14.未遂
執事がにこやかに言った。
「お嬢様。カルロ様がお見えです」
「えっ? 本当に」
最近のカルロは一段と忙しい。我が家への婿入りのために騎士団を辞めるので引継ぎがあるからだ。予定にない来訪に驚きつつも慌てて玄関に向かう。
「カルロ。どうしたの?」
「ロゼリア。急にすまない」
「いいえ。会えて嬉しいけれど、何か急用が?」
「ああ、ロゼリアに会いたかった」
「えっ?!」
カルロは私の体をふわりと優しく包み込むように抱きしめた。驚いたがもちろん嫌じゃない。私はおずおずと彼の背中に手を回す。今までこういう接触がなかったので照れてしまう。彼の体は鍛えられていて大きな背中だと感嘆してしまう。彼が腕を解くと何だか名残惜しくなり私の眉は勝手に下がった。その表情を見ていたようで彼が頭上でくすりと笑う。
見上げるとカルロは少しやつれているように見える。シャープな顔がいっそう際立ち目の下には隈がある。明らかに疲労が濃い。仕事が忙しいとは聞いていたが私の想像以上のようでこれでは体が心配になる。
「体は大丈夫なの? とても疲れているように見えるわ。あなたと会えるのは嬉しいけれどここに来る時間を休息に充てた方がいいと思う。結婚する前にカルロが倒れてしまったら悲しいわ」
「大丈夫だ。これくらいで倒れたりしない。それにロゼリアの顔を見たら回復した。会いたかったんだ……」
絞り出すような声に彼の想いを感じる。私は彼に微笑んだ。同じ気持ちだと伝えたくて。
「私も会いたかった」
カルロは私の手を取り掬い上げるとその指先に口付けをした。私の指先から全身に熱が伝播する。騎士であるカルロに対し武骨なイメージを持っていたが、彼は甘い態度を出してくれることが多い。嬉しいが……慣れているのだろうか? 私に婚約を申し込む前に恋人がいてその人にもしていたのかしら。何だか私は喜んだり落ち込んだり忙しい気がする。
「どうした?」
カルロは私がモヤモヤしていることをすぐに察知してしまう。カルロは私の感情に私以上に敏感だ。だから隠すことをやめた。
「慣れているように見えたの……」
「? 何がだ?」
「その、今の口付けが……」
カルロは目を細めて笑う。
「慣れているわけではないよ。私は令嬢に対するマナーがなっていなくてな。マッフェオ公爵子息にご教授願った。奥方を口説いた時のコツを伝授してもらったからその成果だな」
マッフェオ公爵様は騎士団長でご子息も騎士団に所属されている。カルロの上官で辺境での戦争の時に共に戦ったと聞いていた。
「まあ」
カルロは私のために知らないところですごく努力をしてくれていた。疑って申し訳ないのと感激が胸に押し寄せる。
「今日は会いたいのもそうだが伝えることがあって来た。実は一度辺境まで行くことになって二週間は戻れない。結婚式の準備が進められなくてすまない。出来るだけ早く戻るから待っていて欲しい。一番にロゼリアに会いに戻るから」
辺境まで往復して仕事を済ませ二週間で戻るとなるとかなりの負担のはずだ。
「辺境まで? 式の準備よりカルロの体が心配だわ。どうか、気を付けて行って来てね。待っているわ。あとちゃんとお食事はしてね! あっ? 念のためにお薬も持って行った方がいいわ」
「ああ、分かった」
カルロは笑いながら頷いてくれた。きっと心配性だと思っているのだ。でも婚約者を心配する権利が私にはある! 私はスザナに傷薬や腹痛、頭痛さらに感冒薬を用意してもらった。使わずに済む方がいいけれど万が一ということがある。
カルロはすぐに戻って行ってしまった。会えたのは嬉しいが別れると途端に寂しくなる。でも私との結婚のために頑張ってくれているのだから我儘は言えない。せめて私の方で出来る準備だけでも進めよう。部屋に戻ると白薔薇の香りを思いっきり吸い込んで気合を入れた。
私は以前から公爵家の仕事を手伝っていたが、今は本格的に引継ぎ中だ。お父様は焦らなくていいと言ってくれるが、結婚後のカルロの負担を減らす為にも出来るだけ覚えてしまいたい。
私は先程のことを思い出し一人、顔を赤くし両手で隠した。抱き締めてもらった。それに拗ねたり甘えたりカルロにすっかり心を預けている。本音を躊躇することなく言えるのだ。それは彼が私を否定しない、拒絶しないと確信しているからだ。ステファノの時は縋るばかりで心を開いていなかったような気がする。彼に嫌われたくなくて、見捨てられなくて常に顔色を窺い彼の望み通りに振る舞っていた。たぶん自分が愛されていないことを心のどこかで気付いていたのだ。
カルロと再会してから何もかもがいい方向へと進んでいる。彼は私にとってまさに救世主で守護者だ。
数日後、私は王都のモンタニーニ公爵家直営の薬局へ納品に馬車で向かった。スザナには家の用を頼んだので今日は一人で行く。スザナは心配したが慣れているしすぐに帰ってくるからと納得させた。屋敷からも遠くなく行き慣れた場所だ。
「店長。お疲れ様です」
