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第27話

 遠くから人の話し声がする、ような気がするけど、テレビもつけた覚えはないし私は一人暮らしだ。人の声が聞こえたらホラーだが生憎とその手の能力は無い。

 まだぼんやりする意識のまま、薄っすら開けた目に入ったのは、至近距離にいる来人の顔だった。


「あ、起きた?でも寝てていいからね」

 そう言いながらそっと額に手を当てられ、その冷たさが気持ちよくて、また目を閉じそうになったが、ハッと気が付いた。え……、え?!なんで、なんで?!

 私はガバッと起き上がった。


「な、な、な、なんで……」

「なんでいるのかって?案の定電話しても千早出ないからさ、管理人さんに言って鍵開けてもらった」

 か、管理人さん……、そんな不用心な……。

「ちゃんと疑われたよ?でもメッセのやり取りの画面見せて、婚約者ですって言ったら開けてくれた。後で俺が不審人物じゃないって言いに行ってくれると助かる」


「……十分不審人物だよ……、驚くじゃん……」

「ごめん、でも悪化してたら怖いし。警察呼ばれるより良かったでしょ?」

 あれこれ頑張りすぎたのか、まるで子供がお母さんに『褒めて褒めて』って言いに来たような来人の得意満面な顔を見ていたら、非常識だの驚いただの言っていた自分がとても小さく思えてきた。


「……電話出なくてごめん、また寝ちゃってて」

「うん、まだ熱あるよ。冷感シート買ってきたから、貼るよ?あと、何か食べてから薬飲んだほうがいいんだけど、食べられる?」

 私はじっと自分の感覚を観察する。うん、多分、あっさりしたものを少しなら。

「良かった。じゃあ定番だけど梅がゆ作るから待ってて。キッチンと、鍋とか勝手に使っていい?」

「うん、好きなもの使って」

 私の返事を聞くと、分かった、と言うように頷いた後、目で『寝なさい』と言って、来人は部屋から出て行った。


 キッチンからカタカタ音がする。自分の生活空間に他人がいるなんて、実家を出てから初めてだ。とても違和感があるが、それは少しずつ安心感に変わっていった。気が付いたら私は、また夢の中に埋もれていった。


◇◆◇


 再び目を覚まして部屋から出たら、リビングに来人がいた。暇つぶしのために仕事をしていたらしい。ぬぼーっと起きてきた私を見て、にこりと笑って歩み寄ってきた。

「おはよ。結構すぐ起きたね。気分は?」

「……まだちょっと怠い」

 もう来人に『大丈夫』と嘘をついても見破られることは分かったので、正直に感じたまま伝えると、そっと頬に手を当てられた。

「うん、まだ熱あるよきっと。お粥、食べられる?」

「うん、お腹空いた」

 そう言うと何故かとても嬉しそうに笑って、キッチンへ行く。

「温め直すから座ってて。出来たら体温測って」

 スポーツドリンクを冷蔵庫から取り出してコップに注いで渡してくれる。あー、喉乾いてたんだ、と、その濁った液体を見てやっとわかった。私はコップを受け取り、体温計を取り出すとそのままソファへ座った。


「……仕事してたの?」

「あ、パソコン?そう。千早は寝てるだろうから、その間何しようかなって考えてさ。で、仕事しか思いつかなかった」

「例のプロジェクト?」

「そう。ブライトさんに入ってもらう前の準備を……、って!千早は仕事禁止!体温測った?」

 おっと、つい。佳代が作った資料らしきものを目にしたらスイッチが入ってしまったらしい。


 丁度ピピピ、とアラームが鳴ったので取り出す。三八度二分。

「少し下がったー」

「だから、何度?」

「三八度二分」

「でもまだ八度あるんだ。うーん、明日も仕事は休みだね」

 ええ?!まさかそんな!!

「仕事は行く。今日治す」

「無理。ていうか運よく体温は下がってもそこで無理したらまた上がる。行っちゃだめ」

 でも……。私は佳代達三人だけでなく、他のプロジェクトメンバーやクライアントの顔、今の進捗状況や月曜日にやろうとしていた作業などが次々頭に浮かぶ。


「でも……」

「はい、今はその話は終わり。ほら、食べて。そしてまた薬飲んで寝よう。俺はずっとここに居るから」

 私はフラフラとダイニングテーブルに着くと、真っ白なお粥と、真ん中の大きな梅干しが食欲をそそった。

「でも、ずっとって……。移るからいいよ」

「千早の風邪なら移ってもいいよ。風邪は人にうつすと治るっていうしね」

「そんなわけないじゃん……」

 来人の無茶苦茶な言い分をスルーしてお粥を口に運ぶ。塩加減も丁度いい。これから昨日のうどんよりはスムーズに食べられる。

「出来たらもう一つ梅干し食べて欲しいんだけど。クエン酸は疲労回復効果があるからね」

 頷いて椀を差し出すと、大粒の梅干しが一つ追加された。普段は好んで食べないが、何故か今はとても美味しく感じる。


 夢中になって、でも熱いのでゆっくりと食べ進めていると、向かいに腰掛けた来人がじーっとこちらを見ているのが感じられた。

「……あの、見られてると食べづらいんですが……」

「ああ、ごめん。つい。可愛くて」

 はあ?!

「あのさー……」

「強行突破した甲斐があった。段々千早が素直になっていく。本当は、大丈夫だからいいよってすぐに追い出されることも覚悟してたんだ」

「……そんな気力も体力も無かっただけよ」

 梅干しが美味しい。一緒に付いてる紫蘇の葉っぱがお粥と合う。

「うん、不調に付け込んだみたいで少し気が引けるけどね。荒療治成功かな」

 勝手なことを……。私は相手をする気が失せて、返事もしないで食事を続ける。


 しかし、この部屋に、今まで自分一人しかいなかった空間に来人がいることが、気が付けば全く違和感が無くなっていた。まるで、ずっと前から彼がここに居たかのように。


「美味しかった。ありがとう」


 お礼を言うと、どういたしまして、と言いながら食器を運んで洗い始める。その動作も自然過ぎて、自然だと感じる私の心のほうがずっと違和感があった。

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