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花咲き滅ぶ世界の果てへ   作者: 有畑万葉
1/1

-第一話 花葬師との出会い-

 世界が植物に包まれるーー。

 国一番の賢者がそう言い残して数年前に世を去った後、世界は突如として異変に襲われた。

 その言い伝えが現実になるとは、到底誰にも予想できなかった。

 ……そして、この私にも。まさか身近な人が、一番大切な人がなるなんて思いもしなかった。

 これは、ちっぽけな私と、変わり者の師匠が紡いでいく、ただ一つの物語だ――。



 ――世界に突如として蔓延した、『植物になる病』。

 中途症状で口から花を吐き出すその病は通称『花吐き病』として恐れられ、人々を蝕んでいった。治癒する方法は一切見つからず、なぜそのようなことが体内で起きているのかも不明。突如として細胞の一つ一つが文字通り植物化し、身体の硬直やうわ言から始まり花を吐いたら死が近い。終いには身体の内側から真っ二つに割れて大きな樹と化してしまう。人から人へは移らないが、植物に触れると感染する……。

 そんな病気の進行情報だけが人類が得られた知識だった。もちろん、人々はあらゆる手で症状を抑えようとした。しかし農薬を飲めばその反動で具合が悪くなり、毒を飲めば毒で死ぬ。塩水に浸かれど効果なし……のようにどんな手を使ってもそれを抑えることすらできなかったのである。

 死を待つことしかできない、『花吐き病』。しかしながらそんな人々の間にまことしやかにささやかれている一筋の希望のような噂が一つ。

 それは西の丘の向こうに住む『魔女』と忌み嫌われた存在と、東の王国に住む『悪女』と呼ばれた若い女、その二人ならこの病をどうにかできる、といったものだった――。


 +  +  +


「ありがとうございました!」

 街道沿いに建つ道具屋の店先で、私は客にお礼を言った。旅人か行商人か、頭にターバンを巻いた男性が手を振りながら去っていくのを見つめてから、私は店内に引き返した。

「もう帰られたのかい?」

 店の中で荷出しをしていた母が背筋を伸ばしながら聞いてくる。

「うん。東の国から来たんだって言ってたよ」

「そんな遠くから……凄いねぇ。あの辺りは病気が酷いって聞くじゃない? 無事な人を見るだけで心が安らぐよ」

 そう言って、母は辛そうに腰をさすった。

「本当に……ね」

 今日だけでうちに来た客は二十人。そのうち、全くの健康体は彼だけだった。みな身体の所々に植物に侵されたところがあり、酷い人は手先がツタのようになりくねくねさせながら洗剤を買って行った。みんな目に光がなく、挨拶をしても口ごもるだけ。そんな人を毎日毎日見てきたから、さっきみたいな健康体の人を見ると「世界はまだ終わっていないんだな」という気持ちになって心が落ち着く。


「おや、お客さんだよ」

「おっと」

 店のガラス戸に人影が映ったのを見た母に声を掛けられて、私はこちらからドアを開けた。

「いらっしゃいま……せ」

 最後まで言い終わるより先に、私は目の前に飛び込んできた光景に目を奪われ言葉を失っていた。

 目の前に立っているのは、男性とも女性とも分からぬ人型の何か。夏場だというのに長袖長ズボンを履いて、ベレー帽を深々と被り口元はバンダナで隠している。なぜその人物が『何か』だと分かったかというと、目元だけを表に出しているその『何か』の顔には目がなかったからだった。本来目があるはずの部分には花があり、肌は緑色。心なしか手先も枝分かれした幹のような形な気もする。

「ひぇっ」

 失礼だと分かっていながらも、思わず声を上げてしまう。しかし目の前の人(?)は気にしない様子で、持っていた籠からメモ紙を取り出すと何も言わずに私に渡してきた。『これをくれ』とでも言うような様子に、私はただ頷いて店内に戻り書かれていたモノを集めて行った。

「ナノ、どうしたのさ。そんなに怯えちゃ失礼だろ!」

 怒る母になんて伝えればいいか分からず、「もろ植物!」とだけ小声で言うと母は目を丸くして察したように頷いた。それから母は少し首をひねってから私にこっそり耳打ちしてきた。

「おかしいね。普通あそこまで病気が進行したら樹になるはずなんだけど。もしや新種の病かもしれないし、治す方法があるのかもしれないよ。聞いてごらん」

「えぇ?! で、でもあの人喋れないみたいだよ」

「じゃあ紙を渡して書いてもらいな」

 紙と鉛筆を私に押し付けて、母は奥へ閉じこもってしまう。……え、これ本当に私が聞く展開?

