13.夜会
ソファーに座りお互いに強張った顔で対面している。まるで敵同士が腹の探り合いをしているように見えるかもしれない。
今日は大事な話があるとカルロに屋敷に来てもらった。彼も私が返事をすると思いどこか緊張しているようだ。
ピンと張り詰めた空気の中、私は大きく息を吸い大切な言葉を伝えた。
「ジョフレ伯爵様。結婚の申し込みをお受けします」
「ああ! ありがとう。感謝する」
カルロは肩の力を抜くと安堵に表情を緩めた。私たちは見つめ合い、お互いに顔を赤くして目を逸らし、再び目を合わせはにかんだ。彼は婚約の証だとダイヤモンドの指輪を私の指に嵌めてくれた。幸せの一歩を踏み出せた気がした。
すぐに私たちは正式に婚約を結んだ。お父様はカルロを婿に取れることを本当に嬉しそうにしている。ステファノとの結婚式のときにはずっと不機嫌そうだったが、今回のカルロとの結婚式では喜んでもらえる。心のつかえがとれたような気がした。
婚約が整うとカルロは言った。
「ロゼリア嬢。どうか次の夜会で私にエスコートをさせて下さい」
夜会でのエスコートは特別なことじゃない。婚約者としての周知も兼ねているのでむしろ当然のことだ。それなのに緊張で喉がカラカラになった。返事は決まっているのにすぐに声が出ない。たった一言「はい」と伝えるだけなのに。私は一回目の人生のときに社交界でよからぬ噂をたてられていたことを思い出してしまった。今回は何もないと思う。それでも自分が知らないだけで何か噂があったらどうしよう、カルロに幻滅されないかと不安になってしまった。大丈夫だと思っていても心の底で一回目の人生の恐怖がときどき顔を覗かせる。
彼は急かすことなく穏やかな笑みを浮かべ静かに私が口を開くのを待っていてくれる。その顔を見て思った。カルロは噂に左右される人じゃないしむしろ守ってくれるはずだ。
「は……はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
カルロが破顔した。すると凛々しい顔が一転してどこか幼さが滲む。私の胸がきゅっとなりカルロを可愛いと思ってしまった。ああ、カルロがいてくれるのなら何も心配はいらない。
二週間後の夜会に一緒に出席することになった。カルロはすでにこの日のためのドレスを作らせていて贈ってくれた。
「サイズは私が教えて差し上げました!」
更にデザインも細かく指示したらしい。スザナは自分がいい仕事をしたとばかりに胸を張った。
「ありがとう、スザナ」
お父様もスザナも使用人たちも誠実なカルロに好感を抱いている。彼が異国人でも元平民でも気にする者はいない。みなこの婚約に賛成してくれている。祝福される結婚に心が満たされる。夜会の日を指折り数えて待ち焦がれた。浮かれ過ぎないように自制しながらお父様の仕事を手伝う。
当日纏ったドレスは私の瞳と同じエメラルドグリーン。ネックレスとイヤリングはカルロが用意してくれたブラックダイヤモンドだ。デコルテのところには白薔薇のコサージュがあしらわれている。大人っぽいデザインだがスカートはふわりと広がり可愛いらしさもある。髪は綺麗に編み込んでアップにしている。
カルロを待つ間、何度も鏡を見て変なところがないか確認する。
「お嬢様。とても綺麗です。だから落ち着いてください」
「でも……」
そわそわとじっとしていられない私をスザナが窘める。
「いらっしゃいましたよ」
