番外編:1
「パパー!」
千早と二人で、久しぶりのデート中。
突然俺のひざ下に何かがくっついて来た。
何だこれ。
下を見ると、三歳くらいの男の子だった。
「パパー!!」
パパ? は? 俺?
「ちょっと、君、誰? 迷子?」
まったく身に覚えはないのに何故か狼狽えながらその子に話しかけた。千早も驚いて目を丸くしている。
「あのさ、俺の子じゃないから」
なんで言い訳してるんだ、俺。
「分かってるって。何焦ってるの?」
にっこり笑う顔が微妙に怖いのは、俺のほうに変なフィルターかかってるせいだよな、うん。
千早は大きくなってきた腹に気を使いながら俺同様膝をついてその子に話しかけた。
「迷子かな……。ママか、パパは? はぐれちゃった?」
話しかけてきた見知らぬ大人=千早に、一瞬目を白黒させ、再び顔をぐしゃっと崩して俺に飛びついた。
「パパー!」
だから、俺はパパじゃない。何だこのガキ。
「どうしようか、パパ」
「千早までやめて。……迷子だな、警備室行ってみるか」
俺はガキんちょを抱き上げ立ち上がる。千早が案内板から警備室の場所を見つけてくれたので、三人で向かった。
◇◆◇
「そうですか……。迷子の届け出はまだ来てませんが、こちらでお預かりしますね」
迷子担当らしい初老の警備員が請け負ってくれた。俺はホッとして子どもを渡そうとしたら、また叫び出した。
「パパ、パパー!」
「……お父さんですか?」
「ち、違います! 間違えられてるんですよ、さっきから……。父親とはぐれたんですかね」
「ああ、それで……。ほーら、僕、こっちに来ておじさんと一緒に待ってようね」
男性にしては小さな子どもの扱いになれているようだ。とても優しそうに笑いかけ、俺から子どもを受け取ろうと手を伸ばしてきた。
しかし。
「パパー! パパ、パパ、やだー!」
やだじゃない! 離れろ! しがみつくな!
「すっかり懐かれちゃったね」
千早は何故か半笑いで眺めている。助けてくれないのかよ。
「パパー! パパがいい、パパー!」
「うーん……、これ、無理やり引きはがすと悪化しそうですねぇ」
知るか。俺の子じゃないし、大体親はなんで探しに来ないんだよ。
「泣き疲れて寝るでしょう。預かってくださいよ」
段々イライラしてきた俺は、乱暴にガキを持ち上げて警備員へ押し付けた。でも警備員の予想通り、更に火が付いたように泣き出してしまった。
「……落ち着くまでか、じゃなかったら親御さんが迎えに来るまで一緒にいてあげたら?」
千早が子どもの頭を撫でながら俺に提案してきた。……つっても。
「折角二人で出掛けられるようになったのに」
「私の体調も大分安定してきたもん。今日じゃなくてもまた来れるよ」
ね? と、何故か俺じゃなく子どもに笑いかけた。俺たちの会話の意味が分かったのか、ガキは急ににっこり笑って千早に大きく頷いた。
「すみませんねぇ。あ、場内アナウンスかけておきますので。よろしくお願いします」
警備員はそそくさとマイクへ向かう。まあ、すぐに親が名乗り出てくればそこで終わりか。
俺はため息をついて、俺の膝の上で足をパタパタさせるガキを抱え直して椅子に座った。
◇◆◇
「来ませんねぇ、親御さん」
「聞こえてないんでしょうか。外出ちゃったとか」
「ああ、探して帰っちゃったってこともありますね」
「勘弁してくれよ……。なあ俺腹減ったよ」
時計を見ればもう午後だ。要らん気苦労もあってエネルギー切れ寸前だ。
「ボクも! お腹空いた!」
お前はいいんだよ。
「ハンバーグ! ハンバーグ食べたい!」
「ハンバーグか、じゃあファミレスにしようか。一階にあったよね、確か」
「ちょっと千早、こいつも連れてくのか?」
「だって来人から離れないんだもん。しょうがないよ」
「親が見たら誘拐犯と間違えられないか?」
「私が説明するし、こちらを案内したら事情説明してくれるでしょ」
確認するように千早が警備員を見る。大きく頷いて請け負ってるけど、厄介払いしようとしてないか。
「もちろんです。あ、もしお食事中に保護者が来たらご連絡したいので、どちらかの連絡先を教えていただけると……」
「あ、じゃあ私が」
ガキを抱えて動けない俺の代わりに千早が対応する。預かる気満々だな。
俺は千早とガキを見比べながらため息をつく。きっと、こいつと腹ん中の子どもを同化してるんだろう。だから無下に出来ないのかもしれない。
はあ……。折角色々見て回ろうと思ったのに。
◇◆◇
レストランでもガキは大はしゃぎだった。千早と手を繋いでドリンクバーへ行ってジュース取ってきたり、レジ前のおもちゃを見に行ったり大忙しだ。俺から離れてくれたのは有難いが、かといって千早と二人で置いていくわけにはいかない。
千早が置いていったスマホを見るが、まだ警備室から連絡は来てないようだった。
「ユウタくん、こっちむいて、ジュースついてる」
おしぼりでガキの顔を拭いてやる千早はすっかり俄か母親だ。ガキは大人しく顔を突き出してされるがままになっている。ユウタ、ってのがこいつの名前か。
「ユウタ、いくつだ」
「みっつ!」
退屈しのぎに年齢を聞くと、自慢げに指を四本立てた。四歳か、三歳か、どっちだ。
「パパと一緒!」
俺はみっつじゃねえよ。
「おたんじょうび! パパとボク、同じ日だよね」
ああ、そっちか。
「パパのお名前は、知ってる?」
さすが千早、そこから情報得られるな。
「えーとね……、パパ!」
ダメだった。
「今日は、お家から誰と一緒にここまで来たの?」
続けて千早が話しかける。するとユウタは急に暗い顔になって下を向いた。
「……ボクだけ」
え?