 うん、まぁ確かに冷静になって考えてみるとおかしい。樹にならずに動ける人がいるわけがない。もしもいるんだとしたら新薬が開発されたか、何か別の方法があるのか、それとも人間じゃない何かなのかのどれかだろう。

 気になる気持ちが自分の中でどんどん膨れ上がっていくのを感じて、私はメモにあった食材や雑貨と鉛筆を持って外に出た。

「合計1200ゴールドです」

 値段を告げると彼……と呼ぶことにしよう、彼は手をツタに変形させ器用にポケットから硬貨を取り出すと私の手の平に置いた。

「あっ、あの訊いてもいいですか」

 彼が持っていた籠に買ってくれたものを入れながら私は尋ねる。彼は何も言わず、頷きもしないが背中を向けることもしなさそうだったので私は続いて口を開いた。

「その……それ病気なんですよね? なんで樹にならないんですか」

 紙と鉛筆を渡すも、動きは無い。しばらくじっと答えを待っていると、彼は何も言わないまま西の丘の方を指さした。

「向こうって何かありましたっけ。噂に聞く魔女の家……?」

 私が魔女という単語を出したその時、彼が初めて小さく頷いたように見えた。

「魔女さんが答えを持ってるんですね……。ありがとうございます!」

 お礼を言ってお辞儀を何回もするも、彼は何も言葉も合図も返さずそのまま西の方へ歩いて行ってしまうのだった。


「お母さん! いい話が聞けたよ……って大丈夫?」

 夕方になり夜の帳が地平の向こうに下り始めたので店を閉め、裏の家に戻ると暖炉の前でうずくまっている母に遭遇した。

「おや、終わったのかい。いやちょっと……腰が痛くて痛くてね」

「さすろうか?」

「いや、いいよ。夕飯にしよう」

 私が彼女の腰に伸ばした手を払いのけて、母はゆっくり立ち上がる。なんとなくいつもの元気が無いように感じられたけれど、きっと気のせいだろう。先週くらいになんか身体が硬くなったと言っていた気もするけど、母さんの筋肉痛は遅れてやってくるからなぁ……。

「ナノ! 今夜はシチューだよ」

「やった。母さん大好き!」

 リビングの方から呼ばれ、大好物の夕食にそれまで考えていたことが一瞬にして吹き飛んだ私は急いで食卓に掛けるのだった――。


 ――――――。

 ――――。

 ――。


 父さんが亡くなったのは、母が私を産んだ直後のことだったらしい。商品の買い付けに東の国まで行っていた父は帰りの船が嵐に巻き込まれ、その生涯を閉じた。だから、私の中に父さんとの記憶は全くない。

 私は母に女手一つで育てられ、学校にも行かせてもらって今は母の……というより家の道具屋の店員をしている。そのままもっといい学校に進学してもいいと言われてたんだけど、正直これ以上母に負担をかけたくなかったから私は商人になる道を選んだ。後悔はしていない。この仕事にはいろんな出会いがあって、いろんな話を聞ける。数年前から病気が流行り出してからはほとんど旅人も減ってしまったけれど……私がやることに変わりはない。心では病気を恐れながらも、人から人には移らないし私たち家族はまだ感染していないから、大人しく死を待つことも極端におびえることもせず日々を生きている。それだけで幸せだった。

 大好きな母とずっと一緒に暮らしていければいい。病を治す手段が、防ぐ手立てがあるのなら店を別の地域に移してもいい。何が何でも母を支えて、今まで育ててもらった恩を返したいとずっと思っている……。


「どうしたのよ、黙り込んじゃって」

 母の声で意識が現実に戻ってきた私は、目の前のほかほかのシチューを一口、口の中へ流し込んだ。

「いや……なんかぼうっとしちゃって」

「そんなんじゃだめだよ、ナノは元気が一番なんだから。ほら食べた食べた!」

 どんどん追加のシチューを私の器につぐ母を止めながら、私は好物をもりもり食べる。母特製クリームシチュー。これさえあればどんな繁忙期も乗り切っていける……!

