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第73話

「いいこと?」

 きょとんとした顔でオウム返ししてくる来人に、私のイライラは少しずつ大きくなっていく。相変わらず理由が分からない苛立ちが。

 私は少し残っていた酔いも手伝って思っていたことをそのまま口にしてしまった。


「さっき。私が考え込んでいた間に何かあったんでしょ。あれから急に機嫌が良くなったんだもん。それって何?」


 来人は私を好きだと言い続けているが、それがどこまで本気なのかなんてわからないし、私がのらりくらりと返事をしないでいるうちに違う人を気になるようになったっておかしくない。私への親切は友人に対するものともいえる。


「うち、可愛い女の子多いもんね。来人より若くて気が利くいい子がいたのかな。別にうちの会社、社内恋愛禁止してないから」


 ああもう私は何を言ってるんだろう。目の前にいる来人の横に、見ず知らずの女の子まで見えてきた。小柄で可愛くて素直そうで。そう、お姉ちゃんみたいな。見た目だけは。


「私は大丈夫だから。ちゃんと矢崎さんに返事するから。心配しないで帰って」

 いいよ、と言ってその場から逃げようとしたところで、腕を掴まれた。


「さっきから千早が何言ってるのか全然分からないけど……。つまり、やきもち?」

 ……私が?

「そうだよね。何、女の子って? 俺は千早が好きだってずっと言ってるのに、なんでそこらの女に目が行くと思うの? 社内恋愛禁止してないんだ。じゃあやっぱり会社でも千早って呼ぼうかな」

 そう言うと、来人は私の前に回り込んで両腕を掴まれた。


「千早こそどうして? 急に俺を呼び出したのは? こんな時間に部屋に入れてくれたのはなんで? 俺に良いことがあったとして、どうしてそれがそんなに気になるの?」


 掴まれた腕を引き寄せられ、睫毛がぶつかりそうなほど近くから矢継ぎ早に問いかけられ、物理的にも心理的にも逃げ場が無くなる。イラついていたせいもあって精神的な余裕もなく、私の脳は来人の質問を解読できないままじっと彼を見つめ返すしか出来ない。


 何も言葉を発することが出来ず固まっている私は、いつの間にか来人に圧されてソファに座り込んでしまっていた。


「なんでなのか、千早は気づいてるはずだよ。でも気づかないようにしてる。千早は《《それ》》から逃げてる。……ちがう?」


 増々来人の言葉が難解になる。私が何かに気づいてて、でも逃げてる、って?

 謎かけばかりの来人との会話に、私は頭を使って応じることを止めた。


 私を掴んでいる来人の手をそっと外し、自分の両腕を彼の首に巻き付けると、そのまま体重を預けて強く抱きしめた。


◇◆◇


 来人の腕枕は、力が強すぎる。

 頭の下にある二の腕には力こぶ出来てるし、大きな掌は私の後頭部をがっちりホールドしてるので身動きが取れない。反対側の手は私の背に回されている。

 ほとんど身動(みじろ)ぎ出来ないまま目線を上げると、来人の首らしきものと肩らしきものが見えた。終わってすぐ突き放されるのは寂しいが、ここまで密着してると正直息が苦しい。

 私は動かしやすい左手で、来人のお腹を叩いた。


「ちょっと力緩めて。動けない」

「ん?……ああ、ごめん。思わず」

 思わずってなんだ。

「幸せ過ぎて、千早が空に飛んでっちゃわないかって怖くなって」

「なにそれ」


 力を緩めて、と言ったのに、大して変わらない。私と向き合うために五センチくらい空間を作ってくれただけだった。


「千早って背中に羽根生えてそうだよね。満月の夜は気を付けなきゃ」

「あのね、童話でもそんなキャラいないし」

 色んなファンタジーがごちゃ混ぜになってるような設定にあてはめられて呆れた。部屋は暗いのにこれだけ近ければ表情はよく分かる。笑っているような泣いているような、来人の表情は複雑だった。


 私は自分から、空いた距離を詰めて来人にくっつく。

「どこにも行かないよ」

 来人の胸に顔を寄せると、微かに汗の匂いがした。今まで結構一緒にいた気がしたけれど、来人の匂いを感じるほど近くに寄ったことはなかった。その動物的な匂いをもっと感じたくて私から来人の背に腕を回す。

 それに応じるように、来人の力が更に強まった。


「俺も。ずっと千早のそばに居る。一番近くにいるよ。約束する」


 私の項に顔を埋めながら喋るからくすぐったい。でも耳よりもっと直接脳に響いてくるような距離なので、腰の内側がビクンと痺れて一人で赤くなる。


 嬉しさとくすぐったさで、私も来人の耳に唇を寄せる。何かを言おうとしたのだが、言葉は出てこなかった。代わりに形のいい耳を丸ごとパクついた。


「ちょっ、千早、それダメ」

「あれ? 耳弱い?」

「まさか食われると思わなかったもん」

「耳は可愛いよね、来人」

「耳は、ってなんだよ、は、って」


 来人は体を反転させて私を仰向けにし、その上に覆いかぶさる。


「可愛いのは千早だよ。顔も、性格も、体も全部」


 そう言うと真直ぐに顔を近づけてきて、一番最初よりもっと強く深く長いキスをした。一度離れてもまた顔の向きを変えて。私は半分酸欠になりながら、再び思考を手放して全てを来人に委ねて目を閉じた。



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