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第64話

 どこだか分からないまま矢崎さんのマンションを出て少し小走りで移動したら、すぐに大通りに出た。たまたま停車していたバスに乗って、終点のターミナル駅へ向かう。

 中途半端な時間だったせいかバスは空いていた。一番近くの座席に座ると、やっと思い出したように呼吸をした。

 走ったせいか、呼吸が浅かったせいか。まだ胸が苦しい。静かに自分を落ち着かせるように、ゆっくりと数回深呼吸した。


 思わず飛び出してきてしまったが……、どうしてだろう?

 自分でもよく分からない。矢崎さんの家に行ったのは初めてだが、行きがかり上抱きしめられる以上のこともされたことはある。でもこんな風に逃げ出したくなったり、実際に逃げたことも無かった。


 車窓を見ると思考がブレそうだったので、目を閉じる。耳の中で矢崎さんの声が再生されてまた鼓動が怪しくなった。


 好きだと言われても、結婚を前提にと言われても感じなかったものが、唐突に現れた。私の中に。

 でもそれを、あの瞬間私は否定したのだ。だから逃げてきた。

 それって、やっぱり私は……。


◇◆◇


 電車に乗り換え、最寄り駅で降りて家へ向かう。なんかもう色々ありすぎて疲れた……。

 やっとマンションの壁が見えてきた。ホッとして気が緩んだ瞬間見たことがある車が目に付いた。


 あれって……。あー……。


「千早!よかった」


 満面の笑みの来人が、運転席から降りてきた。




「ごめん、突撃は禁止って言われたのに、やっぱり来ちゃった」

 どうやら矢崎さんと並んでアポなし訪問を責められたことで反省していたらしい。別人のように小さくなって謝る来人が珍しくて、思わず笑ってしまう。

 冷蔵庫からアイスティーを出してグラスに注いだ。


「家の外で待ってたなら、まあギリセーフってところかな。はい、どうぞ」

 差し出したグラスを受け取りながら、しかし何か言いたげだ。

「……どこか、行ってたの?」


 ギク。

 外出していたことというより、内容を突っ込まれることを瞬時に想定したら、それが顔と態度に出てしまったようだ。

「どこ、行ってた? ひとり?」


 何その一言一言区切るようにゆっくり言うの……。

 ていうか私もなんでこんなにビクビクしてるの。もうヤだ……。

 そしてなんで床に正座してるの、私。


「えーと、今日は」

「矢崎さん?」


 エスパーだ、絶対こいつエスパーだ。私の脳内全部読まれてる。

 そもそも隠し事が下手くそな私と、状況や前後関係から可能性を割り出すことに長けている(ように見える)来人とでは、勝負は見えている。

 顧客に謝罪するときだって言い訳は厳禁だ。事実は認めたほうが話は早く終わる。


「そうです……」

「デート?」

「あ、いや、デートっていうか……」


 デートではない。だから咄嗟に否定してしまったけど、これはデートだったと言ったほうが良かったのかもしれないと、後から気が付いた。


「デートじゃないの?」


 声が優しいのが余計怖い。表情は分からない。私が見ようとしないから。


「俺別に怒ってないよ? ……怒っていい立場じゃないってわかってるし」


 嘘だ、その話し方は怒ってる。

 ガーッと勢いに任せて怒られるほうが、静かに詰め寄られるよりずっと楽だということを初めて知った。

 しかしここでだんまりを続けても話は終わらない。来人がどう出るか分からないが、事情を説明したほうがいい。


「実は、ですね……」


 再度正座し直して(ソファ座れ)、矢崎さんが社長に仕事がらみの見合いを持ち掛けられたこと、断るために偽装の恋人役を頼まれたこと、今日は見合い話を断るために社長宅へ二人で行って来たこと、までを説明した。


 思い出しながら話しつつ、しかし何で私は引き受けちゃったのだろう……、そうだ、数回食事を奢られて、お礼を言った流れだった。今思えば全然大したことない借りだったのに、言葉尻を掴まれたんだろう。


 そのことも含めて話し終わってから、そっと来人を見上げると、膝の上に肘をついて頬杖を突きながら、考え込んでいるような顔をしていた。こっちを見ていなかったので、ちょっとホッとした。義務を果たしたような安心感で、私はやっと自分の分のアイスティーに口を付けた。


「……それだけ?」

 ……え?

「社長のお宅を辞してから、そのまま帰ってきたの? 一人で?」

 ……そっちかー!

 私は瞬く間に矢崎さんの家でのことを思い出す。


「なんでそんなこと聞くの?」

 AIみたいな話し方になってるけど、もうこれが精いっぱいです、私。

「なんで、って。折角二人で出掛けたのに、矢崎さんがこんな早い時間に千早を解放するなんて変だなって。三人で初詣行った時だって夜まで一緒だったのに」

 状況分析が冷静ですね。この子コンサル向いてるわ。


 言うべきなんだろうか、何があったか。

 あった、と言うほどのことではないだろう、第三者からみたら。

 無理やり押し倒されたわけじゃない。ただ優しく抱き寄せられただけだ。

 でも私が驚いて怖くなって逃げだしてきただけ。矢崎さんは悪くない。

 それに、あの件は、何故か来人には言いたくなかった。

 何故かは、分からないけれど。


 言うべきかどうか悶々と考えている間、ずっと来人は黙って待っていてくれた。だから少しずつ頭が冷静になってきた。私は、ここは言わないことに決める。

 

 来人にそれを告げようと顔を上げた瞬間、インターフォンが鳴った。

 え、誰? 宅急便……は頼んでない。

 驚く私より先に来人が立ち上がり来訪者を確認する。


「……ご本人に聞いてみようか」

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