一人で?
俺と千早は驚いて顔を見合わせる。
確かに近くに住宅街はあるが、三歳かそこらの子どもが一人で来る場所ではない。
「……ごめんなさい」
一人で来たことを怒られると思ったのだろう、ベソかいてるような声で謝るユウタに、千早は優しく話しかけた。
「謝らなくていいの……。怖いこと、無かった?」
きっと変質者や事故の心配をしているのだろう。しかしユウタはまた元気な顔でうん!と頷いた。
「パパ見つけたから! 怖くないよ!」
そして俺を見てニカッと笑った。……そういう流れか。
千早は自分用の飲み物に口を付けながら、仕方ないというように笑った。
「よっぽどお父さんに会いたかったのね。で、そのパパと来人が似てる、と」
「……理由が分かっても、俺達三人が困ってるこの状況は変わんねえだろ」
「そんなに邪険にしないで。あと数カ月で本当にパパになるんだから」
千早は腹をさすりながら軽く俺を睨む。自分の子と、見ず知らずの迷子を混同するなよ。
「別に疑ったりして無いし」
「当たり前だよ……。そうじゃなくて、こいつ、さ……」
両手でプラスチックのカップを抱えてジュースを飲むユウタを、俺は目で指しながら言う。
「ちゃんと親、迎えにくるのかな……」
唐突に浮かんだ想像に、俺は背筋が寒くなった。
◇◆◇
たらふく食べたら、子どもがすることなんて一つだ。俺の背中でユウタは爆睡している。
千早は自分のスマホを見るが、まだ連絡はない。
「連絡、来ないね」
「一度警備室戻るか。警察にも連絡したほうがいいんじゃねえか?」
千早も頷く。エスカレーターで警備室へ向かおうとしたところで、ユウタが起きたらしい。
「ゲームセンターあるよ、パパ!」
「だめ。さっきのおじさんがいるところに戻るぞ」
「やだー! ゲーム! パパ、ゲームするの!」
「わがまま言うなって」
「やくそくした! 次会ったらゲームセンター行くって!」
次、会ったら?
「だからママと二人で待ってたんだもん! 行くのー!」
またもやギャーッと騒ぎ始める。週末ゆえ周囲も子連れが多いものの、ギャン泣きしていれば目立つ。仕方なく俺達は寄り道することにした。向かう先が変わったことに気づくとユウタは再びニコニコ顔になる。切り替え早いな、こいつ。
「次に会ったら、って……」
千早も気づいたか。会ったら、というのは、同居家族に使う言葉じゃない。多分こいつは今、『パパ』と一緒に住んでいないのだろう。
「離婚か、別居とか」
思いついた理由を口にすると、千早も小さく頷く。
「多分、そうなんだろうね……。可哀想」
言いながら、千早はユウタのぷくぷくな頬をつつく。遊んでもらっていると思ったのかキャッキャと歓声を上げて背中で暴れている。
俺は黙って、ユウタを背負い直した。
◇◆◇
「パパへたくそー」
「うっせ! ゲーセンなんて久しぶりなんだよ。つかお前上手いな」
クレーンゲームで、さっきから次々と景品をゲットしていくユウタ。俺なんて三千円つぎ込んで全部失敗したのに。
「これ、あげるー」
獲得景品から、千早には猫、俺にはエビのぬいぐるみを差し出す。なんでエビなんだよ。
「だってパパ、おすしいつも食べてる」
パパはエビ好きか。しかし親を探すためには何の情報にもならんな。
食って寝てHP回復したかのように、ユウタは無限に走り回る。警備室からの連絡を気にしつつも、俺達はしばらく付き合い続けた。
千早が疲れたというので、近くのソファに座る。ユウタは座っても俺の体をジャングルジム代わりによじ登ってくる。このくらいの子どもは何でも遊びにするんだったな。
俺は自分の子ども時代を思い出す。父親はいた。だが、こんな風にじゃれつくことは無かった。拒否られたのか自分から近寄らなかったのか、どっちが先かは覚えていないが、間違いなくこんな風に遊んだ記憶はない。
さっき、千早はユウタを可哀想と言った。しかし、本当にそうだろうか。
一緒に住んでいたって楽しい思い出ばかりとは限らない。
俺や千早自身が、そのいい例ではないだろうか。
突然、着信音が鳴る。千早がスマホを見ると、警備室かららしい。
「はい、はい、ああよかったー、じゃあこれから伺いますね」
お母さんが迎えに来たって、と、電話の内容を伝えてくれた。俺は頷き、まだよじ登ったままのユウタを肩車に変え、警備室へ向かった。
