出来損ない聖女はゴブリンスレイジョウ
ある王国の孤児院に、突然聖女の力に目覚めたイザベラという少女がいました。彼女は、唐突に念じるだけでどんな物も通さない魔法のバリアを創り出すことが出来るようになったのです。ただし、その大きさは彼女の身体を包む、小さなドーム程度の大きさでした。
成長すれば結界で魔族から国を守ることのできる立派な聖女になるに違いないと大人たちは期待し、彼女は裕福な貴族の家に引き取られることになりました。しかし、一年経っても二年経っても、一向にバリアの大きさは変わることがありませんでした。
最初のうちは優しく励ましていた義理の両親も、次第に彼女に冷たく、厳しく接するようになってきました。
「あんたがちゃんと成果を出さないと、私達の育て方が悪かったせいにされるのよ! 豪華な食事に立派な服まで与えてやっているのだから、もっと死ぬ気でやりなさい!」
「はあ……養子になんてするんじゃなかった……まるで出来損ないの紛い物を売りつけられた気分だ……」
いくら責め立てられたところで、イザベラには一体どうすればバリアを広げられるか全く分かりませんでした。くたびれはてるまで、ひたすら自分の周りに見えない壁を作り続ける日々を繰り返す中で、彼女は聖女の力を授けた神を恨んでしまうことさえありました。
彼女が引き取られて3年目、ついに二人は彼女を追い出しました。
「本当なら見世物小屋にでも売り飛ばして、少しでもお前に使った金を取り戻したいところだけど、世間体があるから勘弁してあげる。二度と顔を見せないで頂戴!」
「王家のお偉方も、とっくに興味を失くしているようだし、病死したことにすれば問題ないだろう。じゃあな、役立たずの出来損ない聖女!」
イザベラは途方に暮れました。彼女は既に15歳。孤児院では、既に何か手に職をつけて自立しなければならない年齢です。そもそも、いじめっ子ばかりのあの場所へ帰るつもりはありませんでしたが、この三年もの間、一切の教育を受けることなく、ひたすら結界を張ることだけを強いられてきた彼女には、これから暮らしていく手段が一つも思い当たらなかったのです。
名前も知らない通りを、一人トボトボと歩いていると、不意に声を掛けられました。
「君、聖女のイザベラだよね?」
「えっと……あなたは……」
イザベラが振り返ると、同年代くらいの爽やかな笑みを浮かべた男の子が立っていました。
「いきなり声を掛けて驚かせてごめんね。僕の名前はアラン。冒険者見習いをしているんだ。3年前は王国中、君の話題で持ち切りだったから、一目で気づいたよ。何だかお困りのようだったから、つい心配になってね」
「ご親切にありがとうございます。実は住んでいた家に居られなくなってしまって……」
「家もお金も仕事もなくて、困り果てているといったところかな?」
「すごいですね! 何で分かったんですか?」
切羽詰まった状況にもかかわらず、目を輝かせて驚いているイザベラを見て、照れ臭そうに微笑むアラン。
「僕の趣味は人間観察だからね。君さえ良ければ、僕の家に来ないかい? 住まいというよりはボロ小屋に近いけど、野宿するよりはマシだと思う。その代わり、君に手伝ってもらいたいことがあるんだ」
「私にできることであれば……何をすればよいのですか?」
アランは、にっこり笑って答えました。
「ゴブリン退治さ!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「私は本当に結界を張るだけで良いのですか?」
「ああ。あまり素敵な光景ではないだろうから、これをつけて僕の誘導どおりに歩いてくれたらいいよ。バリアのサイズの関係で少し密着することになるけど、大丈夫?」
アランから手渡された目隠しと耳栓を受け取るイザベラ。
「はい……平気です」
少し緊張した面持ちのイザベラでしたが、覚悟を決めて返事をしました。
「よし! じゃあ行こうか!」
二人が訪れたのはゴブリンが生息する洞窟。人間が一人通れるかどうかという狭い洞穴が複雑に入り組んでいて、剣を力いっぱい振り回すことも呪文を当てることも難しく、地形を利用した奇襲を仕掛けてくるゴブリンは、かなりの強敵です。上級冒険者でもここでの依頼を滅多に引き受けようとはしません。
ただ、イザベラの能力とこの環境の相性は最高でした。そして、当然ここに生息するゴブリンにとっては彼女こそ最悪の天敵。力の弱い女子供を優先して狙う彼らは、洞窟に入ってきた二人を見つけ、食料兼オモチャ兼苗床が自ら歩いてやってきたと狂喜乱舞して襲い掛かりましたが、見えない壁に阻まれました。
気を取り直して全力で棍棒を使い殴りかかるも、びくともせずどんどん後退させられていくゴブリン達。そして……
「「「ギィィイ!!!」」」
バキッ! ボキッ! ベキョッ! グチャッ!
