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第99話

 入口でお姉ちゃんがかたまってる。私がいるなんて思わなかったんだろうな。そして私も固まる。まさかここで会うなんて思わなかったから全く心の準備が出来てない。きっとまた私にしか聞こえないように口撃してくるんだろうと思ったら、体中からじんわりと汗がにじみ出てくる。逃げたい。バッグは椅子の横だ。持って今すぐ出て行けばいい。お父さんは心配するかもしれないけどでも……。


『何かあればその時は俺を頼れ』


 唐突に、耳元で来人の声が聞こえた気がした。実際には言われたことが記憶で甦っただけだが。しかしお蔭で、逃げ帰ろうとしていた足は止まった。


 そうだ、逃げたくない、向き合いたいと言ったばかりじゃないか、自分。


 ゆっくり息を吸って、二人に挨拶をした。

「お姉ちゃん、久しぶり。お茶、淹れてくるね。どうぞ」

 お姉ちゃんの連れらしい男性に中に入ってくれるよう促す。私はそのまま病室を出てナースステーションへ向かった。

 入り口でお姉ちゃんとすれ違う時に全身が緊張したけど、お姉ちゃんは何も言わず、何もしてこなかった。




 お湯が入ったポットを借りて病室へ戻る。気持ちを落ち着かせるために少しゆっくりめに戻ったつもりだったが、二人は入り口で立ったままだった。

 そっか、椅子が無いわ。

 私はもう一度ナースステーションへ戻り、折り畳み椅子を借りた。


「どうぞ」

 お父さんのベッドの横に椅子を広げると、男性のほうがお礼を言ってくれた。二人が腰掛けてから、棚にあった急須を使って四人分のお茶を淹れる。しっかり来客用の茶碗が用意されているところを見ると、お母さんもここに来たんだと分かった。


「あんたも、聞いてたんだ」

 背を向けたままお姉ちゃんが言葉を発する。言い方からして私に対してのものらしい。

「うん、知り合い経由で聞いて……」

「会社、休んだの?」

「早退させてもらった。でもこの後また戻るかも」

 お父さんの状態が時間を掛ければ治るものだと分かったら急に仕事が気になりだしたのだ。我ながら現金だ。


「どこで働いてるのよ。家族にも言わないでずっと家にも帰ってこないで。こんな時だけ顔出してお父さんのご機嫌取ろうとしてあんたはいつでも」

 やはり始まったお姉ちゃんの口撃に反射で後じさるが、お父さんが割って入ってくれた。

「百花。千早のことより今はお前たちだ。……こんな姿で申し訳ない。百花の父です」

 お父さんも男性とは初対面だったようだ。あれはきっと……不倫相手なのだろう。そしてあの人のご主人なのだ。


 先にお父さんに頭を下げられ、男性は慌てて立ち上がってお辞儀する。

「いえっ、こちらこそ、大変なご迷惑と、ご挨拶も出来ておらず……。今野と申します。あの……お怪我のほうは」

「肩からひじに掛けてヒビが入っているそうです。全治二か月と言われました」

 私は驚く。やっぱり安心してる場合じゃなかった。

 お姉ちゃんたちもさすがにびっくりしたみたいだ。特に男性、今野さんのほうは再びすごい勢いで頭を下げた。


「本当にっ、お詫びのしようもございません。妻は改めて謝罪に連れてきますので。あ、治療費はこちらで負担させていただきます。あの、これ私の名刺で……」

 慌てた様子で懐から名刺ケースを出そうとするところで、お父さんが止める。

「いえ、私が弾みでバランスを崩して転んだだけですから。それに……そもそもはうちの娘が原因なので」


 そこまで聞いたところで、お姉ちゃんが立ち上がった。

「私?! 私が全部いけないの?! なんでよ、お父さんが怪我したのも奥さんがお父さんのところに行ったのも全部私がやらせたわけじゃないわ!!」

「百花、病院だぞ、声が……」

 今野さんがお姉ちゃんを落ち着かせようとしたが、全く聞き入れる様子はない。そうだ、お姉ちゃんが他人の意見に従うなんてありえない。特にこんな状態になってたら。


 案の定、矛先は今野さんへ向かう。

「あなたがいつまでも奥さんと別れないからこういうことになるんでしょ! ずっと言ってたくせに! 別れるって! なのに」


 ああ、その言葉を信じてるんだ。お姉ちゃんはきっと奥さんのことは見たことないのだろう。私は喉を引き裂く悲鳴のようなあの人の声を聞いたからかもしれないが、やはりお姉ちゃんの味方は出来そうにない。どっちが正しいかじゃなくて、私はあの人のほうに同情してしまう。あの姿を見てしまったから。


「みんな、みんなして、私が全部悪いって……お母さんも、お父さんも……」


 どんどん声が小さくなっていく。お姉ちゃんが力なく再び椅子に座り込んだタイミングで、私はお茶を出した。

 お客さんである今野さんに最初に差し出すと、礼を言いつつ不思議そうに私を見た。そっか、誰だこいつってことか。


「はじめまして。妹の千早です」

 驚いたように目を見開く。大抵私が妹を名乗ると驚かれる。姉妹が逆に見えるのかな。まあそもそも全然似てないからかな。

 私は続いてお父さん、お姉ちゃんにお茶を出すと、自分の分の茶碗を持って心持ち皆から少し離れたところに座った。


 正面から見たお姉ちゃんは、目を真っ赤にして泣くのを我慢していた。

 いつも私を蔑んで睨みつけていた目が、子どものように腫れていることに、私は不思議な安堵感を覚えていた。


 そっか。お姉ちゃんだって泣くよね。辛いことがあれば。

 そりゃ、そうか。


 

 

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