「ユウタ!」
「あ、ママー」
あともう少しで、というところで、警備室から女性が駆け出してきた。
「ユウタ、ユウタ……」
俺が下へおろすと、飛びついてユウタに抱き着いた。ああ、本当に心配してたんだな。
散々迷惑かけられたが、ユウタには心から安否を気遣う母親がいるということが分かって、俺は少し安心した。
ひと段落すると、母親は立ち上がって俺達に二つ折りになって謝ってきた。
「本当に……本当にご迷惑をおかけしました。ありがとうございました……!」
「ママ見てー、これ取ったんだよ」
さっきのゲーセンでの戦利品を得意げに見せびらかす。母親はぎょっとしたように再びこっちへ向き直った。
「あのっ、代金、おいくらでしょうか。お昼も連れて行っていただいたと伺いましたので……」
早速財布を取り出すが、俺達は遠慮した。
「気になさらないでください。私たちも楽しかったので」
千早が言う。俺が言うと嘘くさいが、彼女は本当に楽しかったのかもしれない。
でも、と首をふる母親に、じゃあ四人でお茶しませんか? と千早が提案した。確かに母親は少し落ち着いたほうがいい。
「そうしましょう、ユウタ君も走り回って疲れてるでしょうし」
名前を呼ばれてまた飛びついてきた。犬みたいなやつだな。
「パパ! さっきの、かたぐるま!」
母親に会ってもまだ俺はパパのままか。仕方ない、ユウタを持ち上げて肩に座らせた。
「じゃ、行きますか」
警備室に声をかけ、再びさっきのファミレスへ向かった。
◇◆◇
「本当に良い方々に保護していただいて……。安心しました。まさか一人で家から出るなんて思わなかったものですから」
「お母さんは、今日は?」
「ええ、仕事だったので。……探しに来るのが遅くなってしまって」
「失礼ですが、ご主人は……」
「先月、離婚しまして……」
つい立ち入ったことを聞いてしまったが、息子が迷惑をかけた負い目もあるのか、するっと話してくれた。やはり、そうだったか。
「ユウタ君、お父さんに会いたかったみたいですね」
千早の言葉に、母親は更に項垂れた。
「この子の前では、良い父親でしたから……。そうですね、会いたいんだと思います」
言いながら俺を見て笑う。
「この子が間違えるのも仕方ないです。本当に主人に、よく似てますので」
って言われてもなぁ。
「パパ! いちご食べたい!」
ユウタが俺の膝に座って、テーブル脇のメニューを指さす。いちごパフェの案内だった。
「ユウタ、今食べたらご飯食べられないでしょ、ダメよ」
母親に窘められ、諦めたのかしょぼくれる。まあ、もう夕方だからな。母親の言う通りにしたほうがいい。
俺はいちごの件は聞かなかったことにして、ユウタを向かい合わせに座らせた。
「ユウタ、約束しろ。もうママがいないときに一人で家から出るな」
俺の真剣な声音に反応したのか、目をぱちくりさせている。しかし騒がず、じっと聞いているようなので俺は続けた。
「そしてこれからは、お前がパパになるんだ」
分からない、というように小さく首を傾げる。そりゃそうか、分からんか。
「パパはお前のパパってだけじゃない、ママにとっても大事な人だったんだ。だから……パパの分もお前がママを守るんだ」
分かるか? というようにユウタの頭をそっと撫でる。ユウタは瞬きもせず俺をじっと見つめる。俺を見ているというよりも、今の俺の言葉を咀嚼して飲み込もうとしているように。
しばらくじっとしていたが、突然、うん!と大きな返事をした。
「ボク、パパになる!」
そして俺の膝から降りると、母親の隣の席によじ登り、抱き着いた。
俺は満足し、ユウタに笑いかけた。
◇◆◇
家に帰ると、俺も千早もどっと疲れが出た。さすがに今日はイレギュラー過ぎた。
「千早、体調大丈夫か?」
「うん、私は大丈夫。来人、疲れたよね」
俺は首を振って否定する。確かに疲れたが、何かをやり終えたような、逆に何かを得たような、不思議と気持ちのいい疲労感だった。
テーブルには猫とエビのぬいぐるみ。エビのしっぽはユウタが握り締めていたせいかちょっと変形している。
「予行演習出来たね」
俺と同じことを考えていたらしい千早が、エビをつつきながら言う。
俺は笑って、疲れ果てた千早の代わりにキッチンに向かった。