壁一枚、首の皮一枚
似たような顔ぶれの”今日”たちと、会釈も交わさずにすれ違っていく。
今自分は起きていて、眠っていない。細部までくっきりした視界がそれを裏付けている。なのに自分は今、何も見ていない。目を開けていても、心が閉じているとものを見ることはできないようだ。窓枠の向こうに覗く青いグラデーションは網膜に無感情な像を映し出している。このところずっと曇り続きの空に勝手ながら親近感を覚えていたというのに、未だにくすぶり続ける自分への皮肉か?棘にもならない棘を刺して、すぐに相手の途方もなさに思い当たった。バカなことをする自分が、ピリリと辛い山椒にも及ばないくらい小粒に思える。もっとどんどん小さくなって世界に飲み込まれちゃうのかな、とぼんやり考えるが、それが物理的な意味でも比喩的に捉えても起こりえないことはよく分かっている。ほかならぬこの世界を生きてきたから。そしてこれからも、同じこの世を生きるしかないから。
自分は、今の暮らしの麻薬的にも思える自由に魅せられていた。食料含め生活に必要なものはネットで注文するから、外に出るのは届いた荷物を回収しに行くときだけでいい。さらに置き配にすると、一人暮らしだから人と対面する機会すらなくせる。ネットの中では接触を防ぐのはもっと容易である。そうして創り出す自分だけの秘密基地は、「自分を縛り付ける”他者”から逃れる」という意味での自由で飽和している。それは、この部屋を満たす、辛気臭くて陰鬱でどことなく甘ったるい空気そのものだ。そして、今の自分を守っているのは紛れもなくその分厚い”自由”であった。
宅配便が来ているはずだ。正直ただの一歩でも外に出たくないが、その労力を惜しんだせいで飢え死になどすれば笑い話にされるだろう。生きるためにしぶしぶドアを開ける。
不意打ちで全身に光を感じる。意識の行方を捜すのに手間取い、少し遅れてから、眩しいと感覚していたことに気付く。思わず閉じていた眼をそっと開けると、見覚えのある風景が、記憶の中のそれよりエネルギーを帯びているように見えた。外ってこんなに明るかったっけ?ていうかやっぱ嫌味ですか。余計なお世話ですほっといてください。この際いちゃもんをつけてやろうと思ったが、まっすぐに目に届く太陽光は、どうやっても白い色をしている。
ちょっとだけ心が軽くなった気がするのが癪だった。