序の上
戒厳令の敷かれた摩天楼に人の気配はない。
二人の異形を除いて。
一人は滑らかな外殻に触覚様の二本の角を持つ人間と昆虫の合の子のような追手。
逃げる一人は人型の軟体動物とでも言うべき異様な姿だった。
「プラナリアン……! 今日は……今日こそは逃さんっ……」
追手の声には、迸るような憎悪が。殺意が籠もっていた。切実だった。
逃げていく異形──プラナリアン──はそれを嘲るように速度を上げる。
ビルとビルの狭い隙間を自分のサイズを調整してすり抜けていく。軟体動物をモデルに生体改造を受けた強みだ。
必死に追いすがる追手を、哄笑を上げて罵る。
「無駄だ! リオーク!! そう言って貴様が私を捕らえられたことがあったか!! また遊ぼう! 今日はさらばだ!!」
更に細い隙間に、紙程の薄さに変化し潜り込む。
優位を確信し、口数が多くなった時。
潜っていたビル壁が粉砕された。
リオークが蹴破ったのだ。
「何!?」
これまでリオークが、意図的に破壊行為に手を染めたことはなかった。
経験則を裏切る事実と壁ごと蹴りつけられた痛みが二重のショックとなってプラナリアンを襲う。
「言った筈だ。“今日こそは”と……!」
リオークが武道の型のようなモーションに入る。
ゆったりと腕がひかれ、前傾姿勢になったところでぴたり、と止まる。
「これ以上お前をのさばらせることはできない。……今日で、最後だ」
決め技を撃つつもりだ。
──まずいな。まずいが……──
ここでこの体が死滅したところで致命的な損害ではない。
プラナリアンの名は伊達ではない。
常にいつ斃れても良いようにクローンを用意してある。能力は無論同一。記憶も思考も死ぬ寸前までリンクさせてある。
組織の改造人間としての「保険」もある。
コストは掛かる。だが、絶対絶命とは言えない。
リオークの突進が始まる。
二つの腕でガードを固めるがリオークは難なく弾く。そして
急所たる胸に牙が突き立てられた。呆気なくプラナリアンの胸部は破壊された。
全身から熱が逃げていくのがわかる。
この体はもう、駄目だろう。
以前の体が駄目になった時と同じ感覚だった。
再生力生命力には自信がある。しかしこの技をくらった時は再起不能だった。文字通りの必殺技なのだ。
まぁ良い。次がある。諦めなければ勝利はある。
「リンク、繋いだままなんだろう?」
斃れ臥し、意識の遠退くプラナリアンを見下ろしながらリオークが聞く。
身体に、何かおぞましいものが拡がっていくのが解る。
──毒か? バカな!? 私の身体はあらゆる毒、細菌に耐えられるハズ!!!
「予備の体に」
プラナリアンは驚愕する。何故それを──。
言葉にならず、目で問いかける。
「言った筈だ。“今日こそは”と」
それが最後に聞いた言葉だった。
ぶ厚いキチン質に覆われたリオークの顔は表情が見えない。
しかし何故か、今際のプラナリアンには彼の感情が見えた。
「何故泣く? リオーク」