「今日は一段と病気の人が多かったね」

 言いながら、母は溜息を吐く。

「そうだね……。苦しみながら死ぬって言うじゃん? 怖いよね」

 しかも内側から植物になるんでしょ、どういう感じなんだろう。想像もつかないや。ただ怖くてたまらないって言うことだけは分かるけれど、意識が消えたあとの感覚とか植物になっていく感覚とかあるのかな。

「私は死ぬなら安らかに死にたいね。樹になるくらいならいっそ花々に囲まれて、樹になる前に土に還りたいよ」

 死期が近い患者のようなことを言い出すので、私はそれを打ち消すように言葉を重ねた。

「やめてよ母さん。母さんはまだまだこれからなんだから!」

「そうさね。ははははっ!」

 母の乾いた笑いが居間に響いて、窓から抜けて行った。少しの間沈黙が広がる。

 しばらくして口を開いたのは、母の方だった。

「ところでさっきのお客さん、何だったのかねぇ」

「そうだった。忘れてた、危ない危ない。なんかね、西の丘の向こうに魔女がいる噂が流れてるじゃん。その魔女の家から来たんだって」

「あんな辺鄙なところから? あそこからだと歩いてここまで早くても2日はかかるよ。この暑さじゃ食べ物が腐っちまう距離だけど大丈夫かね……」

 行ったことがあるような口ぶりに、私は驚きながら質問を返していく。

「行ったことあるの?」

「昔の話さ。まだ父さんと結婚したばかりの頃は私たちは行商人で店を持ってなかったから、あの辺りもよく通ったんだよ。魔女の家とやらは知らないね、さすがに。今はどうなってるか分からないけど昔は綺麗なところだったよ……ゴホッゴホッ」

 一息に話し過ぎたのかむせてしまう母に水を渡して、彼女の器におかわりを盛る。

「ああ、私はもういいからナノ、お食べ」

「食欲ないの? いつもは5杯は食べるのに」

「なんか調子でなくてね。今日はもう寝ることにするよ」

「分かった。無理しないでね」

 風邪でも引いたんだろうか。熱は無いようだけど体調が悪そうな母をベッドまで連れて行ってから、私は残りのシチューをかき込んだ。寝る前に今日の売り上げをまとめて記しておかねばならないけれど、今日は簡単に済ませよう。もしも明日母さんが熱を出すようなら病院に連れて行かないとな……。


 +  +  +


 ――次の日は、雨が降っていた。真夏だというのにやけにひんやり感じる朝。

 いつもは私より早起きして作業をしている母がいつまで経っても起きてこないので様子を見に行くことにした私は、どこか胸がざわつくのを感じていた。

「母さん、具合悪いの? 入るよ」

「ゴホッゴホッ……ナノ大丈夫だから私は」

 部屋に入ることを拒んでくる母の言葉を振り切って、私は彼女の部屋の扉を開ける。

 と、その瞬間に飛び込んできたのは――。

「え? 嘘でしょ……」

 口から色とりどりの花々を吐き出している、大好きな母の姿だった。

 そんな、まさか……母さんが『花吐き病』になってるなんて。全然気が付かなかった。しかも花を吐き出してるということは、かなり病が進行してる状態ということ。死が近い時期と言われている……。

「母さん、いつからなってたの? どうして……」

「ごめんよ、ナノ。先月くらいから体調が悪くてまさかとは思ってたんだけど……ゴホッ!」

 まさか腰が痛いと言っていたのも、身体が硬くなったと言っていたのも全部この病気だった証なのだろうか。私が気のせいだと片付けていなければ、何か母に出来たことが……あっただろうか? この病はなったらもう二度とは元に戻せない病気。そのまま樹になるのを待つしかない。体の内側から割かれるという恐怖と痛み、苦しみを味わいながら酷い思いをして死ぬだけ、手の施しようがないものなんだぞ。

