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第53話

「そんな顔するな」

 いつの間にか固く握りしめていた私の両手を、矢崎さんは横から手を伸ばして包み込んだ。

「立花とのことは、勝手に誤解して悪かった。だから……そんな顔するな」


 そんな、顔?

 矢崎さんが言っていることがよく分からなくてじっと見つめ返すと、ポンポン、と私の手を叩いて離した。


「何かから逃げようとしているような、切羽詰まった怖い顔をしてる。そんな顔させるつもりなかった。ごめんな」

 カラリ、と矢崎さんの手の中で氷が音を立てた。

「みっともないな。焦って不安になって……、惚れた女追い詰めるなんて」


 そうだ、私矢崎さんに交際を申し込まれていたんだった。しかも結婚を前提として。

 改めて思い出し恥ずかしくなりつつ、半分忘れかけていたことで申し訳なくなる。いくら『返事は保留で』って言われたとしても、忘れるとか。ないわー、私。


「すみません」

 思わず謝ってしまった。何が、と言われたら困るけど。

「謝るなよ。それは俺だから……。ま、今のところ君が立花に特別な目を向けてるわけじゃないってことが分かってホッとした」

 やけに嬉し気に笑う。だけど……。

「俺の件は引き続き保留で頼むな。もう少し君との距離を縮められたと思えたらもう一度言うから」


 それだけ言うと、咄嗟に口を開きかけた私を制するように、バーテンに支払いを頼んだ。

「あ、私の分……」

「何言ってんだ、奢らせろ」

 私が割り込む隙も無く、カードで支払ってしまったらしい。

「いつもすみません……」

 申し訳なくて深く頭を下げる。

 そう言えば先日の通院後の食事も、やたら豪華なお店だったのに矢崎さん持ちだった。私よりずっと年収は多いのだろうけど、毎回奢られるのも落ち着かない。


「いつかお返しさせてください。お世話になってる上に奢られてばかりだと、気になっちゃって……」

「そんなこと……、あ、いや、そうだな、返してもらおうかな?」


 話す途中で急に表情が変わる。な、何でしょう?

「実は社長から変な話が来ててな……」

 私は身構えた。役員の中で一番の若手である佐々木常務ですら雲の上の存在なのに、矢崎さんはさらっと社長の名を出した。マネージャーというのはそれほどに上層部と近いものなのか。


「どうやって断ろうかと思ってたんだけど、力貸してもらえないかな」


 ???

 矢崎さんの話が全く見えない。しかし社長も絡んでるならスルーは出来なさそうだ。私は固くなりつつ頷く。


「わ、分かりました……。って、何をすれば?ていうか、私がお手伝いできることなんでしょうか」

「もちろん。むしろこれは成瀬さんじゃないと、ね」


 普段品のいい矢崎さんが、やけに悪い顔で笑う。

 しまった、安易に頷いちゃいけないことだった、のかな?


◇◆◇


 矢崎さんと別れて家に帰ると、二時を回っていた。流石に疲れたが、夜気で冷えたのと既に酔いも抜けていたので入浴する。熱い湯に体を浸すと、一気に血が巡って気分が良くなった。


 しまった、本当に、これはしまった……。

 奢られっぱなしで気後れするなら、何かプレゼントでもして返せばよかった。

 まさか、矢崎さんからの頼み事がこんなコトだったなんて。


―――


「実は社長から、見合い話を持ち掛けられてね」

 帰りのタクシーの中で『頼み事』の内容を教えられる。

「帝国管財の先代社長のお孫さんらしい。現社長からみたら姪御さんか。社内を見渡して、売れ残ってる丁度いい男が俺だけなんだと」


 売れ残り。

 社長くらいの年代だと、そこそこの年齢で独身だとやはりそういう表現になるのか。女性相手なら確実にハラスメントとして訴えられそうだが、男同士なら、という気安さから漏れた表現なのだろう。


「ずっと断ってるんだけど、断るたびに社長の押しが強くなってきてな。決まってる相手がいるのか、って聞かれて、頷いちゃったんだなー」


 ……だなー、って。

 え……?まさか。


「そうそう、成瀬さんのこと。もちろん社長の前で名前は出してないけど」

 そうそう、って、そんな!

「えーと、それはちょっと……」

「今のところ何もしなくていいよ。ただ、万が一の時は恋人役やってくれるかな。本当に『フリ』だけでいいから」

 ……しかし、自社の社長を騙すというのは……。

「俺としては『フリ』じゃなくて『本物』になってくれてもいいんだけど」

 またも悪い顔になって笑う。その顔の理由はそういうことか。


「分かりました。頑張って『フリ』を演じますよ」

「瓢箪から駒、ということわざが日本にはあってね」

「なりません。あくまで私はダミーで」

 ため息に混ぜて舌打ちしましたね、聞こえましたよ、ちゃんと。


「ま、何かあれば頼むわ」


―――


 湯船の中で目を瞑り、矢崎さんの話を反芻する。

 なんて役目を請け負ってしまったのだろう。万が一社長に『矢崎さんの恋人』として認識されてしまったら。

 それを盾にして私を追い立てるような人ではないことは分かっているが、酔いが醒めたこともあってどんどん気分が重くなる。


 今更『やっぱり嫌です』って、言ってもいいのかなぁ。

 ……無理っぽいよなぁ、あの感じだと。

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