12.自覚
今日は髪型を変えた。いつもはきつい三つ編みを横に流しているだけの髪型だ。それをアップに変え真っ白なレースのリボンを着けている。下の方はカールを巻いた。果たして私に似合っているのだろうか。鏡越しにスザナがやれやれという表情で肩を竦めた。
「お嬢様はもっと自信を持ってください。とてもお綺麗ですよ。清楚な雰囲気が引き立っています!」
首を傾げるとスザナに睨まれたので素直にコクコクとうなずいた。
「ありがとう」
あれからスザナは気持ちを切り替えたのか元気にしている。たぶん無理をしているがその気持ちを尊重したいので何も言わずそっとしている。「私は仕事に生きるんです!」と拳を振り上げ、私のために髪型の資料やドレスの流行について情報を集めてくれている。そして「伯爵様に会う日だけお洒落をしてもダメです。日頃から磨きましょう」と毎日マッサージやお化粧の手ほどきをしてくれる。服にも気合を入れている。おかげで少しは可愛くなれているように思え女性としての自信がついてきた。
今日はカルロと会う約束の日だ。
スザナに説得されこの日のために新しいワンピースを購入した。今までなら濃紺など落ち着いた色ばかりを選んでいたが今日は明るいクリーム色だ。明るい色を着たら顔色も明るく見える。胸元には白薔薇の形のブローチを着けた。買い物で立ち寄った小物屋さんで見つけ一目惚れをしたのだ。カルロからもらった白薔薇を彷彿とさせどうしても欲しくなってしまった。
「お嬢様。ジョフレ伯爵様がお見えになりました。今、旦那様にご挨拶をされています」
執事の言葉にサッと立ち上がり姿見で全身を確認する。
「今行くわ」
スザナが小さく拳を握り頑張れと応援してくれている。足取り軽く階段を下り応接室に入るためにノックをする。
「どうぞ」
「ジョフレ伯爵様。こんにちは」
「こんにちは。ロゼリア嬢」
「さて、私は仕事に戻るかな。カルロ。また」
「はい」
お父様は私をひやかすように笑みを浮かべた。なんだか照れてしまう。ソファーに座るとスザナがお茶を置いて部屋の隅に控える。まだ婚約者ではないので部屋で二人きりにはなれない。
「ロゼリア嬢。これを」
彼は今日も白薔薇の花束を持って来てくれた。私は嬉しくて花束を抱き締め香りを確かめる。
「ロゼリア嬢。今日は一段と可愛らしい。そのブローチもよく似合っているよ」
カルロは表情を柔らかくすると優しい声で誉めてくれた。ブローチにも気付いてくれた。私をちゃんと見てくれている。嬉しい。
「ありがとうございます。先日、ジョフレ伯爵様から薔薇の花を頂いてこの花が一番好きになりました。それで選んだのです」
「それは光栄だ」
お互いにティーカップに手を伸ばし口を付ける。まだ二回目の顔合わせなので少しだけ緊張していたがすぐにそれも解れた。以前のような距離感にはなれないが新たな空気に包まれている気がする。そのせいか不思議と会話のない時間を気まずいとは思わなかった。この穏やかな時間はまるで森の中で日向ぼっこをしているような感じだ。
「ロゼリア嬢に私のことを話しておきたい。モンタニーニ公爵にはすでに話してある。それを承知で私にあなたへの求愛の許可を下さったが、普通の貴族なら拒否するだろう。以前話したが私は移民だ。生まれた国はこの国から海を渡った大陸で、そこからさらにいくつもの国を跨いだ先だ。もちろんこの国との国交はない。私は十二の時に母と国を出た。やむを得ずどうしても国から離れる必要があったのだ。その事情を今はまだ話せない。すまない。そのあと母は途中で病に倒れ亡くなったが、ある傭兵が力を貸してくれてこの国に来ることが出来た。恩人であるその人はモンタニーニの領地で今は傭兵を辞めて定食屋を営んでいる。彼のおかげでモンタニーニの荷の護衛の仕事をすることが出来ていた。それであのときロゼリア嬢に会うことが出来た。前にも伝えたが私では由緒あるモンタニーニ公爵家に相応しいとは言えない。今でこそ爵位を手に入れたがもとは平民で異国人だ。それでもあなたは許してくれるだろうか?」