「あっああ……」

 苦しむ母を前にして、私はパニックに陥っていた。何をすればいい、どうしたら楽に過ごせる。そもそもどうしたら花を吐くのを止められる? このままではあと二、三日もしないうちに母さんは苦しみのうちに死んでしまう。

「私は死ぬなら安らかに死にたいね。樹になるくらいならいっそ花々に囲まれて、樹になる前に土に還りたいよ」

 ――昨日言っていた母の言葉がじわじわ胸に響いてくる。遅効性の毒みたいに私の心を蝕んで、私は悲しさと自分の不甲斐なさで泣き出してしまっていた。

「母さん、母さん……!」

「ナノ、大丈夫。大丈夫だから」

 どうみても無事でないのにそう言って自分を鼓舞し続ける彼女がいたたまれなくて、私はむりやり思考を巡らせた。何か、こうすればいいっていう情報は……そうだ。

「母さん、聞いて。これから母さんを西の魔女の家に連れて行く。昨日のお客さん、見たでしょ。何とかなるはずだから、ね。ほら、肩かして」

「ナノ……」

 昨日出会った謎のお客さん。確かに西の方を指さしていた彼は魔女の家から来たという質問に頷いた。なら私はそこへ行くだけだ。なんとしても母さんを助けたい。ならばどんなことでもやってやれる。


 私は金庫に貯めていたお金を麻袋に入れ、大きな鞄に食糧と水筒を入れて母をおぶって家を出た。

 臨時休業の札を店に掛けて、小雨の中、母さんにレインコートをむりやり着させて馬車亭まで歩く。ぬかるんだ道は滑りやすく、何回もこけそうになったけれど私は雨に打たれながら何度も母に声掛けをして、なんとか馬車亭までたどり着いた。

「おやおやどうしたんだ、こんな雨の日に」

「このお金全部出すんで、西の魔女のところまで出してください!」

 店で貯めていた莫大な資金。馬車を走らせるには十分すぎて、衛兵を付けてもお釣りがたんまり返ってくるほどのお金を御者に手渡して私は馬車を頼む。

「そっちのお客さん、まさか……」

「いいから乗せてください!」

 ぐったりした母の様子を見た御者が何かを察してばつの悪そうな顔をしたので、もう一度大きな声を上げると御者は大きく頷いて馬車を指さした。

「分かったよ、乗りな」

 言われるがままに馬車に乗り込み、母を寝かせる。母は嬉しそうに微笑んで、目を閉じた。

 どうやら眠ってしまったらしい。私は纏っていた上着を彼女にかけ、御者に声を掛けた。

「急ぎでお願いします!」

「馬車でも1日かかるけど、途中の宿場町で……」

「止まらなくていいんです。そのお金全部使っていいんでお願いします」

 必死の懇願がやっと届いたようで、やっと馬車が動き出す。


 あとは、祈るしかなかった。

 ゆらゆら揺れる馬車の中で、母さんがこのまま死んでしまわないか、樹になってしまわないか心配だった。けれど今できることは何もない。早く着くことだけ。それだけなのだ。

「母さん……大丈夫だからね」


 ――――――。

 ――――。

 ――。


 馬車の動きが止まった反動で、私は目を覚ました。

 どうやら少し眠ってしまったらしい。焦って母の方を見たけれど、彼女はきちんと呼吸をしていて安心した。

 外を見ると、一面広がる平原のど真ん中に馬車が止まっているのが分かった。

「着いたよお嬢ちゃん」

 御者に言われ、母を担いで外に出る。

「おお! ん、どれが……魔女の家?」

 まず目に入ってきたのは巨大な樹。世界樹、などと噂の中では語られていたようだが、無理もない。その木の高さは何百メートルというレベルではなく……樹の上の方が雲に隠れて見えないほどの大きさだった。

 その大木の根本は今私たちがいる丘の向こう、ここから数十分はあるだろうか。

 そして次に目に入ってくるのはどこまでも広がる花畑。色とりどりの赤、黄、ピンク、白から紫や水色まで様々な花が大木へ向けて、いや大木から放射状に広がって咲いている。天国、という言葉が似つかわしいと私は思った。

