二
その日の気分は最悪だった。
先日、せっかく旧友を飲みに誘ったのに、絶交を言い渡されて終わったのだ。尚也としては、冗談を交わして場を盛り上げようとしたのに、一方的に縁を切られた。しかも、こちらを悪者のようにして、である。
納得がいかなかった。
(せっかく誘ったのに、何なんだよあの態度……昔はよく一緒に遊んだのになぁ……)
家の近所を散歩しながら、子供の頃の思い出にふける。この住宅地もいくらか様変わりしたが、それなりに田舎なので、空き家が増えたり取り壊されたりした程度である。その一角、昔はよく利用した駄菓子屋も今は廃業し、当時経営していた婆さんもついに施設に入るとかで、その家も取り壊されるか空き家バンクに登録されるかするのではないか、という話も聞くようになった。
通りがかったその駄菓子屋を見てみれば、外見は古びているものの、昔のままだった。店の玄関でずっと閉ざされているカーテンはめったに無い休業日に見た時と同じもので、店の脇に数台設置されたガチャポンもホコリを被って錆びてはいるが変わらない。
尚也は懐かしさで感傷に浸り、つい、足を止めた。
昔はよく回したガチャポン。複数の見本の中から何が出てくるかわからないそれに一喜一憂して、時に、共に回した友達と見せ合ったものである。
ふと、童心に返る。尚也はガチャポンの内側に貼られた、商品の見本が載っている紙が気になった。日に焼け、色褪せていて、薄れ切った印刷の、ボロボロに古びた紙。大人になった今でも、それはさながら宝の地図のようにも思えた。
それに吸い寄せられるようにして歩み寄り、一つ一つ、目を凝らしながら内容を読み取ろうとしていく。今のものに比べればちゃちな、しかし百円で手に入る冒険の勲章があった痕跡をなぞっていく。
そして。その中に一つ、気になる商品名を見つけた。
「『親ガチャ』……?」
大きく書かれた商品名。他の部分はほとんどが白紙に戻っているが、それだけは、なんとか読み取ることができた。ついでにボックスの中を覗き込んでみると、数個だけだがカプセルが残っている。が、真っ黒で透けていない仕様のもので、中身まではわからなかった。
『親ガチャ』。確か、最近耳にする言葉で、初出も十年程前のことだそうだ。となると、その言葉もまだ有名ではない頃に、この商品が作られていたということだろうか。ここ数年の内に作られたにしては商品説明の紙が古過ぎる気もするが、こんなものなのだろうか。
いささか気に掛かる部分はあるが、尚也は些細な疑問よりも、その中身が気になっていた。
(昔のものだけど、百円だしな……)
もし百円玉が飲まれてカプセルが出て来なくても、それは仕方無いとして諦めるか――――と、尚也は少し考えた末、結局そのガチャを回すことにした。
ポケットから財布を取り出し、財布から百円玉を一枚探して取り出す。子供の頃はポケットから直に百円玉を掴み出していたからか、今の動作に少々もどかしさを感じてしまった。
子供の頃に比べてようやく取り出した百円玉を半身が見えるようにガチャポンにセットし、ハンドルに手を掛ける。ぎぎ、と内部が錆びついているのか初めは引っ掛かる手応えがあったものの、少し力を込めれば、後は容易く回すことができた。
カプセルのわずかな重みを掻き混ぜる手応えを感じながら、一回転、二回転。
(――――回った)
コロン、と落ちてきた真っ黒なカプセルを手に取る。それには何の変哲も無い、軽い何かが入っている程度の重さが感じられた。
そして、開けてみると――――一瞬にして、景色が変わっていた。
否、状況が変わった、と言った方が正しいだろうか。さっきまでは野外でしゃがんでいたのに、今は屋内で椅子に座っている。
ここはリビング。まるで昔から知っていたかのように、それが理解できた。見慣れないはずのダイニングテーブルや食器に親しみを覚える。知らないはずのこの家の間取りがわかる。
朝食を運ぶ若い母、席に着き新聞を読んでいる若い父。そして、同じく席に着き、寝ぼけてうつらうつらと舟を漕ぎかけていた小学生の子供、である自分。
まったく知らないはずの家族が、自分の家族である、と、尚也は何故か受け入れていた。
新聞をめくる乾いた音で、ハッと我に返る。まるで夢を見ていたような、否、それともこれが夢なのか、それにしては現実味が、と、記憶が混乱する。
そんな中、知らないはずの記憶を思い出してきた。
自分は『次屋亮弥』。小学三年生。ここは自分の家で、この二人は自分の両親。今日は平日で学校があるから、ご飯を食べたら行かなくちゃ。
しかし――――違和感。
否。
自分は渦知屋尚也。とっくに成人済みのフリーターのはず。尚也としての人格も記憶も生々しい程明確に覚えている。むしろ亮弥としての記憶の方が、他人事に近い感覚にある。実際に体験もしているのに、である。