この国の人々の髪や瞳の色は明るい。黒髪と黒い瞳を見たのは彼が初めてだった。きっと差別を受けて苦労したはずだ。でも私はその珍しい黒色を美しいと感じた。彼の歩んできた人生は今の説明だけでは計り知れない苦悩があったはずなのに、堂々とした佇まいは己への自信が滲み出ている。彼は自分の実力でここまで来たのだ。そのことは出自で損なわれないと思う。彼に嫌なところなんて一つもない、という思いが上手く伝えられたらいいのだけれど……。
「許すも何も、何一つジョフレ伯爵様の瑕疵になるとは思えません。あなたは自分の力だけで今の立場を手に入れた。それは簡単なことではありません。それが全てだと思います。なによりも父が認めた方ですもの。私に否はありませんわ。それにスザナのことも感謝しています。私は以前も今もあなたの髪も瞳も綺麗だと思っています」
カルロは髪と瞳の色を綺麗だと言った途端、目を丸くした。そして柔らかく微笑んだ。驚いたようだが紛れもなく本心だ。どうしても伝えておきたかった。
「ありがとう。あなたは変わらないな。お父君も素晴らしい方だ。三年前、護衛で負傷してこの屋敷で世話になった時に公爵様が私に声をかけて下さった。騎士か文官を目指さないかと。もし望むなら口をきこうとおっしゃった。私はあなたを守れる騎士を目指した。ようやくここに来ることが出来た」
カルロは感慨深げに目を細めた。
「あの時の背中の傷は大丈夫ですか? 痛みが出たりしませんか?」
古傷は痛むという。カルロの傷は大きかった。
「もう何ともない。なにしろ天使が看病してくれたのだから」
「!!」
カルロは表情を変えないまま物凄いことを言う。免疫のない私はもう陥落寸前だ。彼には私が天使に見えたのか……。
私たちはそのまま穏やかに交流を続けた。会いに来るたびに白薔薇の花束とプレゼントを贈ってくれる。オルゴールに珊瑚のブレスレット、熊の縫いぐるみもあった。これは初めて会った少女の時の私へ贈りたかったものだと言っていた。彼の頬が少しだけ赤く染まっていてつられて私の顔も赤くなった。小さく「柄じゃなかったかな」と呟いていた。
私たちはまだ婚約者ではないからと一緒に外出はしていない。傍目から見ればカルロはお父様に用があって出入りしているように装っている。その理由は私が断った時に、変な噂にならないようにと配慮してくれているからだ。彼はそこまで考えてくれている。カルロは私の気持ちを無理強いせずに待っていてくれているのだ。
だから私は自分の気持ちを素直に認めることが出来た。
(カルロが好き)
好きにならないなんて無理に決まっている。私はもう、ステファノのことを思い出し傷つき悲しくなることはなかった。今の私の心の真ん中にはカルロが鎮座している。彼の存在はもう手放せないほど大きくなっていた。
私はステファノの見かけだけの優しさやその容姿に惹かれていて、人としての本質を見ていなかったことに気付かされる。上辺だけの優しさを愛情だと勘違いして縋り付いた。泡沫の幸せを手放したくなかった。きっとステファノは鬱陶しいと思っていただろう。だからこそ躊躇うことなく私に毒を盛れたのだ。彼は最高に幸せだという笑顔で私が死んで逝く様子を見ていた。自分の死が誰かに望まれる恐ろしさには今でも身震いしてしまう。でもそれが完全に過去だと思える。それはカルロの存在があるからだ。
テーブルの上の白薔薇を見つめながら心を決めた。次にカルロにあったら婚約の返事をしよう。その前にお父様に言わなくては。私はその夜、お父様にカルロと結婚したいと伝えた。
「そうか」
お父様は嬉しそうに頷いた。