「あそこ、あの木があるだろ。あそこの根本へ行ってごらん。根元に小さな家があるんだ。それが魔女の家って言われてる。悪いがここから先は馬が入れなくてね。おぶって貰うことになるけど遅くとも一時間もすれば着く距離だよ」

 それって見た目以上に結構な距離だなと思いながらも、私は御者にお礼を言う。戻って行く馬車を眺めた後、私は母に水を飲ませ、パンを咥えながら母をおぶった。

 一歩ずつ、一歩ずつ花畑の中に通る一筋のあぜ道を魔女の家へ向かって歩いていく。こんな遠くにこんな景色が広がっているなんて思いもしなかった。美しいけれどどこか儚い印象を受ける花畑には小川が流れ、その水のきらめきが眩しく空を映し出している。

「綺麗なところだね。昔は荒地だったのに」

 背中にしょわれていた母が耳元でポツリと呟いた。

「本当だね。すごく綺麗……。母さん、あと少しだよ」

「ごめんね迷惑かけて」

「いいのいいの。気にしないで」

 そんな会話をしながらも、母が弱っていくのを私は肌で感じていた。少しずつ彼女の肌が人間のソレではなくなっているような感じがしてきていた。肌触りも柔らかくなく冷たくて折れてしまいそうな、そんな心地。昨日は重かった体重も、今は軽く感じている。そういう変化が嫌で嫌でたまらなくなって、私はいつの間にか転ぶのも構わず走り出していた。途中途中で止まりながら息を整えて、一気に家まで距離を詰めていく。

 そうして数十分が過ぎ、身体が悲鳴を上げ始めたそのとき、気が付くと魔女の家がもう眼前に迫っていた。

 家というにはあまりにも崩れすぎているその家は、大樹が屋根を突き破っており今にも崩れそうに見える。なんとなく傾いて建っている気もしたが、おそらくは大樹にひっぱりあげられているんだろうと思った。


 そしてついに魔女の家までたどり着いた私は、走っていたスピードを殺しきれずに扉に母をおぶったまま突っ込んだ。

「ごめんくださ~い!」

 木の扉が私のタックルと共に蝶番から外れ、床につんのめる形になった私をクッションとなって支えてくれる。母は驚きながらも無事なようだった。

「いてて……」

 突っ込んだ衝撃で舞った土埃を振り払って目をこすると、だんだん魔女の家の中が見えてくる。

 床は土で覆われ、壁中にツタがまとわりついた家。部屋は片付いているとはお世辞にも言えず、訳が分からない記号が描かれた本や薬品、ペンなどの雑貨から果物までいろんなものが落ちている。そして部屋の奥には外から見えていたと思われる大木の根元部分があり、そこに誰かが腰かけている気がした。

「おやおやおや、とんだ来客がいたものだ」

 声の主を探して目を向ける。すると根元を椅子のように使い、腰掛けていた女性に気が付いた。

 薄緑色の長い髪を地面につけ、袖が余ってぶらぶらさせた大きめの白衣を纏い、眼鏡を掛けた彼女は一目でただ者じゃないと分かった。彼女は本来手のひらがある部分にそれがなく、右手はツタのように自由に伸縮させられるらしく、その右手部分で部屋に散らばった本を座った位置から腕だけ伸ばして回収していた。

「貴女が……魔女?」

「いかにも、と言いたいところなんだが……ボクは魔女と名乗った覚えはないんだがね」

 そう言いながらもどこか自慢げに微笑む彼女はやれやれと言ったように溜息を吐いてから立ち上がると、ようやく体を起こした私に近づいてくる。

 ん、アレ。この魔女大き目の服を着てるだけかと思ったけれど近づいてくると分かる。……身長が低い。私の胸元くらいまでしかない。ずるずる髪の毛と白衣を引きずってやってくる彼女に思わず私は思ったことを口にしていた。

