第122話
私は来人に微笑みかけ、その手を外し立ち上がると、ご両親とおばあちゃんに向き直った。
「改めて、これからどうぞよろしくお願いいたします」
しっかりとお辞儀をする。たっぷり時間をかけ、そして顔を上げるが、常務以外は皆変な顔をしていた。
「どういうことね? 千早ちゃん、来人と結婚してくれるん?」
おばあちゃんが代表するように聞いてくる。私は頷いた。
「はい。だって、そういう話でしたし」
そして来人とお父さんを交互に見た。
「ってことでいいですよね? 和解したんだよね? 二人とも」
皆がいるところで念を押す。言った言わないが一番怖い。長年二人の関係に苦慮してきた人たちが証人になってくれるならこれ以上はない。
私の念押しに来人達が顔を見合わせる。そして同時に頷いた。
「そうです」
「約束するよ」
私も頷き、常務にバトンを渡した。
「ご協力、ありがとうございました」
「いや、さすがだな。矢崎が褒めるだけあるわ」
いえ、そもそもは矢崎さんの真似をしただけですし。
「あいつは俺から盗んだんだ。てことは俺のおかげか、うん、そうだな」
場を和ませるためか常務が軽口を叩く。私は笑いながら同意する。
「え、え? なんのこと? 矢崎さん、って?」
来人がまた目を白黒させている。矢崎さん、というキーワードに反応したのかもしれない。
「まあ、これも一つの仕事の仕方として覚えておくといいぞ、来人君も」
「話し合いがこじれそうになったときにね、提案を引っ込めるの。両者得するどんなに美味しい話でも、本気で引っ込めるつもりで。そうすると話の流れが変わることがあるのよ」
「本気で、ってところがポイントだぞ。ブラフじゃ見抜かれる。本当に撤回する覚悟がある条件の場合のみ有効なやり方だ」
何度か矢崎さんがクライアント相手にやっているのを見ている。ある意味最終手段だから頻繁には使わなわいようだ。しかし状況と相手によってはとても効き目があるため私も真似させてもらっている。まさか出処が常務とは思わなかったが……。
「てことは、何、二人、計画してたの……」
来人が呆然と呟く。私たちは揃って否定した。
「それはない。成瀬君の出方を見て俺が察して協力した」
「一人じゃ上手くまとめられませんでした。感謝です」
しかし私たちの回答が不本意だったのだろう、来人は勢いよく立ち上がると、憮然とした顔でそのまま部屋を出て行ってしまった。
「あれ、来人どこ行ったね」
「……騙されたって思ったんじゃないかしら、あの子……。千早さん、ちょっとやり過ぎなんじゃ……」
おばあちゃん達が口々に心配する。私は彼が出て行った方向を見遣る。ここはやっぱり追いかけるべきだろうか。
「立花、お前行ってこい」
私が腰を浮かしかけたところで、常務がお父さんへ声を掛ける。
「ダメ押しだ。説得して連れて帰ってこい。そこまでやれたら合格点だろ、来人君的にも」
「と言っても……あいつ、帰ったんじゃ」
「どんなにブチ切れても成瀬君を置いて帰るとは思えん。敷地内のどこかにいるだろう。探す手間も謝罪のうちだ、ほら、早く行け」
そして常務に追い出されるように、お父さんは来人を探すため部屋から出て行った。
◇◆◇
浩司は廊下で、まず左右に目を配る。右側は行き止まりだ。左へ進むと手洗いがあったので中を確認する。いない。
そのまま廊下沿いに歩いていくと表玄関だ。外へ出ると広い日本庭園が広がっている。灯篭が灯されているが暗い。目を凝らすこと数分、池にかけられた橋の上でしゃがみ込んでいる来人を見つけた。
あえて足音を立てて近づく。人の気配に気づいたらしい来人が顔を上げる。何故かがっかりしているように見えるのは千早が来ることを期待していたせいかもしれない。
浩司は来人の隣に腰を下ろす。思い返すと、隣に並んで座ったことなど何年振りだろうか。
「優秀だな、お前の嫁さんは」
先ほどのやり取りを思い出し、ポツリ。自分の結婚がかかった場で、本気で身を引こうとするなど考えられない。友人が褒めたのはお世辞じゃなく、実際仕事が出来る人なのだろう。そして。
「本当にお前のこと、大事にしてくれてるんだな」
その言葉で、来人はやっと顔を上げて浩司を見る。
「自分の幸せよりお前の幸せ優先したんだろう。よかったな、そんな人に巡りあえて」
「……本気で焦った、さっき千早が、指輪突っ返してきた時」
少しの沈黙の後、力のない声で来人が呟く。浩司も居合わせたその場面を思い出して頷いた。
「そこまでやらないと本気だって伝わらないと思ったんだろ」
「……本気だったのかな、やっぱり」
「そう言ってたじゃないか、佐々木も。本気じゃなきゃ相手の気持ち変えさせられないんだ。そういうことは、たまにある」
ここが禁煙じゃなかったら一服したいと思いながら、浩司は続ける。
「俺は、あそこまで無私になれなかった。お前と、健人に」
独り言のような言い方だが、来人は自分への言葉だと理解したらしい。
「自分に欠けていたものを教えてもらったよ、千早さんには……。お前にもな」
「親父、酔ってるのか」
「まだ酒は入れてない」
「じゃ、遺言かよ。それぐらい気持ち悪いぞ」
「悪いがまだ死なん」
そう言うと、だから、と言いながら立ち上がった。
「結婚おめでとう。千早さん、大事にしろよ」
そうして再び来人へ手を伸ばす。来人も、さっきよりは短い沈黙ののちその手を取って立ち上がった。
「仕方ないから結婚式呼んでやるよ」
「急に偉そうだな、お前」
そして二人で、来た道を戻った。
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
元の部屋へ戻り、入り口で二人揃って頭を下げた。