醜い断末魔と耳をつんざくような粉砕、破裂音が洞窟に反響します。アランはイザベラを連れて淡々と無数のゴブリンを追い詰め、圧殺していきます。中には異常事態に気付いて出口から逃げ出すものもいたようですが、依頼の討伐数は十分達成できていたので放置しました。
「ふう……お疲れ様。やはり、僕の見立て通り、君は最強のゴブリンスレイヤーだね。洞窟限定だけど」
出口から十分離れて、残党に待ち伏せされていないことを確認し、目隠しを取ってイザベラに話しかけるアラン。
「……私、結界を張っていただけですが、ちゃんとお役に立てたのでしょうか?」
「勿論だよ! 全て君の手柄なんだから! 君から話を聞くまで1時間も防御壁を出したままでいられるなんて思っていなかったからね。一度で作業を終えられて良かったよ」
「……三年間、それだけしかしてこなかったので……生まれて初めて、この能力を授かったことが嬉しいと思えました」
晴れやかな笑みを浮かべる彼女を目にしたアランは、彼女のために目隠しと耳栓を持ってきて本当に良かったと心の中で呟きました。
不用意に注目を集めてしまわないよう、ギルドでの報奨金の受け取りはアラン一人で済ませた後、二人でささやかな祝勝会を開きました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それからは極めて穏やかな時間が過ぎていきました。二人共、地位や名声を目的にしていた訳ではありませんでしたので、生活に困らない程度に、定期的にゴブリン退治の依頼をこなしていました。
そんなある日、いつものように洞窟に入る前の目隠しと耳栓をイザベラが終えたところで、猿のような魔物が明確な殺意を漂わせて近付いてきました。
「やっと見つけたぞ、この裏切者が! あろうことか聖女と組んで冒険者の真似事なんて、どういうつもりだ!」
「……ああ……せっかく彼女を守れるぐらい強くなれたと思ったのに、結局勇姿を見せることは出来なかったなあ……」
「何言ってんだよ、てめ……」
最後まで喋り終えることなく、目にも留まらぬ早業でアランに一刀両断された魔物の首は、あっけなく地に落ちました。
「アランさん……」
振り返ると目隠しと耳栓を外したイザベラが呆然としていました。
「イザベラ、勝手に外しちゃ駄目じゃないか……まあ、最後にカッコいい所を見せることが出来たから良しとするかな……実は君にずっと隠しごとをしていた。僕は人間に化けることができる魔族なんだ。三年前に聖女が現れたという噂が広まり、監視役として僕が選ばれた。君が脅威になりうるか、あるいは利用できるかどうかを見極めるのが僕の役目だった」
ただただアランの話を黙って聞いているイザベラ。
「君があの屋敷を追い出された時点で、君をこっそり殺して僕の役目は終わるはずだった。でも、つい悪知恵を働かせてしまったんだ。君を利用すれば、危険なスパイなんかよりも安全に快適な生活が送れるんじゃないかってね。結局、魔族達にはバレちゃったみたいだけど。イザベラに結界を張られたら到底かなわないし、我慢比べをしている間に次の追手が来ると困るから、僕は姿を消すことにするよ。今までありがとね、それじゃ」
踵を返して立ち去ろうとするアランに、イザベラは叫びました。
「アランさんの大嘘つき!!」
「魔物なんだから嘘つきで悪い奴に決まってるじゃないか。騙された方が悪いのさ」
振り返ることもせず、そう嘯いて歩いていくアランでしたが、突然見えない壁にぶつかり、思わず尻餅をつきました。
「あいたっ……えっ……何で?」