「え、ちっちゃ」

「おい、今なんて言った?」

 ヤバいことを言ってしまった、そう気づいたのは彼女にものすごい怖い顔で凄まれた数秒後のことだった。

「なんでもないです」

「まぁいい。聞かなかったことにしてやる。で……そっちの女、『花吐き』か」

「そうなんです。母を助けてください! 貴女ならどうにかできるんでしょう?」

 彼女の身体にすがりついて、頭を下げる。地面に頭を付けて、何回も何回も。


「単刀直入に言うが……助からないし、持って夕方までだね」

「そんな! じゃああの植物なのに動けてるお客さんは一体」

「あ~、あいつか。あれはボクが生み出した植物ゴーレムさ。訳があってボクはここから出られないんで、買い物を任せてるんだ。おい、出てこい」

 彼女がその場で手をパンパンと打ち合わせると、地面からうねうねと何か伸びたかと思えば次の瞬間には木の幹から手足が生えた人型の何かになっていた。まるで畑に立つ案山子のようにも見える。

「え、何ですかそれ……」

「いやだからゴーレムだってば。なに、何ていうの、使い魔的な?」

 私は驚くと同時に絶望を隠せないでいた。これを希望にしてここまでやってきたのに、それが生み出された人知を外れたモノだったなんて。

「本当に治せないんです?」

「治せないよ。ボクの力をもってしても、おそらく東の国の悪女だっけ? あいつをもってしても不可能だね」

「そんな……」

「ナノ、いいのよ」

 悲しくて、私を慰めようとする母の顔を見ることすらできない。ここまで来て何もできないの……?

「ただ……」

 沈黙の中、私の泣き声だけが響く。そんな中で口を開いたのは魔女だった。

「ただ?」

「どこから聞いたか知らないが、噂を信じたにしろゴーレムを辿ったにしろお前たちは運がいい」

「いいことを教えてやろう。その病気にかかれば確実に人間は死ぬ。お前も知ってるだろ、内側から割けて死ぬという様子をな。誰にも生きるか死ぬかは選べない……が」

 彼女のもったいぶった言い方に、はやる気持ちを抑えて私は耳を傾ける。

「『死に方』は選ぶことが出来る。そしてボクはその死に方を叶えてやれる」

 どういうことかさっぱり分からない私とは逆に、母は何かを感じたようだった。

「ボクは病人を『看取る』ことができるんだ。病人の植物の最期の力をコントロールして、安らかに眠れるように柔らかいツタで身体をくるんで、花で覆ってやる。いわば『花籠』という状態にして土に還してやれるのさ」

 魔女は寂し気に笑って、窓の外に目を向けた。細い目で遠くを見ているような、そんな気がした。

「ここまで来る途中で花畑を見ただろう? あの花たちは全て全員、花吐きで亡くなった病人たちなのさ」

「そんなことって……」

 あまりのショックと驚きで、私は何と言えばいいのか分からなくなる。あれだけの数の人が亡くなっているのかという絶望と、母がどんな答えを返すのか分からない不安で胸が押しつぶされそうだった。


「で、そちらさんはどうする? ボクに看取られるか、そのまま死ぬか。二つに一つだ」

 無言になっている私をよそに、魔女が母に問いかける。母はあらかじめ答えを用意していたかのようにすぐに口を開くと、魔女の目を真っ直ぐ見つめて言った。

「看取って下さい。死ぬなら安らかに死にたいと常々思っていたんです。ですけど一つ聞きたくて……その、看取りというのは苦しいものなのですか?」

「いいや、全然」

 首を横に振って魔女が否定すると、母は心から安堵したように頷いて、笑顔を見せた。

「では、是非お願いします……ゴホッゴホッ」

「分かった。本人の許可は得られたし、あとはそっちの女……ナノとか言ってたか。お前だけだ」

 魔女の目が私の方へ向けられる。私はその言葉に応えるのが嫌で嫌で仕方がなかったけれど、辛そうな母が心から笑うのを見てほっとしていた。ここへ連れてきて良かったと、心底思った。

