第93話
週末は、一足早いバレンタインも兼ねて来人と二人で過ごした。
と言っても最近は週末はほぼ二人一緒にいる。他人といるをあれほど避けていた私は、自分で自分の変化が不思議だ。
でも一つ気が付いたことがある。
来人は、私に無理強いしない。
そして自分も我慢をしない。
例えばランチ何食べる? と相談した時、私がパスタ、来人が牛丼と言えば、それぞれ好きなものを食べられるように考える。デリバリーだったり、テイクアウトだったり、ファミレスや、手間だが別々に作ったり。
一日の中で、二人で一緒に過ごす時間と、一人ずつになって好きなことをする時間とのバランスが絶妙なのだ。
私はまるで家族と一緒にいるような不思議な自由度と安心感を感じられる。本当の家族からは感じたことが無いものなのに、どうしてそう思うのかは分からないけれど。
気になって聞いたことがあった。
「私はいいんだけど、来人は疲れたりしないの?」
「疲れる?」
「私が疲れないように調整してくれてるように見えるから……」
「いや? 入り浸っておいてなんだけど、俺も四六時中誰かとべったりは苦手なんだよね。千早がそう言うタイプじゃなくて良かった」
だから好きになったんだけど、と言われ、恥ずかしく感じつつも納得出来た。
どうして、こんな短期間で、私が来人にだけは心を開くことが出来たのか。
◇◆◇
「へえ、黄色い梅なんてあるんだ。知らなかった」
「蝋梅っていうの。可愛いよね」
「千早が花が好きなんて知らなかった」
どこでも連れていくよ、と言われ、近県の梅林園まで足を伸ばした。まだ紅白梅の蕾は開いていなかったが、蝋梅が見ごろを迎えていた。
「梅ってどこか色っぽくない? 枝ぶりとか、花は小さいのに香りが強いところとか」
春の花というと、日本でのイメージは圧倒的に桜だ。それもソメイヨシノ。いつ頃咲くのかと日本中がニュースで毎日チェックし、開花すればそれが春の訪れと同義になる。
でも私は昔から梅のほうが好きだった。梅が咲いても誰も騒いだりしない。でもまだ樹の根元に雪が残っているような季節に小さく少しずつ開く梅の花の密やかな様に惹かれた。
「ああ、確かに。満開でも派手過ぎないしね。好きな時に咲きますけど何か? って言ってるみたいだよね」
「なにそれ」
来人の不思議な解釈に二人で笑う。けれど絶妙な曲線を作る枝や幹は、貴婦人の後姿のようで頷ける。
『春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる』
中学だったか、国語の教科書に載っていた古今集の一首。先生の話も上の空で和歌の世界を妄想してうっとりした記憶がある。
今日もまだ寒い。二人でダウンコートを着込んでいるくらいだ。でもその分見物客もまばらで、ゆっくり見て回ることが出来た。
一巡して戻ってきたところで、茶屋に入った。庭に緋毛氈が敷かれていて、火鉢も置いてある。
「よろしかったらどうぞ」
と勧められ、折角だからとそこへ腰を下ろした。
「で、結局あの三人はどうしたの?」
梅茶での一服が終わったあと、来人が切り出した。少しためらったが、佳代のぶっちゃけ話は来人も聞いていたので、私は必要なことを拾い上げながら話した。
「来人が帰った後に、森から佳代に電話があってね。佳代がスピーカーにしたから全部聞こえてたんだけど……。結局森は佳代にフラれ、佳代に怒鳴られて真子とヨリを戻した、って感じ」
「鈴木さんて野村のこと好きだったんだな」
「うん、もうずっとね……。私も去年本人から聞くまで知らなかったけど」
実はお互いにお互いを好きだったのに、少しのタイミングの違いで佳代の想いは成就しなかった。むしろ真子のほうがタイミグが合ったのだろう。でも真子だって、知っていてそうしたわけじゃない。
どっちが幸運か、と言う話ではない。こういう結果になった、ということだ。
「まあ、鈴木さんの選択が正解だと思うよ。俺が彼女でも同じことをしたと思う」
私は少し離れたところに咲いている水仙を眺めながら頷いた。
「来人と佳代って、ちょっと似てるよね。潔いっていうか、後ろを見ない感じが」
私はあの時の佳代へ感じた敬意を思い出す。思わぬところから差し出された森の手を、取ることだって出来た。そうしたところで佳代を責める人はいないだろう。真子が泣くだけだ。でもそれを良しとしなかった。自分と森が二人になる分岐点は過ぎたのだと、もう戻ることは出来ないのだと悟り、前を見る決断をした。
「あの時ね、私、二人のことすごいなって。本当にそう思ったの」
「二人?」
「佳代と真子。一番大事にしたいもののために、不安や孤独を受け入れた。二人に言えばそんな大げさな、って言うかもしれないけど、でも必死に闘ってた感じがする」
真子は手に入れた。森を。
佳代は、これからも求め続けるのだろう。その道すがらで、彼女を大事にしてくれる誰かと出会えればと願う。
だけど。
私は逃げてばかりだ。
何から逃げているのかははっきりしている。
けれど、《《あの恐怖》》を受け入れてまで、何を得なければいけないのかが、まだ自分で分かっていない。
と、不意に頬を抓られた。
「痛い」
「またなんか暗いこと考えてたろ。こんないい天気で、綺麗な花も咲いてて、旨い茶飲んでるんだぞ。余計なこと考えないでちゃんと味わえ」
そう言うと来人は立ち上がり、お茶のお替りと梅まんじゅうを追加しに店内へ入って行った。
一瞬、突風が吹いた。過ぎてから目を開けると、茶碗に梅の花弁が一片浮かんでいた。