番外編:2
「どうだ、矢崎。赴任準備は」
俺のグラスにビールを注いでくれながら、佐々木さんが聞いて来た。
「まあ、身軽な独身ですからね。大してやることも無いから順調ですよ」
俺は礼を言って返礼をしようとしたが手で制された。佐々木さんは手酌で自分のグラスに注ぐ。
「目の前でどんどん腹が膨らんでいく成瀬君を見るのは辛いだろ。逃げ道用意してやった俺に感謝しろよ」
……。
プライベートも含めこちらの事情を何もかも知り尽くしている上司というのは本当に厄介だ。あ、もしかしたら成瀬も俺のことをそういう目で見ていたのかな。そうだとしたら恋愛関係に発展しないのは当たり前だ。
今頃気づいても後の祭りだが。
俺は佐々木さんが注いでくれた分を一気に飲み干した。
「感謝しますよありがとうございます。で? その忙しいはずの俺をわざわざ呼び出して揶揄って遊んで終わりですか?」
つい不貞腐れたような言い方をしてしまうが、相手は役員で年上だ。どれだけつっかかったって許してもらえるはずだ。
「いやいやまさか。傷心の中けなげに頑張る可愛い部下のために良い話を持ってきたんだよ」
何のことだ。良い話と言われても手放しで喜ぶ気がしない。自然と眉間に力が入る。
「俺が、っていうか、社長が、だけどな。お前が成瀬君にフラれたって聞いたら、次の相手も自分が探す! っつって張り切ってたんだよ。縁談の世話なんて老後の楽しみにとっておけばいいのにな」
「ちょっと……、待ってください、良い話って……」
ニヤァ、と嫌な笑い方をして、佐々木さんはホテルの地図が印刷された紙を差し出してきた。
◇◆◇
小春日和の土曜。俺は何度目かのため息をつきながらホテルのロビーに足を踏み入れた。
「お、来た来た」
すぐに佐々木さんに見つかった。往生際悪く逃げる算段もゼロにしていなかったが、もうこれで逃げ道は塞がれた。
「ぶつぶつ言ってたけどちゃんと来たな」
「当たり前でしょう……。でもそれは上司の顔を立てただけで、受けるとは限らないですからね」
「そんなのはお互い様だ。こっから先は本人同士の判断に任せるから変な気遣いはするな」
そして俺の背をバン! と叩くと、行くぞ、と言ってエレベーターへ向かった。
「失礼します」
案内されて入った部屋は和風の中庭が良く見える広めの和室だった。
襖が開かれて驚いた。
そこには、成瀬弁護士が。
「これは……、どうも、ご無沙汰しております」
そう言えば相手の情報をまるで聞いていなかった。佐々木さんも何も言わなかったのもあるけど……。驚かせるつもりで黙ってたのか。
え、でも、待てよ。なんで成瀬弁護士?