 ――母さんの幸せが私の幸せだ。彼女が望むことなら、何でもしてあげたいから。

「母を看取って下さい」

「いいんだな?」

「はい」

「分かった。非常に残念だが……お前の母は今夜まで持つかどうか正直分からない。だから、日没前に看取ってやりたい。別れの話をするなら今のうちにしておけ」

 魔女は私の肩をポンと一つ叩くと、部屋の隅へ移動してしまう。彼女なりに気を使ってくれているのだろう。

 私は苦しそうに咳き込む母さんに近づいて、彼女を横にならせてからその手を取った。

 取った手は完全に木の枝に変わっていて、強く握れば折れてしまいそうなほど柔かった。

 まさかこんなに早く母さんを失うことになるなんて思わなかった。一緒の生活をして、一緒に仕事をしていたのにどうして母さんだけが病気になったのか私には分からない。

「母さん」

「ナノ……ごめんね。でも分かってちょうだい」

「うん、大丈夫。私も母さんが苦しんでるところ見るの、嫌だから」

「母さん、私をここまで育ててくれてありがとう。学校にも行かせてくれて、私が働くって言った時も止めないでくれて、毎日美味しいものを作ってくれてありがとう。本当に本当に大好きだよ」

 言い足りないくらいの感謝を言葉に込めて、今まで言えなかった分を全部吐き出して、最後に私は母さんを抱き締める。

「ナノ……。愛してるわ」

「私もだよ。母さん」

 最期くらいは泣かないで見送りたいのに、どうしても涙が止まらない。悲しくて寂しくて私はどうにかなりそうだった。抱き締めたまま、母さんは私が泣き止むのを待ってくれている。そうして数十分が経過して、母さんはゆっくり目を閉じた。

 呼吸がだんだん静かになっていくのを感じたその時、後ろから魔女がやってきて、「頃合いだな」と呟くと彼女は私に母さんをおぶるように言ってきた。


「どこへ行くんです?」

「庭さ。花畑の中の小川の近く。綺麗なところだ」

 彼女は口に葉っぱを咥えて、私の背中を二度叩いた。早く行くぞ、と言わんばかりの彼女に私は静かに眠る様にしている母さんを背負って外に出た。

「ああ……」

 外は日差しが眩しくて、雲一つない快晴が広がっている。そよ風が微かに花畑の花を揺らしては抜けて行った。

「始めるぞ、その空いてるとこに寝かせてやれ」

 草原の、まだ花が咲いていないところに言われるがままに母を寝かせる。

「少々看取りはショッキングかもしれないが……そのまま見てるか?」

「はい」

「分かった」

 魔女が深呼吸をして、目を瞑る。彼女は胸の前で十字を切ると何か呪文のような言葉を呟いてから、蠢く両腕を地面に突っ込んだ。

 次の瞬間、母の周りから無数の蔓が生えてきたかと思えばそのまま母を覆っていく。まるで繭を編むように無数に交差しながら下半身から身体を覆いつくしていく。

「母さん!」

 そうして母の頭がくるりと包まれると……私の目の前には全身すっぽりと覆われた蔓の棺桶が出来ていた。魔女は手を地面から引き抜き、人の手のように五本の指に戻すと手を合わせ、また再度何かを唱えた。

 するとどういうことか、母さんを覆った蔓に無数の花の蕾が出来始め……瞬きをした後にはもうすべての花が開き切っていた。

「母さん……綺麗だよ。すっごく綺麗」

 最後に魔女は懐から淡い紫の花を取り出してそっと母の胸のあたりに置いた。


「終わったよ」

「ああ……ああっ。ありがとうございます。母さんも喜んでいると思います」

「そうだといいんだけど……。ああ、彼女の花籠に触れてみるかい?」

「いいんですか」

「ああ。埋める前までは君のものだ」

 言われて、私はそっと母さんの花籠に触れる。……まだ温かい気がした。抱き締めてみようと少しだけ母さんを起こした時、私はその軽さに驚いた。遺体が入っているとは思えないほど、花籠は軽い。まるで花束を抱えているかのような重さに、驚くとともに私は胸が苦しくなった。

