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1.夫は「安心して死んでくれ」と言った

よろしくお願いします。

 愛する男性と結婚して半年。ロゼリアは幸せな日々を送っていた。

 その日は曇天で重たげな雲からは今にも雨が降りそうだった。思い返せばまるで何かを予感させるような空だったのかもしれない。

 夕方に突然、火急の使いだという男が訪ねて来た。男からの言付けを執事から聞いた私はその場で崩れ落ちた。


「お父様が……行方不明?」


 全身の血が引いていく。体の中が凍りつくように冷たくなっていく。

 領地から王都に戻るお父様の乗った馬車が崖から落ちたという。馬が突然暴れ出したそうだ。御者の遺体は発見されたが馬車は大破していてお父様は見つかっていない。心臓が激しく打つ。息が苦しい。胸を押さえ荒い呼吸を繰り返す。


「ロゼリア。大丈夫か? きっと義父上は大丈夫だ。見つかるよ」


 夫、ステファノが励ますように私の肩を抱きしめる。


「そうよね。きっと無事だわ。お父様を探すためにも私がしっかりしなくては……」


 不安でたまらない。もしものことを想像すると叫び出したいほどの恐怖が頭の中を駆け巡る。それでもお父様が見つかっていないということは、無事である可能性があるということだと自分に言い聞かせる。そうだ。お父様がいない今、一人娘である私がモンタニーニ公爵家当主代理として捜索の手配をしなければならない。そう思い立ち上がろうとしたが足にまったく力が入らない。ステファノが抱き上げて部屋に連れて行ってくれた。長ソファーにそっと私の体を置くと、彼は執事と話をしにいった。今このときほど自分が一人でなかったことが有難かった。そうでなければ不安と心細さで耐えられない。


「ありがとう。ステファノ」


「執事には騎士団に捜索の手伝いを依頼しに行ってもらった。君はここで知らせを待っていた方がいいだろう。このあとのことも私に任せて欲しい」


「ええ、お願い。ありがとう」


 彼は青い瞳を柔らかく細め安心させるように力強くそう言った。私の夫は優しくそして頼もしい。彼がいてくれて本当によかった。最悪の結果を聞くまでは望みを捨てずにいられる。そのとき侍女のジェンナがお茶を持って来た。


「奥様。お茶を飲んで気持ちを落ち着けて下さいね。ハーブティーですよ」


「ええ」


 ジェンナは私が疲れている時に必ず飲む紅茶を用意してくれた。動揺に震える手で何とかティーカップを取ろうとしたが上手くいかない。その様子にステファノが隣に座り角砂糖を二個入れかき混ぜるとティーカップを私の口元に運んでくれた。


「甘い方がきっと気持ちが落ち着くよ」


 普段は砂糖を入れないが気遣いに感謝して頷いた。私は彼の手を借りティーカップにそっと口をつけた。飲みやすいように温めのようだ。飲んでしまえば喉がカラカラに渇いていたことに気付き、味に違和感を抱きながらもそのまま飲み干してしまった。嚥下したあとに後味が悪く顔を顰める。いつもと味が違う? 砂糖が入っているのに苦みが強い。これはいつもの茶葉ではない。いや、紅茶とも砂糖とも違う味が混ざっているような……。


 ジェンナに聞こうとしたが急に体に異変が現れる。思わず胸を押さえ蹲る。

これは何? 胸が強く押されているかのような圧迫感。呼吸がうまく出来ない。焼け付くように喉が熱い。酸素が足りない。苦しい。空気が欲しい。両手で首を押さえ必死に息を吸おうと口を開けた瞬間、吐き気が湧き起こり、粗相をしてしまうと両手で口を押さえた。


「ゴホッ、ゴホッ。うっ……」


 咳をした途端、口から真っ赤な血を吐き出した。両手が血に染まる。あまりの衝撃に苦しさを一瞬忘れ呆然と両手の赤色を見る。のろのろと顔を上げればニィと口角を上げたステファノと目が合った。さっきまでは優しかった青い瞳が冷たく私を見ている。その表情はいつも穏やかで優しい彼と同じ人間とは思えなかった。


 ――コノヒトハダレ?――


「なっ……ゴホッ、ゴホッ……」


 どうしてと問いかけようとしたが再び激しい痛みが襲い吐血した。あまりの苦しさにステファノに助けを求めるように真っ赤に染まった手を伸ばす。彼はそれを避けて立ち上がる。私の腕は虚しく宙を掻く。彼の横にジェンナがぴったりと寄り添った。


 そして彼はジェンナの肩を当然のように抱いた。ジェンナは嬉しそうに微笑み自らのお腹を愛おしそうに撫でている。そのまま二人は幸せそうに見つめ合った。ここは劇場で二人は主演の役者、私はたった一人の観客のような錯覚をおこす。ただ呆然とそれを見つめる。ステファノはそんな私を見下すように嘲笑った。


「あとのことは心配いらない。だから安心して死んでくれ。ロゼリアはこのまま義父上のもとに逝くんだ。どうかよろしく伝えてくれ。ああ! これでこのモンタニーニ公爵家のすべてが私のものだ。権力も、お金も、なにもかも!」


 彼は満足気に頷くと私に向ける視線が侮蔑から一転して、これ以上になく甘く慈愛に溢れた優しいものになる。それはあまりに美しい微笑みで、自分が愛されていると錯覚するほどだ。何が起こっているのか理解できない。したくない。

 ステファノの隣にいるジェンナが彼の腕を軽く叩きながら小さく口を尖らせ抗議した。


「まあ、ステファノ。あなただけの公爵家じゃないでしょう? 私たち三人のものよ。私が公爵夫人でこの子が跡継ぎ。夢のようね」


「ああ、そうだな」


 彼はジェンナに同意する。


「ど、どう……し……て……」


 驚き絶句する私にジェンナはうっそりと微笑んだ。


「ねえ、奥様。あなたにはこの子のためにいなくなってもらわなくては困るのです。ふふふ。大丈夫ですよ。私、きっと立派な公爵夫人になってみせますから」


 ジェンナの首には私のダイヤモンドのネックレスがあった。いつの間に? そのアクセサリーは私よりジェンナの方が似合っていた。彼女はそれを嬉しそうに指で弄ぶ。

 ステファノは、ジェンナは、何を言っているの? ジェンナのお腹に子供? まさか、ステファノの? いつから? 分からない。でも二人は私を裏切っていた。そして毒を飲ませた。私を殺す為に。私は全身をぶるぶると震わせまた血を吐いた。


(この毒は致死量だ……。死ぬの? こんな形で? ああ、苦しい。お父様。誰か……た、すけ……て……)


 私の視界がモノクロになりそして闇に包まれた。もう何も見えない。体を動かすことも出来ない。苦しい。苦しい。喉を押さえ必死に口を開ける。呼吸をひとつ、ふたつ……。それが最後になった。あっという間に意識が遠のいていく。


「ああ! やったぞ! これで邪魔者はいなくなった。何もかも上手くいった。あはははは――」


 失われていく意識の中で悲しいのか悔しいのか眦から涙が滑り落ちていく。絶望の中、最後に聞こえたのは下品なほど浮かれているステファノの声だった。






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