尚也としての記憶を思い出したというより、亮弥としての記憶を思い出したという感覚の方がしっくりくるため、主な人格は尚也と言っていいだろう。そもそも生きてきた年数が倍以上違うのだが、それ以前に、『自分は尚也だ』という認識の方が強かった。
どちらにしろ、今は亮弥として振る舞った方が良い。面倒そうなことは学校が終わってからでも考えられる。と、思考を中断する。
尚也は今の母に促されるままに、朝食に専念することにした。
大人の記憶を持っているので、学校生活は楽勝ながらも億劫にも感じられた。子供としての鮮明な記憶と体力に助けられてはいるが、どうしても大人だった頃の認識を引き摺ってしまう。
そして、放課後。
尚也は亮弥としていつも通り、友人達と寄り道をして帰ることにした。寄り道用のお小遣いはポケットの中。住宅地の一角にある、個人経営の小ぢんまりしたスーパーが目的地である。
『宿題は忘れてもお小遣いは忘れるな』とは、自分達にとっての常套句だった。それだけ、放課後の買い食いが楽しみなのである。
店先に複数のガチャポンが並ぶそこから、夕方に向けて作られる揚げ物の匂いが漂ってくる。いつもなら友人達と、それに吸い寄せられるようにしてまっすぐ店内へと入っていく、のだが。
今回は違った。
ふと、ガチャポンに目が行く。友人達も、尚也とは別の心境だが、通りすがりながらガチャポンを見ていった。足は食欲に忠実に買い食いへと向かっているが、目は目先にある玩具への好奇心につられたのである。
そんな中、先頭を行く友人の一人が立ち止まった。
「あっ。新しいガチャあるじゃん! 俺これやってくから、皆先行ってて」
その声に、皆してその視線を辿る。どうやら、今流行りの漫画に関するガチャポンが新しく出たらしい。
一人の声を合図に、俺も俺も、と全員がガチャポンを前にして一旦解散した。
尚也もガチャポンを見て回れば、今流行りの漫画やアニメ、日曜の朝に連なる番組に関する玩具が詰められたものの他、トランシーバーやライトを当たりとしたよくわからないものや、ビーズなどでできたアクセサリーを詰めたものもある。
その中に、一つ。
「あ」
求めていたものは、あった。
『親ガチャ』。
前回と比べて、使い込まれてはいるがまだまだ現役のボックス。古いもののまだ読み取れる見本の紙。そこには、『どんな親が出るかはお楽しみ!』などと書かれてはいるが、肝心の見本らしき写真は無く、カプセルが開いてハテナマークが飛び出した簡素な絵しか描かれていない。
(やっぱりそうだ。オレは渦知屋尚也。次屋亮弥じゃない。いや、今は次屋亮弥だけど、多分前とは別の親から生まれ育った結果前とは別の子供になった姿であって、)
そこまで考えて、ピンと来る。推測が合っているとなると、欲が出てきた。
(……じゃあやっぱり、このガチャを回せば、また別の親の子供になって、うまくいけば良い人生を送れるってことか……!)
ボックスの中には、あの真っ黒なカプセルが一つ。今の年代は元いた頃よりも少し前だが、カプセルは前よりも少ない。ということは、入っている個数は毎回ランダムなのだろう。何にしろ、自分は出てきた詳細不明の一つを開けることで次の『子供』になるのだから、空っぽでなければ何個でもいい。
もし、今考えている仮説が本当なら、今度はもっと良い親に当たるかもしれない。そう思うと、試さずにはいられなかった。
別に、次屋亮弥としての人生に、不満があるわけではない。思い出せる範囲の記憶を辿ってみても、『家族仲の良い普通の中流家庭の子供』といったところで、平凡な人生の途中と言えるだろう。
が。もっと良い生活ができるのならば、その方が良いと思えたのである。
正直、今の人生は平凡で平穏でつまらないとも感じており、何か刺激が欲しかったのもある。今の人生はこれからもこれからであり、平凡からスタートしているので、刺激を得るにしても相当後のことになるだろうし、それまでは既視感のあるやりたくない努力も要される。
そこで、手っ取り早く状況を変えるとなれば、『親ガチャ』を利用しない他無いだろう。
ただ、今回はカプセルが一つしか無い。そして、自分以外にも、ガチャポンに集中している友人達もいる。
誰かがこの『親ガチャ』に興味を持って回してしまう前に自分が回さなければ、この最後の一つは開けられない。カプセルが補充される保証も無い。仮に友人達が興味を持たなくても、次回見た時には誰かに回されているかもしれない。
となれば、チャンスは今しか無い。
尚也はポケットから、百円玉を取り出した。
ガチャガチャ――――コロン。
出てきたカプセルを手に取り、前回よりも力を込めて開ける。
――――暗転。
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