「軽いんですね」

「ああ。花籠になった人は軽くなる。花そのもののように軽いだろう? さて、そろそろ土に還してやろう」

 言ってから魔女は二回手を叩き、植物ゴーレムを二人生み出した。そのまま彼女は何か言葉をつぶやき、彼らに地面に大きな穴を掘らせると、そこへ母さんの花籠を入れた。

「閉じるぞ」

「はい」

 ――ゆっくりと、母さんに土が掛けられていく。ゆっくりと、母さんが土に還っていく。

 そしてしばらくして母さんも花畑の一部になった時、私は安堵感でいっぱいになってその場に崩れ落ちていた。


「大丈夫かい?」

 小さな魔女に支えられ、なんとか私は身体を起こす。

「魔女さん、ありがとうございました」

「ああ……その『魔女さん』ってのやめてくれないか、ボクにはプランという名前がある」

「じゃあプランさん、本当にありがとうございました」

「ああ。……また庭が広がってしまったな」


「あの、いつからこんなことを?」

「随分前さ。例の病が流行る前から、ボクはこの地にたどり着いた時からこんなことをやっている。誰かを苦しめずに看取って庭へ送る……からボクを『庭師』や『花葬師』と呼ぶ人もいる」

「……つまらない話をしたね。で、これから君はどうするんだい」

 母さんは逝ってしまった。私は一人残されて……どう生きて行けばいいんだろう。あの家に帰って商人を続けるのか? 母さんの思い出が詰まった家に。

 私は……できればこの場所に居たい。まだ母さんから離れたくないというのもあるけれど、私はこの病気で苦しんで死ぬ人が少しでも減らせるなら、この『看取り』を身に付けて多くの人を救いたい。私は彼女の、プランさんのおかげで救われた気持ちになったから。母が苦しまず樹にもならなかった、それが一番幸せだったから。だから、もしも私にできるなら……!

「プランさん」

「何だい」

「ここに残ってもいいですか」

「は? どうして」

「母さんから離れたくないのもあるんですけど……、その弟子にしてくれませんか」

「弟子ィ? ボクはそういうのやってないんだけど」

「お願いします! 母さんのように苦しまない死に方を増やしていきたいんです」

 必死になって、私は頭を下げる。

「……苦しまない、か。ーーそういえば君はボクの家のドアを壊していたね。あれ高かったんだよなぁ」

「弁償もかねて、置いてあげるよ。ちょうど話し相手も欲しかったんだ。ゴーレム相手は飽き飽きでね」

 プランさんはわざとらしく笑って、そして手を差し出してきた。その手を握り返して、ぶんぶん握手を交わす。涙は振り払って、にっこりとプランさんに笑顔を返す。

「よろしくお願いします、師匠!」

「誰が師匠だ! 弟子は取らない。君はそうだな……助手、いやそれだと地位が上がるな。仕方ない、弟子でいいだろう。ほら、もう日も暮れて来たし家に戻るぞ」

「分かりました!」

 ずんずん勝手に家に戻って行ってしまう師匠の後を追いかけながら、私もそちらへ歩みを進める。

 ――頑張るね、母さん。母さんは近くで見守ってて。とっても綺麗なお庭の中で。




 +   +   +


 ――一方その頃、東の王国。

 多くの人々が『花吐き病』になり、王国の人口の約6割が感染し死亡している王国では日に日に国内に立つ「樹」が増えて行った。世界的に蔓延している『花吐き病』、その中でも何故か病の進行が特に早い型が流行る王国は、健康な人々の数を徐々に減らしている真っ最中であった。


「ったく、次から次へと何体焼かせるのよ……」

 そんな中、夜闇に紛れて人知れず末期の病人や遺体の樹を燃やして灰にする女性が一人――。

 月明かりに照らされた井戸に浮かび上がった彼女は、深紅の髪を短く切り揃え、右手に燃え盛る炎を宿した噂にもなっている人物……『東の国の悪女』そのものだった――。


 第一話 終わり



 次回予告的なもの:

 感染すると終いには植物になってしまう不治の病、『花吐き病』。死は避けられないが死に方を選ぶことが出来るという話を聞かされた主人公ナノは、西の魔女で『庭師』/『花葬師』のプランの下で母を看取り、プランの弟子になる。様々な疑問をプランにぶつけていく中で、ナノは『苦しむより早く、生きている間から燃やして灰にしてしまう』ということをして回っている『東の悪女』のことを聞く。まるで命を花に見立て剪定して回る様に生きる彼女をプランは『剪定師』と呼んでいた。

 庭師と剪定師。ふたつの看取り方を学ぶナノ、その中で彼女たちは何者なのかが明かされていく。

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