月へ願う
「お月様……今日も一日ありがとうございました。明日もみなさまが私のご飯を美味しく食べて、少しでも幸せな気持ちになってくれる様に、お願いしても良いですか?良いのですか!ありがとうございます。じゃあ明日も張り切っていきますね」
一日中頑張ってくれた身体を、ぬるめのお湯でゆったり癒し、窓から見える月に向かって毎日の事を報告、連絡、相談して明日への意欲に繋げる私のルーティン。
「お月様、この街の方々はとても優しい方達ばかりです。私の秘密がこのまま秘密として、消えて無くなります様にお願いします。今の幸せがずっーとずっーと続きますように」
私は毎日、月に祈っている。
「今日もいい匂いだね。お腹空いたぁーレティちゃーん!いつもの三つ!」
「こっちもいつものちょーだい」
「はーい!いらっしゃいませ。すぐおもちしますね」
私は八席ある狭い店内を忙しく一人動き回る。お客様達と向き合い会話もできるカウンターが、特にお気に入りなの。美味しそうに食べる様子を観ていると楽しくて、私は生きているんだと実感できるから。
以前の私は楽しくも無いのに笑顔を貼り付けて、淑女教育を受けていた。先生方の言葉を頭に植え付け、ダンスのステップを叩き込み、細かな刺繍をひたすらチクチクチクチク刺していた。全く楽しくなかったのに。
本当は料理を作ってみたかった。野菜やお肉やお魚が自由自在に姿を変えていく事。調味料も様々な物があり、使い方によっては美味しく変身する。
あの頃は、体型維持の為あまり食べられなかったけど、食べる事も好きで、少しでも時間があくと調理場に行き、見つからない様気を付けて小窓から眺めるシェフ達の素晴らしい動きや、巧みな技術を観察していた。自分なら、どう作る?どう工夫するかと、考えながら。
考えるだけで、満足していたのよ。だって私の道は決まっていたから。シャルサ公爵家の長女である私は家に見合った相手と婚約、結婚し旦那様をたてて子供を産み育てると言う使命を持っていた。
三つ歳上の真面目な兄が公爵家を継ぐ事になるので、私は少しでも有益な相手に見初められるようにと、厳しく育てられた。
そんな私が、何故今現在お店を切り盛りしているかと言うと、逃げ出したから。
私には三歳下のとても可愛い顔と、皆から好かれる明るい性格のミュラという妹がいたの。ミュラには家族も甘く、厳しい先生が嫌だと言えば優しい先生へ変えられるか、最悪ミュラは愛嬌があるからお勉強はしなくても良いわね……なんて、あり得ない事になっていた。
最もあり得ない事は、同じ公爵家のライト・ユリュジャ様と私の婚約をミュラが横取りしたからだ。
ライト様は気品があり見栄えが良く貴公子の見本の様な方だった。政略的な婚約だったけど、私としては精一杯愛情を育もうと思っていた。思っていたのに……ミュラはライト様の赤ちゃんをいつの間にか身籠っていたのだ。
それでも、謝って皆が幸せになる形にするのならまだしも、何故か私が悪どい方法で二人を追い詰めたと、ミュラを日夜虐めていた等、ミュラはライト様と二人で私の有る事無い事言いふらし、私は遠い他国へ留学という名目で追いやられたが、途中の山越え中崖から落ちた風に装い、逃げ出した。
その後家がどうなったのかは知らない。下手に調べると私の事がバレてしまうから、放置してるの。やっと自由になれたのに、あんな家には二度と関わりたく無いのが本音だけどね。