執事の声に私は頷くと玄関に向かう。そこには軍服の正装姿のカルロがいた。カルロは多忙の中お休みを取ってエスコートをしてくれる。騎士としての正装は長身の彼を引き立てものすごく映える。その姿に何度も見惚れてしまう。
お父様は急な仕事が入り遅れて来るので二人で先に会場入りすることになった。大きな手を差し出され緊張しながら自分の手を重ねた。節くれだった硬い手に包まれる。馬車を降りて会場に向かいながら打ち明けた。
「カルロ様。私、言ってなかったことがあるのです。怒らないで下さいね」
「何でしょう? あなたが何を言っても私は絶対に怒ったりしませんよ」
たぶんそう言ってくれるとは思ったがガッカリされるかもしれない。
「実はダンスが下手なのです。練習はいっぱいしましたけど、足を踏んでしまったらごめんなさい」
「ダンスですか? 私も得意ではないな。基本的に夜会は警護する側なので踊ったことがない。でも音楽に合わせて揺れていれば何とかなるでしょう。ようは楽しめばいいのでは?」
あっけらかんとした言葉にポカンとする。カルロにかかれば私の悩みなど吹き飛ばされてしまう。
「ダンスは初めてなのですか?」
「公式な場所で踊ったことはない。だが、練習はしてきてある。それこそロゼリア嬢の足を踏むわけにはいかないので、休憩の合間に騎士に相手をしてもらった。たぶんまあまあ見れるくらいには踊れると思う。足くらい遠慮なく踏んでくれて構わない」
私はつい頬を膨らませた。私のために練習してくれたのは嬉しいが、他の女性を相手に練習したということがモヤモヤする。それなら私と練習して欲しかった。もっと早く伝えていればよかった。
「ロゼリア嬢?」
カルロが私の顔を覗き込む。つまらない焼きもちとは思うが今後のために伝えてもいいだろうか。
「出来れば練習も私としてほしいです。それと正式に婚約をしたのでロゼリア嬢ではなくロゼリアと呼んで下さい。他人行儀のままでは寂しいです」
「そうか。悪かった。でも男の騎士と練習したので心配はいらない」
「えっ? 男性と練習したのですか?」
「ああ、どこで何を言われるか分からないから女性騎士とは業務以外では関わらないようにしている。今度は一緒に練習しよう」
「はい!」
「ロゼリア。出来れば私のこともカルロと呼んで欲しい。それと昔のように話して欲しい」
「いいの?」
ふいに敬語が抜けて昔のように返事をしてしまった。
「ずっとそう呼んで欲しかった」
「私も。私もずっとそう呼びたかった」
名前を呼んだ瞬間、私たちの隔てられた三年間があっという間に戻ったような感覚がした。礼儀正しい彼も素敵だけど、以前のように打ち解けられないのは寂しかった。
私は軽やかな足取りで彼の腕に手を添え通路を歩く。今の私は無敵になれそうだ。会場に入れば一斉に私たちに視線が向けられる。カルロが夜会に出席したのが珍しいのもあるだろうし、私がお父様以外のエスコートで来るのが初めてだからかもしれない。たぶん一番は婚約が決まったせいだろう。
多くの視線にさらされて顔が強張る。無敵だった心はあっという間にしぼんでしまった。情けない。それに気づいてくれたカルロが手をぎゅっと握って安心させてくれる。そうだ。一人じゃない。今は私だけの騎士様がついてくれている。
そのままダンスを踊った。カルロの漆黒の瞳を見つめれば私の心は引き込まれ、音楽以外の雑音が聞こえなくなる。二人だけの世界で見つめ合いながらステップを踏む。さすがカルロは運動神経がいい。下手な私が彼のリードで気持ち良く踊れている。ダンスがこんなに楽しいなんて!!