イザベラとの距離は、ゆうに5,6メートル離れていましたが、明らかに聖女の結界が張られていました。アランが混乱している隙に、ツカツカとイザベラは歩み寄ります。
「そう簡単に逃がしませんよ!……隠し事をしていたのはアランさんだけじゃないんです!」
アランの前で腕を組み、仁王立ちするイザベラ。
「これは驚いたな……でも、早く結界を解いてくれないかい? 出来れば君を傷つけたくな……」
「うるさい!! 悪者振るのはもう止めてください!!」
初めて聞くイザベラの怒声に、アランは固まってしまいました。一方のイザベラは堰が切れたようにまくし立てます。
「そもそもアランさんが人間じゃない事なんて最初から分かってたんですよ! 私、オーラが見えるので! 心の声が聞こえる訳じゃないですけど、善意とか悪意を感じ取ることもできます! 自分が何をしているのか目隠しに耳栓してもちゃんと分かってました! 最初は気持ち悪くて吐きそうでしたけど、向こうも殺意剥き出しでしたし正当防衛だと思います!」
思わぬ情報が、次から次へとなだれ込んできて、アランは脳の整理が追いつきません。
「アランさんが私を助けてくれたのは、きっとご自分の境遇と重ねていたからですよね! 他の魔族からいいように利用されている自分と! 確かに100%の善意だとは言えないかもしれませんけど、私にとってはそれで十分だったんですよ! アランさんが初めて私に手を差し伸べてくれた大切な存在だってことに変わりはないんですから!」
相変わらず怒ったような口調でしたが、イザベラの目には涙が浮かんでいます。
「……あと! 最近は、アランさんがゴブリン退治中にもかかわらず、時々私に密着してるからって、ちょっとだけムラムラしてたことだって知ってるんですからね! でも、それは別に怒っていません! ……私だってドームを広げることが出来るようになったのを敢えて黙ってましたし! ……だから……どこかにいなくなるなんて言わないで下さい……」
俯いてぽろぽろと涙を零すイザベラ。
「……最後の告白は心の中にしまっておいて欲しかったな……」
「……すみません、つい勢いで……」
気まずそうに呟き、ぎこちなく微笑む二人。
「……この見た目はあくまでも仮の姿だってことは伝えたけど、正体がさっきのアイツみたいに不細工だったらどうする?」
「……どんなゲテモノでも構いません……場合によっては、ちょっと慣れるまで時間を頂くかもしれませんが……そもそも私だってとても聖女なんて似合わない地味顔ですし……」
「そんなことはない!! イザベラは凄く可愛いよ!!」
「……ありがとうございます」
再び沈黙が訪れましたが、二人共どこかそれを心地よく感じていました。
「……とりあえず、我が家に帰ろうか?」「……ええ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
家に帰った後、若干のすったもんだを経て、渋々本来の姿を見せたアランに対してイザベラは「人間の時よりそちらの方が凛々しくて素敵ですよ!」と言い放ちました。正直、変身状態の自分の容姿にそれなりの自信を持っていたアランは、受け入れられたことを喜びつつも内心複雑だったそうです。
アランとイザベラは、その後も冒険者としてそこそこの活躍をしつつ、密かに何度も王国の危機を救いました。二人の間に生まれた子供は、聖女としての力と魔族の戦闘能力を兼ね備えたハイスペックなハーフだったのですが、ただの親バカと化した二人がその事実に気付くのは、まだまだ先の話でした。