第70話 -Rite side-
『千早は俺のことどう思ってるの?』
そう問いかけた途端、千早がハニワみたいな顔をして固まった。俺は吹き出すのを必死で堪えていた。
(言わない、言えないわけじゃなくて、本気で分からないんだな)
どうやら千早は恋心を勉強したいらしいのだが、きっかけが無くてのたうち回っている。ここまで考えこませた矢崎さんが憎たらしくも、羨ましくもある。
それに、人から聞いた答えにどれほどの価値があるのだろう、と俺自身が考えているせいもある。正しいか間違っているかなんてどうでもいいし、後から変わってもいい、自分なりの言葉を見つけることが大事だと思う。
俺は千早から、言葉をもらいたい。
それがたとえどんな些細な一言でも、きっと千早の本心なのだろうから。
目の前では空になったグラスを両手でつかんだまま、ずっとうーんうーんと唸っている。どうしても解けない問題に苦しんでる小学生みたいだ。
(そこまで悩むのか、俺への一言って)
俺は自分のビールを飲み干し、千早の分も含めて飲み物を注文した。
以前、千早はどうして濃い人間関係を避けようとするのだろうと疑問に思ったことがあったが、正月に遭遇した姉貴を名乗る女の存在で、何となく想像がついた。
人間関係が怖いんじゃない、自分に自信が無いのだ。
仕事ができるとか、美人だとか、そんな表面的で後天的な要素への称賛はあまり千早にとって価値はない。
何もない裸の、素の自分には何の価値が無いと思っているんだろう。思わせられてきたのだろう、きっと、ずっと昔から。
素の千早は、きっとずっと臆病で甘えん坊で寂しがり屋で、人の温もりを誰よりも求めている気がする。ただ、その相手が誰でもいいわけではないだけで。
俺は、千早に求められる存在になりたい。
悲しい時、嬉しい時、楽しい時、苦しい時。いや、どんな時にでも。
千早が一番に思い浮かべる人間は、俺であってほしい。俺を思い浮かべることに疑問を感じる隙もない位自然に。呼吸をするように、当たり前のことのように。ふとした時に俺のことを思い浮かべて欲しい。
それはもしかしたら、恋人以上の存在なのかもしれないが。
俺にとって千早は、既にそういう存在だからな。
同じものを返してもらいたいと思うのは、自然な気持ちだろう。
「おまたせしました」
さっき追加注文した飲み物が供される。
「千早、空のグラス下げてもらうから、離して」
ずっと考えこんだままグラスを握り締めている千早の手首を叩くと、ハッとしたように顔を上げ、慌てて店員にグラスを差し出した。
「同じものでいいよね?追加しておいたから」
はい、とカクテルを差し出すと、ありがとう、と言いながら受け取った。
「随分没頭していたみたいだけど、どう? なんか思いついた?」
俺は一口グラタンを摘まみながら、まだ無理だろうなぁと予想しながら途中経過を聞いてみた。案の定、千早は宿題を忘れた子供のように上目遣いでこちらを伺ってくる。やばい、予想通り過ぎて、可愛くて笑いそうになる。
「……何笑ってるのよ」
恨みがましい千早の声音で、自分が既に笑っていることを知った。
「ごめん……、千早、子供みたいで可愛いよ」
「こんなことで悩む大人なんていないもんね。どうせ子供ですよ」
ぷう、と頬を膨らませる。そういうことじゃないんだけどな、本当のことを言うと更にヘソを曲げそうだ。
「考え込み過ぎるとどんどん分からなくなるよ?」
「まさにそんな感じ。思い付くものが全部しっくりこないから、堂々巡りになってる」
「ごめん、俺の要求が千早にはデカすぎたかな。無理しないでいいよ、ほら料理冷めちゃうから、食べたら?」
「……ありがとう」
ほっとしたように笑うと、素直に箸を手に取る。
何かしらの答えをもらえるかと期待していた分がっかりもするが、千早が飯を食うのも忘れて悩むのを俺は望んでいるわけじゃない。
確かにな、無理やり聞き出してもな。
「なんか来人って、変な奴」
唐突に千早が口を開いたと思ったら、心外な言葉が飛び出してきた。
「変、て。ひでーな。どこがだよ」
「だって……。考えてみたら顔合わせるようになってまだ数カ月なのに、ずっと一緒にいるみたい」
カルパッチョを皿に取り分けながら言う千早の態度は、とても自然だった。明日は晴れるって、と告げてくるような。
でも俺は、その言葉に全神経が集中してしまった。
「今日も社長のお宅出た後にちょっとだけ矢崎さんのお家に寄ったんだけど。なんかやたら緊張したんだよね。でも来人の家にいた時は全然緊張しなかった。なんでかなー」
千早は自分が何を言っているのか、分かっているのだろうか。
酒の力か?甘ったるそうなカクテルの、まだ二杯目に口を付けた程度なのに、酔ってるのか?
「あ、この鯛美味しいよ、来人も食べてみて。……来人?」
息をするのも忘れて、俺は千早を見つめ続ける。
今夜はこのまま帰れそうにない。