第132話
来人に付き添ってもらって産婦人科を受診した。妊娠十週目、所謂三カ月目だそうだ。
今の仕事の状況を伝えると、初老の女医さんに呆れられた。
「今時の人は……。お仕事頑張るのもいいけど、自分の体の変化にも気づかない、寝ることも食べることも忘れるって人としておかしいでしょ」
すみません……。
「元気な赤ちゃん産むつもりなら、すぐに会社に相談しなさい。必要なら診断書でもなんでも書くから」
そして細々とした生活の注意事項について説明してもらった。定期健診の予約を取ると、来人と二人で病院を出た。
カーディガンだけだと少し肌寒い。小さくくしゃみをすると、来人が慌てた。
「だから言ったろ、薄着すぎるって」
そして自分が来ていた上着を脱いで私に掛けてくれた。そのまま手を繋いで歩き出す。
「で、どうしようか」
徐に来人が切り出した。何を?
「結婚準備も、親や会社への報告も、その他もろもろ。全部やり直しだろ」
すみません……。
「ニューヨーク行きは止めるんだな? 俺と結婚して子ども産むんだな? それでいいんだよな?」
「だからもうそれ何度も話し合ったし……」
「何度も確認しないと安心できない。今度こそ、間違いないな?」
私は繋いでいた手を離して、彼の腕にしがみついた。
「間違いありません。その通りです」
「よし。じゃ」
そう言うと来人は立ち止まって、ポケットをまさぐる。私の左手を取って、あの指輪をはめてくれた。
「これは返す。で、もう二度と外すな。結婚指輪とチェンジするまで」
私は自分の左手をじっと見つめる。再び戻ってきた小さな輝きに、じんわりと涙が浮かんだ。
◇◆◇
ご報告とご相談があるので時間作ってください、と矢崎さんにメールしたら、すぐ返事が来た。休日なのに申し訳なかったが、構わないと言ってくれたので二人で矢崎さんのマンションへ向かった。
インターフォンを鳴らすと、普段着姿で出迎えてくれた。
「なんだ、おまけ付きか」
「千早一人で行かせるわけないです」
いつもの小芝居。この二人、こういうやり取りしないと気が済まないのかな。
「ま、入れ。おまけも」
舌打ちする来人に笑って、中へ入れて頂いた。
「で……嫌な予感しかしないんだが、何の話だ?」
そう前置きされると……言いやすいです。ありがとうございます。
私は姿勢を正して口を開いた。
「実は妊娠していました。さっき病院も行って、確かめました」
矢崎さんは想定通りものすごく驚いた顔をしていた。さすがにこれは予想していなかったか。
「それで……、産みたいので、大変申し訳ありませんが、赴任を辞退したくご相談にあがりました」
私が言い終わると、あーー、と唸りながら矢崎さんが頭を抱えた。
「それは……頷くしかないだろー……」
「すみません、私も予想外で……」
するとなぜか矢崎さんは来人を睨みつける。
「ちゃんとしろよ、お前の責任だぞ」
「だって結婚するつもりでしたし。赴任話のほうが後出しでしょう。俺が悪いんじゃないです」
しれっと言い返す。この子の心臓には毛が生えてる。絶対。
「体調は? 問題ないのか?」
矢崎さんが私に向き直って聞いて来た。私は今さっき先生に言われたことを思い出しながら話す。今の働き方はNGくらった。
「実は業務が……」
「働かせすぎ。でも赴任しないならもっと楽になりますよね」
横から来人が口を挟む。うーーー、と唸りながら、矢崎さんも頷いてくれた。
「そうだな……、うん、申し訳なかった。お前と坂田に頼りすぎてた。すまん」
頭を下げる矢崎さんに、私は慌てた。
「そんな……。この件の責任者は矢崎さんじゃありませんし。私も……あえて忙しくしてたところもあるので……」
来人と別れて出来た大きな穴を埋めるために、仕事の多忙は都合が良かった。そのせいで必要以上に自分に負荷をかけていた。それは誰の責任でもない、自分が悪い。
「あのさ」
また来人が口を挟む。
「代理の件とかで頭痛いの分かるけど、おめでたい話なんだからそういう顔してくれませんか。千早も。なんで謝るんだよ」
私と矢崎さんは顔を見合わせる。確かに。
「そうだったな……。おめでとう、成瀬。元気な赤ちゃん産んでくれ」
「ありがとうございます」
お礼を言いながら、私にもやっと身ごもった喜びが沸いて来た。さっきまでは問題にばかり目が行っていたから。
「……その言い方も腹立つな。俺の子ですよ。なんか矢崎さんの子みたいじゃないすか」
自分で祝えと言っておいて、来人がヘソを曲げる。ほんとにもう……。
「別に俺の子として産んでくれてもいいんだぞ、成瀬」
は? いや何言ってるですか。
呆れる私の横で、来人が本気で殺気立つのが分かった。
「ぜっっっっったい、ダメだかんな! 俺の子!」
本気にしてるし。だから矢崎さんも毎回来人をいじるんだろうな。