「お嬢様。お疲れ様です。最近風邪が流行り始めているので薬の在庫を増やした方がいいかもしれません」
「そうね。今回持ってきた分では足らなくなりそうね。お父様に頼んで早めに領地から送ってもらいましょう」
在庫の確認や売り上げの書類に一通り目を通し終えると馬車に乗る。帰る前に果物屋さんに寄ることにした。今年は林檎が豊作だと聞いている。旬の時期で甘くて美味しい。結婚式の準備で屋敷中が忙しくなってしまったので、使用人を労うために買っていくことにした。店の前に数台馬車が止まっており我が家の馬車を止めるところがない。御者に離れた場所に止めてもらい店まで歩くことにした。
「ごめんください」
「これはモンタニーニのお嬢様。今日は何をご用意致しましょうか?」
常連なので店主は私の顔を見ると笑顔で応じる。
「林檎は沢山あるかしら? 甘いのがいいわ。あと、アップルパイにも使いたいの」
「かしこまりました。あとでお屋敷にお届けしましょう」
「ええ。お願いね」
注文を終えると店を出て馬車に向かおうとした。さっきまで店から見える位置にいた馬車が止まっていない。きょろきょろと探す。御者はどうしたのか。とにかく元の場所まで歩いて行ってみることにした。
少し歩いたところで突然腕を掴まれ引っ張られた。そして口をふさがれ狭い路地へと引きずられる。何が起こったのかすぐに理解できず気付いた時には行き止まりの路地へ突き飛ばされていた。
「さすが貴族のお嬢さんはお綺麗だな」
薄汚い格好をした破落戸だ。男が三人、薄ら笑いで私を見ている。既視感を覚える。そうだ。前回も同じことがあった。あの時はステファノに助けられた。私はそれで彼に感謝をして好意を寄せてしまった。二度目だとどこか肝が据わって対応できる。といっても逃げる方法は考え中だ。
「そこをどいてちょうだい」
「随分気の強いお嬢さんだな。まあいい。金を出せ」
お金を渡したら解放してくれるのだろうか。躊躇すれば後ろから声がした。
「おい! 何をしている」
若い男の声だ。この声は――。
「チッ。見つかったか。ずらかるぞ!!」
破落戸は呆気なく逃げていく。声をかけた男がこちらに来る。男と逃げていく破落戸はすれ違い様に目配せをしているように見えた。破落戸は不自然なほどあっさりと引き下がった。
「大丈夫ですか?」
足早にこちらに来たのは思った通り……。
「モンタニーニ公爵令嬢でしたか? もう大丈夫ですよ。立てますか? 手を貸しましょう」
「ピガット侯爵子息様……」
にこやかに手を差し出したのはやはりステファノだった。破落戸三人を相手にしてステファノが勝てるはずがない。私はこの瞬間、一回目のことも含めて腑に落ちた。私は彼の手を取らずに自分で立ち上がる。
「いいえ、大丈夫です」
私が彼の手を拒むと一瞬だけ不快そうに口を歪めた。だがすぐに取り繕うように笑みを向ける。そして何かを言おうと彼が口を開いた瞬間――。後ろから大きな声がした。
「おい。お前!!」
私たちはそちらに顔を向ける。そこには二人の騎士がいて破落戸を捕まえていた。一人の騎士がこちらへ来る。「馬鹿な……嘘だろ」とステファノの呟きが聞こえる。
「こいつらはお前に依頼されたと言っている。詳しい話を聞かせてもらおうか」
ステファノは明らかに動揺を見せる。顔色は土色で視線が彷徨う。
「違う!! し、知らない。私は知らない。そんな破落戸たちの言葉を信用するのか? 私はピガット侯爵家のステファノだ。無礼は許さない!」
「ピガット侯爵子息? そうですか。まあ、いいです。もし本当にあなたに身に覚えがないというのなら話を聞くくらい問題ないでしょう。とにかく同行してもらいます。詳しいことは騎士団で伺いましょう」
冷静な声にますます喚き散らすステファノの腕を、騎士は容易くねじり上げた。騎士は私に会釈すると彼を引きずって行った。入れ違いに三人目の騎士が私の元へ来る。騎士が三人も同じ場所を巡回しているのは珍しい。何か警戒中だったのだろうか。とにかく私は運がいい。
「モンタニーニ公爵令嬢ですね? 私は騎士団のグイリオと申します。お屋敷までお送りします」
「助けてくださりありがとうございます。ですがお忙しいところお手を煩わせるわけにはいきません。近くにうちの御者がいるはずなので自分の馬車で帰ります」
グイリオさんは困ったなという表情で躊躇いながら言った。
「御者も捕らえました。ピガット侯爵子息と繋がっている可能性があります」
「なんですって?!」
私は信じられなかった。御者は我が家に長く仕えてくれていた。その御者が裏切っていたなんて信じたくないが、そう言われると確かに不自然な御者の行動に心当たりがある。途端に不安になり申し訳ないがグイリオさんに屋敷まで送ってもらうことにした。
「では申し訳ありませんがよろしくお願いします」
「お気になさらずに。これが我々の仕事ですから」
グイリオさんは私を屋敷まで送ってくれると、ステファノの事情聴取の結果が分かったら報告してくれると言って騎士団へ戻って行った。