正座して挨拶しながら色んな考えや疑問が頭を過る。
「いえいえ、それはこちらこそ……。娘がいつもお世話になっております」
成瀬氏が応じてくれる。元々様子のいいひとだが、更に穏やかさが増したように見える。娘の結婚が決まって近く孫が生まれるとなれば、幸せも一入なのだろう。
自分の傷をえぐりつつ作り笑いを浮かべながら顔を上げると、隣に若い女性が座っているのが目に入った。
「ご紹介します。娘の百花です」
俺は驚いた。娘、ということは成瀬の姉か妹か。見た感じは姉のように見える。
「千早の姉になります」
追加情報に俺は頷く。それに応えるように件の女性もお辞儀をした。
「成瀬百花と申します。よろしくお願いいします」
「矢崎潤です。お父様と妹さんにはお世話になっております」
頭をあげてまた彼女を観察する。座っているせいなのか小柄で、柔らそうな雰囲気だ。長身でどちらかというとシャープなムードをまとっている妹とは対極的な印象だった。
すると百花は、くすっと笑った。
「似てないな、って思ってるでしょ」
突然砕けた口調になる。隣の父親に、こら、と窘められているが気にしている様子はない。
「構いませんよ。昔からです。私と千早は似てるところは全然ないの」
「……不躾に見入ってしまって申し訳ない」
「気にしないでください。ていうか、きっとお見合い相手が私だってことも聞いていらっしゃらなかったんじゃない?」
俺は頷いて、隣に座っている佐々木さんを軽く睨む。ドッキリを仕掛けるにしてもほどがある。よりによってフラれた相手の姉とか。
俺の恨みがましい視線に気づかないはずはないのに、佐々木さんは完全スルーだ。
「じゃあまあメンツが揃ったところで、食事始めてもらいましょうか」
襖をあけて仲居さんに告げる。早速一人入ってきて、箸やら茶やらを準備し始めた。
「この度は娘と婿が大変なご迷惑をおかけしたそうで……」
成瀬氏が突然頭を下げる。
婿……? そうか、立花のことか。
「赴任するから結婚は止めたと突然報告に来たと思ったら、翌月には妊娠したからやっぱり行かないとか……。娘はそれでいいでしょうが、会社にはきっと多大なご迷惑を」
「いやいや、おめでたいことなんですから、お気になさらないでください」
佐々木さんが横から適当に返事をする。気にするなも何も全部あんたが決めたことじゃないか。
あ、でも、そうだ。
「お会いして早々で申し訳ありませんが、実はお……私が千早さんの代理でニューヨークへ行くことになっておりまして……」
考えてみれば、来月からしばらく日本からいなくなる男と見合いなんて非常識じゃないか? 社長も佐々木さんも、そこ考えなかったのかよ。
そもそも受ける気はない見合い話ではあるが、申し訳ない気持ちがしないでもない。心苦しく感じながら伝えると、百花は首を振った。
「聞いてますよ、その話も。もしご縁があれば遊びに行ってもいいですか?」
けろっとそんなことを言う。またも父親に小言を言われているが、俺は思わず吹き出した。
本当だ。成瀬とは全く似ていない。俺がずっと思い続けた女性の姉なのに。彼女とはまるで別人だ。
「もちろん、その時は。お待ちしてますよ」
気が付けばそんな返事をしていた。言ってから自分でも少し驚いたが、取り消そうとは思わなかった。
◇◆◇
食事が終わると定石通り『お若い方同士で』なんて言いながら、成瀬氏と佐々木さんは俺たち二人を部屋から追い出した。仕方なく、ホテルの中庭を散策することにする。
まだ二月、天気も良く陽が差しているとはいえ外は肌寒い。あまり長くうろつくと風邪を引かせてしまうかもしれないから時間には気を付けよう。
先に立って歩いてくれる百花の後ろを歩きながらそっと腕時計で時間を確認していると、前から声がかかった。
「もしかして矢崎さん、千早のこと好きだった?」
唐突な質問に俺はフリーズする。まさか佐々木さん、そんな余計なことまで喋ったのか? 見合い相手に?
