選んでやる。だから――」
ロゼリアの笑みが消えた。
「どうしてですか? ピガット侯爵家なら家格も問題ありませんし、彼は私の苦手な社交もそつなくこなしてくれます。我が家の不利益にはなりませんよね?」
「家の利益を考えて反対しているわけではない。あの男ではお前が幸せになれるとは思えないから反対しているのだ」
ギャンブルにのめり込むような男は駄目だ。いつか破綻する。ロゼリアには苦労をさせたくない。
「私の幸せ? お父様はいつも側にいてくれないのに私の幸せが分かるの? 本当は私のことが嫌いだから反対するのでしょう? そうでなければ好きな人との結婚を反対したりしないわ!」
ロゼリアは酷く傷ついた顔で言った。怒りを抑えるように手を握りしめている。私は反論できない。ロゼリアの言う通り今までずっと側にいなかった。話を聞いてやらなかった。
「ロゼリア……」
「お父様はお母様とお仕事だけが大事で私のことなんてどうでもいいのでしょう? ずっと屋敷に一人きりにしていたのに、結婚相手も選ばせてくれないの? ステファノ様だけが私を好きになってくれたの。話を聞いてくれたのよ!」
「私はお前が大切なんだ。だから」
「嘘よ。そんなの信じない」
私はその言葉に衝撃を受けた。ロゼリアは私に愛されていないと思っている? 呆然としている間にロゼリアは席を立ち部屋へと戻ってしまった。
「よりによって……」
私は頭を抱えた。もっとまともな男性はいくらでもいる。それなのにロゼリアはその日から部屋に閉じこもり食事を拒否した。私の説得を受け入れないその頑なな態度に打つ手がない。すべては私の責任だ。妻を失ったことから仕事に逃げ、娘を見ていなかったから……。
執事に命じてステファノのことを調査した。散財癖は噂通りだ。だが女性関係のトラブルは見つからなかった。それならば私が厳しく金の流れを監視していれば何とかなるだろう。
結局、私は折れてステファノとの結婚を許した。
「お父様。ありがとうございます!」
「ああ……」
やつれた顔に笑みを浮かべるロゼリアにステファノの金遣いのことについて話せなかった。久しぶりに見た喜びに満ちた笑顔に水を差したくなかった。
ロゼリアの結婚式当日、私は心から祝福してやることが出来なかった。それでもあの子が笑ってくれるのならこれでよかったんだと、私さえしっかりしていれば大丈夫だと不安を誤魔化すように自分に言い聞かせた。
ステファノは一見人当たりがよく好青年に見えるが実際は怠けものだ。王都内での公爵家の仕事はロゼリアに押し付けて、自分は商人を呼び寄せ買い物に夢中だ。多少は自由になる金を渡しているが度を過ぎれば厳しく叱責するつもりでいた。仕事に関してはステファノに任せない方がいいと判断した。ロゼリアは優秀だ。負担が増えるが全てをステファノに任せればモンタニーニ公爵家が傾いてしまう。最悪たとえ醜聞になろうとも離縁させることも考慮していた。
だが、それでは駄目だったのだ。最初から結婚を許すべきではなかった。ステファノの調査結果を教えてステファノとの結婚を諦めるように説得するべきだった。ただ、もしそれでもあの男を選んで家出や駆け落ちでもしたらと危惧し言えなかった。
ロゼリアを悲しませるくらいなら悪い事実は伏せて、私がしっかりとステファノを監視すれば上手くいくと思っていた。




