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第63話

「お詫びに行ったつもりが、大歓迎されちゃったな」

 帰り道、車のハンドルを握りながら矢崎さんが苦笑まじりに呟いた。

 私も社長ご夫妻の歓待ぶりを思い出して笑ってしまう。

「本当に……、あ、そうだ、一つ確認が」

 芋づるであれを思い出した。ん?といった顔で促す矢崎さん。


「社長が、矢崎さんが『会わせたい人がいる』って言ったっておっしゃったんですけど……、今日は社長から呼び出しがかかったんじゃなかったんですか?」


 私の疑問を聞いて、矢崎さんはほんの一瞬顔を歪めたが、しかし諦めたように頷いた。


「ごめん、社長からって言うのは嘘。俺からアポ取った」

 ……やっぱり。でも、なんでわざわざ自分から?

「俺のリベンジ。社長に印象付けておけば強いだろ」

 ?! まさか、先日の来人とのことで??

「社長まで巻き込まなくても……!」

 私は思わず抗議するような口調で言い返してしまった。確約するようなことは何一つ言わなかったものの、相手が社長では、社内での『公式発表』みたいなものではないか。

 私と矢崎さんは、正真正銘上司と部下ですよね!それ以上でも以下でもないですよね?!


「社長を巻き込むっていうより、俺の相手は成瀬しか考えてませんっていう決意表明かな。大丈夫、無理強いするつもりはないし、君の希望を一番に考えるから」

 既に今日希望を無視されたような形になってるんですけど。

「この件だけは見逃して。例え社長命令だからって、他の女性と結婚を前提の関係になんてなりたくなかったんだ」


 そう言うと、ゆっくりとスピードを落として車を停車させた。どこだろうと思って窓の外を見遣る。

「俺ん家。ちょっとゆっくり話がしたいから、寄って行かないか? もちろん帰りもちゃんと送るから」

 いつになく遠慮がちな物言いに、私のほうが及び腰になる。気持ちだけでなく、実際に体も後ろへ引いていたらしい。こつん、と、腕時計がドアに当たる音がした。


「……そんなに警戒しなくても、立花みたいな振る舞いはしないよ。約束する。……ダメかな?」


 続く矢崎さんの言葉を聞いて、自分が警戒していたのかと気づいた。でも待てよ、相手は矢崎さんなのだ、何を警戒する必要があるんだ。

 頭で考え直すと、特に問題ないことに気が付いた。

 私は頷き、矢崎さんの後ろについて彼の部屋へ向かった。


◇◆◇


「コーヒーがいいかな。社長のお宅ではお茶だったしね」

「すみません、ありがとうございまます」

 私は通されたリビングでソファに腰掛けながら、キッチンの矢崎さんへ返事をした。


 長年の付き合いとはいえ、矢崎さんの家に来るのは初めてだ。上司の家だと思うとやはり緊張する。

 会社ではない場所で、スーツではない私服の矢崎さんと、私服の自分。

 休日なのだから当たり前なのだが、まるでお互いに違う面を見せあっているような気がして落ち着かない。


 来人が相手なら、私服どころかすっぴんの部屋着姿すら平気なのに。平気というか、度重なる突撃で緊張する暇も与えられなかっただけなのだが。


「どうぞ」

 

 ぼんやり考え事をしていたせいで、意識が違うところへ飛んでいたらしい。矢崎さんの声が急に聞こえた気がして、ビクンと体がはねた。いやいや、ここ矢崎さん家だし。


「そんなに緊張しなくても」

 家ではミルクを入れるのか。普段会社では私同様ブラックで飲んでいるのに、柔らかい色に変わっている矢崎さんのカップの中身を見て少し驚く。

「いただきます」

 私も出されたコーヒーに口を付ける。頭がしゃっきりする最適な温度。おいしい。


「お口にあったようで」

「美味しいです。矢崎さんって何でも出来るんですね」

 仕事も、人付き合いも、車の運転も、コーヒーの淹れ方まで。

 尊敬する上司だと思えばその全てが誇らしい。先日の会議で来人が矢崎さんを褒めるのを聞いて嬉しくなったように。

 

 しかし、一人の男性だと思うと、何でもできる矢崎さんに対して腰が引けている自分を感じる。

 素直にすごい、素敵だと思っていればいいのに。


 そう言えば来人も、何でもできる奴だな。

 でも身構えることなくオフの日も一緒にいられるのは、どうしてだろう。


「会社で今日のことをオープンにするつもりはないから」


 またも唐突に矢崎さんの声が聞こえてきた。小さくハッとして、顔を上げると優しく微笑んでこちらを見つめていた。


「社長にも言っておく。社内の人間関係に影響を与えたくないからクローズドにしてほしいって。だから心配しないで。もちろん無理に俺に応える必要もないから」


 応える。

 ああ、プロポーズの件ですが。


「有難いんですけど……、じゃあどうしてこんなことなさったんですか?決まった相手というのを、社外の人ということでカモフラージュすることも出来たはずでは」

「言っただろう、例え嘘でも君以外を恋人と呼びたくないって」


 そう言うと、立ち上がって私の隣へ座り直した。

 私より体格のいい矢崎さんが、柔らかいクッションのソファに座ったことで、私の体は反射的に彼に寄りかかる。

 おっと、と、姿勢を正そうとしたところで正面から抱きすくめられた。


「ちょっ、矢崎さん」

「ごめん、一瞬だけ」

 慌てて押し返そうとしたが、倍以上の力で更に抱き寄せられた。そしてそのまま、動くことも口を開くことも無かった。


「愛してるよ、ずっと、もう何年も前から」


 耳元で囁かれて、驚きと羞恥で私は更に身を硬くする。私が引いたことは気づいているはずなのに、矢崎さんは離してくれる気配はない。


 急に、じっとされるがままになっていることが怖くなった。


「ごめんなさい」


 何に対するごめんなさいなのか、釈明することも自分の気持ちを整理することもなく、私は矢崎さんの家を飛び出した。

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