返事が出来ず目を白黒させていただろう俺に、振り向いた百花はプッと吹きだした。
「超当たりって感じ。やっぱりそうなんだ」
「いや、その……」
「いいんですよ。あの子、いい子だから」
何故か辛そうに、そう言った。
姉が妹を褒めるのなんてごく普通のことなのに。百花は何かを告白しているかのようだった。
その横顔から目が離せず、かといって掛ける言葉も見つからず立ち尽くしていると、あっちで座りません? と、四阿を目で指した。俺は頷き、二人で歩き出した。
「私ね、ずっと千早のこと、大嫌いでした」
座るなり話し始める百花に、俺はただ聞き役になるしか出来なかった。
「あの子、昔から可愛くて。勉強もスポーツも何でも出来て、努力家で、スタイルも良いし男子にも大人気で。でもその分女子の友達はいなかったですけどね。そりゃそうですよね、女子って、完璧超人、嫌いなんですよ。だって勝てないから」
そんなもんなのか。分からなくも無いが、女性は幼い頃から他人に嫉妬心をもつものなのかもしれない。
「ずっと比較され続けた私なんて尚更です。お蔭で超ひねくれた性格ブスになっちゃった。あ、性格だけじゃなく顔も千早には勝てないんですけどね」
そんなことないと言いそうになり、俺は口を噤む。会ったばかりの人の心の傷を安易に慰められるほど、俺は人間が出来ていない。
「ずっとずっと妹を虐め続けて……。立花さんとケンカしたこともありますよ。最近やっと警戒心解いてくれたけど、結婚の挨拶に来た時はお互いファイティングモードでした」
立花か……。俺は思わず笑いを漏らした。あいつはいつでもどこでも成瀬を守っているんだな。
「最近になってやっと千早へのコンプレックスを解消出来ました。でもそれは……千早が先に本心見せてくれたからなんです。だから私も、自分の一番弱いところを曝け出せた……。そんなところまで妹に負けました」
いつもソツなく色んなことをこなす成瀬からはあまり想像出来ない『姉妹喧嘩』の話を聞き、新鮮な気分になる。彼女を完璧超人だと思っていたのは、俺も同じか。
「だからってそんなに簡単に許してもらえるとは思っていなかったんですけどね。だって本当にすごい酷いことたくさんしたんですよ、私。実の妹に」
どうして百花はこんな話を会ったばかりの俺にするんだろう。黙っていたところで、妹から俺に告げ口なんかするわけないことだってわかってるだろうに。
「でも千早は全部水に流してくれました……。さっき、ニューヨークに遊びに行ってもいいか、って聞いたでしょ。同じことを千早にも言ったんです。そしたらいいよ、って。ちょっと呆れながらそう言ってくれました」
俺は頷く。俺の知っている成瀬千早も、そう反応しそうだと思ったからだ。
「で、ね」
百花は立ち上がり、俺の正面に立った。
「千早のこと好きだった矢崎さんは、きっとあの子と正反対の私になんて興味ないと思うんです」
俺はまた驚く。
「なんで千早とご縁がある方とのご縁談なんてお父さんが受けちゃったのか分からないけど……、あ、そっか」
「そっか、って?」
「もう一つ懺悔。私去年まで不倫してたんです」
次から次へと飛び出してくる百花の告白に、俺は言葉も無い。アホのように聞き続けているだけだ。
「だからかー。早く真人間になってほしいって思ってるんだなー」
「真人間、って」
「だって、相手の奥さんがお父さんの取引先にまで乗り込んで突き飛ばして怪我させたりしたんですよ。私のせいなんですけどね。お父さん怪我して入院までして……もちろんその時に彼とは別れましたけど」
俺は丁度一年前を思い出す。成瀬氏が入院したと聞いて成瀬千早に伝えたら、真っ青になって飛んで行った。そんな事情だったのか。
「でもそんなの、矢崎さんには関係ない話だし……。断っちゃってください。あ、言いづらかったら私から言いましょうか?」
「断る、って……」
ちょっと待ってくれ。
俺は話の展開と百花の決断の早さについて行けず、軽く眩暈を感じた。これは……。
気が付けば、下を向いて笑っていた。
「くっくっくっ……。あはは、あっはははは!」
「……矢崎さん?」
唐突な俺の笑いに、百花が狼狽えた。ここに来るまで俺のほうが狼狽え続けていたので、その様子を見てほんの少し溜飲が下がった。
「わかんないじゃないですか、そんなの」
また気づけば、勝手に俺の口が動いていた。
「さっきも言ったけど、俺来月から海外赴任でいなくなるんだよ。俺の後任を成瀬……千早さんに押し付けてあるから、彼女が産休に入るまでには帰ってきたいと思ってるけど、それもその通りに出来るかなんてわからない」
百花が頷く。今度は彼女が聞き役になっている。
「恐らく二年は会えない。君が遊びに来てくれたとしても、それ以外は会えない。……それでもいいなら」
俺の右手が動いて、彼女に握手を求めていた。
「ま、友達から? ってことで、どうかな」
もしかしたら俺があいつらの義兄になるのか。
それもそれで面白そうだ。
俺の相方候補は、こんなにも予想できないキャラなんだから。