第40話
「じゃ、行こうか」
定時を過ぎて少し業務を続けていたが、佐々木常務との待ち合わせ時間が近づいて来た。矢崎さんが先に声をかけてくれたので、私は片付けに入る。
「ていうか、成瀬さん体調は大丈夫?病み上がりだもんね」
「ありがとうございます。でもたっぷり休ませてもらってるので、全然大丈夫です」
正直、昨日想定外の場所で姉と遭遇したショックのほうが遥かに強く、風邪を引いていたことも忘れかけていた。こういう時は仕事で忙しいほうが有難い。体より、心の問題だから。
私の返答に安心したように頷いた矢崎さんが先に立ち、ロビーへ降りた。
既に佐々木常務は到着していて、ソファに座りタブレットを操作していた。
「申し訳ありません、お待たせしました」
「お、いやいや、俺が早かったんだよ。先方とは店で待ち合わせてるから、もう行こうか」
「よろしくお願いします」
三人でタクシーに乗った。
「ご紹介いただくのは、どんな方なんですか?」
私は隣に座る常務に質問した。矢崎さんが助手席に座ってくれた。
「ん?ああ、まだ若い男だよ。二十五……くらいだったかな。今は外資系の食品会社でロジスティクス管理をしてるんだけど、コンサルに興味を持ったらしくてね」
なるほど。二十五とは大分若い。佳代達と同年代だ。
「俺が昔世話になった人の息子さんなんだ。でもそれを抜きにしてもよくできる奴だよ。会ってみて損はないと思うな」
助手席から矢崎さんが振り向いた。
「コンサル未経験だと、アソシエイト的な割り振りになりますが、それは構いませんか?」
「うん、それも任せる。矢崎は気に入ると思うなぁ、うん」
ご本人を思い浮かべながら話す常務はやけに上機嫌だ。次期取締役と言われる佐々木常務がここまで気に入るなら、余程優秀なのだろう。そういう人と一緒に仕事ができるのは刺激になる。ちょっと楽しみになってきた。
「なんだ、成瀬、嬉しそうだな」
急に常務から声を掛けられて驚く。あれ、顔に出てた?
「はい、優秀な方とご一緒できるのは自分の勉強にもなりますし」
「なんだ、そういう意味か。若いイケメンが入ってくるって聞いて喜んだのかと思ったのに」
茶化すような常務の言葉に矢崎さんがまた振り向く。
「ちょっとちょっと佐々木さん、そっちでも俺のライバルになるなら本気で容赦しませんよ」
「……なんだ、お前ら付き合ってるって本当だったのか。矢崎の冗談かと思ったのに」
私は慌てて常務に向き直る。今だ、チャンスだ!
「冗談です!全部矢崎さんがふざけてるだけです!本気になさらないでください!あとイケメンとか、そういうことを指して楽しみって言ったわけじゃありませんから!」
ここぞとばかりに常務の誤解を解こうと必死になったが、逆効果だったらしい。常務はあっはっはと大笑いし、ニコニコしている。
「照れなくていいぞ、うちは社内恋愛禁止してないからな」
「だから!!」
もう一度否定しようとしたところで、タイミング悪く車が停止した。店に着いてしまったようだ。
◇◆◇
佐々木常務が予約を告げると、仲居さんが奥座敷へ案内してくれた。昼の矢崎さんといい、男性はいいお店色々知ってるなぁ。
襖の前で仲居さんが膝をつき、待ち合わせが到着した旨を告げる。中から返答がある。……え?
静かに開けられた襖の奥、下座に綺麗に正座していたのは、来人だった。
私だけじゃなく、矢崎さんも固まっている。そりゃそうだ。
「お疲れ様です。矢崎さん、成瀬さん」
しかし当の来人は爽やかににっこり笑って挨拶してきた。そりゃそうだ。こいつだけ全て状況を把握してるんだから。
しかし紹介前に来人が私達の名を知っていたことに、佐々木常務が驚いて反応した。
「あれ?なんだ、知り合いか?」
え、えーっと、はい。ここは私が答えたほうがいいよね。
「はい……、あの、今担当しているマックスコーポレーションの、先方のご担当者が立花さんで……」
答えながら来人を見ると、さっきより更にニコニコ、いや、ニヤニヤしている。……なんか悔しい。驚いている私達を面白がっているな。
一番無邪気な常務は当然ながら屈託がない。
「なんだよー、うちと取引あったのか。来人君、教えてくれても良かったのに」
来人はやけに幼い照れ方をして常務に向き直る。
「なんか言いづらくて……。すみません」
嘘だ、絶対嘘だ。この場でなかったとしても入社した時に私達を驚かせたかったから黙っていたに違いない。
思わず常務に気づかれないように来人を睨むと、更にニコニコ(ニヤニヤ)し返してきた。くそ。
「じゃあ、余計な紹介は要らないな……。来人君、君が主賓なんだから上座に座りたまえ」
「いやですよ、僕が一番の若輩なのに。どうぞ佐々木のおじさん、じゃなかった常務と、矢崎さんが上座へ。……成瀬さんは、すみませんが僕の隣にどうぞ」
常務が上座へ回るのを見て、私も来人の横に座る。畳に手を付いた時、卓に隠れてそっと手を握られた。止めてよ、痴漢か。
◇◆◇
襖が開いた瞬間、俺の隣で成瀬が息を飲んだ。しかし俺も同じだった。佐々木さんの紹介って……。
「お疲れ様です」
やたら冷静でにこやかな立花の笑顔に呆気にとられる。しかし驚きの波が引いてくると、段々とイラつきを感じ始めていた。
佐々木さんは『コンサルに興味を持ったらしい』と言っていたが、そんなのは方便だろう。俺と成瀬の間に割って入るためだ。俺達が今以上に接近しないために。
女のために転職までするか。親のコネを使ってまで。
なりふり構わない立花の行動に、感心したのは事実だ。俺に同じことが出来るか、と言われれば、正直半々だ。
だが、かといって認めるつもりはない。むしろこれで遠慮はいらなくなったわけだ。
上座を譲るような言い方をしたのは、案の定自分の隣に成瀬を座らせるためだった。佐々木さんには見えないように彼女の手を握ったのを俺は見逃さない。
これは完全に俺への宣戦布告だ。
俺と立花の間で、二人にしか聞こえないゴングが鳴った。