「ロゼリア。まだ踊れるかい?」
「ええ。大丈夫よ」
目を合わせ大きく頷く。楽しくていつまでだって踊っていたい。勢いに乗って三曲続けて踊った。婚約者なのだから誰にも遠慮しなくていい。曲が終わるとカルロが私を休ませるために椅子のある場所まで連れて行ってくれた。
「三曲はさすがに疲れたわ」
「喉が渇いただろう? 飲み物をもらってくるからここで待っていてくれ」
「ええ。お願い」
給仕が離れたところにいる。わざわざ取りに行ってくれた。
私はまだ息が切れている。カルロは息一つ乱しておらず平然としていた。さすが騎士様だ。体力の差を思い知らされた。カルロを目で追っていたら人が近づいてきていることに気付かなかった。
「モンタニーニ公爵令嬢。私と踊って頂けませんか?」
その声に振り向くとそこにはステファノがいた。アイスブルー色の髪を整え煌びやかな夜会服に身を包んでいる。典型的な貴公子と言った風情だ。澄んだ青い瞳に見つめられれば女性は見惚れてしまうだろう。一回目の人生で声をかけられたのなら私は喜んで彼に手を差し出しただろう。
二回目の人生で私は彼に会う瞬間をとても恐れていた。再び恋心を抱くのか。殺された怒りを感じるのか。それとも裏切られた悲しみが湧き出て来るのか。でも会ってみれば何もない。そう、何も感じなかった。もちろん好意もなければ悲しくもない。私には騎士様がいる。カルロが守ってくれると思えば恐れもない。私の心を揺さぶり満たすのはカルロだけだ。私は感情のない声で返事をした。
「申し訳ありませんが遠慮させていただきます」
ステファノは驚いて目を見開くと唇を震わせる。そして目を吊り上げた。怒らせてしまったようだが、彼の機嫌を取るつもりはない。ステファノはチヤホヤされることが多いので私ごときに断られプライドが傷ついたのか、感情を抑えきれないまま脅すような声を出した。
「なぜだ。だいたい打診に断りの返事をするなんておかしいじゃないか! その上、あんな平民出身で異国人なんかと踊って私の誘いを断るのか? どうせ碌な育ちではない。あんな男に構っていないで――」
打診とは何のことだろう? それよりも平民出身だから何だというのか。彼は騎士として国を守るためにその身を捧げている立派な人だ。私は言い返そうと立ち上がりかけたが、肩に大きな手が触れてストンと座り直した。
「ピガット侯爵子息。私の婚約者に何か用だろうか?」
「婚約者だと?」
ステファノは怪訝そうに眉を顰めると疑うように私を見た。婚約は告知しているが彼は知らなかったようだ。
「ええ。私はジョフレ伯爵様と婚約しております」
「ば、馬鹿な。聞いていない。そんな話は聞いていない!」
「ピガット侯爵子息。私は心が狭いので婚約者が他の男と踊ることに寛容になれそうもない。ダンスの誘いは遠慮してもらおうか」
地を這うような声が頭上から降ってくる。ステファノよりカルロの方が頭一つ分大きい。隣に並ぶだけで威圧感がある。私には心強いばかりだ。ステファノは気圧されたようで顔を青ざめさせると忌々しそうに唇を噛み無言で立ち去って行った。
「ありがとう。助かったわ。でも彼の言葉は許せない」
「いや、離れたのがいけなかった。私はどういわれてもいい。それよりもロゼリアがあの男と話をする方が嫌だ。自分でも知らなかったが私も大概心が狭いようだ」
眉を寄せながら私に果実水の入ったグラスを渡してくれた。
「どうぞ」
「ありがとう」
好きな人に独占されるのはとても心地がいい。レモン味の水は爽やかで飲みやすかった。
暫くするとお父様が到着したので三人で懇意にしている貴族に挨拶に回った。概ねみなこの婚約を祝ってくれた。貴族たちにはそれぞれ思惑がある。財力とそれなりの権力を有するモンタニーニ家の婿がどこかの派閥に属していないことで、王家も貴族も我が家が更に大きな実権を握ることにならないので安心したようだ。王家も戦争の功労者である彼を労い私たちの婚約を祝って下さった。王家にも認められお父様も受け入れた以上、彼の出生について思う所があっても誰も何も言えないのだ。幸いたくさんの方々からお祝いの言葉を頂くことが出来た。
ステファノとの接触こそあったがカルロのおかげで何事もなかった。
二人の社交界でのお披露目は無事に済んだと思う。