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 まさか、時代もランダムに変わるとは思わなかった。


 今までは平成の中を行き来していたが、どうやら今回は昭和らしい。思えば、親が変わるのだから、そのバリエーションの一つとして、時代すら変わる可能性も十分あり得るのである。


 とりあえず、一応ガチャポンはある時代なので、そこの心配はしなくていいだろう。


 今回の尚也は、田舎の亭主関白の家に生まれ、跡取りの長男として大事に育てられたらしい。父親は常に威張り散らし、怒鳴り声の絶えない家庭である。幼少の頃に亡くなった祖父も同様だったので、その精神は見事に引き継がれたと見える。


 家族は召使い同然で、自分の気に入らないことがあれば、子供にすら暴力を振るう。比較的大事にされているとされる長男にもそれが振り被ってくるので、要は、あくまで自分の機嫌が一番大事なのである。長男すら、自分の老後のための手駒でしかない。


 身内の女子供への態度に至っては、親戚で集まって食事をした際、近くに座る自分の兄弟へと酌をさせたり、追加の酒を持って来させたりといった具合で、子供が食べている最中で対応が遅れたり嫌がったりすれば不機嫌になり怒り、と傲然たるものだった。


 母親も祖母も亭主に言われた通りにしながら、その愚痴を言い合い、仲良くしている。幼い子供にはまるで自分を悲劇のヒロインのように語り、気持ち良く自身に酔っている。


 子供からすればたまったものではないが、お似合いの夫婦であり家族なのだろう。


 尚也はそんな家族や親戚を見てきて、内心安堵している面もあった。


 自分は長男でまだマシだった。次男以降なら扱いが雑になり、男兄弟のいない長女なら長男と女、両方の扱いを受けることになるだろう。女というだけで「片付いた」だの冗談で邪魔者扱いされ、勉学や仕事、結婚まで、あらゆる意思を無視されるのだから、まずは男に生まれたことが幸いか。成人してから一番自由にできるのは次男以降だが、長男なら、今の時期を乗り切れば至れり尽くせりでやりたい放題振る舞える、という利点がある。


 そういう時代。と言ってしまえば曖昧に済ませられる時代なのだ。


 中学生である今は父親に逆らえないが、大人になれば次は自分が父親の立場で好きにできる。それまでの辛抱だ。


 今の立場に不満は無い。が――――


(つまらない)


 娯楽が少ないのが問題だった。


 今の時代はインターネットも無く、ゲームも単調で画面がビビッド過ぎたり逆に暗かったり、すぐにデータが飛んだりする。スマートフォンも当然ながら無いので連絡も不便であり、情報を得るには人づての他、新聞かテレビか辞書などの分厚い本か、といったところで、これまた面倒だった。


 また、治安が悪いという難点もある。田舎特有の監視社会で、娯楽としてあること無いこと噂される、という他にも、『そういう時代』として許される行為が酷かったのである。


 学校では教師が煙草を吸い、理不尽な体罰も当たり前にある。道端には煙草の吸い殻や空き缶、未開封のお菓子の袋などがよく捨てられている。空き瓶は店に持っていくと小銭を貰えるので個人的にはまだいいが、全体的に、モラルが低いのである。皆が『それが普通で当たり前のこと』と認識しているせいで、異論を唱えても聞き入れられることも無い。


 昔、最初の生で昭和のCMをビデオで見たことがあるが、実に明るく温かみがあり、賑やかで楽しそうな印象を受けた。他にも、趣深かったり渋かったり、哀愁に物悲しさを感じられるものもあった。


 しかし、CMはあくまで理想を形作ったものである。実際の昭和とくれば、落胆してしまうことも多かった。


 せっかくの人生の前半を、無駄な不便と退屈、不快で埋めてしまって良いものか。自分は今よりも便利で楽しい時代を知っているというのに。せめて、元の時代程の文明の利器は欲しい。


 そう考えると、決断は早かった。


 尚也はある日、数年前までよく行っていた、今もたまに行く隣町の駄菓子屋へと向かった。


 真夏の快晴。じんわりと、耐えれる程度の蒸し暑い空気。蝉の鈍く響く鳴き声。


 初めて来た場所に、常連だった頃の記憶が蘇り、懐かしさを覚えた。


 店先にある白い冷凍ショーケースが、日の光を受けて眩しく見える。その前を通り過ぎる際にアイスの誘惑に乗り、一つだけ取り出して店の中で会計を済ませた。袋から取り出して齧りながら、久しぶりに会うお婆ちゃん店員といくらか言葉を交わす。


 シャクシャク、シャクシャク。甘いソーダ味で、口内が冷たく満たされる。アイスが三分の二になった辺りで、それが当たり棒だとわかった。思わず「おッしゃ!」と喜びの声が漏れる。


 何歳になっても、『当たり』の三文字には心躍るものなのである。


「あらぁ、おめでとう。今交換していくかい?」


「うーん、続けて二個は食べられないしなぁ……。今度、またこっちに来た時交換しにくるよ」


「そうかい、そうかい」


 お婆ちゃん店員とそう約束し、店を出る。そして帰路に着こうとしたところで、今回の目的を思い出し、Uターンした。


 今回の目当ては、ショーケースから入口を挟んだ反対側にある。自分が行ける範囲でガチャポンがある心当たりといえば、ここだったのである。


 蒸し暑い中、口の中をひんやりさせながら、並ぶ少数のガチャポンを見ていく。


 すると、やはり、それはあった。どうやら『親ガチャ』は、尚也が行ける範囲のガチャの中に存在するようである。


 尚也はアイスを咥えながら、両手で財布から百円玉を取り出した。


 ――――そこで、ふと、先程のことを思い出す。


 手が止まった。


(アイスの当たり棒はどうする? また来るって約束したのに。ガチャを回せば次は無いぞ。やっぱり今交換する、と言っても二つ目は食べられないし、家に持って帰るのも億劫だしなぁ。ポイ捨てとか無駄にする気もさらさら無いし。さすがにそこまで落ちぶれてないんだよなぁ)


 そう考えている内に、再び食べ進めていたアイスを食べ尽くした。甘さを残す口内が次第に生温いものに変わっていき、じんわりとした暑さが戻ってくる。


(また今度にするか? カプセルも半分以上あるし。今の生活も良いところあるし。……でも悪いところもあるんだよな。理不尽な暴力は許されるし、モラルは低くて当たり前。でも良い人だっているんだ。でも不便で娯楽も少ないし……)


 ぐるぐると、思考が堂々巡りを繰り返す。同じことを吟味するように反芻し、密集して凝り固まるように、考えが纏まらないまま濃縮される。他の考えが浮かぶ隙間も無い程に、思考が重く深く、沈んでいく。


(ああ、悪いことばかり思い出す。楽になりたい。楽しいことだけしていたい)


 もう、考えることにも疲れてしまった。長く悩むのなら、それだけ良い部分もあり、同時にそれに負けない程の悪い部分もあるということである。


 そして思い出す、身の周りの大人達の、身勝手な振る舞い。偉ぶったり被害者ぶったりして他人を巻き込む、成長の無い精神性。数だけは多い、大きな子供達。


 そして、娯楽として監視される息苦しさ。


 今、自分はそういう環境にいるのである。


 ごくり。喉が鳴った。


 ガチャガチャ――――コロン。


 それはほぼ無意識の、現状からの逃避だった。



          *



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