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第126話

 本来なら矢崎さんから打診を受けたその日に来人に相談すべきだったんだと思う。けれど楽しそうに結婚式の準備を進める彼を見ていたら、中々切り出すことが出来なかった。

 自分の不甲斐なさに苛立ちながら、でもその理由もわかっていた。

 私は、行きたいのだ。海外赴任へ。

 今とは違う環境で仕事に取り組める。今までのように実家という不安対象もない。ポジションや年俸は正直どうでもいい。何より外国で、ということが、自分の夢に近づくチャンスのように思えてならない。


 しかし、言えるのだろうか、自分は。

 二年間海外へ行くこと。その間結婚は延期させてほしいこと。当然ながらお互い離れ離れになることを。

 矢崎さんは『相談しろ』と言った。来人の意見も込みで決めろと言うことだろう。

 でも私が今悩んでいるのは相談ではなく説得方法だ。どうすれば来人に諾と言って貰えるか。

 そしてその返事をしてくれる時に、彼に何某かの我慢をさせたくない。来人もまた納得した上で私を送り出してほしい。

 そんな都合のいいこと無理だと分かっているのに。


「千早は結婚式やるとしたら誰呼ぶ?」

 一緒に式場のパンフレットを見比べていたのだから、その質問は自然なものなのに、全く別のことを考えていたため驚いて返事が出来なかった。

「式?」

「……また違うこと考えてたな」

「ごめん……」

「いいよ。で、式に呼ぶのはご両親とお姉さんと、他は?」

 私は数秒考えたが、首を振った。

「特にいないな。敢えて呼ぶとしたら会社の人くらいだけど、そんな大ごとにしたくないし」

「だよね……。考えたんだけどさ、家族だけっていうのは、どう?」

 言いながら真っ青な海を背景にした白い教会が表紙のパンフレットを差し出した。

「海外挙式とか。それなら招待客無しでも納得してもらえるだろうし」

 私は頷く。来人が全て私に合わせて計画してくれているのが分かる。

「でももし来人がたくさん呼びたい人いるなら……」

「いないよ。俺も家族とばあちゃんがいればいい」

 千早を見せびらかしたい気もするけどね、と付け加え、笑いながらまた別のパンフレットを手に取った。


 私はぎゅっと両目を瞑る。ちゃんと言わなきゃ。先送りするほど彼を落胆させる。

「来人。大事な話があるの」

「何?」

 まだ冊子を眺めながら生返事する。緊張のせいか、その態度に少しイラっとして強めの語調で続けた。

「ごめん、ちゃんと聞いて欲しいからこっち見て」

「結婚やめるとかじゃないなら聞くよ」


 来人の声が低く、感情が消える。彼が本気になっている時のサインだ。

 私は驚き、そして図星を指していた来人の前置きに、何も言えなくなった。

 返事をしない私に、来人がゆっくり向き直る。

「そうなんだ」

 打って変わって冷たく響く来人の声を聞いて、私は絶対やってはいけないことをしてしまった。

 気が付けば、ぼろぼろと涙をこぼしていたのだった。


◇◆◇


 震えながら大泣きする千早が落ち着くのを待って、話を聞いた。

 来年から二年間、海外支社へ赴任の話が来たらしい。期間はもしかしたらもっと長くなるかもしれない。と言うことは実質無期限だ。

 それでも行きたい、と言う。

 千早の『話』とは、相談ではなく、決定だった。


 必死に泣き止もうとする千早から目線を外し、周囲に散らばった資料を見遣る。彼女との結婚式やその後の生活を夢見て浮かれていた気分は全て萎んでしまった。


「わがままで最低だってわかってる。だけど……」

 必死に話そうとする千早を、どうしてだろう、とても冷めた目で見ている自分を感じていた。

 俺は先日聞いた千早の夢を思い出していた。恵まれない子供たちのための小学校設立の夢。確かに俺は応援すると言ったし、その気持ちに変わりはない。でもそれが現実になるのはもっと先の話だと思っていた。

 俺達が家庭を作り、もしかしたら子供が出来て、その子が巣立って行った後にセカンドライフとして取り組めたらいいな、と。


 今千早の前に唐突に開いた道は、夢そのものではない。しかしこのまま日本で働き続けるよりはずっと夢に近づける道だった。心を決めてしまうのも無理はないほど、魅力的な話だろう。

 もしこれが自分だったら。そう考えると、千早の気持ちがより一層強く伝わってくるようで辛かった。


 きっとこの決心は変わらないだろう。俺が、行くなと言っても。それは千早を苦しめるだけだ。

 俺は黙って立ち上がった。


「帰るよ」

 週末に一緒にいないなんて本当に久しぶりだ。千早は驚いたように顔を上げ、俺の服を掴む。だが俺は足を止めることは出来なかった。

「一人で考える……一緒にいたら考えられない」

 今喋っているのは俺か? 自分の声がまるで他人のように聞こえる。

 千早の指が俺の服の裾から離れていく。自分から彼女を拒否したのに、捨てられたような気分になった。


 荷物を持って、何も言わずに千早のマンションを出る。

 もうここに来ることはないかもしれないと、どこか遠くで考えながら。



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